【第004.5話】憧憬
新連載6話目です。本日は10話まで投稿します。
以降は不定期ではありますが、週2話程度のペースで投稿していきます。
【第○○○話】がメインの物語で、【第○○○.5話】はサブエピソードです。
後書きには設定資料を記載しております。
「どうじゃ? 元気にしとったか?」
オルセアンの町の中心部に位置する冒険者組合。その建物にほど近い宿屋の食堂で、ユグノー・マクブライトは向かいに座る初老の男に話し掛けた。
「ああ。健康状態は問題ないそうだ」
ユグノーの問いに、ゲフィン・コンラートは素っ気ない返事をした。その視線は騒々しい酔客に向いている。
「何じゃ? 浮かない顔をしおって……リークが何かやらかしたのか?」
3週間ほど前、ゲフィンはオルセアン島を離れ、リーク・コンラートのいるムーンガルド帝国へ赴いた。卒業後のリークの進路について、担任の教師と話をするためだ。
「いいや。担任の話だと、成績優秀、品行方正で、友人たちからの信望も厚い……言ってみりゃ、絵に描いたような優等生ってやつだそうだ」
「どうやらお前より、ワシに似ておるようじゃの」
「抜かせ。どう考えても俺だよ」
そう言うと、二人はタイミングを見計らったように、手に持ったカップを傾けた。ユグノーはゲフィンより10歳以上も年上で、ゲフィンの師匠ともいえる存在だ。しかし、30年来の付き合いともなると、自然と上下関係のようなものはなくなる。ゲフィンはもう何年も、ユグノーに対して敬語は使っていない。
「では何故、そんな湿気た面をしておる? 息子がそんな評価をされとるんなら、普通は胸を張るところじゃろう」
ユグノーの言うことはもっともだが、面と向かって言われると、ますます気が滅入る。ゲフィンは溜息をついて、息子であるリークの近況を話し始めた。
「担任に相談されたんだ。リークを大学へ行かせてあげてくれないか、と」
「大学じゃと! あやつ、そこまで優秀なのか!」
「ああ。ムーンガルドのどこの大学にだって入れるらしい」
「もしかして……ビエ大にもか?」
「そこも手が届く可能性があるってよ」
ユグノーのいうビエ大とは、ムーンガルド帝国の首都ビエナスタにあるビエナスタ国立大学のことである。帝国最難関の大学として、また、学業成績が優秀であれば誰でも受け入れることで知られており、ムーンガルド帝国の若者の多くが、そこへの進学を希望する。
当然、少ない椅子をめぐる競争は熾烈を極めるが、貴族の子弟であろうと惨めな出生の者であろうと、分け隔てなく受け入れてくれるビエナスタ国立大学は、持たざる若者にとって立身出世の登竜門となる。孫のように可愛がっていたリークが今、その栄光の門に手をかけている。ユグノーは外套の袖で顔を拭った。
「宿屋の前に捨てられとった赤子が、そんなに立派になるとはのう……で、もちろんお前も勧めたんじゃろうな?」
「当たり前だ」
「で、本人は何と?」
ゲフィンは一瞬、虚ろな目をした。楽しい話題はここまで――その目はそう物語っているようだ。
「大学へは行かないから、卒業までの1年間、剣術道場に通わせて欲しいとさ」
2人の間に、沈黙が流れた。
「は? 剣術道場? 何でまた……」
「分からねえか?」
「分からんな」
「冒険者になりたいんだとよ」
ゲフィンの言葉の意味を理解するのに時間がかかったのか、再び沈黙を挟んだ。
「と……止めたんじゃろうな?」
「当たり前だ」
「で、本人は何と?」
同じ台詞を繰り返していることに、ゲフィンは気付いた。だが、次の言葉は違う。次の言葉はユグノーを絶望させると分かっていた。
「子供のときからの憧れだから、曲げる気は無い……だそうだ」
ユグノーは静かにカップを置き、両の拳を握り締めた。肩が小刻みに震えている。それからしばらくして、ゲフィンを下から睨み付けて言った。
「言いたくはないがな! お前はリークの親だぞ! 無理矢理にでも――」
「それはできない」
「な……何を言うとる! 親というものはな! こ、子供が間違った道に進むのを――」
「聞こえなかったか? できないんだよ」
「大学に行けるのに、冒険者になるじゃと? そんな話、誰が納得する? 理由を話さんか!」
言い終わったユグノーの呼吸は荒く、目は充血していた。ゲフィンは大きな溜息をつくと、カップから手を離し、それから両手を膝に置いた。その姿はまるで、親に詰問されている子供のようだ。
「俺が……駄目な親父だからだよ」
「い、いや。ワシはそうは思わんが――」
「アイツのことをほったらかしにして、冒険者稼業に熱中してたんだ。駄目な親父じゃなけりゃ、何だっていうんだ?」
「それは違う! お前はあのとき――」
ユグノーは言葉を切った。というより、最後まで紡ぐことができなかった。それは目の前の男が、ひどく小さく見えたからだ。
「16年前に宿屋でアイツを拾ったときな。俺はこう思った。この世に産まれてきたんだから、一回くらいは親ってのをやってみたいと。馬鹿だろ? まったく、救いようのない……最悪の男だぜ」
肩を丸め、虚ろな目をした白髪混じりの男。誰からも一目置かれる名冒険者、ゲフィン・コンラートの面影はない。
「けどアイツは……そんな俺に、文句の1つも言ったことがないんだ。それだけじゃねえ。我儘だって1度も言ったことがない。そんなのが親子って言えるのか?」
初老の男の独白が続く。ユグノーは黙って、その話に耳を傾けた。
「たぶん、アイツにとって……一生で1度きりの、最初で最後の我儘なんだ。受け入れなきゃ……親ってのになれる最後の機会を逃しちまうことになる」
ユグノーはふと顔を上げた。静まり返り、たくさんの目がこちらに向けられている。いつの間にやら、自分たちのテーブルは注目の的になっていたらしい。肩を震わせて泣くゲフィンを隠すように、ユグノーは酔客たちを睨み付けた。
ユグノー・マクブライトはオルセアンの町において、ヒューマンとしては最高齢の冒険者。ヒューマンの魔法使いなら当然その名は知っているし、そうでなくとも、組合にも顔が利く別格の存在として知られている。酔客たちは慌てて視線を逸らした。
「黒猫定にしなくて正解じゃったな」
「……そうだな」
ユグノーが目で促すと、ゲフィンは再びカップに手を伸ばし、半分ほどになった蜂蜜酒を呷った。あまり酒に強くないゲフィンの顔は、もう真っ赤になっている。
「まあ……子供というのは、いろいろあるもんじゃよ」
「鬱陶しいな。急に先輩面しやがって」
「事実じゃろ? 冒険者としても、親としても、ワシが先輩じゃ」
「……嫁と子供に逃げられた駄目男が、よく言うぜ」
ユグノーは大声で笑うと、傍にいた給仕に声を掛け、水と蜂蜜酒のお代わりを注文した。店内は再び喧騒に包まれ、酔客たちの陽気な声が飛び交っている。
「しかし……お前もまだまだじゃな」
「分かってるさ。俺は未熟だよ」
「そういうことじゃない。お前……リークの嘘に気付かなかったか?」
酒のせいか、ゲフィンの頭はいつものように回らない。呆けた顔で、ユグノーをじっと見つめた。
「あの子は冒険者なんかに憧れとりゃせんよ」
「何だって?」
ユグノーは口を横に広げ、ひひひと笑った。ゲフィンは魂を抜かれたように固まっている。
「まあ……恥ずかしいんじゃろうな。悪気があってついた嘘じゃない」
「だから、何の話だよ?」
「知恵者のお前でも分からんか? やはり、親としてはまだまだじゃのう」
給仕の若い女が、注文した水と蜂蜜酒を持ってきた。ゲフィンは水に、ユグノーは蜂蜜酒に手を伸ばし、タイミングを合わせたようにカップを傾けた。
「リークはな。お前に憧れとったんじゃよ。息子のためにパーティを解散した、臆病者のコンラートにな」
≪人物解説5……ユグノー・マクブライト≫
種族……ヒューマン 年齢……67歳 出身……ムーンガルド帝国南部
身長……166cm 体重……54kg 職業……魔法使い
髪の色……グレイ 瞳の色……ダークブルー
かつてコンラート冒険者団に所属していた魔法使い。火、風、光の3属性の魔法を高いレベルで使いこなす達人で、見た目によらずかなり元気。別れた妻との間に3人の娘がいて、それぞれに2人ずつ、計6人の孫がいる。若かりし日のゲフィンを冒険者に勧誘し、以降30年以上の長きに渡って共に行動していたが、3ヶ月前に突然冒険者を引退した。現在は長女一家と共に、故郷の帝国南部で静かに暮らしている。