【第004話】東の森(4)
【第○○○話】がメインの物語で、【第○○○.5話】はサブエピソードです。
後書きには設定資料を記載しております。
「エルノールさん……」
イルハが無口になっていた理由は、妹を心配しているわけでも、疲れているわけでもなかった。この混血エルフは、1人静かに怒っていたんだ。俺を追放したバスケス冒険者団の面々に対して。
「迷宮内での追放は御法度。その理由は、もちろんリークくんも知ってると思う。冒険者にとっては常識だからね」
「それは――」
それは明文化されていない、いわば暗黙の了解というやつだ。魔物は、冒険者に隙ができる瞬間を四六時中狙っている。その中には、物理的な攻撃が通らない奴や、魔法が効かない奴もいる。
それだけでも脅威なのに、さらに様々な罠が仕掛けられているとくれば、どんなに屈強な戦士でも、賢者と呼ばれるような魔法使いでも、単独では3日も生きられない。迷宮内でのパーティ追放は、いわば殺人と同義なのだ。
「あのとき、3層全体が光に包まれ、僕ら全員が気を失った……と思う。そんな異常なことが発生したんだ。帰還すべきだという君の主張は、至極真っ当なものだ。尊重しなければならない正論といっていいだろう」
俺は何も言わなかった。いや。正確にいうと、何も言い返せなかった。そのことを察したのか、イルハは言葉を続けた。
「運命を共にする仲間の意見なんだ。検討くらいはするのが普通さ。後を継いだ男……アナトだったかな? はっきり言って、リーダーの器じゃない。1層、2層を最初に踏破したコンラート冒険者団の二代目にしてはお粗末すぎるね」
イルハは吐き出すようにまくし立てる。俺が責められているわけではないのだが、何となく居心地が悪い。
「それに、ゲフィンさんは僕にとってかけがえのない友人で、尊敬できる冒険者だった。その息子である君が理不尽な扱いを受けたというのなら、黙っているわけにはいかないね」
青い炎――イルハの氷のような青い瞳に、怒りの色が差している。飄々とした雰囲気を纏っていて分かりにくいが、この混血エルフは頭一つ抜けた存在。オルセアンの町で最強格の魔法使いなのだ。
「アナト以外のメンバーだって、ゲフィンさんには少なからず世話になっていた筈だ。なのに、君にこんな仕打ちをするとはね。まったく、ふざけた話だよ」
まずい。イルハは誤解している。バスケス冒険者団には俺とアナト以外に3人のメンバーがいるが、三者三様の反応で、メンバー全員が俺を追放することに賛同したわけじゃない。カノーサとサーシャは違うんだ。誤解を解かなければ、2人が危険に晒されてしまう。
しかし、俺の口は動かなかった。ゲフィンに自分の意見を積極的に言葉にするよう言われて以来、常にそうするよう心掛けていたのだが……やはり、追放されたときのことを引き摺っているのだろうか。俯いてしまった俺を見て、イルハは再び視線を前方の森に移した。
「まあ」
区切りとなる言葉を発して、イルハは靴紐を結び始めた。
「僕は何もしないよ。今のは溜め込んでいた鬱憤をぶち撒けただけさ」
胸の内にあった思いを吐き出したからか、イルハの表情は少し柔らかくなっていた。休憩は終わりだ。俺は靴紐を結びながら、呟くように言った。
「エルノールさん。お気持ちは有難いですが、コンラート冒険者団のことは俺の問題です」
考えてみれば、3ヶ月前にユグノー……俺のことを孫のように可愛がってくれた魔法使いのユグノー・マクブライトが引退してから、少しずつ歯車が狂い始めた。その一月後にゲフィンが死んで、コンラート冒険者団は2つの柱を立て続けに失った。その後はアナトの独裁が始まり、俺とカノーサの意見は何も通らなくなったんだ。
「だから……自分で何とかします」
先に靴紐を結び終えたイルハは、立ち上がって腰に手を当て、大きく伸びをした。少し遅れて立ち上がった俺も、同じ動きをし、体の具合を確認する。時間は正午を少し回ったくらいか。それなりに空腹感はあるが、問題なく動けそうだ。
「十分休めたかな?」
「はい。エルノールさんは?」
イルハは小さく頷くと、笑顔で俺の肩に手を置いた。
「それじゃ行こうか。リークくん、前を頼めるかい?」
いや……最初からずっとそうしてた筈だが、何故今になってそんなことを聞いてくるんだ?
「もちろんですよ」
冒険者として迷宮に出るようになってすぐに、ゲフィンに教えられた。どんなに未熟であっても、戦士を名乗る者は魔法使いよりも前を歩かなければならない。魔法使いはパーティの要であり、魔法使いさえ生きていれば全滅することはまずないからだ。
だから戦士は、怪我を恐れてはいけない。後で回復して貰えることを信じて、体を張って魔法使いを守る。それが戦士に課せられた役割だ。
「ありがとう。君がいてくれて、本当に良かった」
イルハは再び、にっこりと笑った。たぶん、それがさっきの疑問の答えなんだろう。自信がなくなると真っ先に起こる変化、それは声が出なくなることだ。イルハは俺にわざと肯定的な返事をさせて……励ましてくれたんだ。
決めた。ミア・エルノールと合流できたら、俺が追放された経緯についてきちんと話をしよう。そうすればきっと、俺は自信を取り戻せる筈だ。。
サブリーダーだったアナト・バスケスは、もともと俺がパーティに加入することを反対していて、それがきっかけでゲフィンとも対立するようになった。そしてハーバート冒険者団が躍進し始めてからは、対立はよりいっそう顕著なものになり、ゲフィンとは目を合わせないほど険悪な関係になっていた。
ゲフィンの死後、アナトがスカウトしてきた元傭兵、ドノバンはアナトの腰巾着のような男で、何かにつけてアナトの顔色を窺っていた。俺とカノーサがアナトと不仲であることを見抜いてからは、俺たちの行動についてコソコソとアナトに報告するようになった。
野伏のカノーサ・ルカインは何でも話せる気のいい兄貴みたいな奴で、冒険者になってからだけでなく、学生だった頃から何かと俺のことを気に掛けてくれていた。ゲフィンが死んでバスケス冒険者団になることが決まったときは、2人で残るかどうか話し合い、結局、お互いが辞めないなら続けるということで話がまとまった。
前任の魔法使い、ユグノー・マクブライトに代わってパーティに加わったサーシャ・ブランウェンは、内気な性格でパーティに馴染めず、自分の意見を言うことがなかった。アナトの頭に血が上るのを事前に察することに長けていて、追放騒ぎのときは離れた場所へいち早く避難し、俯いているだけだった。
そのまましばらく歩いていると、突然イルハの足音が止まった。
「ところでリークくん。大事な話がある」
俺が振り返ると、そこには神妙な顔をしたイルハが立っていた。どうやら、本当に大事な話をするつもりらしい。
「何ですか?」
「君は言ったね。パーティのことは自分の問題だと。僕は君の意思を尊重したいから、これ以上は何も言わない。けど――」
イルハは頭をボリボリと掻いて、申し訳なさそうに呟いた。
「リークくんもオルセアンの町の冒険者なら、ミア・エルノールについて聞いたことがあると思う」
思い出した。エルノール兄妹の妹の方、ミア・エルノール。彼女はこの界隈では兄よりも名を知られた存在だ。短刀と片手弓を操る混血エルフの軽戦士で、その可憐な容姿とは裏腹な激しい気性の持ち主として認識されている。町中で何度も喧嘩騒ぎを起こしているという話だし、俺も1度、実際にその現場を見たことがある。あのときは確か、酒場近くで絡んできた酔っ払いの3人組に激昂し、自分より大きな3人の男を、足腰が立たなくなるまで叩きのめしてしまった。
「えっと……まあ、噂くらいは――」
「君が彼女についてどんな噂を聞いたか、今は聞かないことにするよ」
少しの沈黙を挟んで、イルハは言葉を続けた。
「たぶん、前の仕事の影響だと思うけど……あの子、仲間を裏切るとか、見殺しにするってことにすごく敏感でね。君が迷宮内で追放されたなんてことをミアが知ったら、大変なことになると思う」
大変なことというのはつまり、あのときの喧嘩のような――
「リークくん。パーティの中に大切な人はいなかったかな?」
「大切な人……ですか?」
「友人とか、恋人とか」
友人というなら、カノーサはまさにそうだ。宿代を安く済ませるために、二人部屋を借りて一緒に住んでいるくらいなのだから。
「恋人はいませんでしたが、友人なら1人」
イルハの口調、それから噂に聞くミア・エルノールの気性を考えると、彼女はアナトたちを相手に騒動を起こしてしまうのだろう。しかし、あの2人はかなり腕が立つ戦士だ。アナトは剣術道場の次男で、物心ついたときから剣を握っていたという話だし、ドノバンは2メートル近い巨漢で、槍斧を振り回し始めたら近付くことさえできなくなる。ミア・エルノールといえども、この2人に喧嘩を売ってただで済むはずがない。
「エルノールさんは、妹さんとアナトたちの間で争いが起こると思っているんですか?」
「いや。そうじゃないんだ。その……争いにはならないよ。だって――」
歯切れが悪い。争いにならないなら、いったい何を心配しているんだ?
「僕もまだ、ミアが本気で戦ったところを見たことはないんだが……たぶん、一方的な虐殺にしかならないよ」
武器を持った腕利きの戦士2人を、一方的に虐殺するだって? 馬鹿な。そんなことができるというなら、それはもう人の領域からはみ出している。
「い……いや。けど、アナトとドノバンは――」
「分かってる。それなりに腕が立つんだろう? けど、いくら強いといっても所詮は冒険者だよ。あの子の戦闘力は、冒険者とは次元が違うんだ」
イルハは冗談を言ってるわけではない。本気で、バスケス冒険者団の面々を心配している。
「町中での喧嘩程度なら僕でも止めることができるけど……今回はきっと、そうはいかない。元コンラート冒険者団の面々は皆殺しにされるだろうね」
何も言葉が出てこない。実の兄をここまで不安にさせるとは……
「だから、殺しちゃいけない人がいるなら、予めミアに伝えておいてくれないかな? リークくんが直接あの子に頼めば、たぶん我慢してくれると思うんだ」
混血エルフの少女、ミア・エルノール。いったい何者なんだ?
≪人物解説4……アナト・バスケス≫
種族……ヒューマン 年齢……43歳 出身……ムーンガルド帝国首都近郊
身長……185cm 体重……89kg 職業……戦士
髪の色……シルバーグレー 瞳の色……ブラウン
ゲフィン・コンラートの死後、残ったメンバーを率いてバスケス冒険者団を結成した戦士で、現在、その生死は不明。ムーンガルド帝国首都近くの名門剣術道場の息子で、戦闘経験豊富な凄腕だが、粗暴で虚栄心が強く、他者と軋轢を生みやすい。高等学科を卒業してすぐにコンラート冒険者団に加入したリークを激しく嫌っており、それが元でゲフィンとも対立していた。