第三話 ある若い消防士夫婦の場合
第三話 ある若い消防士夫婦の場合
一
おれは、亀田紘一、近郊の市の消防署に勤めている。
この間、五月十三日のことだった。おれは一人で新橋の居酒屋で飲んでいた。
その日は、おれは上司のお供で、都心で開かれた研修会に来たのだが、終わって解放された。
六歳の真由、もうすぐ四歳になる誠の顔が浮かんだ。早く帰って、子供たちと遊びたいとも思ったが、家の中が散らかっていると考えると、また妻に文句を言いそうで、複雑な気持ちだった。
家に帰るのがなんだか気後れし、ちょっと考えごとをしたいと思った時、居酒屋の看板が目に入って衝動的に暖簾を潜った。安月給の身だから一人で酒を飲むなんてことは滅多にない。財布に一万円入れてきたので気が大きくなった。
そうやってビールを飲みだしたら、後ろの席に、おれと同年輩のサラリーマンが二人座った。高校の同級生のようで、打ち解けて話していて、うらやましかった。
そしたら、一人が「許してやる、と言え」という言葉を披露した。部下に無視されて、向かっ腹が立ちそうな時は、己に「許してやる、と言え」と言い聞かせるのだ。自分の感情が抑えきれなくなりそうな時は、そう呟くんだ。そうすれば、不用意な感情的な言葉を口走らずに済むという教えだ。
なるほどな、と思って、おれは聞いていた。ふつう、おれたちの年代の者が酒飲んでも、そんなことは話さない。彼らがうらやましかった。
妻、梨華は、おれより一歳上の三十一歳。合コンで知り合った。たまたま席が隣り合って、家が近かった。まじめでやさしくて快活な女性だ。近所づきあいなどうまくやっている。保育園のママ友たちの信頼も厚い。
でも妻は部屋の整理、片付けが出来ない性格なのだ。
結婚してから、妻のその性格に気づいた。最初は共働きで、あいつは忙しいから仕方がないと思っていた。でも、今、あいつは家に居て、暇があっても、そうだ。
おれが神経質なのかと思ったがそんなことはない。おれはO型だ。
テーブルの上が、いつの間にか、新聞、週刊誌や広告などで埋まってしまう。
おれの母は眉をひそめる。
おととし、親父が亡くなったあと、母と一緒に暮らすつもりで、おれたちは中古の大きな家を購入した。最初、半信半疑でローンを申し込んだら審査が通った。公務員は有利なのだ。
すぐに引っ越した。でも、母は移って来る気がない。
妻は母のそんな気持ちは知らない。母が来てくれれば子供の面倒を見てもらえて、自分は職場に復帰できると考えている。
おれは妻を愛している。妻がだらしないのは、部屋の整理が出来ないことだけだ。他に不満は何もない。
帰宅して、散らかった部屋に入るとげんなりするのは毎度のことだ。
妻のだらしないのが、子供たちに悪い影響を与えるのじゃないかと心配する。
それで休みの日、子供たちに号令をかけて、家中の片づけをした。おれが古い新聞やカタログ、あるいは週刊誌を捨てようとすると、妻が丸い顔を広げて悲鳴をあげ、「捨てたらだめ」と取り戻す。
それで、おれは小遣いを叩いて、収納ボックスを四つ買ってきて、部屋の隅に重ねた。雑誌、新聞、カタログ、その他と、分別しておけば部屋の中は散らからないだろうと考えた。しかし、すぐに箱が一杯になって溢れだした。
「箱の中の要、不要を整理しな」と言っても、しない。妻は捨てられないのだ。
それで、二月後、おれは収納ボックスをさらに四つ買い足した。それでも部屋の中が片付かない。
とうとう、きのう、子供たちが居ない隙に、おれは妻に注意した。
「お前、箱の中のものを片付けろよ」
生協の申し込み用紙に記入していた妻は、
「何よ、そんな言い方しなくてもいいでしょう。今、これを書いているのよ。後でいいでしょう」
それで、おれは頭に来た。
「後でやる、なんて言って、やったためしがないだろう」
妻は唇をかんでいた。
それから、おれは妻と口をきいてない。
二
「許してやる、と言え」を覚えてから、おれの気持ちは軽くなった。
その日、帰って、妻と素直に向き合えた。
もちろん、玄関を開ける前に、胸の内で「許してやる」と呟いていた。
それからだいぶ経った。
おれは消防署の勤めが、ずいぶん楽になった。
職場はほとんど高卒で、若い者が多い。高校時代に野球とかサッカーとかをやってきた者が多い。そして、上下関係が厳しい。「礼節を重んじろ」と朝礼で言われる。大きな声であいさつする。ハキハキ受け答えする。体育会系の雰囲気だ。そうやって上司と良好な関係を築くことが、楽しく仕事ができることにつながる。
おれは高校時代、運動はしていない。おれはかっこいい消防士に憧れた。人のお役に立ちたいという思いでこの道を選んだ。
おれは軟弱だったので、最初は厳しかった。大声を出すことに慣れてなかったので戸惑った。おれの中学からの仇名は「亀」。なにごとにも晩生で、のんびりしていた。
でも変身した。二か月もすれば慣れた。
そして、おれは、休日は必ずランニングをしている、今は、5kmほど、雨の日も走る。そんなおれの体を見て、新人は「亀田さんはどんなスポーツをしてたのですか?」と聞く。
若い奴らは自分勝手だ。つい引継ぎの伝達事項を忘れる。そして、あわててやるから、周りを無視することになる。消火活動という緊迫した状況でのチームプレイだから、乱れがあってはならない。身勝手な根性を鍛え直さねばならない。おれたちも、そうやって先輩から鍛えられた。おれが入った頃はビンタを食らったこともあったが、さすがに、もうそんな暴力沙汰はない。
おれの職場でも毎日整列して点呼を取り、ホースの扱いを訓練し、腕立て伏せ、ランニングをやるが、そこで、自分勝手に手を抜く生意気な奴をしごく。それはパワハラじゃないかと言われれば、そうかも知れない。でも消防士は体力勝負だから鍛えねばならない。
おれは三十歳、若い者と、年配者との中間だ。若い者といっしょに叱られて頭にくることがある。また、若い者を訓練せいと言って叱られることもある。
上司といえども、尊敬できる人ばかりじゃない。
こうやって大勢が働いているから、いろんな性格の者が居ていろんなことが起る。いちいち面子だとか立場だとか損得とかを気にしていると、いらいらして気持ちの収まることがない。
でも、今は違う。「許してやれ、と言え」と呟く。
細かいことを咎め立てて気持ちに波風を立てたくない。おれは度量の大きな男になりたい。人の度量は、どれだけ他人を許してやれるかだ。他人の無礼を許せれば、それだけ気持ちが楽になる。皆自分の兄弟のように思えれば、許すのは何でもない。そんなことは頭では分っている。
でも、おれには、そこまでの度量がないから、同僚と衝突しそうになったら、あるいは先輩に反発しそうになったら、自分に「許してやる、と言え!」と呟くのだ。そうすると、自分の気持ちがだいぶ軽くなっている。
妻に対してもそうだ。彼女が片付け出来ないのは一種の病気だと思うから、責めない。外から帰ってきてげんなりしたら、「許してやる、と言え」と呟く。それでおれの気持ちはおさまっている。
休みの日は子供たちを動員して家中の掃除をする。
妻が取っておいた、新聞、雑誌、広告などはきちんと積んで、部屋の隅に置く。そして、子供と競争して雑巾がけをする。
三
妻が資料を捨てられない理由があった。
部屋の隅に積んだ新聞、雑誌、広告チラシを眺めながら、彼女が言った。
「資料を片付けてくれてありがとう」
そして、ポツリと言った。
「復職した時にブランクにならないように、勉強しているのよ」
妻は、アパレル会社の商品開発部門に勤めていた。子供たちの洋服は自分で縫っていた。
妻は仕事から離れている間でも感覚を失わないように、アパレル関係の記事をじっくり読みたいのだ。まだ読んでないやつとか、途中まで読んだやつを取っておきたいのだ。妻の性格から言って、皆、取っておきたくなるのだ。新聞、週刊誌、雑誌、そしてチラシを片っ端から集めている。
研究熱心な妻だと評価することもできる。
そういうことなら、と、おれも一肌脱ぐことにした。
彼女が記事を赤線で囲う。そこに新聞、雑誌名と日付けを記入する。俺がハサミで切り取る。記事が両面にまたがるときは、コンビニに行ってコピーしてきた。
スクラップブックに張り付けるには、量が多すぎる。それで、百均でビニールの整理袋をたくさん購入した。
俺は妻を復職させたら、収拾癖が治まるような気がした。
「おふくろはなかなか来る気がないようだが、梨華は、週二日、半日ぐらいのパートで復帰したら、どうだ」と話している。妻もその気になって会社に電話した。
おれは地方公務員だから休みは多い。そして、子供たちは保育所に預けられそうだが、いよいよ困ったら、おふくろに助けてもらう。まだ元気だし、孫たちがかわいいから、手伝ってくれると思う。
妻の片付けに関しては厳しいことを言うおふくろだが、なんとか説得してみよう。
四
私は、亀田梨華。アパレル関係の仕事に付きたいと就職活動をしています。
今日は七月七日、誠の四歳の誕生日です。車で四十分ほどの隣町からお義母さんが軽四輪の愛車で来てくれました。三カ月ぶりでしたが、元気そうでした。ハイキングのサークルに入っているそうです。
あの人に手伝ってもらって、部屋の中は片付きました。未整理の資料はあと二箱だけです。
皆で、ビールを頂きました。すっかり寛いだお義母さんが言いました。
「紘ちゃんは、順調そうね。ずいぶん快活になったわ。でも、火事の現場で危険なことはしないでね」
「もうおれも中堅だ。部下に無茶なことをさせないよう、いつも自分に言い聞かせている」
私が言った。
「紘一さんは、最近すっかり落ち着きましたわ。職場でも前みたいにカリカリすることがないようです」
真っ赤な顔をしたあの人が、しゃべりだしました。
「俺は、職場でカッカ来そうな時は、ある言葉を腹の中で呟くんだ。
おれの同期が一人いる。軟式のピッチャーをやってた奴だ。
上司には調子よく受け答えするが、腹の中では何を考えているか分からない奴だった。要領がよくて、そのしわ寄せがおれに来る。おれは、苦手で、ずっと敬遠していた」
私は初めて聞く話でした。
「でも、こんな状況はなんとか打開しなければいけないと思った。こんなことで毎日いらいらしたくない」
そう言ってあの人はグラスを飲み干し、しゃくれた顎を腕で拭いました。私はビールを注ぎました。
「それでさ、ある時から、そいつの顔を見たら、『許してやる、と言え』と、胸の内で言うことにした。
そうやって、そいつのやることを咎め立てしなくなったら、そいつはいろいろなことをおれに話してくる。まあ、同期だからな。
そいつは、『高所恐怖症を我慢している』と打ち明けよった。それで、これまでのいろんなことが氷解した。
こないだ、はしご車で二階の人を助けるとき、おれが替ってやった」
そして、にこやかな顔で、お義母さんと私と、それから自分のグラスにビールを注ぎました。
感じ入ったお義母さんが、
「へーえ。『許してやれ。と言え』と呟くのね。
すごいわね。あんた」と、隣の我が息子の肩を右手で力いっぱい叩いて、喜びました。
聞いていて、私は、胸が熱くなりました。
(私も、そうやって許してもらっている……)
涙がこぼれそうになって、台所へ行きました。
五
机の上にあった市の広報紙がお義母さんの目に留まって、
「あら、卓球の開放があるのね」と、目を輝かす。
「体育館で毎週やってます」
「体育館は近いの?」
「歩いて、五分。この開放は先生が指導してくれて、誰でも一人で参加できます。私の友だちが通っています。
先生がつかない、自分たちのグループ単位で勝手にやる開放も、週に何回かあるそうよ」
「私は、高校まで卓球をやったわ。やりたいわ」
「では、行ってみたら」
「でも市民じゃないと駄目でしょう」
「大丈夫。いろいろな催しがありますが、近くの町からこの体育館に通っている人がいます」
そういうことで、二日後、私が付き添って、体育館に行きました。
太めの私も、このさい卓球をやったら、と夫に冷やかれました。
二人とも、ジャージ姿で、上靴とペットボトルを持ちました。お義母さんは、
「あとで、ラバー張り替えるからね」と、古いラケットを二つ持ってきました。
指導が始まる前に、台を斜めに、二人で打ち合いました。
六十歳のお義母さんは、上手でした。素人の私は、相手になりません。
二人とも初心者のグループに入りましたが、
「あなたは、次はあっちの上手な方へ行きなさい」と、お母さんは言われました。
二人ともくたびれて帰ってきました。いい気持です。
次の週、お義母さんは一人で行きました。
上気した顔で帰ってきました。気の合った仲間を見つけたようでした。
「もう、ペンホルダーは、流行らないのね、私もシェークハンドに替えます」と、ラケットを買いに行きました。
「一からやり直しだわ」と、ニコニコ。