中篇
ノゾミちゃんが差し出してきたのは、真っ白な紙でした。
頭と手足のある、人型の紙。黒い印象を受ける彼女とは、対照的でした。
「その紙に、名前を書いて」
わたし達は、言うとおりにしました。
◇
その日から、十年後。
わたし達四人は、久しぶりに集まっていました。場所は、手頃な居酒屋です。
社会人になっていた三人の休日の都合が付き、その日、ようやく落ち合えました。
みんなは、二十四歳。マサアキ君とリョウタ君は、会社勤めをしており、ユウコちゃんは結婚を目前とした花嫁修業とのことでした。
わたしだけが、取り残されています。
大学を出たはいいけれど、アルバイトをこなしながら、投稿を続けています。
結局、あれから。
プロの作家にはなれませんでした。
幾度となく新人賞の投稿を繰り返して、一度だけ一次選考を通ったのが唯一の結果。最近はインターネットで小説を書いていますが、鳴かず飛ばずで、ふるいません。
ノゾミちゃんに出会って、確かに才能はもらいました。
けれど、結果まではくれませんでした。
上手い話は、ありはしない。結局は、努力が必要だったのです。もしくは運か、更なる才能か。
成人する頃には、誰もが、その現実を思い知っていました。
「まあ、ガキだったよな」
ビールを傾けて、マサアキ君が苦笑します。
「本気でサッカー選手なんて、馬鹿な夢を見たよ」
「そうだねえ」
リョウタ君が、頷きます。
「俺も、漫画家なんてガラじゃあなかったよ」
気弱だった面影はなく、立派に成人した彼は、吐き捨てるように言いました。
「まあ、あんな程度の才能じゃね。成功なんてしないよ」
唐揚げをつつきながら、ユウコちゃん。
「もっと才能をくれなくちゃ、どうにもなりませんよ」
「まったくだ」
笑うマサアキ君。同意する、リョウタ君。
わたしだけが、場違いでした。
三人の会話には、苛立ちにも似た感情を覚えました。
黙りこくるわたしに、ユウコちゃんが首を傾げます。
「あんたは、まだ諦めてないの?」
「まあね」
「何時までも、かなわない夢を追ってるなんてやめた方がいーよお」
その目が濁って見えたのは、酔っているせいでしょうか。
「あんた、まだ彼氏もいないんだっけ? 見た目は悪くないんだし、テキトーな男見つけてさ。気楽に生きた方がかしこいってもんよ」
したり顔で、お説教。それが、かしこい生き方と言うものでしょうか。
何とも言えない胸のもやもやを、言葉にはしませんでした。できませんでした。
わたしは、曖昧に頷きます。
一緒に夢を語り合った三人。彼らが、遠くに行ってしまった感覚でした。
その日は、不愉快な気分を抱えたまま、家路につきました。
ささくれだった気持ちのせいで、母親に八つ当たりをしてしまいました。自己嫌悪。運悪く、その日の夜。とある新人賞に投稿していた作品の落選通知が、パソコンに届いていました。
せめて次の日は、部屋で落ち込んでいたかったのですが、アルバイト先の書店から急な電話。明日は休みのはずが、急に出勤してほしいとのことでした。わたしは、断りきれませんでした。
もう、死にたい。
死んで、しまいたい。
暗い部屋で、そっと涙をこぼしました。
それから半月。
三人は、本当の意味で遠くに行ってしまいました。
殺されたのです。
立て続けに。
犯人は、わかりません。ただ、殺害現場には、血塗れとなった赤い紙が落ちていました。
引き裂かれた、ヒト型の紙。ちょうどその通りに、死体も引き裂かれていたとのことです。
容疑者も絞り込めず、目撃証言すらなかった殺人事件。
わたしは、その犯人に心当たりがありました。
――ノゾミちゃんです。
約束を破った三人は、その代償として殺されたに違いないのです。
わたしは、不謹慎かもしれないけれど、心のどこかで喜んでいました。
……ああ、ノゾミちゃんが殺しにきてくれる。自殺する勇気なんてないけれど、殺してもらえるならば、本望でした。
もう、限界でした。
十年。
あれから、十年です。
夢が本気であれば本気であっただけ、かなわない夢を追い続けるのは、苦行でしかありませんでした。さっさと諦めていれば、こうはならなかったのに、気が付けばそんな機会は失っていました。
ユウコちゃんの、心無い言葉。ぐさりと刺さりました。恋人を作ろうなんて、そんな余裕すら考えずに、創作に専念していました。それでも、結果は出ませんでした。
ノゾミちゃんを恨むのは、筋違いです。
彼女は、確かに言いました。
直接的に、夢をかなえるわけではない。
眠っている才能を、ほんの少し目覚めさせてくれるだけ。それをどこまで磨き上げて、結果を出せるかは本人次第。
彼女の言葉の意味を、子供だったわたし達は理解していなかっただけなのです。
わたしは、ノゾミちゃんを待ちました。
待ち続けました。
それでも、わたしの前には現れてくれませんでした。
三人を殺した犯人は、彼女ではなかったのでしょうか? ……いいえ、そんなはずがありません。あんな殺し方を、普通の人間ができるわけがありません。そもそも殺人現場に、あの約束を交わしたヒト型が残してあったのが、何よりの証拠です。
それなのに、どうして――?
半年が、過ぎました。
わたしは、ノゾミちゃんに会いに行くことを決めました。
もちろん、殺してもらうためです。
◇
久しぶりにやって来た、わたしの母校。
複雑な気分でした。深夜の学校は、十年前を思い出させます。
違うのは、ひとりであるということ。それから、夢をかなえるためではなく、諦めるためにやってきたということ。
泣きたくなるのを我慢して、最近買い換えたばかりのスマートフォンを取り出します。十年前の古い携帯電話を思い出すと、奇妙な感慨もありました。きっと、場違いだったでしょう。
ふと、思い当たります。
かなえたい夢があるのが、彼女に出会う条件。ならば、今のわたしは出会えるのでしょうか? 今でも夢をかなえたい。でも、諦めたい。その矛盾は、どうなるのでしょうか?
「…………」
考えていても、埒があきません。わたしは小さな声で宣言をしてから、空メッセージを送りました。
待つこと数秒。
返信は、ありませんでした。
がっかりした反面、どこか納得してしまいました。仕方ありません。帰ろうと思った途端、スマートフォンが手の中で震えました。
「……!」
メッセージが、届きました。
わたしを息を飲み、その導き通りに進み始めました。
外門はすんなりと開き、玄関もあっさりと侵入できます。順路は、十年前とは少し違っていました。怪談も、時間の中で変化していくのでしょう。
変われなかったのは、わたしだけ。変わらず、変えられず、今でも夢を追い続けている。ずっとずっと、取り残されている。もうたくさん。もう、うんざり。
結果は出ない。
夢には、届かない。
そんな毎日が、辛すぎます。
最後は、やっぱり屋上への階段。
その先には――
あの日、あの時と、全く同じ姿で。
ノゾミちゃんが、待っていました。




