【第005話】東の森(5)
新連載7話目です。本日は10話まで投稿します。
以降は不定期ではありますが、週2話程度のペースで投稿していきます。
【第○○○話】がメインの物語で、【第○○○.5話】はサブエピソードです。
後書きには設定資料を記載しております。
休憩を終え、再び歩き始めてから20分ほど経っただろうか。先ほどまでほとんど話し掛けてこなかったイルハは、まるで胸の痞えがとれたかのように、本来の姿である気さくな雑談好きに戻っていた。
イルハに限らず、頭が良い人の話というのは得てして情報量が多い。たぶん、自分の理解力が標準的なもので、自分以外の人も同じように理解できると考えているからだろう。イルハの話はただの雑談でも情報がみっちりと詰め込まれていて、注意して聞いていないと話の筋を見失ってしまいそうになる。俺は相槌を打ちながら、情報の洪水を必死に整理していた。
イルハはもともと、大陸東部にある多種族国家エルファリア王国の名家出身で、父は名門と名高いエルファリア王立大学で教鞭をとっている。イルハも父と同じ大学の研究員として勤務していたが、3年前、妹のミアが冒険者になると言い残して家を飛び出してしまったため、自身も職を辞し、彼女を追ってオルセアン島へ来たのだそうだ。
「ただ、僕が冒険者になった理由は、妹が心配だったというだけじゃないんだ」
「他にも理由が?」
「僕はもともと、超常魔法の研究を畢生の仕事――いわゆるライフワークとしていたんだよ。超常魔法は古代人の技術を下敷きに作り出されたもので、精霊魔法とは根本的に体系が異なる。そしてこの迷宮は、およそ150年ぶりに発見された、古代人の遺跡としては最新のものだ。ならば当然、この迷宮には、現在までに知られている超常魔法の常識を更新させる何かが眠っているはず――そう思ったわけさ」
「はあ」
なんだか長くて難しい話だったが、要は自身の研究のため、ということか。
「超常魔法というのは、光魔法と闇魔法のことですよね?」
「そう。けど……僕はあの力を魔法と呼ぶのは、どうかと思い始めたんだ」
「魔法ではないということですか?」
思わず食いついてしまった。俺の反応を見たイルハは、狙い通りとでも言いたげな笑みを浮かべている。
「そう思うようになったきっかけはあの光だよ」
「俺たちが気を失う原因になった?」
「そう。あの感じは間違いなく超常魔法だ。けど、3層全体に影響を及ぼす魔法なんて、どう考えても個人の力では不可能だよ」
そう言われると確かに、あの光は光魔法の一つ、光球に似ていた。
「じゃあ、あれは光魔法と原理は同じで、ただ規模が大きすぎるから、どういう理屈で発生したのかが分からない、と――」
「その通り! そしてその理屈……あの光を発生させた何かは、古代人の技術の中核を担うものだと思うんだ!」
拳を握り締めて熱く語るイルハを見て、ゲフィンと友人になったのは偶然ではなく、運命ではないかと思った。ゲフィンもまた、普通の冒険者とは言い難い――変わり者だと言われるようなところがあったからだ。
「しかし……こんなことを言われても複雑な気分になるかもしれないけど、まるでゲフィンさんと話しているような気がするよ」
「そうですか?」
「オルセアンの町では、金にならない話はそっぽを向かれてしまう。けどゲフィンさんは好奇心が旺盛で、僕の話に熱心に耳を傾けてくれたんだ」
いや。イルハは儲け話ではないから相手にされないと言ったが、それ以前に、内容が難しすぎるのだ。高等学科の教師だって、こんなに難しい話はしない。ほとんどが中等科すら出ていない冒険者たちに、こんな話が受け入れられるわけがないのだ。
けど、最初のとっつきにくさを越えてしまえば、これ以上ないほど刺激的な話になる。まるで冒険小説を読んでいるかのような気分だ。
「血が繋がっていなくとも、やはり親子だね。リークくんもゲフィンさんと同じで、謎をほったらかしにできない性分なんだろう」
「そうかもしれませんね。けど、言われたのは初めてです」
自分の、意外な一面を発見した気分だ。もしゲフィンの勧めに従って大学へ行っていたとしたら、休日は友人たちと一緒に、朝から晩までこんな話をして過ごしていたんだろうか。
それはそれで面白そうだ。冒険者を廃業して、大学に行くのも悪くない。勉強のやり直しは大変だろうが、そこはまだ21歳。決して遅すぎるということはない。ずっと決めていなかった褒賞金の使い道。大学の学費に充ててもいいかもしれない。
「そういえば、1つ聞いてもいいですか?」
話が途切れた一瞬の隙をみて、俺はイルハに話し掛けた。
「もちろんさ。何でも聞いてよ」
「こんなに深い森の中だというのに、エルノールさんには迷っている様子がないように見えます。それはエルフの特性みたいなものですか?」
「さすが、いい観察眼だね。けど、さっきも言った通り、僕は森が苦手だ。東エルフだし、首都キャナルに住んでいたからね。ここに来るまでは森なんか入ったこともなかったんだ」
東エルフというのは、エルファリア王国に住んでいるエルフ族の一般的な呼び名だ。対して大陸西部のエルフの国、イスタミルに住んでいるエルフ族を西エルフという。
「じゃあ妹さんも――」
「いや。あの子と僕は、なんというか真逆なんだよ。元軍人だからね」
「軍人?」
「知ってるかな? エーベル・クラウトだったんだよ」
「エ……王国の守護者!?」
思わず大声を出してしまった。
「ああ。この程度の森なんか、あの子にとっては庭みたいなものさ」
エーベル・クラウト。エルファリア王国軍において最強との呼び声が高い、エルフまたは混血エルフのみで構成された特殊部隊だ。全員が弓の達人であることで有名だが、それだけでなく、短刀を用いた近接戦、それから武器なしで戦わせても、並の戦士では太刀打ちできないほどの戦闘力を持っているという。元軍人の冒険者は多いが、これほど名の知れた部隊の出身者というのは聞いたことがない。
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いくら強いといっても所詮は冒険者だよ。あの子の戦闘力は、冒険者とは次元が違うんだ。
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イルハの言ったことは正しい。冒険者の中でそれなりに強いと言われる戦士と、王国の守護者と称される最強の軍人。この両者を比較するなんて、あまりにも馬鹿げている。
「どうしてエーベル・クラウトに……」
「理由はたぶん2つ。エーベル・クラウトの先代隊長と父が昔からの知り合いでね。家族ぐるみで仲良くさせてもらっていたんだよ。妹はこの先代隊長に懐いていて、彼女の話を熱心に聞いてたんだ。まあ、子供の頃からの憧れってやつだね」
名家同士の付き合いというものだろうか。
「そしてもう1つ。妹は魔法がまったく使えないんだ。だからエーベル・クラウトに入って、自分を見下してきた連中の鼻を明かしてやりたかったんじゃないかな。魔法が使えないエルフにとって、王国の守護者は最高の栄誉だからね」
そういえば以前、エーベル・クラウトは魔法を使えない正規隊員と、魔法を使う補助隊員で構成されているいると聞いたことがある。父が名門大学の教授で、兄が研究員という家柄でありながら、自分は魔法がまったく使えない。そのことが一体、どれほど彼女の心を傷つけ、追い詰めてきたのだろう。
「けど……それがどうして冒険者に?」
「詳しいことは僕にも分からない。なんとなく、その話題には触れちゃいけないような気がしてるんだ。けど、さっき言った先代隊長が辞めたことが関係しているのは間違いないと思う。妹が除隊したのはそのすぐ後だったからね。それに――」
イルハはくっくっと笑った。
「これは知り合いに聞いたんだけど、妹がエーベル・クラウトを辞めるとき、今の隊長と大喧嘩になったみたいでね。執務室の机を蹴り飛ばして、大変な騒ぎになったらしいんだ。我が妹ながら、その気性には呆れるばかりだよ」
俺は絶句した。笑い話ではないだろう。最強と名高い特殊部隊に所属していた元軍人で、気が短く喧嘩っぱやい。そんな危険人物が同じパーティにいて、気が休まることがあるのだろうか――
「他に聞きたいことはないかな?」
俺の不安にまったく気付いていない様子のイルハは、いつも通り人懐っこい笑顔で聞いてきた。
「それじゃもう1つ。ずっと気になってたことがあるんです」
とにかく話題を変えたかった。ミア・エルノールに関する話を聞いても、心配事が増えるだけだ。
「妹さんの名前を呼ばなくていいんですか? 森じゃ視界は利かないし、声を出した方が早く見つかると思うんですが」
「えっ?」
今の反応……まさか、今の今まで気付かなかったのか?
「いや、その……魔物に発見されることを心配しているんなら、奴らはどうせ、声よりも臭いで俺たちの接近に気が付きますから……」
「………………」
どれほど時間を無駄にしてしまったんだろう。
「疲れているんなら、俺が代わりに――」
「ふふふ……それは無用というものだよ」
なんだ? 腕を組んで、目を閉じて、口角を持ち上げて……これじゃまるで、自信に満ち溢れているみたいじゃないか。
「ついに……こいつのことを話すときがきたようだね!」
イルハは俺の前に右手を突き出し、短く詠唱した。掌の上に小さな光が出現し、ゆらゆらと動きながら明滅を繰り返す。
「おっと! 危ない危ない。落っことすところだったよ」
「あの……何ですか? これ」
イルハはにやにやとした気味の悪い笑みを浮かべて、右手の光を見つめている。以前、父に連れて行かれた帝国の競馬場。そこで見た連中も、同じような表情で馬券を見つめてたっけ。
「エルノールさん?」
「オルセアンの町に集う数多の冒険者の中で、この魔法を使えるのは僕だけ……そう! これこそ、放っておいたらどこに行くか分からない妹を、僕がいとも簡単に探し出せる理由――追跡魔法さ!」
≪用語解説2……オルセアン島≫
ムーンガルド帝国南東部の洋上に浮かぶ、周囲長250kmほどの島。7年前に実業家ロザリー・ジルナークが食品産業の生産拠点とするために開発を始めたが、その際に4基の転送装置を発見。冒険者組合が調査した結果、古代人の遺跡であることが確認された。現在は北部の海岸沿いに、転送装置および組合を中心に冒険者の町が形成され、数千人が暮らす賑わいをみせている。また、島の中心部にはロザリー・ジルナークの住む邸宅が、南部にはジルナーク産業の社員が住む社宅や食品の加工場、農地などがある。