運命
この話は「その他」に近いジャンルだと思います。それを承知の上でお読みください。
部屋の小さな窓に、雨粒がぶつかる音がしている。
私は無造作に布団から起き上がると、テレビの電源を入れた。
「今日は全国的に雨になりそうです。しかし、午後からは次第に晴れるでしょう」
ちょうど朝の天気予報をやっていた。
そういえば――と、ふいに私は思い出した。希雨という名前のせいか、中学の同級生に『雨女』と呼ばれていたのだった。
きっかけは、たぶん一年生で行くことになっていた遠足の日のことだ。それまで不運にも雨が続いていて、天気予報ではその日も一日中雨だということだった。それを友達が軽い冗談で、私のせいにした段階では、まだきっと『雨女』は正式に誕生していなかった。でも当日、私が熱をだして『遠足は休む』と学校に連絡したとたん、雨はやんだのだ。
……全く、偶然てのは恐ろしい。
あ! どうか『主人公は雨女』って覚えるのはやめてほしい。
今から、ちゃんと自己紹介をしますので(といっても簡単に)。
私、形梨 希雨。十八歳。今はアパートの302号室に一人で住んでいる――といっても、高校卒業してから一人暮らしを始めて、まだ一週間しか経っていないから、自分のいる町すらよく知らない。
だから今日、道やお店を覚えるために、ちょっと遠くまで散歩してみる予定だった。
これから、晴れてくれるといいんだけどね。やっぱり出かける気分にはなれないもの。
そういうわけで、雨が上がるまで、私はテレビなどを見て適当に過ごした。
そして二時過ぎ頃になると、空はやっとキレイな色を取り戻してきた。
早速外へ出る。
「いってきまーす」
誰もいないと分かっていながら、なんとなく言ってしまう。
ゆっくりと景色を見ながら進むと、大きな公園についた。
並木に沿って土の道を歩いていると、一瞬、強い風が吹いて、木や葉を揺らした。
「ひゃ!」
ボタタッと重い雫が落ちてきて、思わず悲鳴を上げてしまった。
すぐにポシェットからハンカチを出して濡れた髪を拭いていると、後ろにいた男の人と目が合った。
ああ、恥ずかしい。
その人はどうやら何ともなかったみたいだ。私、やっぱり雨女なのかな……。
気まずくなったので、速い足取りで退散した。
それから、しばらくして。
私の後を誰かがつけている、と感じた。まだ人が多い時間だから大きな心配はいらないとは思ったけど、やっぱり一度意識してしまうと怖い。
私が止まると足音が消えて、私が走ると一寸遅れて足音も速くなっているようだ。
もう一度止まってみる。そして、思い切って振り返った。
携帯をいじっている人、誰かを待っているように時計ばかりを見る人、うつむいて何かの看板を見ている人。……どれも怪しい行動ではない、かな。
勘違いだったのだろうか?
今度は気にしないようにして、また歩きだした。
何気なく角を曲がると、間をあけて足音が近づいてきた。しかもこの道には、人がいなかった……。
と、急に後ろの誰かが私の方へ走り出した――見なくても、絶対、そうだ。
――ヤバい!
そう思うと同時に、近くの建物に逃げ込んだ。そのまま中の短い階段を夢中で上り、突き当りのドアを叩いた。
「あ、あのっ。 すいませ、ん!」
呼吸が正常じゃなくて、ちゃんとした言葉にならなかった。
でも、ドアは思ったより早く開かれた。
しかも、何故か開けてくれた人物は、私を快く迎えてくれた。
「はいはいはーい。 どうぞー」
「えっ、と、おじゃまします……?」
中へ入ると、その人は落ち着きのない私をソファーまで案内してくれた。ちょっと小さいけれど、黒くてふかふかだ。
そして「ちょっと待っててね」と言って、すぐに見えなくなった。やがて、やかんに水を入れる音が聞こえる。台所だろうか?
冷静を取り戻して、あの人がこっちに戻ってくるまでに状況整理を完了させなくては!
まず、あの人。背が高くて痩せた、若い男性。白に近い灰色のスーツを着ていて、髪も自然体なんだろうけど、清潔感がある。好印象だ。
この建物は、他に人のいる気配がない。意外と狭いし、静かだし、大体慌てた他人がいきなり入ってきてるってのに、見に来ないなんておかしい。どうしたんだ?と思うはずだ。
とはいうものの、実際あの男――ドアを開けた本人は、少しも驚いた様子がない。とぼとぼと今もお茶を注いでいる(音が聞こえる)。
もしかして、そういうのが慣れているのだろうか?それにしてもここ、目立たない所に建っているけど、何かの事務所?
よく見ると、窓には『水里探偵事務所』と書いてあった。
あの人が探偵だったなんて!
「お待たせしました」
いつの間にか、あの男はこっちに熱いお茶を持ってきて言った。
それから私の目の前に座ると、「どうされました?」と訊いてきた。
「えっと……誰かに後をつけられているような気がするんです。 それで、相談に」
わざわざお茶まで用意してもらって「探偵事務所だとは知りませんでした」なんて帰るわけにはいかない。
探偵なら、どうにか少しはこの恐怖を解消してくれるんじゃないかと期待して、話すことに決めた。
「ストーカーですか? 何か心当たりは?」
「ありません。 第一、この町に引っ越してきたのは最近ですし」
「となると、怨恨が原因の可能性は低いか……。 では、気になり始めたのはいつ頃から?」
「えと、一時間くらい前、ですかね」
「では、あなたが外へ出てからここへ来るまでのことを話してください」
私は軽くうなずいて、できるだけ細かく説明した。
「なるほど、だから髪が濡れていたんですね」
木のそばなんかにいなければよかった。まだ少し冷たい。
「ちなみにそのハンカチ、どうしました?」
「濡れたから、そのまましまうのも嫌だったので確か……手に持ったまま……あれ?」
「落としたんじゃないですか?」
「……そうみたいですね」
「では答えは簡単です。 その人はあなたのハンカチを拾って渡そうとしてくれたんです!」
「いや、でも、名前なんて書いていなかったし、それに――」
「落とした瞬間を見ていた人なら問題ない。 いたでしょ?そういう人」
よく思い出してみると、目が合ってしまった男の人しか近くにいなかった。かなり急いで歩いたから、顔でも見てないと見失ったら誰だか分からなくなってしまう。だから彼も一生懸命に私を追っていたのかな。
私と同じくらいの年齢だった気がする。あの人の顔、私も覚えている。今度は逃げないで、しっかり謝らなくちゃ!
「本人、来てると思いますよ」
探偵さんはそう言いいながら玄関へ向かい、ドアを開けた。
「あっ!」
私は思わず指をさしてしまった。
入口に立つ人物――公園で目が合った男の人を。
「すいませんでした!!」
私を見て、いきなり彼は頭を下げて謝った。彼、顔が真っ赤だ。
謝らなきゃいけないのは私の方なのに。
「脅かすつもりはなかったんです! ただ、これを返したくて――あの、お名前は?」
「形梨 希雨ですけど……。 ええっと、こちらこそごめんなさい!私の勘違いで逃げたりして……」
「いえ!僕のせいです! それよりこれ、やっぱりあなたのだったんですね」
そして、彼は「はい」と言って私にハンカチを渡してくれた。
私はそれを受け取ると、代わりにお礼を言った。
「あ、それでは、失礼します」
彼はその後、逃げるように事務所を飛び出した。
「待って!」
呼び止めたのは、探偵さんの方だった。
「君は……それだけでいいのかい?」
考えているのか、少しの間の後、下で返事があった。
「はい。二度目がなければ運命とは言えないですよ」
私は慌ててドアの隙間から顔を出すと、笑顔で手を振った。
「本当にどうもありがとーう!」
彼は少し微笑んで、建物を出ていった。
でも実は、まだスッキリしないことがあった。
「なんで彼は、私が止まって振り返った時に渡してくれなかったんですかね?」
「……それも教えなくちゃならないのかな?」
「お願いします!」
「じゃあ、ヒント。 どうして彼は落し物を渡す前に、君の名前を聞いたんだと思う?」
「そりゃ、本人の物だと確認するためですよね?」
「でもそのハンカチ、自分の名前書いてないんでしょ」
「あ、そうだった。 じゃあ別に意味はなかったんじゃないかな?」
「……だったらそんな質問しないよ」
何ではっきり言ってくれないんだろう。
そういえば、彼に向けて言った探偵さんの「それでいいの?」ってどういう意味だったんだろうか。その後の彼の返事も意味不明だったし。
んー、まあいっか!
「あの、今日はお世話になりました」
ふと外に目をやると、もうすっかり夕方になっていた。
帰り道がちょっぴり不安になってきた。
「また何かあったら気軽に相談に来てね」
「はい、ありがとうございます」
☆
私は久し振りに水里探偵の所へ訪れた。
「僕らが結婚するなんて知ったら、何て言うだろうね」
「でも五年前のことなんて憶えているかしら」
「大丈夫だよ。あの人はすごい」
そう言う彼は、ちょっぴりくやしそうだった。
続けて「だってあの人は、君より先に僕の気持ちに気付いたんだよ」とつぶやいたのと、ドアが中から開いて探偵さんが出てきたのがちょうど同じタイミングだった。
「こんにちは、これからお出かけですか?」
私は探偵さんに声をかける。
「やあ、元気だったかい? 季雨ちゃんにエイキくん」
ちゃんと憶えていてくれた。英樹は不思議そうな顔だった。
「僕の名前は確か言ってなかったような……」
「そのペンダントだよ。それを見る限り、何か嬉しい報告があるんだろうね?」
私と英樹の名前がローマ字で彫られている、特別な銀色のペンダント。私の手には指輪が光っている。
探偵さんはUターンして、事務所に戻っていこうとした。
「あれ?用事があったんじゃないんですか?」
「猫を探してくれって依頼があったんだけど――それよりもこれからパーティーしようよ」
「いいんですか?仕事を後回しにして」
「だってひどいんだよ。その猫、飼い猫じゃなくて野良なんだ。『思い出の首輪をつけて遊んでいたら逃げられたから取り戻してくれ』って」
「なんでそんなお願い聞き入れたんですか?」
「……季雨ちゃんは変わらないね。言いづらいことをさらっと訊いてくる」
私は笑った。あなたも変わってないよ。あの時みたいに暇そうだもの。
探偵さんは私たちを近づけて背中をまとめて押すと、スキップしたくなるような声で言った。
「さあ、ワインでも飲みながらお祝いしようじゃないか!」
何気なく私は上を見上げた。
飛行機が空に描いた細い雲が、夕日に赤く染まっていてとても綺麗だった。
彼が隣で「運命の赤い糸」とつぶやく声が、今度ははっきりと聞こえた。
読んで下さった方、ありがとうございました。海上なつです。
前書きで伝えたように、じゃあどうして恋愛にしたかと言うと、ただのチャレンジ精神なんです。恋愛が主の小説を書くのが苦手だから、展開の早い短編ならなんとかなるか!と、やってみたわけです。
最初推理ものを書こうとして探偵を登場させたのですが、今まで放置状態になっていました。トリックも何も考えてなかったし、何か青年が主人公に妙に強いひとめぼれをしてしまったようだったので、今になって急にジャンルを変更して続きを書いたわけです。
そうです。すべてはあいつのせいです。(笑)
前半に鈍感な主人公のせいで彼の恋は不発で終わったけれども、未来はハッピーエンドです。
読者にがっかりされていないことを祈って――それではまた、次の機会に。