ひと狩り行こうぜ! ──『狩り』について考えてみる
※武頼庵(藤谷K介)様主催『24夏のエッセイ祭り企画』参加作品です。
「ひと狩り行こうぜ!」とは、大ヒットしたゲーム『モンスター・ハンター』シリーズのキャッチ・コピーです。
みんなで協力して強大なモンスターをハンティングする。──このコンセプトを上手く表現した名コピーだと思います。
普通に生活をしていく上で、みんなで『狩り』に行くことなんて、まずないですよね。
でもこれからの季節、ちょっと郊外をドライブしたりすると、意外に狩りの場が多いことに気づかされます。
道路沿いにこんなノボリがはためいているの、見たことありませんか?
『ブドウ狩り』『梨狩り』等々──。
そう、各種フルーツの『狩り』シーズンがやってくるのです!
でも、ちょっとおかしいと思いません?
フルーツを採るのに、どうしてケモノ偏の『狩』の字を使うんでしょうか。
『狩』という漢字の意味は、辞書ではこうなっています。
①かり。鳥獣を追いたてて捕らえる。かる。「狩人」「狩猟」
②諸侯が治めた領地。「巡狩」
※出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA)
やっぱりフルーツの収穫にふさわしい字とは思えません。
──いやね、まだ『松茸狩り』『キノコ狩り』あたりならわかるんですよ。山へ分け入って目的のものを探すという点では、『狩り』に似てなくもないです。
でも、整頓された果樹園で採り放題みたいな現代のフルーツ狩りに、『狩り』の要素なんて皆無ですよね。
いや、フルーツならまだ何かを収穫するだけマシかもしれません。
中には何かをゲットすることすらなく、ただ目で見て愛でるだけの行為に『狩り』の字が使われていたりもするのです。
『紅葉狩り』や、あまり最近は使われませんが『蛍狩り』『桜狩り』など。
──いくら何でも、字の意味とかけ離れすぎてませんか!?
何でこんなおかしなことになってんの?
というわけで、少し調べてみました。
すると、実はこういう用法はかなり古くからあって、犯人(?)はどうやら平安時代の貴族たちだったようなのです。
ちょっと寸劇風に書いてみましょうか。
「最近、○○山の紅葉が美しいと評判らしいぞ」
「お、いいね。見に行っちゃう?」
「いや、あの辺りの道は険しくて、牛車では行けないぞ」
「それじゃぁ無理か。あー、貴族のしきたりとか、マジ面倒くせー!」
そう、貴族たちが外出する時は基本的に牛車、もしくは輿か騎馬で行かねばなりません。
庶民のように徒歩で山歩き、なんてのは論外。
そんな姿を他の貴族に見られた日には、『下賤の者たちと同じことをする恥知らず』などと後ろ指をさされてしまいかねません。
すると、そんなやりとりを横で聞いていた別の貴族が、こんな提案をしてきました。
「それなら、○○山あたりで『狩り』をすればいいんじゃないか?
狩りの装束だったら、馬で行って途中から徒歩になっても、しきたり的に問題もないし。
で、あくまで『狩り』のついでに紅葉見物もしてきちゃうってことで」
『『──! お前、天才かよ!?』』
まあ、本当にこんなやりとりがあったかどうかはわかりませんが──。
貴族たちは『狩り』を口実に山歩きをして、そのついでという形で花見や紅葉見物を楽しむようになりました。その辺りから、『狩り』という言葉の用法も拡大していったようなのです。
これは諸説あるうちのひとつなんですが、いかにもありそうな話ですよね。
形や言い方さえちょっと変えれば『ま、いいんじゃね?』という、いい加減さというかおおらかさというか──その辺も日本人の特徴のひとつだと思います。
肉を食べるのがあまり好ましくないとされてた時代にも、肉の名前を『さくら(馬肉)』『牡丹(猪肉)』『かしわ(鶏肉)』などの植物名に言い換えて、こっそり食ってましたしね。
というわけで、今回は『狩り』という言葉について簡単に考察してみました。
皆さまも、この秋はちょっと足を延ばして、フルーツの狩りを楽しんでみてはいかがでしょうか。
ただし、素人の方は『キノコ狩り』にはうかつに手を出さない方がいいですよ。
毎年、毒キノコを食用キノコと間違えて食べちゃう事故が起きてますからね。
なお、筆者は『モンスター・ハンター』シリーズをプレイしたことがありません(^^;
感想欄などでモンハンネタを振られても、全く理解できないのでご容赦ください。