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猿と牛  作者: 荒屋敷玄太郎
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終.ハヌマンのジャパニとくだんの結

終.ハヌマンのジャパニとくだんの結


おじいさんは、うしが死んでしまったので、やまに、うめにいきました。

でも、うしは死んでいませんでした。

なぜなら、牛の首とは、さいしょのうしという、いみだったからです。(チベットの昔話)



埃の混じった強烈な熱風をまともにうけた。


埃の混じった強烈な熱風をまともに。


おれの前に、シヴァがいる。ナンディと呼ばれるくだんを、優しく撫でるシヴァ。

そして、くだんは羊水をがぼがぼと吐いた。吐き尽くした。

しかし、孫悟空が芭蕉扇に託した仙気は、おれにはもう発動しなかった。当然だ。さっき破壊神を相手に、使い果たしてしまったのだから。

だが、いまはまだ、くだんは予言をしていない…!

「ハヌマン…の、ジャパニ。どうしたのですか…? 」

「シンイ…おまえは、シンイなのか? 」

「え…? 」

「シナイスを消し去ったミノタウロスを、おれはまだ許せない。そして、シヴァがどう言おうとも、やはり『存在していてはいけない』というだけでヒトを滅ぼそうとする、真理の存在を、どうあっても否定したいのだ」

シヴァはだまって、ただ冷たい笑みを浮かべている。くだんをあやす舞を続けたままで「世界を見る」ような、遠い視線だった。

「ハヌマンのジャパニよ、ナンディは、神です」

「くだん、という字は、ヒトとウシ、と書く。結局は、ヒトとウシ、両方そろわなければ、宇宙そのものも、宇宙の持つ調整機構も、功を表さないのではないか」

「ハヌマンのジャパニ、わたしたちは、シヴァの舞によって表現されている、創られし存在なのです。それすなわち、虚構なのです」

「虚構。だから、虚構は知恵に欲を持ってはならないのか? 虚構であるおれたちは、真理を追い求めることも、友が死んだりすることを悲しみ、怒り、憎む、そういった人間の人間らしい感情を、神の前では押し殺さなくてはならないのか? 」

シンイは、しばし考え、そうして言った。

「それは…相手は、神でしょ? 」シンイは凛とした声でいった「…神にたてつくのは…ばちあたりです…」

おれの目が涙でくもった。

「おまえなど…消えてしまえ」

シンイがショックを受けたように後退った。

「ふえ。ふええぇん。ハヌマンのジャパニがいじめるー」

「泣くなっ」

なんでおれなんだ。なんでおれが、孫悟空の助けもなしに、最後のくだんを相手にしなくちゃいけないんだ。孫悟空の力、非情さ、仙術があれば、おれにもできただろう、このくだんを仕留めることが。

くだんが息を吸い込む。

空気に、腐った瘴気が混じった。

時間がない。

おれはやおら一歩二歩踏み込むと、大きく深呼吸して、いわば勢いに任せて。

無抵抗な、羊水を吐き終えたばかりの新生児を、

力一杯、踏みつぶした。

父の母の、集落の人々の見守る、その目の前で。

そのいきなりの行動に、誰もが絶句し、周囲は静寂に包まれた。

ブフーッと、くだんが息を吐く。悪臭が部屋に満ちる。おれは体重をさらにかけて、くだんの胸を腹を二度三度とにじり、完全に意識が失われるまで離さなかった。

くだんは、このとき、一瞬目をあけた。そして、何か言おうとしたが肺の中にまともな発声ができるほどの空気は無かった。

黒々とした牛の瞳がのぞいた。それは憎しみに燃えていた。おれは怯まず、その目を睨みつけた。

『死ねっ…死ねっ…! 』おれは心に祈った『なにも言わずに…そのままっ…! 』

くだんは、くだんの器官の中から黒い腐った血を吐き出し、うがいをするような声で言った。

『…ガーナ』

そして、くだんは死んだ。

『ガーナ』

そして、

『ガーナ』

その声は、

『ガーナ! 』『ガーナ! 』『ガーナ! 』

みるみる、伝染した!

やおら集会所の入り口に、杖のたくさん入った籠を背負った『杖売り』が現れ、

「2ルピア! 」と叫んだ。

住民たちが杖売りのもとに殺到した。さっき市場で見た光景とそっくりだった。

こういうことか。

おれは安堵に苦笑したけれど、そこまでだった。

たちまちおれを屈強な若者がとりおさえた。おれはくだんの死体の前に引き据えられ、否応ない杖の乱れ打ちに晒された。

かろうじて目を開け、殴っている奴を見てやろうと振り返ると、南無三、自分の真後ろで杖を振り上げているのはシンイであった!

ああ、ブルータス、汝もか!


「みんな! 叩く相手を間違えちゃいけない! 」


シンイは声を張り上げた「みなさい、このジャパニには悪霊が憑こうとしています! このジャパニの体に棒を当ててはいけない、牛の頭をもつ悪霊を叩くんです! 」

え⁉︎

おれは自分の背中を見ようと頭をよじった。

そこには、くだんの体から半分身を乗り出した『神農』の鬼怪が、おれのぼんのくぼあたりに狙いを定めて入り込みつつあるところだった。おれは悲鳴をあげた。

「大丈夫、ちゃんと追い出せるから! 」シンイが言った。住民たちも、シンイの指示に従い、的確に神農の悪霊を殴りつけていた。

「悟空くん! やっと、やっときみを助けられるよ! 」

シンイは、キラキラと笑って言った。

どこかで、世界の改変が行われたのかもしれない。

シンイは、女の子だった。溌剌として、魅力的で、わがままで。

『ちがうんだよ、お師匠さん』おれはふたたび力が沸き起こってくるのを感じた。

あの封印からおれを解放してくれたのはあんたなんだから。


そして、シヴァは悠然と踊りながら、一瞬おれの顔を見つめた。

そこに、敦盛を舞い終えたときのような、満足の微笑み──アルカイックスマイルが浮かんでいるのを見た、その直後、破壊神は集会所を立ち去って行った。

その微笑みは、テーマを貫徹させた芸術家特有の満悦だった。


猿と牛 了

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