プロローグ 最初の反応
喜多方・好丸は、朱塗りの煙管を口元に咥えて、十歳年下の弟である喜多方・良吉とともに途方に暮れていた。
「いやはや、どうしたもんかねえい?弟よ」
「はてさて、どうしたらいいんだろうねえ?お兄ちゃんよ」
しかし、肝腎の二人の口から放たれたのは、そんな心境を全く感じさせないほどの呑気でのんびりとした声であった。
いやいや、二人は確かに困っているのだ。
実際、現状はこれまでになく異常な事態であり、その証拠に、今までは優に百八十センチを超えていた筈の好丸の身長は、どういう訳か一気に縮み、百五十の前半にまで下がっていた。そして、その頭の上には、ぼさぼさ頭の黒髪の間から覗く黒い毛に覆われた猫耳がぴくぴくと小刻みに震えている。尻からは白い毛の混じった二本の長い尻尾が生えており、交互に行ったり来たりを繰り返している。
獣人族その中でも、特に猫耳族と呼ばれるタイプの獣人だ。
どういう理屈か、体格だけでなく今まで着ていた服でさえも途轍もない変化を遂げており、その恰好は、一言で言えば、明治初期の書生そのものだ。黒いマントの下に桜の模様が散りばめられた赤い単衣の着物を着込んでおり、紺色の袴を穿いた腰元には二振りの刀が下げられ、裸足の足元に白い下駄を合わせている。
一方、弟の良吉の方は対照的に百七十の手前で止まっていた筈の身長が急に伸びて、百九十センチにまで届くほどの長身となっており、病的なまでに白かった肌は鳴りを潜めて、褐色に染まっていた。それに何より、その笹穂の鋭く尖った両耳が、良吉の種族が人間ではないことを示していた。
森人族。その中でも特に、黒森人と呼ばれるタイプの人種だった。
今まで病人服であったはずのその恰好は、白銀に輝く全身甲冑に全身を覆われており、左腕に精緻な紋様を彫り込まれた盾を備え、右腕には突撃槍を構え、トドメに背中には二本の大剣を背負っている。これで地面に転がしている兜を被れば、完全に中世の騎士そのものである。
最早、『服装』というよりも『装備』そのものだ。
目を開けばいきなりこんな状況に追い込まれていたのだ。
困惑しない方がおかしい。
「いやいや、本当にどうしたもんかねい?弟よ」
「そうだねえ。本当にどうしたらいんだろうねえ?お兄ちゃんよ」
しかし、二人が発するその声音は、先刻と変わることなく呑気でのんびりとしたものであり、口から出てくる科白からは全くと言っていいほど、緊張感は感じられなかった。
二人は今、小高い丘の上にある尖塔ーーーーヘラスの灯台と呼ばれる古びた塔、その頂上に居り、東には昏き樹々と呼ばれる森が広がり、南にはその森を麓に持つアトラス山がそびえている。
だが、西に目をやるとそこには細長くのびる平野と、そこを延々と伸ばす街道が広がっている。
そして、北には、空よりも遥かに蒼く広がる海と、小さいながらも活気づいた港町が広がっていた。
好丸は、煙管の吸い口を噛みしめながら腕組みをすると、何とはなしに天を仰いだ。
眩暈がするほど深い瑠璃色に染まった空には、所々、布の切れ端の様な薄い雲が流れていき、その流れゆく白い雲が磯風を運んでくる。
視線を空からどことなく動かすと、午後をわずかにすぎた太陽は西に僅かに傾き始めており、その太陽の下には、カモメの飛び交う港町が広がっている。
好丸が視線を弟の顔に移すと、さっきまで自分の見ていた方向を眺めており、その表情から同じことを考えたらしいと察すると、好丸は煙管の煙を吐き出して、兄弟揃ってほぼ同時に口を開いた。
「取りあえずあそこの町に行ってみようかい。弟よ」
「取りあえずあそこの町に行ってみようか。お兄ちゃんよ」
こうして、喜多方兄弟はピレイアの港町に行くことになった。
♪♪♪
源・竜司は、頭痛をこらえながら森の中を歩いていた。
その理由は、他でもない。
「だぁ~かぁ~らぁ~。謝ってんじゃん。悪い悪い。悪い悪い悪い悪い悪い」
「全然心が籠ってなーい!ちゃんと心を込めて謝りなさいよ!どさくさに紛れて人の胸を揉んでおきながら、その態度は一体何なの!変態、キモイ、変質者!」
「ハア⁉だあれがテメエのまな板みたいな胸を揉もうとか思うかよ?ロリコンの変態だって、お前の乳に興味なんブロおおおおおおおおんん」
「……………上等だオラ。地獄を見せてヤル」
「わ、分った!謝るから、心の底から謝るから!今の体格差でやったら、マジで死――――」
「問・答・無・用♪」
竜司のすぐ後ろを歩く、二人の幼馴染、平・景虎と橘・咲耶の所為だ。
どういう訳か、生まれた病院から一緒だったらしいこの二人との付き合いは長く、竜司の十四年間の人生の中で、離れ離れになったことは一度もない。
その癖、二人の仲は最悪と言っていいほどに悪く、些細なことで口喧嘩をおっぱじめては、実力行使の殴り合いになり、最終的には景虎が一方的にやられて終る。
大体、幼稚園の辺りまでは実力は互角だったが、小学校に入ってから咲耶が空手を習い始めてからは、その実力は完全に咲耶が上回るようになり、今では喧嘩になる度に終始、景虎が咲耶に殴られて終るのだ。
現に今も、景虎は咲耶にマウントポジションを取られて地べたに押さえつけられており、咲耶はその顔面に棘の着いた凶悪な手甲に覆われた拳を叩き込んでいる。
そんな一方的に景虎を痛めつけている今の咲耶の姿は、鬼人族のものだ。
赤銅色の肌に、金色の髪。額から伸びる二本の角と牙の様に唇の端から覗く二本の犬歯。そして何より、女性らしい丸味を残しながらも、鍛え抜かれ引き締まった全身の筋肉に覆われた肉体は、優に百八十を超えており、元々の幼さの残る顔立ちと相まって健康的な退廃美とも言うべき、矛盾した美しさを兼ね備えていた。
別に女であることを嫌がるわけではないが、咲耶は元々、小さい頃からマニッシュというか、ボーイッシュというか、そういう男性的な服装や恰好をすることを好んでおり、この世界の昨夜の恰好も、獣の皮を加工しただけのスカートとサンダル。胸を隠すように巻かれた赤茶けた晒に、皮鎧と手甲と脚絆だけという恰好は、男よりも男らしい装いである。
でありながらも、本人の美しさに当てられて、そこらの夜盗じみたその恰好ですらもが、野性的な雰囲気を醸し出すためのオシャレに見えるから不思議だ。
…………顔に返り血を浴び、両手に嵌めた手甲から血を滴らせて居なければ。
今の咲耶の姿は、戦闘民族そのものだ。というか、普通にただの鬼にしか見えない。
「ふう。すっきりしたわ」
まるで朝練を終えたばかりの陸上部員の様な、爽やかで清々しい笑顔を浮かべながら、景虎を血だまりに沈めたその姿は、まさしく狂戦士と言って差し支えないだろう。
「に、………………人間、じゃ……ねえ」
一方、咲耶にボコボコにされ地に塗れる景虎の姿は、妖精族と呼ばれるものになっている。その中でも特に、柔わ羽と呼ばれるタイプの人種だ。
景虎は口さがなくて、悪ぶったことをよく言う少しばかり不良っぽいタイプの男だが、その態度の割に、元々ぬいぐるみとかあみぐるみ等のカワイイ物が好きで、来ている服にもなにがしかの動物がプリントされているものを好んで着用していた。
それも、虎とか豹と言ったような猛獣をそのままと言った物ではなく、ゆるキャラ化した犬とか、ちょっと悪い顔をしたリスとか、ナメ猫とか、大阪のおばちゃんが自慢げに着る服よりも、東京のコギャルたちが悲鳴を上げて群がる様なものを好んでいた。
だから、今の子供の様な体格も、ある意味で景虎の趣味であるのだ。
森人族ほどでないにしろ尖った耳と、僅か一メートルほどしかない体躯を持ち、背中からは艶かしい紫と艶やかな黒に彩られたアゲハチョウを思わせる翅が生えている。
その服装は、咲耶の隠すところだけを隠すスタイルとは大きく違って、ブレーと呼ばれるズボンを穿いて男性用のチュニックであるギャルベゾンを着込み、その上にサーコートと呼ばれる上着を重ねたしっかりしたものだ。
腰元には、人族のショートソードが下げられているが、一メートルがやっという身長の妖精族から見れば、是でも十分なまでの長剣である。
この恰好は、この世界における正式な騎士の平装であり、服装だけで言えば、街中を警備する騎士の姿それである。
こうして総合的に見てみると、今の景虎の姿は、少しませた印象の元気と生意気が特徴の小学校低学年生に見える。
…………その生意気の所為で今は地面に血だまりを作って倒れているのだが。
そうして、いつもの通りの二人の喧嘩の結末を見届けた竜司は、こめかみを押さえながら、呆れ果てた声を出す。
「それじゃあ、二人とも。もういい加減に痴話げんかは是っきりにして、本格的に移動するよ」
「「ああ?痴話喧嘩じゃねえし!」」
いつものようにお決まりのやり取りで二人に話しかける竜司の姿も、今は人族のモノではなく怪人族のものだ。
とはいえ、この世界のオークは、一般的なRPGファンタジーの様な太鼓腹のデブの体に猪の頭を乗せた半人半獣の姿ではなく、トールキンのファンタジーの様な精悍な姿をしている。
銀色の髪に、青い肌。そして、互い違いに輝く黄色と緑色の両瞳。
その姿は、どちらかというと、一般的なファンタジーで言えば、オークというよりデモンとかジンとか呼ばれる類の種族の特徴だ。
その服装は、フードの着いた黒のロングコートに、黒のレザーパンツにかなり派手な装飾の銀製のベルトにごついブーツを履き、何故だか上半身は裸というみょうちきりんな格好をしている。
コートの背には、矢筒を背負っており、手には禍々しい黒に彩られた弓が握られている。
こうしてみると、竜司の趣味も結構他人にわかりやすい物をしている。
黒の服に、銀の装飾、悪魔じみた種族という三点を踏まえれば、
「うるせー。中二病の癖に大人ぶってんな」
「趣味だけで言えば、一番精神年齢低いのアンタでしょ」
こういう評価にもなる。
「ち、違うし!ただ単に、是は俺がかっこいいと思った物だけを選んだんだし!」
ここにきて、今までにない反撃を喰らいだし始めた竜司は、咄嗟にそう言い返しはするものの、そんな竜司の態度に、残りの二人はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて、ちくちくと口撃を続行する。
「へー?じゃあ、ムキムキの上半身を裸にして直にコート着てるのも偶々かよ?」
「服装は殆ど黒で、アクセは銀色。ついでに、種族もどことなく悪魔っぽいのも偶然かよ?」
二人は十四年の人生の中で初めてイジリ役に回ったことにそれとない快感を覚えながら、竜司を攻める。
しかし、当の竜司には今この場でそれを振り払うだけの攻撃材料も無く、タダなされるがままにされるしかなく、羞恥で耳まで真っ赤に染めると、大声を張り上げて無理矢理この話題を切り上げると、急に大股になって、この森の出口で有ろう方向に歩き出し始めた。
「もーいいよ!とにかく行くよ、二人とも。多分だけど、この森を抜けたら近くに港町があるはずだからさ。できるだけ早めにこの森を出ないと、ずっと野宿が続くことになるよ!」
景虎と咲耶の二人は悪い笑みを浮かべながらも、それ以上は余計な口をはさむことはせずに、耳を真っ赤に染めながら肩を怒らせて先を歩く竜司の後を追い始めた。
こうして、幼馴染の中学生三人組は、ピレイアの港町に行くことになった。
♪♪♪
博多・撫子は悩んでいた。
「…………………………グキュ~」
今目の前には、道端で身を投げ出している人間がいる。それも、盛大に腹の音を鳴らしながら。
いや、分っているのだ。これは、身を投げ出しているのではなく、行き倒れているのだ。
だが、問題なのは行き倒れている人物であった。
こんな街道のど真ん中で盛大に大の字を描いてうつ伏せにぶっ倒れているのは、タダの人間ではない。
頭部から伸びた二本の角に、背中に生えた蝙蝠の様な翼。そして、肌の所々に見える魚の鱗の様な痣。
これ等は全て、世界で天人族に並ぶ珍しい亜人種、龍族の特徴だ。
余計な装飾品を身に着けていない、シンプルに真っ赤なカンフーの道着を着込んだだけの、紫色に染まったストレートに伸ばした長髪のその人物の傍には、その女性の持ち物であろう、一本の中華風の槍だけが転がっていた。
そんな行き倒れの姿を見て、
(……ほんとに、どうしたらいいの?)
撫子は心中でそう呟いて盛大な溜息を吐いた。
「……龍族って言ったら、人の話を聞かない癖に、無駄に攻撃的って言う話だしねえ」
誰に言うでもなく、撫子は胸の下で腕を組み、どうしたものかと首を捻った。
だが、そう呟く撫子自身、今は普通の人ではない。
小柄ながらもがっしりとした体格を持ち、浅黒い肌と笹穂の様に尖った耳を持つ種族、山人族の女性である。
パッと見で見れば、精々が十歳児にしか見えない筈であるが、今は組んだ腕の上に押し上げられたその背格好の割にやたらと大きな胸が外見年齢を大きく底上げしており、どうにかこうにかこの世界の成人年齢である十五歳以上に見えなくもない。
オーバーオールに薄汚れたティーシャツ、ごついだけが特徴のブーツを履いたその服装だけを見れば、何処かの場末の炭鉱夫であるようにも見えるが、その背に負った巨大な大戦斧と、つるはしの覗くリュックと、衣装のそこかしこに下げている鉄鎚のお蔭で、そういう印象を受けなかった。
正直な話、今、撫子の持ち物の中には大量の食料品が用意されてる為、分け与えようと思えば目の前の人物が死なない程度には分け与えられる自信があった。
しかし、今目の前で倒れているのは、正体不明の亜人種だ。
もしも倒れているのが山賊か盗賊と言った犯罪者であった場合は、助けた瞬間、隠し持ってたナイフでドスッ!とか、魔法でズドン!とか、やられてしまってもおかしくない。
それどころか、こうして今行き倒れている事は小町の注意を引くための演技で、周囲にはこの龍族の仲間が既に周囲を取り囲んでおり、小町の注意を完全に引いた瞬間に、一斉にワッ!という事も、可能性としては無いではない。
正直、警戒しすぎかな?とは思わなくはないが、それでも、此処は警戒しすぎてしすぎると言う事はあるまい。
何しろ、現代日本でさえも、少しばかしの油断の所為で時代遅れの暴走族の集団に囲まれて、命と貞操の危機を覚えることさえあるのだ。
ましてや、此処は異世界。その上、科学技術も無く、文明レベルもどうやら中世末期から近世初期辺りと、幾分か遅れていることが予想される社会だ。
下手な情けをかけて、弱みに付け込まれたらことだ。
だが、この後そのまま飢え死にしてしまったら、後味が悪い。
撫子が本格的に悩み始めたその瞬間、頭の中で電気がピカッ!と閃いた。
まずは、こいつが動けないように手足を拘束しておこう。
その後、危険が及ばないことを本人に保証させてから、拘束を解いて食糧を与えればいい。
もしかしたら、嘘やハッタリをかまして、自分に襲い掛かるかもしれないが、それならそれで問題は無い。この龍族と一戦交えながら逃げればいい。
要は、この行き倒れが罠で、不意打ちを仕掛けられるかもしれないことが問題なのだ。
不意打ちや奇襲の最初の一撃さえ、何とか凌ぐことが出来たら、後は何とか逃げられるだろう。
そこまで思いついたら後は早かった。
撫子は、大戦斧を背負う為の縄を解いて、この行き倒れの龍族の両手と両脚を縛ると、うつ伏せになっていた行き倒れの体を仰向けにし、その横で自分の背に負ったリュックを下ろして、買い貯めた食料品を道端に並べていく。
と言っても、ほとんど乾パンやら干し肉やらと言った保存食ばかりであり、お世辞にも見た目からして美味そうなものは無かったが、元々食事を楽しむために買い込んだ食糧ではないのだ。そこらへんまで文句をつけられるいわれはないだろう。
そうして、龍族の人物を手足で縛って転がしている最中に気付いたことだが、この腹を減らせた行き倒れさんは、背後からだけではわからなかったが、涼やかな目元と鼻梁の整った清楚な印象を漂わせるかなりの別嬪さんだったが、胸の方はまな板もかくや。という慎ましぶりであり、撫子は、何となく自分の胸をモミモミして、小さくガッツポーズを取った。
「ッつ、ぐうう……、お腹、空いた……」
と、そこで、両手足を縛りつけた龍族の女性が呻き声を上げながらゆっくり目を開き、撫子は若干の警戒心を保ちながらも、話しかけた。
「おはよう。気付いた?アンタ妖しい奴だから、今から奴隷商に売り飛ばすね」
「はッ!えッ!違います!違います!私は、妖しい者じゃないです!本当です!信じてください!ただ、三日前からシヲニ山でドラゴンと戦っていただけです!ホントに妖しい者じゃないです!助けてください!奴隷とかやめてください!なんでも言うこと聞きますから!あ、そうだ!従属の魔法を使います。奴隷とは違いますけど、これでもう絶対に貴方に危害を加えることもありませんから、お願いします!助けてくださいいいいいいいいいい!」
撫子としては、小粋なジョークのつもりで放った軽口であり、じつはそのままなんちゃって。と、続けようとしたのだが、撫子に両手両足を縛りつけられた龍族の女性は、混乱と錯乱のあまりに半ばパニックになりながら、命乞いをしつつ自分から勝手に従属の魔法まで使いだしたのだ。
撫子は、女性の態度にドン引きしつつ、どうしたらいいのかと、困惑した。
だがこれは明らかに撫子が悪い。
目が覚めたらいきなり手足が縛られている上に、物騒なことを言われれば、誰であっても動揺する。
何より、撫子本人はあまり気付いていないことだが、撫子はそれなりに可愛い顔立ちをしている割に、表情が動くという事があまりなく、基本的に無表情で何考えているのか判らない顔をしているのだ。
元々そんな人間だから、友達もあまりできずにコンピューターゲームにはまっていたくらいなのだから、こういう状況になれば、誰であっても撫子の事を誤解する。
だが撫子は、そうとは思わずに
「うう。何で、私はいつもこんな目に遭うんですか……?私はただ、レジ・グラをやってただけなのに、いきなり雪山に放り出されるわ、奴隷に売り飛ばされそうになるわ、運が悪いにもほどがあるよ~」
と、目の前の龍族の女性は、両手足を縛りつけられながら土下座するという器用な真似をしつつ、泣き言のようにそんな小さな呟きを溢した。
それを耳聡く聞きつけた撫子は、思わず腕組みを解いて訊き返す。
「レジ・グラ?それって、レジェンド・グランドの事?」
「ええ、そうです。って、なんであなたもレジ・グラを知っているんですか?まさか、」
と、そこまで話が進んだとき、龍族の美女の腹から今までにない盛大な腹の音が鳴り響き、二人の間に微妙な空気が流れる。
「…………とりあえず、食事してから後の話はしようか」
「…………お願いします」
こうして、撫子はひとまず龍族の女性の縄を解き、二人は昼食を食べ始めた。
「さてと、腹ごなしも済んだし自己紹介するわね。私の名前は博多・撫子。お察しの通り、元々は日本人で、レジ・グラのプレイヤーよ。大体、五日くらい前にゲームをしてたら、いきなりこの世界に来てたわね。気が付いたら、背が小さくなってるわ、力が強くなるわ、今までぺったんこだった胸がいきなり大きくなるわで、大わらわよ。今まで画面に向かっていたと思ったら、いきなり鉱山の穴の中にいるしね。取りあえずは、人里のいる場所を目指して移動していたら、その道中でアンタを拾ったて訳よ」
お世辞にもあまりおいしいとは言えない昼飯を食べ終えた撫子は、向かいに座る龍族の女性に向けて自己紹介を終えると、水筒の中に入っているウィスキーを勢いよく飲み干した。
別にこれは、昼間から酒盛りをしようというのではなく、ドワーフになってからというもの、どうもこまめに酒を呑まないと体がうまく動かないのだ。
具体的には手足の先に力が入らなかったり、頭がぼうっとしたり、ドワーフの種族の特性なのか何なのか、凄く不便に思うのだが、是ばかりはどうしようもない。
「私は、秋田・小町って言います。さっきも言ったように、この世界に来たのは三日位前です……」
小町は、そこで言葉を切ると、水筒の中の酒を呷る為に胸を反らす撫子をじっと見て、少しばかし悲しそう顔をして、小さく呟いた。
「……ところで、私は何で、元のままなんでしょうね……?」
「さあ?種族特性とか言う奴なんじゃない?ゲームでも、胸の大きな龍族の女とか見たことなかったし。それよりも、自己紹介だけするつもり?一応、私としては、アンタこの辺りに転がっていた事情をしりたいんだけどね」
小町に些細だが、実に切実な疑問に撫子は肩を竦めて興味無さそうに答えると、未だに羨望の視線を送る小町に、話しの続けるように催促した。
その言葉を聞いた小町は、ハッとしたように居住まいを正すと、改めて自分の身に何が起こったのかを話し始めた。
「あ、すいません。私がこの世界に来たのは、ギルドから下された定期クエストを受けて、シヲニ山でのワイバーン狩りに向かってた時です。そしたら、いきなりこの世界に来てたんですよね。ああ言うのをブラックアウト、ていうかホワイトアウトって言うんですかね?いきなり目の前がちかちかして真っ白になった。と思ったら、いきなり山の中にいたんですよ。それも、雪山のど真ん中に!それで、一瞬パニックなったんですけど、どうにかできないかなあ、と思ったら魔法が使えるようになってまして、それで、魔法を使って何とか空を飛べたんですよ!」
興奮と喜びで撫子の食って掛かる様に話しだす小町の姿に、撫子は若干引きながらも、自分の身に起こった事を軽く思い越しながら、小町の言う事に同意した。
「ああ、そうね。私もゲームの時に習得した魔法とか何とかは一応使えるわ。戦闘にはあんまり参加した事なかったから、そこまで強力な魔法は使えないけど」
「ただ、そこからが大変でして……。空が飛べるようになったは良いものの、その所為で飛行できる魔物と戦う羽目になりまして、幸い、ゲームしてた時にレベルを結構上げてたのが良かったのか、かなり強い魔法を使えたので怪我を負うことも無く戦えたんですけど、ご飯も刃物も持ってなかった上に、魔法が強力過ぎて戦闘以外で使い物にならないんですよ。下手に獲物を切ろうとしたら、それこそ木っ端みじんになるまで切り裂くわ、火を使おうとすると獲物を骨まで消し飛ばすわと、どう転んでも、料理はおろか食べ物も確保出来ないしで、ほとんど食べ物にはありつけないまま三日間ぶっ通してやっと山を下りれたんですけど、その頃にはもう体力の限界でして」
「で、今に至る。と……」
気まずそうに指を組む小町の言葉を撫子は続けると、そこで深く呆れたように溜息を吐いた。
「そんな感じで三日間生きてこれたんだから、本当に運が悪かったのかよかったのか。それで?話は変わるけど、アンタはこれからどうするの?私は、まずはピレイアの町に行こうと思っているんだけど、もしも何処か行くあてがあるなら、付き合うけど?」
「ピレイアの町に行くって、転移系の魔法でも使えるんですか?空を飛ぶと魔物に絡まれてしまうので厄介ですけど。歩いて行くにしたって、方向も、何処にあるかも解りませんよ?」
少し不安そうに呟く小町に対して、撫子は得意気に胸を張って見せると、鞄の中から一枚の紙を取り出しては、小町に向かって自慢げに広げて見せた。
「転移は使えないけど、私はご覧の通りに地図は持ってるからねー♪ゆっくりと歩きながら行くしかないさ。それが嫌なら、流石にそれ以上の面倒は見れないけどね」
「えー、いいなあ。私は、本当に武器以外の所持品が無いから、どうしたらいいのか判らないんですよ。本当に、喰うに困る。っていう感じで、出来れば、もう少しだけ力をお貸し頂きたいです」
「じゃあ、とりあえず行こうか、ピレイアに」
気弱そうに言う小町に、撫子は無表情ながらもどこか嬉しそうにそう言うと立ち上がり、小町を連れて歩き出し始めた。
こうして、なし崩し的につるむことになった二人は、ピレイアの港町に行くことになった。
♪♪♪
これは、とある異世界に迷い込んだ七人の現代日本人が、異世界の神を殺して世界を滅ぼすまでの物語。