第三話
エッダはある意味男前な少女だ。
自分の中で出た結論を、ぐじぐじと先延ばしにする気は毛頭なかった。
父に言えば止められるに決まってるから、翌朝早くにさっさと部屋を抜け出し、井戸端で身繕いをすませ、店を出る。
表から出たら客の誰かに見咎められるかもしれないから、馬屋と納屋のある中庭を通った。
母屋の錆び付いたドアをそっと閉める。
いつもなら誰もが振り返るような音がするそれは、エッダの心意気を買ったのか、ちょっとひっかいた程度の音を出しただけできちんと閉まってくれた。
緊張からつめていた息を吐き出し、意気揚々と歩き出したところで、馬屋に寄りかかっている男と目が合う。
こんな早朝に会ったのは初めてだ。
「珍しいわね。おはよう」
挨拶をしたのに、男はしかめっ面のままエッダを眺めている。
仕方なく、男の脇を通って、裏門から外に出ようとすると、太い手が伸びてきて、エッダの腕をがっちり捕らえた。
「ちょっと、何よ!」
思わず怒鳴ったあと、慌てて口を押さえる。耳を澄ましても、親父が起きた気配はなかった。
「何するのよ」
無声音で言い募るが、男は腕を放してくれない。
それどころか、ますます不機嫌になり、エッダの腕をつかんだまま歩き出す。
敷地から外に出ても足は止まらず、歩いていく男にエッダは小走りになりながらついて行くしかなかった。
「ちょっと、どこへ行くのよ! あたし、用事があるんだけど!」
円形の中央広場についたところで、男はようやく足を止めた。
まだ人通りはほとんどない。
「その用事ってのは、あの高利貸しの愛人になりに行くことか!」
振り返り様、男は噛みつかんばかりにエッダに顔を近づけて、怒鳴った。
男が正確にエッダの行動を読んでいたことに驚き、同時に、頭に血が上る。
「あんたに関係ないでしょ、おじさん!
大事なものを守るのに、誰も傷つかない方法なんておとぎ話よ! そうでしょう?
あたしだってもうすぐ成人なのよ! おとぎ話と現実の区別くらい、ついてるのよ!」
怒鳴り返すと、男は歯を食いしばり、乱暴にエッダの腕を放した。
「ガキが! 知った風な口をきくな!」
「ガキじゃないわ! 子供だって生めるのよ!」
「……ガキだろ! 自己犠牲の精神に酔って、取り返しのつかないことをするのか!」
エッダは言葉に詰まった。
だが、それは言い負かされたからではない。
男の顔が、誰よりも傷ついたように、泣きそうに見えたからだ。
黙り込んだエッダの腕を、また男が握りしめ、歩き出す。
エッダは抵抗し、何とか手を離させようとしたが、力ではとてもかなわなかった。
そういうときには口を回すしかない、とこれまでの経験でエッダは考えた。
「ねぇ、聞いてよ。確かに、自己犠牲に酔ってるところだってあるかもしれないわ。
でもさ。おじさんの追ってる大罪人って言われてる人、格好良かったじゃない?
おじさんだって、本当は思ってるんでしょう?
たとえ取り返しのつかないことをしたとしても、何かを守れたのなら、それはいいことなのよ! 同じことがあったら、何度でもその『取り返しのつかないこと』ってのをやると思うわ!」
先を歩いていた男の足がぴたっと止まる。
説得が利いたのか。エッダは期待に目を輝かせた。
しかし、振り返った男は、苦渋の表情でエッダを眺めるばかりだ。
おかしい。エッダは思った。
エッダが愛人になろうとしているのに、何故、この男が泣きそうな顔をしているんだ?
男は視線を動かし、口を開いては閉じと繰り返し、何回か後にゆっくりと懇願するように言う。
「確かに、おまえの言っていることは尤もだ。
でも、最後まで諦めるな。
ここにも大人がいるんだ。少しは頼れ」
きょとん、と見返している間に、男はまた歩き始める。
先ほどまでの強引さと性急さのある歩みではなく、ゆっくりと、エッダの歩幅を考えて。
たどり着いたのは、小高い丘の上にある領主の館だ。
『緑の枝と小鳩』亭の自慢は、領主との間に面識があることだ。
男に促され、訳も分からずエッダは領主に面会を求めた。
領主の仕事は多岐にわたり、陳情にくる領民との面会もその一つだ。
エッダと男は面会の順番を教えられ、大人しく与えられた部屋で待つ。
昼が近くなった頃に、従僕のジャンが呼びにきた。
ジャンは、エッダの後ろに控える男を訝しげに見つめ、「そいつ、何?」と不躾に聞いてくる。
何と答えたものか、エッダが返答に困っていると、男は当たり前のように「用心棒だ」と答えた。
「そんな怖いおっさん連れ歩いてると、婚期遅れるぞ~」
ジャンが上出来なジョークを言った、と言わんばかりに腹を抱えて笑うので、エッダは彼の足をぎゅっと踏んで、笑いを止めてやった。
ブーブー文句を言いながらも、ジャンは二人を主が待つ部屋の前まで案内する。
重厚なオークの扉を開くと、領主ではなく、その息子が待っていた。
「やぁ、エッダ。綺麗になったね。もうすぐ成人だったかい?」
穏やかに微笑まれて、エッダは気後れする。
父親と一緒に来たことはあったが、そのときはずっと父の陰に立っていればよかった。
今日は違う。
何のためにここまできたのかはわからないが、何といっても、男は領主一家と面識がないのだから、エッダが奮起して二人の間を取り持たねばならない。
「いえ……あ、はい。一週間ほどで、十六歳になります」
「時が経つのはずいぶん早いものだね。私の後ろをついて回っていた幼子が、もう成人なんて。
……お父さんは息災かい?」
領主子息の明るい青い瞳が探るように光る。
領主の覚えがめでたい、ということは、それだけ情報も届いている、ということだ。
宿屋の経営がうまくいっていないことなど、端から承知なのだろう。
「父さんは……いま、その……」
「そこのことで、ご相談があります」
朗々とした声が響き、エッダが顔を上げる。
男は、子息の前でも全く物怖じせず、それどころか普段の酒におぼれた様子を微塵も感じさせず、堂々とした礼を見せた。
「君は……王都からきた傭兵、という触れ込みだったね。父は王都に残っていてね。私が名代をつとめているのだよ。
その相談とやらを、聞いてもいいかな?」
男はこっくりと頷き、あっさりと店が抵当に入った経緯を説明する。
感情を廃した、あるがままの説明だったが、エッダは自分が責められているような心持ちになり、小さくなっていた。
話を聞き終わった子息は、エッダと男を交互に見つめ、「で?」と促す。
「私に何を求めるんだい? ……金か?」
冷たい台詞に、エッダの肩が跳ね上がる。
「いえ。これを、換金していただきたい」
男は腰のポーチから、粗末な革袋を取り出し、そこから一枚の貨幣を取り出した。
随分と大きな貨幣だ。エッダは見たこともないその金色の貨幣に目を奪われた。
普通の金貨よりも、かなり大きいし、キラキラしている。
瞬きを繰り返すエッダの前で、子息はしかし、息を飲んで、真剣な面もちで貨幣と男を見比べる。
「換金の手数料もお渡しします。高額貨幣の換金など、この街では領主様にお頼みするしかないでしょう」
男が淡々と告げると、子息は険しい目で男を睨みつけた。
「たかだか傭兵風情が、これほどの大金を持っていると?」
「私の身元に不審な点があるのであれば、もうとっくに捕まえていたでしょう?
私が何者であるか、あなたはご存じのはずだ。それは、この貨幣の価値を損ないますか?」
男の感情はあくまでもフラットだ。
一体、両者の間で何のためのやりとりが行われているのか、エッダにはちんぷんかんぷんだったが、とにかく、部屋全体をびりびり震わせそうなほどの緊張感があり、のどは干上がったように乾いてしまって、声も出ない。
子息はしばし、男を睨みつけていたが、いきなりふっと空気をゆるめ、肩の力を抜いた。
「わかったよ。換金しよう。それでいいね?」
「不躾ながら、もう一つお願いがあります」
「面倒ゴトじゃないだろうね」
子息は二人にもいすを勧め、自身もふかふかのソファに身を沈めた。いつの間にか、とっても疲れたように見えた。
「いきなりこんな風来坊が金を出したといっても、悪評が立つばかりです。
店のための金は私が出します。ただ、表向きには領主様からでた金ってことにしてもらえませんか?」
ソファから跳ね上がり、子息は眉を跳ね上げる。
「……そんなこと、出来ないことはよくわかっていると思うんだがねぇ。
王都でもまれてきたのだろう?
町の名士とはいえ、たった一つの家の事情に、領主家自ら出て行くなど、街の今後の運営に障りしかない 」
「ふぅん……評判ほど、世間知らずって訳でもないようですね」
男は薄く笑った。
エッダは悟った。この場の主導権を握っているのは、次期領主たる子息ではなく、この得体の知れない男なのだ、と。
「君こそ、王都から落ちてきたと言う割には、金もある余裕もある……何事か裏があるのではないかと、思いたくなるね」
「 おい、ガキ」
子息に対しての態度とはあまりにもかけ離れた呼びかけに、エッダは怒ることも忘れて素直に返事をする。
「は、はい!」
「おまえの母親は、出自がはっきりしないんだよな?」
「 え? あ、……はい。旅の途中で行きだおれていたところを、父が拾った……と。何か理由があったのか、昔のことも名前もいっさい明かさないままだったそうです」
「聞いた通りです、ご子息」
男は子息に向かって、こっくりと頷く。
「君の考えを聞こうか?」
子息は一度唇をなめてから、努めて平静に先を促した。
「領主自ら出したんじゃなくて、領主を通してなにがしかが出たなら? 金が出た理由が納得に皆が表面上、納得できればいいのでしょう?」
「……つまり?」
「行き倒れの女は、実は資産家の娘で、ある時、暴漢にかどわかされた。それっきり、娘は記憶を失う。
娘の実家は娘の行方を追って、 ようやくこの町にたどり着いたが、生憎、娘はすでに死んでいた。
娘は生前、街の宿屋の女将さんになって孫娘をもうけていた。実家 はその窮地を知り、幾ばくかの金を出す。
だが、娘も死んでる以上、これ以上の関わりは持ちたくない。言わば、孫への餞と、手切れ金ということで。
……美談でしょう?」
滔々と語られた嘘まみれの内容に、エッダはめまいを感じる。
だが、男と子息は至ってまじめな顔をしていた。
「実家側に口止めをされた形で、領主が橋渡しをする、と? なるほど、君たちには大変都合のいい話だが、名を貸す以上、私にもメリットがあるのだろうね?」
「……街道に出る盗賊団に困っていると伺っております。私に任せてみませんか? 自警団を貸していただけるなら、三ヶ月で壊滅させてみせましょう」
「金の話は早急なのに、盗賊団は三ヶ月か……」
「えぇ、ですので。あなたの、人を見る目が試されるということです」
男は厳つい顔に見合わないにこやかな表情を浮かべ、ぐっと前に身を乗り出す。
子息は押し出されるように後ろに倒れ、左手で額を押さえた。
「……わかった。話に乗ろう。妻の実家にも、目に見える成果を期待されていてね。君が申し出てくれたのは、ちょうど良いタイミングだったよ」
あれよあれよという間に、細かい打ち合わせがなされ、男と子息でサインした書類をかわす。
エッダは当事者にも関わらず、蚊帳の外におかれ、黙ってそれらを眺めていた。