1
*****
「あんたにはさ、ほんっとに悪いと思ってんだよ」
目の前の魔術師がへらへらと笑いながらそう言った。
「どっちかっつーと、依頼者より、あんたの方が好感もてるしさ。でもさー、こっちも大事な人の命かかってんだよね。良いとか悪いとかいう問題じゃなくってさー、俺あんたを絶望にたたき落とさないといけないのよ」
分かる?
そう言ってみせられたのは、呪術の鎖。腕を絡め取るように肌へきざまれた呪いは、男が逆らうことを禁じていた。
それでも言わずにはおけず、縛り付けられて身動きのとれない体を忌々しく思いながら魔術師を睨め付ける。
「ふざけるな。あやつらの思いが成就してみろ、この国は滅びるぞ」
「だからぁ、俺は逆らえないんだって。俺が逆らうと、呪いが直接大事な人を殺しちゃうんだよなぁ。でもさ、代わりにあんたが奴らを消しちゃえば良いんだよ」
ひゃははと、男が軽く笑う。どこまで本気か分からない様子が、男の正気を疑わせる。
「俺ねぇ、見つけちゃったんだ、抜け穴。俺があんたにしなければいけないことは二つあんだよ。俺が思いつく限りの最高の絶望をあんたに与えること。そして、あんたの身の消滅だ。さて、こっからが問題だ。身の消滅というのを、どうとるか。……人間じゃなくなったら良いと、思わないかい、王子様?」
にやぁと、男が笑った。
「絶望の呪いをあんたにあげよう。生涯をかけて俺を恨むがいい。だが、代償に俺の命をあんたに捧げよう……!! さあ、王子。あんたはその身と引き替えに呪われた最強の身でもって、果たすべき復讐を成せば良い……!!」
*****
「白竜様!」
可憐な少女の声が、岩穴に明るく響き渡る。
白竜は、煩わしげに、ゆっくりと片方の目を開けた。
「今日は良いお天気です、一緒にお空のお散歩など、いかがですか?」
「……断る」
白竜はうめくような低い声でその少女を追い払おうとした。
「白竜様、いけませんよ。昼間っからこんな薄暗いところで寝ていては。……でも、わたくしは、白竜様と、ここで二人っきりでいるだけでも、幸せです」
少女はにっこりと笑った。
白竜は一度目を向けたきり少女に何も答えることなく目を閉じた。
少女の身なりは、このような岩穴には似つかわしくない物だった。派手ではないが、一目で質が良いと分かる生地、繊細な刺繍、至る所に手が込んでいることが見て取れる。
そして、その少女もまた、その場に似つかわしくない、とても美しい顔立ちをしていた。うねるように腰まで伸びた髪は金色に輝き、何度もブラシされたことが分かるつややかな物で、日の光を浴びて更に美しく少女を引き立てる。そして青い瞳は生き生きと輝き、澄んだ青空を思わせた。
けれど白竜はそれらから目をそらし、心の中で嘆息する。
気まぐれに、偶然助けただけの少女だった。
ところがこの少女は、あろう事か一国の姫君だった。城から遠く離れた保養地で羽を伸ばし抜け出して冒険などと言って森に迷い込んだお転婆娘は、その一件で懲りることはなかったらしい。
命を助けられたことに恩義を感じてか、むしろそれを口実にといった方が正しいかもしれない、頻繁に白竜の元を訪れては、白竜に話しかけてくるのだ。しかも、甘い甘い睦言のような言葉を。
しかし白竜はこのような姫君になつかれるようなことをした覚えなどなかった。助けたときでさえ、優しくした覚えなどない。
困った物だと思う。
なぜならば彼女がここに来る日を、心待ちにしている自分がいるからだ。人と違う時間を生きる白竜にとって、人に心を許すのは、とてつもなく恐ろしいことであった。
この美しい少女が慕ってくるのが愛おしい。これ以上焦がれるようになる前に、追い払ってしまいたかった。
美しい美しい姫君が、白竜に会うたび愛を囁く。
しかしいつまでも、このような戯れが続く物ではない。人間の心とは移ろいやすい。恋だ愛だといったものはなおさらのこと。さんざん気が済むまでかまい倒された後は、あっという間に飽きて、そしてまた白竜は一人になるのだ。
それは容易に想像できた。
その寂しさを、今更、どうして受け入れられようか。
この光のような姫を受け入れた後にそれをなくしたのならば、どうやって胸に広がる闇をやり過ごせようか。
もはや、この身に受けた呪いを解くことなど叶うまいに。
諦めたのはいかほど前か。
白竜は薄く目を開けて、金色の姫君を見つめる。
このようなことを考えていること自体が、すでに手遅れなのだと、白竜はまだ気付いていなかった。
今日も今日とて岩場を登ってやってきた姫は、当たり前のように白竜を相手に会話をしている。単語よりかは幾分ましな白竜の反応にもかかわらず、どういうわけか会話が成り立っていた。
「え? 白竜様は元は人間だったのですか?」
「呪われた身だ」
もはや、なぜこんな話をしているのか、白竜には分からなくなっていた。年はいくつなのかから始まり生まれ故郷は……などと気がついた時には話すつもりのない身の上話になっていた。
呪いにまで言及するに至ったのは、元々は白竜に刻まれた呪いの文様について、姫が問いかけてきたのが発端であった。
真白なその身の白竜には、その手足とその顔にのみ黒い文様が刻まれている。その文様は竜の身体的な文様と言うよりは、人為的に描かれたように見えたのが姫の疑問の始まりだったようだ。
白竜は密かに頭を抱えたくなる。いくら不機嫌をよそおって追い払えども、あきらめもせずにやってくる姫についついほだされてしまう事も増えている。あげく適当にあしらっているつもりで返した短い答えは、気付かぬうちに姫にずいぶん多くの情報を与えていたようだ。
それらは普通ならば会話にならないような端的な答えだったはずだ。にもかかわらず姫はそんな白竜の言葉を正確に読み取っているようで、それを受けてからの問いかけが的確なのだ。
それに加えて白竜は、竜の身に変えられて以降まともな会話など久しい。人との対話に餓えていた部分も少なからずあったのだろう。
自分を慕ってくる可愛い姫に悪い感情を持てるはずもない。すげなくしようとしても、気が緩めばなにげなく口を滑らせてしまうのも無理からぬ事であった。
「呪いの解き方は分かっているのですか?」
気遣うような問いかけに、白竜は内心息をついた。
ここまで話しておいて黙りを決め込んでも、この姫は逆に興味を引かれるのだろう。
隠し立てすることに利はないと判断した白竜は、またしても問われるままに答えた。
「我と相思相愛の相手が命を賭して我を守った時に解けるそうだ」
白竜の答えに、姫が眉をひそめた。
「それは……ずいぶんとえげつない呪いですのね」
「ああ。故に、我は解けることを望まぬ。恋う者を殺すぐらいなら、呪われたままでよい」
白竜はため息をついて投げやりに答えた。これは白竜を永く永く苦しめるためだけに作られた、解けることのない呪いだ。解く方法があると知りながらも、けれど解きたいと望めぬ状況を作り上げている。
思いつく限りの最高の絶望とあの魔術師は言った。
白竜は竜の身となり、人として生きた年月を何十倍も超えてなお、その心は未だ人の物に近い。白竜が恋う者を見つけるとしたら、その相手はおそらく人だ。しかし人が竜を相手に、生涯をつがう伴侶として認めるわけがない。そこからして呪いを解くのが不可能に近い。更に、竜などという人知を越える生き物になり、人が竜を守ろうとしなければならない状況という物がそもそも存在し得ない。挙げ句の果てに死ななければならないという、何をとっても呪いが解ける望みのない状況であった。
人に戻りたくとも戻れない。死ぬことも叶わぬ。白竜に与えられたのはまさしく絶望だった。