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「ねえ、白竜様?」
寝転ぶ白竜の胴体と首の間に挟まって竜を背当てに寝転ぶ姫が、クスクスと楽しそうに良いことを思いついたのだという。
「あのね、白竜様は私を守るために行ってきた数々のことで、厳しい方だって思ってる人も多いでしょう?」
厳しいなどとそんな生やさしい物ではないような気がしたが、白竜は黙ることで肯定を示す。
「わたくし思ったのですが、お庭で寝転ぶ白竜様の穏やかさを皆様が知ってしまえば、そんな勘違いをなさらないんじゃないかしらって」
「好んで近寄ってくる者などおるまいよ」
相変わらず珍妙なことを考える姫だと、白竜は笑う。
「それはわたくしもわかっておりますわ。ですから考えたのです。わたくし最近、孤児院の慰問をするようになりましたでしょう? それで子供たちを見て思いついたのですわ」
子供というものは、大人の常識の範疇にない感性を持っている。姫のように上等の服を着ていれば「違う」ことを感じて逃げる者と、寄ってくる者に分かれる。そして、大丈夫とわかったときの順応力は、大人はとうてい及びもつかないほど大きい。
「私が白竜様と共にいられるのがせいぜい四十年。とっても長生きしたとしても六十年ぐらいでしょうか。白竜様は、まだ後、何百年も生きられるでしょう? わたくしが亡くなった後もずっと。その時に白竜様のことが大好きな子供達がたくさん育っていたら、白竜様、寂しくないでしょう? ですから白竜様と一緒に、身寄りのない子供達を育てようかなって思いましたの。すてきでしょう?!」
目を輝かせて、名案とばかりに白竜に訴えてくるが、白竜はあきれたように鼻を鳴らした。
「姫、馬鹿なことを言うものではないよ。そんな私的なことを理由に公の身で動く物ではない」
「あら。国のためになると思うから言うのですわ」
白竜の様子に気分を害した姫がつんとすましてこたえた。
「だって白竜様、私が死んでしまえば、この国を去ってしまうおつもりでしょう? そんなことになってしまえば、国の目に見える守護がいなくなって、国が弱体化したと錯覚させることになりますわ。それにつけ込まれたら困りますもの。でも、白竜様を慕う者がたくさんいれば、すげなく出て行ってしまわれるなんていう、意地の悪いことはなさりませんものね? 白竜様を留めるためであれば、国もきっと大賛成ですわ」
事実、白竜が城に居座るようになってから、警戒の意味もあるのだろう、他国の探りは増えたものの、目に見えた敵対行動をしてくる国が減ったのである。姫を害した時の屋敷破壊という見せしめ行為は、国外にも影響を与えていたのだ。人間の抵抗がまったく効かぬことはそれにより明白だった。白竜の存在は国内では混乱をもたらしたが、対外的には、竜の名は未知への脅威であり、近隣諸国への圧倒的な抑制力となっていた。
それに、と姫は立ち上がって、白竜の寝そべった顔の前に立つ。白竜の目線は、姫の目線のほんの少し下ぐらいの位置である。そしてまるで子供をしかりつけるかのように腰に手を当てて白竜を見下ろした。
「貴族の者たちは好んで白竜様のそばに仕えたりはしないでしょうから、そばに仕える者は庶民からというと、最終的には受け入れざるを得ないはずですわ。本来なら教育に手が回らなかった層に教育を与え、悪環境で育つ子供達を減らすことも、国のためになりますわ。なおのこと白竜様を慕う理由となりましょう。……そのついでに、白竜様も寂しくなくなりますし、誰もが得するすばらしい考えだと思いますの。白竜様はついでですわ。ですから、すべて国のためですわ」
すまして言い切った姫に、白竜は苦笑を漏らす。
「このはねっかえりが。まったく、ずるがしこくなりおってからに」
「あら。どなたかが、直情では駄目だとおっしゃるから、わたくしがんばりましたのに」
「まったく。目を離したら何をしでかすか、わかったものでないわ」
クックと楽しげに笑う竜に、笑いをこらえきれなくなった姫が満面の笑顔で白竜の鼻先に両手を広げて抱きついてゆく。
「では、目を離さないでくださいませ」
鼻筋に顔をすり寄せる姫に、白竜もまた、すり寄るように顔を小さな体にこすりつける。
「まったく、姫には敵わぬな」
「白竜様、大好きです」
この美しい姫は、白竜の顔さえも抱えられぬほど小さな体だというのに、小さな手をいっぱいに広げて、この竜を守ろうとしているのだ。
人としての自身を捨てられずにいる白竜のために、居場所を作ろうとしている。白竜が愛され、幸せを感じられる場所を作ろうとしているのだ。
姫のやろうとしていることが成功したとして、それでも続いて百年か二百年か……もしかするともっと少ないかもしれない。
人の世も心もうつろいやすい。変わらぬ物など何もない。いつまでも続く国もない。考えも変わりゆく。その中で竜の生涯にわたって人と共に……というのは望めぬだろう。だが、その希望の種をまこうとする姫の心が愛おしい。
姫には白竜を人間の世界に巻き込んでしまった負い目があるのだろう。けれどその感情を彼女が表に出すことはない。かわりにそれを後悔せぬよう尽力しているように見えた。そして人間と関わりがなにがしかある現状を心地よく思っている白竜に、人心を残そうとしている。
蒔いてみねば、どうなるかなどわからぬ。育ててみて、うまくいくかいかぬかは時の運もあろう。
「白竜様は、案外寂しがり屋ですから」
鼻先を抱きしめる姫が、クスクスと笑う。
「わたくしがいなくなって、怖がられるばかりとなってしまえば傷ついてしまうでしょう?」
「……怖がられるのは、今更であろう?」
白竜がむっつりとした様子でうなる。
「今はわたくしががいますから、大丈夫なのですわ。寂しがり屋の白竜様の為に、わたくしはきちんと後のことを考えておりますから、ご安心くださいませね? 怖い竜なんて思う人が、少しでも減るようにしておきますから」
「……不要な心配よ」
あきれた声は、しかし少しばかり朗らかに響く。わざとらしく恩を売ってくるのも気を遣わせぬ為か。姫のその心が、心地よかった。
そんな、たわいのない時間が過ぎてゆく。
最近になってようやく姫に仇なす動きが減ってきたため、彼女も王族として動けることも増えてきた。この一年は下らぬ接触以外は特にないため、本格的に考えていることを試そうと動く下準備を進めている。些細な問題はいくつもあるが、もはや竜が手を出すまでもなく、姫自身が解決できるようになっている。愚かな甘言に惑わされることなどもない。
それ故に、姫も白竜も油断していたのだろう。
それはいつもと変わらぬ日常に思えた。
けれどその日、姫が白竜の元を訪れることはなかった。
白竜がそのことにおかしいと気づいたのは夕刻になってからだった。
常に耳を研ぎ澄ませることもなくなっていたのが、一つの油断であった。
怪しい動きがあるとき以外は、必要以上に聴覚を広げることをしなくなっていた。時折姫の様子をうかがうのみだ。
最後に交流として姫の様子をとらえたのは、朝、白竜の名を呼んで「おはようございます」と挨拶を届けてきた声のみ。
この日姫は特にたいした役割もなく、通常と変わらぬ役目を果たし、いつものように書庫で書物をいくつか見繕った後、昼過ぎには白竜の元に来る予定であった。
ただ、前日は慰問のために姫は遠出をしており、疲れているのを白竜は知っていた。そしてうそういった時、ふと腰を落ち着けた先でうたた寝をして白竜の元に訪れが遅れるたことも何度かあった。そしてその日、確かに昼過ぎに気配を探れば書庫で眠っている様子も感じ取れた。
ゆえに少しばかり引っかかりを覚えたものの、最近不穏な動きを感じ取ることもなかったこともあり、よくあることと白竜も取り立てて心配することもなかった。
だからこそ、知るのが遅れた。