16
バリイエルの君主宣言は終わった。想像もできなかったことだけれども、なんとか生き延びたようだ。
旧王朝の皇太子妃は、現王朝の王妃になった。夫も義父も殺されたのに複雑だ。
ジョシュアと私がバルコニーから宮殿の中に戻ると、バリイエル一門の人々に取り囲まれた。今度は私を捕えようとするのではなく、彼らが私とジョシュアの関係に興味津々だからだ。
「ノア皇太子より前に出会って恋に落ちて誓約を交わしたということだね?」
「驚いたよ。スキャンダルだね」
「一体いつ頃に二人は出会ったの?」
下世話な質問に発展しかねなかったので、私とジョシュアは黙って微笑んで「お察しください」という表情を保った。人々をかき分けてすぐにその場を立ち去った。私とジョシュアは硬い表情のまま人々の興味をかわそうと、宮殿の廊下を歩き続けた。
「貴賓室はどこかな?」
ジョシュアが私に小さな声で尋ねた。
「そこの廊下を左に進むとあるわ。どうしたの?」
「湯を浴びたいんだ。君も浴びてから異世界に戻った方がいい。どんなところか分からないんだから」
「貴賓室の浴室は、隣の給湯室からお湯を沸かしてもらって給湯できる仕組みよ。今日は元々は隣国の大臣をお招きするはずだった。途中まで準備ができていたはずよ。この騒ぎで大臣は引き返したと思うわ。確認してみるわ」
私は素早く人々の間に目を配りって見知った従者を見つけた。従者のほとんどはバリイエルやチュゴアートの貴族の出ではない者ばかりで、彼らや彼女たちは全員無事であるはずだ。
私の目配せで、従者の数人が密かに近づいてきた。三年間、私は皇太子妃だったために私の支持にはすぐに従うことが習慣づけられている。ましては新王朝の王妃ともなれば、私の合図はすぐに彼らに通じた。彼らは速やかに要求に応じてくれた。彼らからしても、むしろほっとしたような表情だった。見慣れた主人がやっと登場したというところだろうか。
チュゴアート王朝の旧王妃は隣国に旅行中だったはずだ。国外にいたならば、この騒ぎでもおそらく無事であろう。バリイエルはジョシュアが君主宣言できた今は、旧王妃が生きていても文句は言わないはずだ。王妃が生きていたところでバリイエルをひっくり返せないから。
「貴賓室の準備ができていたと思うの。お湯の確認をお願いできるかしら?。急いで新国王が使いたいの」
私は駆け寄ってきた従者に素早く伝えた。
「かしこまりました。グレース王妃様」
従者たちはすぐに確認と準備をしてくれて、私のところに戻ってきて報告してくれた。
「準備ができております。すぐにでもお使いいただけます。」
「では、貴賓室とその隣の専用浴室をしばらく使うわ。誰も入れないように入り口を見張っておいてくれるかしら?」
「かしこまりました、グレース王妃様」
彼らがドアの前に待機してくれたので、私とジョシュアは貴賓室に入った。すぐに隣の浴室の様子を見てみると、なるほど準備は完璧に整っていた。
「いいわよ」
私はジョシュアにすすめた。ジョシュアは私に口付けをすると、素早く浴室に入って行った。すぐに出てくると、私もすすめられたので、私も入った。
私は顔を洗うフリをして泣いた。ジョシュアも顔を洗うフリをして泣いていた。私はまたジョシュアの近くにいれることになってとても嬉しかった。でも、ジョシュアには私の震えるような嬉しさは迷惑だろうと思ってしまった。一度裏切ってしまってひっくり返ってしまった信頼は、二度と戻らない。
何より時間がない。ここでいきなりきつねと猫の姿に戻ってしまうわけにはいかなかった。円深帝の待つ世界に時間内に戻らなければならない。今夜の宮殿は人が多すぎて、きつねと猫になってしまってから私の皇太子妃の部屋に戻るのは難しいと思った。
――明日からは昼間にきつねと猫の姿で宮殿内の様子を探るために偵察をしてもいいかもしれないわ。そうしましょう。でも、今日は人が多すぎて危険だわ。
私はジョシュアと共に皇太子妃の部屋に戻った。ドレスと下着と乗馬服をいくつかまとめた。ジョシュアは着のみ着のままやってきてしまったので、貴賓室の来客用のガウンをジョシュアのために持ってきた。
ジョシュアはしばらく部屋を出て行ってすぐに戻ってきた。
「疲れたから休ませて欲しいと皆には伝えた。この部屋にはしばらく誰も来ないだろう。当座はハリー宰相に任せると伝えたから大丈夫だろう。みな僕たちのロマンスが衝撃的すぎたようで、てっきりこれから僕らが久しぶりのロマンスの続きをするのだと思い込んでいるよ」
私はその言葉に赤面した。ジョシュアの真意は分からないけれども、今のところ私の方がジョシュアに惹かれていると私は思っている。
「わかったわ。私は乗馬服に着替えるわ。このドレスだと動きにくいから。ちょっと背を向けておいてくださる?」
そうジョシュアに断ると、私はドレスから乗馬服に着替えた。ジョシュアはドレスを脱ぐのを手伝ってくれた。私は素早く乗馬服に着替えた。
「さあ、行きましょうか」
ジョシュアはうなずき、私の肩を抱き寄せた。私はびくりと飛び上がった。
「なあに?」
ジョシュアはイタズラっぽく私を見つめて微笑んだ。少しジョシュアの頬も赤く染まっている。私もドギマギしてしまい、視線が思わず泳いでしまった。これほど至近距離ではジョシュアの顔をまともに見れない。先ほど3回も口づけをしたことで、一気に距離感がおかしくなってしまっている。周りに誰もいないことで、私の心臓はおかしなぐらいに鼓動が早くなった。
「あぁっ!戻らなければ!」
私は変に気合いの入った声をわざと出した。
「結界よ、円深帝のいるところへ。金塊の契約を果たしに参ります」
***
よく分からないものの、多分あっているだろうという言葉を言ってみた。
「ああ、戻ってきたんですね!」
知らない声が弾むようにして、ランプが私とジョシュアの目の前にかざされた。
――これがお迎えかしら?
私の目の前にはたぬきがランプを持って立っていた。
「あなた誰?」
「私が迎えの者です。第三皇女ミラと申します。今はたぬきですが。ふふっ……なかなか可愛いでしょう?」
第三皇女ミラと名乗ったふくふくに膨れたたぬきは丸顔に心なしか微笑みを浮かべて挨拶をしてくれた。
「私はグレートバーデン国の第三皇女です。第八騎士団と一緒に姉である第一皇女に命を狙われましたところを円深帝に救われました。ここ1年ほど前からこちらにお邪魔して、金塊の契約を果たそうとしております。そちらはグレースとジョシュアですよね?お二人は私たちのチームの新メンバーです」
「あ……そうですか」
「なるほど」
ジョシュアと私はよく分からないが、自分たち以外にも仲間がいることに少し安堵して挨拶をした。
「さあさ、皆が待っているのでこちらへいらしてください」
私たちはたぬきの案内を頼りに、ランプの灯りに照らされる山道を歩いて進んで行った。
第三皇女ミラはたぬきの姿で軽快に山道を降りて行った。麓に着くと、若く美しい女性の姿になった。ドキリとするほどの美女だった。
他のメンバーが第三皇と第八騎士団の仲間だということは分かった。同じく、権力争いに巻き込まれて死を回避するために金塊の契約を果たそうとしていると理解できた。
――第三皇女ミラは姉に命を狙われたと言ったかしら?
骨肉の争いのようだ。どこもかしこも王権の争いは激しいようだ。私は身震いした。
ただ、仲間がいるという事実に非常に勇気づけられた。
――早くきつねの姿から解放されるように頑張るわっ!