【第002.5話】追放
【第○○○話】がメインのエピソードで、【第○○○.5話】はサブエピソードです。
後書きには設定資料を記載しております。
迷宮3層、東の森。4層へと繋がる転送装置まであと数キロメートルというこの場所で、バスケス冒険者団の5人はほとんど同時に目を覚ました。
「い……今のは?」
最年少のリーク・コンラートが、真っ先に声を上げた。
「分からねえ。何なんだよ……」
続いて、リークの呟きに答えるように、カノーサ・ルカインが口を開いた。
今から20分ほど前、バスケス冒険者団は携行食と水だけの簡単な朝食を済ませ、転送装置へ向かって歩き始めた。目的地までの所要時間はおよそ2時間。その道中、5人が同時に気を失ったのだ。
それから目を覚ますまで、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。しかし、今までに経験したことのない異常事態であることは間違いない。
「えっと……急に空が光っただろ? で、それから……」
「テメエの粗末な頭で考えたって無駄だぜ。全員気を失ってたんだ。何が起こったかなんて、誰にも分かりゃしねえよ」
巨漢の戦士、ドノバン・クレイグの言葉を、リーダーのアナト・バスケスが侮蔑交じりに遮った。
「違いねぇ! 考えたって腹が減るだけだよな!」
ドノバンはゲラゲラと大声で笑った。アナトの腰巾着とでもいうべきこの男は、アナトには何を言われても怒らない。
「その通りだ。くだらない光のことなんか忘れて、さっさと進むぞ」
「ま……待ってくれ!」
アナトはわざと顔に不快感を滲ませ、リークを睨みつけた。
「ああ? 何だよ」
「おかしいと思わないか? 3層全体が光に包まれて、全員同時に気を失うなんて! 何かまずいことが起こってる!」
「ほう。じゃあ、そのまずいことってのは何なんだ?」
「そ、それは分からない。けど――」
「分からない? じゃあ、腰抜けが得意な推測ってことだな」
アナトが野良犬をあしらうように冷たく言い放つと、ドノバンが大声で笑った。
「仕方ねえよ。何たってコイツは、臆病者のコンラートの息子だからな」
「ゲフィンの息子なんかじゃねえ。娼婦に捨てられたガキだ。いいから、テメエは黙ってろ」
40前後の大人が、まだ21歳の若者を2人がかりで嘲る。その醜悪極まりない絵面に、カノーサの腸は煮えくり返った。カノーサもまた、親に捨てられた子供だったのだ。
「そんなことを言ってる場合かよ。ゲフィンの言葉を忘れちまったか? 分からねえからこそ、慎重にならなきゃいけねえんだろ」
「カノーサ……何が言いたい?」
「とりあえず、リークの話を聞こうぜ。急いでたって、それくらいの時間はある筈だ」
アナトは舌打ちをし、唾を吐いた。サブリーダーを務めるカノーサは優秀な野伏で、その能力は代わりがきかない。アナトにとって、完全に支配することができない唯一のメンバーだ。
「聞いてやる。手短に話せ」
アナトはその場に座り込み、腰から水袋を外した。カノーサがリークに目配せする。うまくやれよ、と言ってるのだ。リークは深呼吸をして、ゆっくりと話し始めた。
「さっきの光に、それから俺たちの身に起こったこと。この迷宮に、何かしらの変化があったと考えて間違いない。3層に到達してからの2年間で経験したことでは対処できない事態が――」
「その遠回しな言い方を止めろ!」
アナトの怒号が響き渡り、パーティの紅一点、魔法使いのサーシャ・ブランウェンがびくりと肩を震わせた。
「何かしらだの、事態だの……イライラするんだよ! さっさと本題を話せ!」
最初からこうなることを予想していたのか、サーシャは目を覚ますとすぐに、2人から離れた場所へ移動していた。今は頬杖をつき、森の奥の何かをじっと見つめている。
「……引き返すべきだ」
いつものやり方。大声を出して相手を委縮させ、意見そのものを封じる。そのことを理解しているリークは、言われた通り単刀直入に本題を話した。
「ああ? 何だって?」
「このまま進むと全滅する可能性が高い。引き返すべきだ」
「テメエ……」
アナトは立ち上がり、憤怒の表情でリークににじり寄った。その拳は固く握られ、わなわなと震えている。その手が動き出す寸前、カノーサが気付いた。
「オイ! 暴力はよせ!」
「うるせえな! やらねえよ!」
アナトは拳を掌に打ち付けた。乾いた音が森中に響く。
「腰抜けなんか殴っちまったら、世間の笑い者だからな」
ドノバンが再び笑った。巨体に似つかわしくない、金属を擦り合わせたような甲高い声。アナトの発言にいちいち反応するこの男を、カノーサは心の底から嫌っていた。
「リーダー。ところで、さっきの俺の意見は――」
「却下だ。予定通り進む」
アナトは短く言い放った。
「……駄目だ。先に進んだら――」
「降りたきゃ一人で降りろ」
リークは食い下がったが、アナトは頑なに帰還を拒む。
「……全員死ぬぞ」
「うるせえ! 何様のつもりだ!」
リークは理解した。次の言葉が最後だと。次の言葉で説得できなければ、激昂したアナトは何をしでかすか分からない。
「……頼む。死んでほしくないんだ」
「だから、テメエは何様なんだよ! ここのリーダーか?」
アナトは手に持っていた水袋を地面に投げつけた。説得は失敗だ。リークは、これから自分が散々に罵倒されることを予測し、耳からの情報が頭に流れ込むのを防ぐべく、心をできるだけ空虚にした。
「この際だからはっきり言ってやる! 俺は昔っからテメエが気に入らなかったんだ! 大した腕も無えくせに、ゲフィンの息子ってだけで俺らの周りをウロチョロしやがって……!」
延々と続く、リークに対する罵詈雑言の嵐。このパーティではよくあることだ。こういうとき、他のメンバーは三者三様の反応をする。カノーサはリークの肩を持ち、ドノバンは気味の悪い笑い声をあげ、サーシャは俯いて頭を抱える。そして、アナトの気が済んだ頃、リークが謝罪して終了。
だが、今回の結末はそうならなかった。
「クビだ。とっととオルセアンの町に帰えんな」
その場にいた全員――ドノバンを除いた全員が凍り付いた。よほどの馬鹿でもない限り、冒険者なら誰でも知ってる。迷宮内での追放は殺人と同義。そんなことをしようものなら、そしてもしそれが他の冒険者に知られようものなら、そのパーティのメンバーだった者は外道の烙印を捺され、一生どこのパーティにも加入できなくなる。
「ギャッハッハッハ! 追放かよ! ざまあねえな!」
「アナト……お前、本気で言ってんのか? そんなこと……許されるわけが――」
カノーサは唇を嚙みしめた。リークの父、ゲフィン・コンラートに憧れていたカノーサが、ゲフィンの死後もバスケス冒険者団に残ったのは、その息子であるリークがいたからだ。リークがパーティからいなくなれば、この粗暴で、愚鈍で、リーダーとしての資質の欠片もない男につき従ってきた意味が無くなる。
「もう一回言ってやろうか? 臆病者のコンラートはバスケス冒険者団にいらねえ。俺の前から消えな」
アナトは薄ら笑いを浮かべて、リークとカノーサに向けて言った。そのとき、ずっと黙っていたサーシャが、小さくポツリと呟いた。
「……馬鹿な男」
《用語解説1……迷宮≫
7年前、実業家ロザリー・ジルナークによって発見された古代文明の遺跡で、その正式な名称は、発見者の名にちなんだ『ジルナーク遺跡』である。転送装置によっていくつかの層が繋がれており、入口から順に1層、2層、3層……と呼ばれている。その名の通り、迷宮ではなく遺跡なのだが、1層が巨大な廃墟に似た世界であったため、冒険者たちは『迷宮』と呼ぶようになった。
3層は、転送装置がある『石畳の広場』を中心とした半径80kmに及ぶ広大な空間で、リークとイルハは現在、東部の広大な森林地帯『東の森』にいる。