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第七話

 エッダは混乱していた。

 空き箱に気づいた山賊達は、口々に神を罵りながら、箱を蹴り飛ばしていく。

 唯一、重さを持った箱がエッダの入っていたものだった。

 エッダは、怒り狂った山賊達に引き吊り出され、馬車から放り出される。

 がくがくと震えながら、仰ぎ見ると、貧相な風体の男達がぎらぎらとした目でエッダを見下ろしていた。

 「ひぃっ!」

 最早、悲鳴を出す気力もなく、腰を抜かして座り込むしかない。

 「こんな小娘一人!」

 中の男の一人が、腹立ち紛れに小剣を振り上げる。

 エッダはオロオロと周りを見回した。

 そのとき。

 「エッダ!」

 聞き慣れた野太い声が、確かにエッダの名前を呼んだ。

 一度だって呼んでくれなかった、エッダの名前を。

 エッダは頭をかばっていた両腕をおろし、場違いなほどゆっくりと振り返る。

 涙が一筋、頬を伝った。


 男は、襲い来る山賊をとにかく凪払い、蹴倒し、突き刺し、返り血と自分の血にまみれてエッダの元に駆けつけていた。

 その様は、妻を失い正気を失った戦神もかくやという出で立ちで、さすがの山賊達も度肝を抜かれた。

 呆然とする山賊達に囲まれ、そこだけ宗教画のように静寂な空気をまとい、エッダが座り込んでいた。

 エッダは美しい金髪を波打たせ、遠目にもはっきりとした紺色の瞳を細め、確かに男を見て、微笑んでいた。

 滑らかな頬を、滴が伝って……。


 「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 男は獣のように咆哮し、山賊達の中に突進してくる。

 山賊達は何とか応戦しようとしたが、勢いと迫力に負けて、逃げ腰になる。

 いらついた頭は、足下にいる小娘に気づき、にやりと笑った。

 エッダの片腕をつかみ、強引に立たせると、そのわき腹に剣を当てた。

 「こ、こいつがどうなってもいいのか!」

 エッダは腕を捕まれた痛みに顔をしかめたが、それだけで男は怯み、歩みを止めた。

 頭がほくそ笑み、顎をしゃくる。

 それが合図だったのか、男の後ろから、山賊の一人が小剣を振りかぶった。

 「危ない!」

 エッダが叫ぶと、男は後ろから頭上に振り下ろされた剣を盾で受け止め、がら空きになったわき腹に剣を突き立てる。

 その間、全く後ろを見なかった。

 男の実力を垣間見て、エッダは身体が震えた。それは恐怖ではなく、歓喜。

 なんて強い男だろう、そして、なんて……。

 「カッコウ良い……」

 暢気な言葉が口をついてでると、それを聞き咎めた頭がいきり立った。

 「ふざけんな、このあま!」

 「キャァ!」

 エッダは背中を強かに蹴られ、勢いよく前に飛び出し、蹈鞴たたらを踏む。

 直前まで迫っていた男は、彼女の身体を受け止めようとしたが、その広い視野でエッダの背後も捕らえていた。

 山賊の頭が、鋭く剣をつきだし、エッダごと、男を串刺しにしようとしていたのだ。

 男に躊躇はなかった。

 盾から手を離すと、空いた手でエッダの頭を地面に沈める。

 その勢いは「打ち付ける」にも等しく、エッダは額と鼻を強かに地面にぶつけた。

 思わず文句とともに起きあがりそうになって、「倒れてろ!」と怒鳴られる。

 それと同時に、背中に熱い飛沫がかかった。

 錆臭いにおいが、鼻を刺激する。

 自分の頭から、髪から、身体から、ぽたぽたと落ちた滴が、地面を赤く染めていくのが見えた。

 耳も心も、どこか遠くに置いてきてしまったように、遠い遠いところから、新たなときの声が届いても、意味をうまく考えられない。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。

 呆然と地面を見つめていたはずが、エッダはいつの間にか起こされ、男の厚く逞しい胸にしっかりと抱え込まれていた。

 「大丈夫か、エッダ。怪我は? 痛いところはないか?」

 腫れ上がった瞼の下から、茶色い瞳が自分をのぞき込んでいることに気づき、エッダは慌てて男の胸を押し返した。

 改めてみてみると、彼女の格好はあまりにもひどい状況だ。

 身体の前面は泥だらけ、背中は血塗れなのだ。

 「え、えと……ない、ような……気がする」

 何とか距離をとろうとするが、男がそれを許してくれない。

  「わき腹は? 剣を当てられていた! 見せろ!」

 いきなりワンピースをまくり上げられ、エッダは悲鳴を上げてスカートを押さえつけた。

 「恥ずかしがるな! 興奮していて、怪我に気づかないこともあるんだ!」

 どこまでも男は真剣に言っているようだったが、エッダにとってはそれどころではない。

 「だからって、こんな! 皆 、見てるのに!」

 エッダが怒鳴って初めて、男は周りを見渡した。

 「皆?」

 周囲では、傭兵仲間や自警団のもの達が、ニヤニヤしながら自分達を見ていた。

 男はエッダの顔を胸に抱きしめ周りの視界から遮り、改めて周りの奴らを見渡した。

 「おまえらはさっさと生き残りふん縛りやがれ! それと、誰も来るなよ!」

 口笛やらはやし立てる言葉を背に、男はエッダを荷物のように小脇に抱えると、僅かな歩数で幌馬車に乗り込む。

 そこでようやくエッダを降ろしてくれた。

 「あり……何するのよ! いや、やめて!」

 先ほどのことに改めてお礼を言おうとするエッダをよそに、男は険しい顔のまま、エッダを押さえつけ、その血塗れのワンピースを引っ剥がした。

 真っ赤になってあらがうエッダをよそに、男は剣を当てられていたわき腹と背中を無骨な指をはわせて丹念に確認していく。

 エッダの「あぁ」とか「やだぁ」とか、何とも言えない声に頓着することもなく、男は傷がドコにもないと判断し、大きく吐息して、どっかりとあぐらをかいた。

 エッダはまだ羞恥に顔を赤く染めながら、 涙目になって下着だけの体を抱え込むようにうずくまっていた。

 「これ、着ろよ。……ったく、そんなに嫌がることか? この間なんて、もっと大胆な格好で夜這いをかけにきたくせによ」

 自分の鎧をはずし、汗にまみれたシャツを放って寄越しながら、男は、汗と埃と血に汚れた頭をがしがしと掻き、ぶつくさとこぼす。

 エッダは男のにおいの強いシャツに、どきどきしながら腕を通した。

 「だって……あの時は……必死で……」

 「今日だって必死だったろうが。……何でこんなところについて来てんだか」

 「それは……いなくなると思ったから……」

 エッダの声は急に小さくなった。それでも、男はしっかり聞いてくれていたらしい。

 「俺なんざ、 さっさといなくなった方がいいんだよ。恩に着るこたねぇんだ。礼を言いたかったのは……俺の方だからな」

 僅かな逡巡の後に、そんなことを言う。

 エッダは驚いて、自分を指さした。

 「お礼? あたしに?」

 理由などかけらも思いつかなくて、首を傾げる。

 男は、珍しくも優しい眼差しになって、エッダを見つめた。

 「あれな……」

 「あれ?」

 「大罪人の話」

 「上官の顎を砕いた良い人?」

 男は、くつくつと喉の奥で笑って、その良い人だ、と言った。

 「俺なんだよ」

 一瞬の間が開いたのは、言葉の意味を飲み込むのに時間がかかったからだ。

 「へぇ? ……じゃぁ、あんた、ヒーローじゃん!」

 エッダがおもちゃをもらった子供のように両手を叩いて喜んだので、男は鼻の頭を掻いてそっぽを向いた。

 「王都から逃げて……もう一年になる。俺のやったことに後悔はない。だが……それでも、心のどこかに王都への未練があってな。おまえだけだったんだよ。俺を……その……誉めてくれたのは。……ガキみてぇだよな。恩人の顔に泥を塗るようなまねをしたってのに、俺は誰かに、誉めてほしかったんだ」

 ほっとしたように息をつき、男がもう一度、まっすぐにエッダを見つめる。

 顔についた細かい傷。 額からは血が流れ出て、どす黒く腫れ上がった頬から伝い落ちていた。

 なのに、その顔はとても優しく見えて。

 いつもは険しくつり上がった目が、今は目尻を下げて薄められていた。

 「俺のここが、おまえの一言で救われたんだ」

 男は自分の胸をとんとん、と叩いてみせる。

 「ありがとうな」

 何のこだわりもなく見せられた笑顔に、エッダの顔が真っ赤に染まる。

 「うん」

 エッダは言葉少なく頷く。

 「あんたのお礼、ちゃんと受け取ったよ」


 街に戻った一行は英雄扱いされ、エッダはというと親父にしこたま怒鳴られた。

 優しい父親にこれほどに怒られたのは、エッダの人生経験の中で始めてのことで、言葉を失い悄然とするしかない。

 親父は、ぜぇはぁと荒く息をしながら、しばらく沈黙し、これ以上何もいうことがない、と結論づけると、初めて血塗れの娘をしっかりと胸に抱きしめた。

 「本当によく帰ってきてくれた。神と……あの男に感謝いたします」

 「……父さん、心配かけて……ごめん……」

 父の涙に、エッダは今更ながら、深い後悔を覚える。

 同時に、「でもあの時は、行くしかなかった」とも胸中に考えた。

 いつか男に言ったおのが言葉を振り返る。

 例え、何度後悔したとしても、同じことしかできないだろう、と。


 それからエッダは、傭兵たちと自警団、そして何よりも男がどれほど強くあったかを、酒場の常連客達に事細かに教えて回った。

 自警団からも領主家に報告がもたらされ、男は俄に「カゼシスの英雄」ともてはやされていた。


 「何だよ、これ」

 男は、自分を呼びだした領主の子息が用意した、金貨が入った袋を当の子息に突き返す。

 子息はにこやかに笑いながらも、その袋を受け取ることはしなかった。

 「これは報酬だよ」

 「報酬? 報酬は高額貨幣の買い取りとその後の酒場への……」

 「君は今や街の英雄だよ? それを領主家が評価しないなんて、私の評判に傷が付くだろう? それにね、元々盗賊団には懸賞金を賭けていたんだよ。これは、自警団へ渡した懸賞金の残り。君への正当な支払いだ。受け取ってくれないかね?」

 「渡したことにしちまえばよかったじゃねぇか」

 「色々とね、君に感謝もしているんだ。自警団はかなり使える存在になったしね。私からの諸々のお礼だと思ってくれても良いよ」

 「どんだけお人好しなんだよ」

 ひょうひょうとしながらも、子息の態度に揺るぎはない。

 男はにがり切った顔をしながら、渋々、金貨の入った袋を受け取った。

 子息はそれを満足そうに眺め、大きく頷いた。


 その後、生き残った山賊から、街の中に潜んでいた協力者も判明する。

 さすがのエッダも、驚きのあまり口が塞がらなくなった。

 ダルワスだったからだ。

 苦労知らずのぼんぼんは、小遣い稼ぎに街の情報を山賊に流していたのだ。

 ダルワスは成人を迎えたあたりから悪い取り巻きを連れていたが、そもそもそいつ等が山賊の間謀かんちょうであり、ダルワスが王都に行っている間もダルワスの許可を得て、情報を流し続けていたらしい。

 ダルワスはまんまと逃げおおせたものの、その取り巻きは縛り首となり、ダルワスの親は知らなかったということで死を免れたが、街からは追放の憂き目を見た。


 街の中は風通しがよくなり、明るい雰囲気に包まれる。

 それもこれも、山賊を壊滅させた英雄のおかげだ、と街の人々が口々にたたえ、領主家が、功労者を先頭にパレードを行うと言い出したのを伝え聞き、男は本格的にまずい、と思い出した。

 いつでもこの街を離れられるように用意はできていた。

 ただちょっと、居心地がよかったので、出発の日を延ばしていた。

 男はまとめてあった荷物を抱え、階段をそっと降りる。

 裏にある納屋に向かい、自分の馬を引き出そうとして、動きを止めた。

 「やっぱ、ばれちゃうか~」

 納屋の奥から、エッダが顔を覗かせる。

 「行っちゃうの?」

 男は肩をすくめて答える。

 「そろそろ潮時だ。深みにはまる前に、抜け出さなきゃな」

 「また、来てくれる?」

 「気が向けばな」

 「嘘つき。もう、来ないつもりなんでしょう?  どうして? ここの何が気に入らないの?」

 エッダが言い募る。

 いつかの血塗れと違い、艶やかな日を編んだような金髪は、まるで平和の象徴だった。

 「気に入らないことなんて何もない。むしろ、気に入ってるものだらけさ」

 男の無骨な手が、そっとエッダの髪を撫でる。

 繊細な細工を扱うように、柔らかく、優しく。

 その手を掴み、エッダは自分の頬に寄せた。

 「それで、 ……また背を向けて逃げるの? 王都から逃げたように?」

 「っ! そ、それは!」

 「後悔してるって言ってた。 恩人に顔向け出来ないって」

 エッダは男の手を、まるで逃がすまいとするように、 ぎゅっと握った。

 「欲しい、欲しいって顔しながら、ずっと逃げ続けるの?」

 男は思わず自分の手を強引に取り戻し、怒鳴った。

 「ガキに何がわかる?!」

 「わかるわよ! あたしだって、取り返しのつかない後悔してんだから!」

 エッダの剣幕に押されたのか、男は黙り込み、少女をじっと見下ろす。

 「母さんに投げつけた言葉も、父さんに無理させたことも!」

 エッダは強い眼差しのまま、男を睨みあげる。

 歴戦の猛者のはずの男が思わず、後ずさった。

 「後悔なんて一回で十分だ! そう思わないかい?」

 エッダも一歩、男に近づく。

 「あんたの本当を答えな!」

 「俺は、料理は出来ない」

 「あたしがする。その代わり、あんたが接客ね」

 「愛想がない」

 「強面の主人の方が、客になめられずにすむよ。あたしがいれば、常連はいなくならないしね」

 「年が離れすぎている」

 「女の方がいつだって、心が大人になるのは早いもんさ。あたしは特にね。ちょうど良いだろ?」

 くくっと男が喉の奥で笑う。

 「俺は意外と笑い上戸なんだ」

 エッダも笑った。

 「良いことじゃないか。笑える毎日なんて、最高だよ」

 酒場女の喋り口調で、でも、子供のようにくるくる変わる表情と、どこまでも透明な笑顔。

 王都にあった駆け引きばかりの日常からもっとも遠い存在。

 ひとしきり笑った後、男は、涙を拭って、エッダに向かい両腕を広げた。

 「降参だ。ずっとおまえを愛していた。俺の話を聞いてくれたあの時から」

 エッダは、ためらい無く、そのたくましい腕に飛び込む。

 「勿論、わかっていたさ! あんたの目はずっとあたしを見ていたから!」


 その瞬間、宿屋の高い階から花吹雪が舞った。

 商隊や最近雇った馬屋番の少年達や何人かの常連やらが、二階の窓や厩の屋根の上から、盛大に花びらを巻いている。

 男は仰天してエッダを見つめた。

 「ついでだから、結婚式もやっちゃおうよ! 領主様もご子息様もうすぐ来る予定だよ。今日のパレードは、あたしたちの披露宴さ!」

 「かなわねぇな、エッダには」

 「元傭兵の妻になるにはぴったりだろ?」

 舞う花吹雪よりも鮮やかにエッダが笑う。

 男もつられて笑った。

 「俺は、エイヒムは、永遠の愛をお前に誓おう、エッダ。俺の枝」

 「あぁ、そうだね。あたしはいつだって、あなたのとまる枝よ、エイヒム。あたしだけの鳩」

 降り止まない花吹雪の中、二人は深く口づけを交わしあった。

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