第一話 ある土木技師の場合
第一話 ある土木技師の場合
一
ゴールデンウイークの最後の日曜日。
ここは、三陸の、とある海辺の高台の街。五年前の津波でこの町もあちこちの集落が壊滅的な被害を受けたが、少しずつ復興のインフラが整備されつつある。その一環として、この辺りの市町村で構成する広域上水道の水源を確保するため小さなダム建設の運びとなり、国は技術提案書を公募した。
どこに、どのような型式のダムが建設可能か、そしてどのような調査が必要かを、設計コンサルタントが提案するのである。それで、我が社も応募すべく、俺たちが現地調査に乗り込んだ。
この町に新しく出来た小さなビジネスホテルに、俺は二人の地質屋と二日間泊まっていた。今日の作業を終え、二人は東京に引き揚げたので、今晩は俺一人である。
俺、鈴木義男は、三十三歳になったばかりだ。都内の建設コンサルタント会社で課長を務めている。土木構造物の調査設計とか工事の施工管理をやる会社で、年中忙しい。技術第三部は河川部門で俺は堤防とダム計画を担当する第二課長である。
官公庁相手の業務が多いので受注が年度後半に片寄る。そして、納期が詰まった年度末を乗り越えると一息つくが、四月はまだ残務に追われている。なんとかゴールデンウイークは人並みに休みたいと願って片付けていく。しかし、新年度業務の営業とか打合せとかが入ってくる。それらをしのいで、連休をゆっくり過ごすのが例年の楽しみだった。
でも、今年は新たな営業の作業が入って、俺たち三人はゴールデンウイーク後半を返上した。俺の気持ちは文句たらたらだったが、津波の被害の現状を目の当たりにして被災者たちの辛苦を思えば、そのような文句など引っ込んだ。
この三日間、俺たちは小規模ダム建設計画の現地調査で、三陸のこの町に居た。俺は二人の地質屋と連日、ダムサイトの候補地を踏査した。
飯田部長は四十五歳、長身のやせ型で、部下に厳しい人。たくさんのダムサイト調査に携わってきた人だ。前田課長は三十五歳、有能だ。中背の小太りで穏やかな人だ。彼ら地質屋はさすがに健脚だ。手分けして露頭の岩石を観察していく。そうやって地質図を作るのだ。彼らが分かれて踏査する時は、俺がレンタカーで、後を追い、拾った。
俺たちは、あらかじめ地形図上で集水面積をにらみ、五カ所のダムサイト候補地を選んでいた。いずれも津波の被害がなかった山間ぶだ。その内の一カ所は、現地に来てみると、谷沿いの県道の通行量が多く、道路付け替えが厳しそうだった。もう一カ所は、これまでに在った七軒の集落は貯水池から外れそうだが、新しく民家が一軒貯水池内に建っていた。小規模なダムだから民家の移転を伴う計画は無理だとした。これらの二か所の地質踏査は省いた。
他の二カ所のサイトは、俺が見ても、表土のかぶりが厚そうだった。
残りの一カ所は適地だった。上流が開け谷幅が狭まっており、花崗岩の岩盤が浅そうだった。こういう地形は谷底に断層が走っていることが多いが、前田課長が持参した第四紀断層の図には関連しそうな派生断層はなかった。
このサイトは大規模なダムも可能だろう。ただし、そうなると水没家屋が出てくる。
まずは、地質屋に推定岩盤線を書いてもらって、それから、俺たち土木屋がダム構造の配置を描く。
ダムサイトは見つかった。このサイトで今後調査すべき内容をまとめるのだ。まずは、どんな形式のダムがふさわしいかを検討するための地質調査である。弾性波探査、ボーリング調査で岩盤の深さを探る。基礎岩盤の透水性を調べるため、深いボーリング孔を配置する。
そして、ダム形式が決まれば、補足の地質調査と、原石山調査になる。飯田部長は、近くに、原石山候補地の見当も付け、変成岩だが河床の露岩や礫の様子を見ても風化に耐えており、問題ないだろうとしている。俺は、骨材が容易に得られるなら、重力式コンクリートダムが本命になるし、原石山が上流なら、貯水池内に骨材プラントなどの仮設ヤードが配置できると考えた。
そして、水文資料の収集、解析だ。流量データーはないだろうから、気象台へ行って、降雨データーを入手する。
プロポーザルの骨子の目途がついた。
地質屋の二人は、五時の電車で帰って行った。飯田部長は明日会社に顔を出して、すぐ中部地方のダム工事現場へ向かうそうだ。
そして、俺は、明日の月曜日、朝一番に、出張所にあいさつに顔を出すので、残った。
「当社もプロポーザルに参加します。現地調査を終えたところです。よろしくお願いします」と、営業しておくのだ。これは、俺の上司の若田部長の指示であった。
建設コンサルタントは、営業マンだけではなく、我々技術者たちも営業意識を持って行動しなければならない。そして、時と場合によっては技術的なアドバイスをする技術営業が欠かせない。
二
レンタカーを返し、俺は遅い夕飯を食べに街に出た。この一画は港の背後の高台にあって、津波を免れた。
俺はくたびれたが解放感に浸っている。。
家で、今頃は食卓に向かっているだろう、妻と幼い二人の息子の顔が浮かんできた。
(明日、駅で土産を探そう……)
裏通りに寿司屋があった。今時の寿司屋は回転寿司に押され大変だろうと思いながら、軒先に下げた黒板を見たら、「お任せ十貫千二百円也」。リーズナブルな値段だ。
(この店なら出張旅費で間に合う……)
あたりを見回したが、他には一杯飲ましてくれるところはなさそうだ。
思い切って暖簾を潜った。
カウンターの手前に三名の先客が居て。俺はカウンターの奥端に座った。
奥に個室がいくつかあるようで、客が二組居る気配だ。
まずは中ジョッキと、刺身盛り合わせ650円を頼んだ。
現地踏査は大成功。さすがは飯田部長と前田課長。ダムサイトは見つかった。適確な技術提案書をまとめられる、と俺は満足感に浸っている。
ビールを一気に飲み干した。刺身が旨い。それから地酒の二合徳利を、ちびり、ちびり、やりだした。
こうやって一人で寛ぐのも悪くない。
まったく、俺たちコンサルタントは年中こき使われる。皆、家庭を犠牲にしている。今回、管理職だけで出張したのも、若い連中は、せめてゴールデンウイークは休ませてやりたいという思いがあった。
そして、この仕事は俺が担当してまとめる。時間がないから、俺がやった方が速い。ここまで踏査で絞り込めたから、悩むことはなかろう。
後ろのカーテンの陰から洩れてくる二人の男の声が気になった。
老人が、若い男を説教しているようだ。雰囲気は小さな会社の社長と課長のようだ。
「あのな、なんでもかんでも、自分の思うようにやろうったって、無理だべや」
図星だったのか、返す声がない。
(どこの職場でも、人間関係で悩む人が居よう……)
「おめえは、頭がいいし、やる気があるから課長に抜擢したが、近頃、おめえが苦しんでいるようだって話を耳にしたもんだから、こうやって、来てもらった」
(どこの組織でも末端管理職は、上司と部下の板挟みになって辛いもんだ……)
他人ごとではないように思えて、俺は聞き耳を立てていた。
(でも、この男は、こうやってトップに目を掛けられ、アドバイスされ、恵まれている……)
「おめえより年上の者も居るし、腕のいい者も居る。中には、おめえを、そねむ奴も居るさ。
でも、会社だから、組織でやってることだから、誰かが束ねていかねばなんね。
誰でも、上に立てるわけじゃない。束ねる能力のあるやつは、そうは居ない。お前にはその能力がある」
(まずは、その若い男の自信を奮い立たせている……)と、思いながら俺は聞いていた。
「部下に注意するのは、仕事だと割り切れ」
「でも、わりきれねえっす」
「嫌な気分が尾を引くんだべ」
「そうです」
「年上の者とか、同年の者に、文句を言えねえんだろう。彼らのミスを注意出来ねえんだろう」
「いや、自分だって管理職ですから、部下には、言わねばならないことは、はっきり言います」
「そりゃ、そうだ。部下に遠慮して、言いたいことも言えねえようだと、管理出来ねえ。そこはおめえのいいところだ」
「でも……」
口ごもった若い男は、コップを口に付けたのだろう。
若い男がなんと言うか、俺は聞き耳を立てていた。
でも、若い男は言い返さなかった。
すると、
「おめえは、部下に注意したり、指示したりする時は、仕事だと割り切ろうとしてるんだべや。
そして、プライベートの付き合いは、別だと考えてるのだろう」
どうやら、若い方がうなずいたようだ。
しばらくして、若い声が、
「でも、仕事のことが、他の付き合いにも顔を出します」
「相手は、これは仕事の上のことだとか、これはプライベートだとか、そんな区別はしねえ。
上に立ったお前は、どんな時も腰を低くしていなければなんねえ」と、ドスの効いた声。
若い男は黙した。
「まず最初に言い出す時に、この仕事の打ち合わせをお願いしますと、出来るだけ具体的に、はっきり言うんだな」
「……」
若いのがうなずいたようだ。
「あのな、お前が仕事を命ずるときは、年上の男には、同年でも同じだが、ていねいに、お願いするつもりで言わなければなんね。
これをお願いしますって、頭を下げねばなんね。
俺の方が地位が上だなんて気持ちが、ちょっとでもあったら、相手はそっぽを向くべや」
図星なのか、反発する声がない。
「上に立つ者は孤独だ。それは耐えなければならない。
下で仕える者も、反発したい気持ちを我慢している。お互い様だ」
俺は身に沁みて聞いていた。
四年前に課長になったとき配下に二つ年上の男が居て、俺は気を遣った。今は、七名の課員は、全員年下だから、そういう意味ではやりやすい。七名の中に二名の主任が居る。主任は管理職ではない。主任という肩書だけで、仕事の成果に問題があった場合の責任は課長である。でも、一応は、主任には仕事の細かいことを任せているつもりでいる。
皆、業務量が多すぎて、アップアップしている。失敗すると、責任を問われるのは課長だが、俺だって自分の抱えた仕事で目いっぱいで、細かいところまでは、目が行き届かないのが現実だ。俺は上と下に挟まれた末端管理職だ。
「お前のように若くして上に立つと、風当たりが強くなるのは仕方がない。上に行くやつは、それに耐えるんだ」
若い男は声がない。
(この年長者が諭したようなことは、この若い課長は心構えとして、すでに実践しているのだ。
我慢して耐えるしかないのだ……)と、俺は哀れんだ。
(うつむいて耐えているのだろう……)
その時、さびの効いた声。
「いいか、お前に、しのぎ方を教えてやる。
部下に腹が立っても、皆の前で叱るわけにはいかない。
相手が年長者だったら、叱ったら喧嘩になる。そんなことは出来ねえ。
おめえの腹わたが煮えくり返りそうな時、そんなときはな、『許してやる、と言え』と、自分に言うんだ。腹の中で呟くんだ」
(えっ、『許してやる』じゃないのか?)と、俺は驚いた。
(『許してやる、と言え』か……)
「おめえには、『許してやる』なんて気持ちは湧かないよな。
でもな、どんな修羅場でも、お前が、その場を切り抜けるにはな、他人ごとみたいに、『許してやれ、と言え』と、自分に言い聞かせるんだ。
そんなことを自分に言っても、おめえは、許してやる気になんかならねえ。
でも、それでいいんだ。
おめえは、自分に、『許してやる、と言え』と、言うんだ」
まるで自分が教えられているようで、俺はじっと聞き耳を立てていた。
俺はどんな男がしゃべっているのか見届けたくて、二本目の酒を頼んだ。
そのうちトイレにでも出てくるかと思って待ったが、奥の男たちは出てこなかった。
彼らの話題は建設工事の仕事の詳しい話になった。
俺は飲み過ぎたらいけないと思って、すしを食べて、引き揚げた。
さっきの言葉が胸に残っている。
道々、
「許してやる、と言え」と、呟きながらホテルに向かった。
三
翌、月曜の朝、出張所に顔を出したら、担当係長も課長も不在で、昼から出てくるという話しだった。
俺は、先週の金曜の夕方、プロポーザル業務の担当、阿部係長に電話して、「月曜の朝は、居られますね。あいさつに伺います」と、在席を確かめていたから、突然の用事で出かけたのだろう。
役所相手の仕事では、こんなことはしょっちゅうある。業務打合せの約束ではない、単なる営業挨拶だから、相手は少しも気にしてない。
俺の気持ちは、「許してやる、と言え」を、言うまでもない。
俺は、駅の待合室で、プロポーザルの構想をまとめていた。
午後一時。十分前から、俺は、出張所の廊下で待っていた。
阿部係長は、俺より少し若そうな背の高い男だった。
俺は、あいさつを済ますと、自席に戻ろうとする相手を引き留めた。
「少し、お伺いしたいことがありますが、よろしいですか?」
相手はうなずく。
俺は、次の2点を尋ねた。
「ダム形式をフィルダムにした時、洪水吐などのコンクリートを、近くの生コン工場から購入することは許されますか? そういう方向性はありますか?」
もし、そうなら、骨材プラント、コンクリートプラントが要らない。俺は、ゼネコンが決まってから地元の要請でそうなった例を知っている。
でも今の段階では、先入観は入れずに、検討項目を挙げるのが筋だ。このような質問をしたのは、こちらの経験をPRする意図だと自分でも思った。
「ダム規模を小規模ダムの限度、高さ15mぎりぎりのコンクリートダムにして、私たちが選んだダムサイトでは、貯水容量に余裕がありそうです。上水道以外の目的、例えば、灌漑用水とか維持用水とかを加える余地はないですか?」
の、2点だった。
もちろん、相手は、即答できない。
「上司に相談してみます」
そう言って、相手は改めて俺の名刺を見て、
「その結果は、鈴木さんに連絡できないでしょうから、プロポーザルに、そのようなことも、問題提起してください」だった。
それから、俺は課長、出張所長に挨拶した。
終わって、すぐに会社に電話した。
若田部長に次第を報告した。「ごくろうさん」だった。
そんなわけで、俺は、月曜日は会社に戻らなかった。
四
三日後の水曜日、会社で、俺の腹わたは煮えくり返っていた。
あの野郎、山田主任は、課長の俺を無視しやがった。俺が出張している間に、山隅川の堤防計画のことを、若田部長と打ち合わせたのだ。
それならそれで、事後承諾でいいから俺にそのことを報告してくれれば、俺だって目くじら立てずに済んだ。俺が、懸案事項が気になって、「山隅川の堤防法線は、どうなっている? 事務所からなんか言ってきたか?」と聞き質すうちに、あいつは、若田部長に見てもらったと、打ち明けやがった。事務所との打ち合わせはまだだが、当方の方針は課長の俺を抜きにして決めたということだ。その内、相手から連絡があったら、俺が知らん方向で進んでいくということだ。
コツコツと仕事をするまじめな男だと思っていたが、そんなことをする奴かと、ショックだった。俺は、口を開いたまま、何も言えなかった。「そうならそうと、すぐに、俺に報告せい」と、一言たしなめとけばよかったと思ったのは後の祭りで、そのタイミングを逸した。
部長も部長だ。俺が昨日の朝、出張報告した時に、一言、「お前の留守中に、そうした」と言ってくれればいいのだ。
部下が、各自、勝手なことをやりだしたら、課長の俺は、管理できない。
それよりも無視された、俺の面子をどうしてくれる。俺は、もうこの件で口出ししないぞ。あいつがトラブっても、俺は知らないことにするぞ。「直接、部長が指示されたようです」と、言ってやろう。さしずめ、次の打合せは、若田部長に行ってもらおう。
俺の留守中に仕事が進んでいて、よし、とするのが大人だ。でも、無視された俺は頭にくる。
あいつにしても、部長にしても、俺に、「悪かった」なんて言うはずがない。
頭にきた俺は、カッカ熱くなった。俺は、どうやっておさめればいいのだ。
ふと、こないだ、出張先の寿司屋で耳にした、「許してやれ、と言え」を思い出した。
この言葉は、腹の中が煮えくり返って収まらない、こういう時の言葉だ。
「許してやる、と言え」と、俺は呟いた。山田主任の顔を見るたびに、俺は、「許してやる、と言え」と呟いた。
いつか山田主任に厳しく当たることかもしれないが、しょうがない。若田部長にかみつくことがあるかもしれないが、勘弁してもらおう。ともかく、今はなんでもいいから「許してやる、と言え」だ。
腹が立ってたまらなかったのは、その日の午前中だけだった。仕事に紛れ、いつの間にか気にならなくなった。
五
俺は、三陸の小規模ダム建設の技術提案書作成に集中した。五カ所の候補地の比較選定表を作り、 最終候補地を選んだ経過をまとめた。そして、仮のダム軸案を定め貯水池容量曲線を作成した。
地質の前田課長が他の仕事をさておいて、ダムサイト候補地の地質調査計画書を立ててくれた。横坑を配置するまでもないというのが飯田部長の考えだった。
俺は、ダム形式の選定手順をフローで記した。
フィルダムとする場合は、均一型、ゾーン型、表面遮水壁型がある。基礎岩盤と材料次第だ。
貯水池内の田んぼの下の堆積物がどんな土質か、俺は気になる。もし、フィルダムの土質材料になるものであれば、材料採取で貯水池内を掘削し、貯水池容量を増加させることも検討する。
コンクリートダムには、重力式ダムとアーチダムがある。アーチダムの方がはるかに堤体積は少ないが、堤体積だけでは優劣を較べられない。
小規模なアーチダムにすると、高さに比し谷幅が広すぎよう。また、左右対称なアバットにしなければならない。アーチダムの種類にはシリンダーアーチ、三心アーチ、放物線アーチがあるが、設計が難しいし、模型実験が要る。またアーチダムではジョイントグラウチングをしなければならない。そして、測量、型枠など若干施工の煩雑さがある。
コンクリートダムの場合は、骨材最大寸法を150㎜にするので、自前のプラントを用意し、原石山を探さねばならない。表面遮水壁型やゾーン型ダムでもロック材の原石山が要る。
変性岩の原石山候補地が近くにあると飯田部長が断言する。
貯水池内で仮設ヤードを取れると俺は主張した。
フィルダムの場合、コンクリートダムより余裕高を大きく取らねばならないから、ダム高さが高くなる。
フィルダムよりは、洪水に対する備えが勝っているコンクリートダムの方が望ましい。
重力ダム案が本命であると、誰もが認識した。
このように、詳細調査の結果が見通せるので、この業務をなんとか受注したいという機運が社内に高まった。そうやって、前田課長と俺がまとめた技術提案書を、飯田、若田両部長が赤ペンを入れ、 さらに常務がじっくり見てくれた。
五月十五日、午後一時、俺は、常務、営業部長といっしょに、三陸の出張所に技術提案書を提出した。
阿部係長は、先日、俺が質問した2点がどのように記されているか気になるようで、最後まで目を通してくれた。
次のような簡単な記述だった。
フィルダム案の場合、洪水吐などに使用するコンクリートは、骨材プラントを設けることとする。この時、近傍の生コン工場の使用の可能性も、骨材の耐久性を確認の上、検討する。
なお、高さ15mのダムで貯水池容量に余裕がある場合、この際、維持用水、農業用水の確保など他の目的をも加えることの可能性について提案する。
帰ってきて、ほっと一息ついた。
成否は時の運。やるだけのことはやったという満足感だ。
六
五月十六日、朝、若田部長が来て、山田主任の傍に立った。
「山田君、山隅川の堤防の件は鈴木課長に報告したか?」と、問うたようだった。
「まだ、詳しく報告してません」
「なんだ、まだか。山田君、それはいけないぞ」と、色黒の引き締まった顔。
それで、山田主任が俺に、「いいですか?」と、打ち合わせテーブルに図面を広げ、堤防計画の法線比較の経過を詳しく説明した。その内容で異存はない。「すぐに事務所に堤防法線の図を送って、打診せい」と、俺は指示した。
そして、そのことで、俺の胸の中のくすぶりはすっかり消えた。
山田主任も、色白な顔を上気させ、すっきりした表情だった。
冷静になって考えると、山田主任は責任感の強い男だ。自分が任された仕事は自力で片付けようとしている。しかし、独りよがりになってはいけない、思い違いをしてはいけないと、周りの助言を求めようとした。そういう慎重さがある男だ。
しかし、課長の俺はバタバタしていて、俺に相談する時間がなかったのだ。
そして、若田部長に相談したあと、あいつは、独断で事務所とやり取りしていない。いつ、俺に言いだそうか、悶々としていたようだ。
今思うと、あの時、腹立ちまぎれに俺は山田主任に悪態の言葉を浴びせなくてよかった。また、あいつの陰口を言わなくてよかった。危なかった。
そして、俺は、あのとき、頭にくる前に、若田部長との打ち合わせ内容をすぐにでも聞き質し、異論があるなら部長を交えて話し合い、なければすぐに事務所とのやり取りに移るべきだった、と反省した。
(俺にはそんな度量がなかった……)と、寂しく思う。
そういえば思い出す。俺が若かった頃、直接の上司の若田課長に報告せずに、勝手に仕事を進めていたことがあった。そして、若田課長に、酒の席で軽くたしなめられたことがあった。あのとき、俺は、はっと気づいた。
(悪かった……)と、反省した。今でも覚えている。
若田部長は五十歳になるが、工業高校出の叩き上げで、苦労した人だ。
三陸の小規模ダム計画のプロポーザルは、我が社が採用になった。地質調査業務とダムの概略設計業務を、随意契約で請け負うことになった。このあと、ダムの実施設計、そして施工管理業務に繋がる。
俺は、若田部長に「よくやった」と、ねぎらわれた。