第1話 九十九と一
この物語はフィクションです
東京都の都心から少し北に外れたところに小さな町がある。中心に神社を構えて南側に商店街や小、中学校が立ち並び、北側には閑静な住宅街で覆われている。その中心にあたる部分にある神社「よろず神社」。今ここで一人の巫女服姿の少女が境内に散りばめられた桜の花びらを箒で掃除をしている。時期は五月のまだ始まったばかり。木々に咲いた桜の花は、彩りをそのまま地面に落とし、土と混ざってピンクとブラウンのモダンなカーペットを作り上げていた。
彼女の名前は「水上 一」。都心の大学に通う十八歳の一年生である。身長は同年代と比べると少し小柄で、肩にかかる長さの黒髪を後ろで2つにまとめたお下げにしている。大学に通いながらこの神社でただ一人巫女のアルバイトをしている。彼女は慣れた手際で境内の入口付近に散らかった桜の花びらを箒で集めていた。
「水上さん、キリがないのでそろそろ休憩にしよう。」
そう呼びかける声がして、一は社務所の方から出てきた男に視線を向けた。声の主はこの神社の宮司である「後藤 文義」。坊主頭で優しい顔をしたまさしくおじいさんという風格の人である。年齢は四十代と見た目よりはかなり若い。しかしゆっくりとした喋り方と額に刻まれたシワから実年齢より上に見られることが多いのだ。後藤はこの神社の三代目宮司であり、この役職についてから十年になる。
「はい!すぐに行きます!」
丁度自分の持ち場の掃除が一段落したところで、一がそう返事を返すと、
「ミィ…」
一の頭上から小さな鳴き声が聞こえた。聞こえてきた桜の木を見上げると地上三メートルほどの高さの枝に仔猫が身を竦ませていた。仔猫は登った桜の木の枝から降りられなくなっていると一は理解した。咄嗟に辺りを見回し、親猫の姿を探したが周りには一匹も猫の姿がない。今にも落ちてしまいそうな仔猫を助けるために自分で助ける手段を次に考えた。
「どうしよう。私じゃ手が届かないし、近づいて怯えさせたら落ちちゃいそうだし…。とりあえず後藤さんに言って、あの仔猫を何とか助けてあげないと…ん?」
もし落ちてしまった時のことを考え、周囲にクッションの代わりになるものを探して周りを見回していた時、隣の木の枝にぶら下がる紺色の影を見つけた。一瞬隣家の洗濯物がかかっているのかと思ったが、目の焦点が合いはっきりとそれを認識した時、さらなる驚きが一に訪れた。
「うわあぁあぁ!!ひ、人!?なんであんなとこに???」
それは確かに人間だった。紺色の修行着を纏い頭に白い手拭いを巻いた人間がまさに洗濯物のようにピクリともせず枝に垂れ下がっていたのだ。
あまりの驚きに一瞬仔猫のことを忘れそうになったが、小さな命の危機と訳の分からない不審者を自分では手に負えないと判断し、勢い良く社務所にダッシュした。
社務所に息を切らせながら動揺が隠し切れない顔で一が入ってきた。驚いた後藤は何事かと一に問いかける。
「どうしたんだい、そんなに息を切らして?まるでお化け屋敷の出口から逃げ出てくるお客さんみたいだ。」
後藤の何気ないジョークも今の一には聞いていられるほど落ち着いてはいない。
「後藤さん!!た、たた、大変です!!仔猫が木にぶら下がって落ちそうで、そそs、そしたら、ひ、人が木に干されてて落ちそうででで、ってあれ?」
かなり混乱した一は途中で何度も噛みながらも目の前にあった惨状を必死に伝えようとした。後藤は彼女が大人しい性格だと知っている。しかし、一度取り乱すとどんどん泥沼にはまっていく彼女の態度は、今までに数回しか見たことがない貴重なものであった。人が困っているのを笑って見ていられるほど薄情な人間ではない後藤は、彼女の支離滅裂な言葉から単語だけを抜き取り、何が言いたいのかを推理して簡潔にまとめて見せた。
「桜の木に仔猫が登って降りられなくなったんだね?なら脚立を持ってすぐにいこう。」
この時点で後藤は一の言った「人が~」のあたりを信じていなかった。何かの見間違えのせいで彼女はこんなにも混乱しているのだろうと思い、重たい腰を上げて社務所の裏手から長い脚立を肩にかけ現場に向かう。一に案内され社務所から石畳をまたいだすぐそこに立ち並ぶ桜の木々の一本にその現場はあった。しかし、後藤が思っていたものとは少し違っていたようで、木の枝に干された人を見て後藤は1秒間ほど口を開けたまま固まっていた。
仔猫を助け、ぶら下がっていた人間を担いでとりあえず社務所の隣にある休憩所に運ぶことにした。仮宿として使えるこの休憩所は、入ってすぐに畳が敷かれた居間があり、奥には使われていない部屋がもう一つあった。居間には四角いテーブルと、それを囲む4つの座布団、部屋の片隅にブラウン管のテレビ、入り口のすぐ隣には台所と冷蔵庫が備え付けられている。今は昼食用に後藤が取った出前のざる蕎麦が二つ、テーブルに置かれている。後藤はそのテーブルの隣に干されていた人間をを寝かせ、様子を見た。顔つきは若々しく、二十代後半の好青年と呼べるものだろう。体格はやや高身長でそれなりに筋肉質な男であった。息はあり、まだ生きている状態で気を失っているだけだと分かった。一はまだ慌てて、救急車を呼ぶべきか否か後藤に何度も聞いてくる。そのとき、男の腹の虫が周囲に聞こえるほど鳴り響いた。試しに出前のざる蕎麦を差し出してみると、男は目を輝かせほぼ一口でざる蕎麦二人分を啜りあげた。むせる事なく頬張りそばつゆをお茶代わりに流し一気に飲み込むと、表情に満面の笑みを浮かべて男が口を開いた。
「ごちそうさまでした。いや〜助かりましたぁ。ここ数日何も口にしてなくて。」
顔の前で手を合わせ丁寧に頭を下げた男だが、軽い口調でこう言われて少し不誠実さを感じた一が顔をしかめる。後藤は話せる状況にあると判断して冷静に男に対して質問をぶつけた。
「落ち着いたところで少し聞いてもいいかい?私はこの神社の宮司を務める後藤と言う。君はなんであんなところに居たんだ?」
顔を上げた男が後藤に目を向けて質問に答えた。
「あぁ、すみません。僕は九十九 神太郎といいます。あるものを追って三日ほどずっと追いかけっこしてたんですけど、この辺りで見失いまして…。そこで力尽きてから急に意識が薄くなって、気がついたら今ここにいるってわけです。」
「あるのもの?追いかけっこ?」
一が不思議そうに九十九と名乗った男に聞き返しながら顔を覗き込む。二枚目と言えるほど凛々しい顔つきではないが、細い目とその上の九と書かれた手拭いは印象的であたった。
そんな一を目にして、後藤が申し訳無さそうに彼女に頼み事をした。
「水上さん、すまないがもう一度出前を頼んでくれるかい?彼の話は昼食をとりながらにしよう。いいかね九十九くん?」
「ええ、もちろん。それならついでに僕の分もお願いできますか?」
まだ食べるんかい!と心の中で突っ込んだ一は、休憩所から社務所に向かい先ほどとは違う蕎麦屋に3人分の出前を注文した。数分で注文がくるそうなのでそのまま社務所の方で待つことにした。休憩所となる仮宿は社務所の裏手にあり、外からではわかりづらくなっているからだ。出前が届き大きめのお盆を持ちながら休憩所に向かうと、後藤と九十九がいつの間にか意気投合したらしく、笑いながら会話をしていた。社務所からでは2人の会話がとどくはずもなく、二人がどんな内容で盛り上がっているのか一はわからなかった。テーブルを挟んで座布団に座っている二人の横に一が立つと、後藤から今しがたの会話の結論だけ告げられた。
「おぉ水上さん。ご苦労様。そうだ、九十九くんをここに住み込みで雇うことにしたからよろしく頼むね。」
唐突な爆弾発言に一は手に持ったお盆を落としそうになるが、間一髪で抜けていく腕の力を取り戻した。
「はいぃぃ!?!?!?なんでそうなるんですか!?私がここに来るときはもっと迷ってたじゃないですか!それをなんで、敷地の木にぶら下がってた大食いの不審者を笑顔で迎え入れるんですか!!」
一が驚くのも無理はない。一の発言は事実だったからだ。
2ヶ月ほど前、大学の近くにあるこの町に引っ越してきた一はとある理由でこの神社で働くことに憧れを抱いた。しかし、この神社は参拝客は少なく、後藤一人でも十分手が回っていた。毎年年末年始の忙しい時だけアルバイトを雇うことはしていたが、普段から募集はかけていなかった。ダメ元で一が後藤に頼み込むと、後藤は少し困った顔をしていた。あっさり断られることはなく、優しく遠慮している後藤を見て、(この人、押せば行ける!)と思った一は、土下座をするような勢いで後藤に懇願した。(実際は土下座をする寸前で後藤に止められた。)後藤が最終的に折れる形となったが、経済的にバイト一人を雇うのはそれほど苦しいものでもなく、彼女が表に立ってマスコットの役割をしてくれれば参拝客も増えるのではないかと後藤は密かに考えていた。故に彼女に任させる仕事は、境内の表側の掃除と、お守りや絵馬などの売り子としての仕事ばかりであった。一はそれを疑うこと無く素直に働いていた。
自分が苦労してやっとこの神社で働けたことを思い出し、一が少し八つ当たりにも聞こえる怒りを九十九を指差しながら後藤に訴える。九十九は苦笑いをしながら出されたざる蕎麦に手をつけようとしたが、一が平手で机を叩き鋭い目で睨んできたので、そのまま元の位置に下がった。後藤は一をなだめながら簡単に説明をする。
「まあまあ、彼にも深い事情があるんだ。それにここで働くよう促したのは私だから、彼を責めることはない。それに、彼にとってこの神社は都合がいいそうなんだ。」
「騙されちゃいけませんよ後藤さん!!こんな浮浪者がどんな事情を抱えてたってわざわざ神様の社のそばに置く理由はありませんよ!」
一が更に目を見開き後藤に迫る。一は無宗教で神や仏という言葉は都合がいい時にしか使わないが、よろず神社が神聖な土地であるということをなんとなく信じている。
「まあ落ち着いて、君。僕は霊媒師なんだ。助けてもらったお礼として、ここで後藤宮司のお手伝いをさせていただくんだよ。」
「霊媒士ぃ?」
九十九の発言がますます一を苛立たせた。一は一般的にいう霊感は持っていないし、霊的なものも見たことがない。故に心霊現象などは偶然の自然現象や科学的な理由があると思い、信じていないのだ。霊媒師という言葉が余計に九十九に対する評価を落としていった。一の怒りを悟った後藤が念押しの説得をする。
「ま、まあまあ。彼に働いてもらうことはもう決めたことだ。水上さんさんも従業員として彼を受け入れてやってくれ。別に仕事を教える必要はない。彼には私の仕事を手伝ってもらうから。」
後藤がこの神社で一番偉い立場にいることは一も理解している。冷静さを取り戻した一が九十九を睨むような目で見つめると、九十九は何食わぬ顔で蕎麦をすすっていた。視線に気づいた九十九は一度箸を置き、一を正面に捉えるように座り直した。
「まあ色々あるどろうけど、この神社の仕事も手伝わせて頂くよ。よろしくね、お嬢さん。」
「お嬢さんじゃありません!水上一です。これでも大学生なんです!あんまり子供扱いしないでください。」
「そうなんだ。よろしくね、一ちゃん。」
「いきなり馴れ馴れしく呼ばないでください!」
一と九十九のそんな微笑ましいやり取りを見ながら、後藤は先ほどの九十九との会話を振り返っていた。
数分前、一が社務所に向かったことを確認し、後藤が九十九に問いかけた。
「追いかけてきたっていうのは、飼い猫や何かかい?」
「僕の飼猫ではないんですけど、正確に言うと、元飼い猫ですかね。」
九十九の言葉に少ししかめた顔を向ける後藤。それを察して九十九は話を続ける。
「後藤さんはその、霊や妖の存在は信じていますか?」
「信じるも何も、仕事柄それらを相手にすることが多いからね。というと、君が追っているのは飼い猫の幽霊ということになるのか。」
「それなら話しても大丈夫ですね。僕は一応、霊媒師として独学で修行を積んできました。まあ、ただの浮遊霊ならここまで必死に追いかけることもないんですけどね。」
九十九が少し顔を曇らせて渋々、いや、かなり暗い口調で説明をした。
「生きてる頃はまだ仔猫だったんです。でも、あまり人にも親猫にも構ってもらえず、勝手に外を歩いてる時に車に轢かれたんです。それから、自分が死んだことを理不尽に思って、恨みつらみを抱えたままもう10年もこの世を彷徨っているんです。」
九十九の話に全てを悟り、後藤は九十九の現状を当てて見せた。
「つまり君は、悪霊と化したその猫の霊を追ってここまで来たんだね?その子を成仏させる為に。」
しかし九十九が返した返事は後藤の回答から少し外れたものだった。
「追ってきたのはそうなんですが、成仏させようとはあまり考えていません。もしあの子が改心して何の害もない霊になってくれれば、そのままこの世にいてもいいと考えています。」
「なるほど。もし上手くいかず悪霊として人に危害を加えようとしたらー」
「その時は、僕の手で対処します。」
九十九の答えに確かな覚悟を感じた後藤は少し安心したように息を吐いた。
「この辺りで見失ったんだろう?ならまだ潜伏しているかもしれない。ならしばらくここにいるのはどうだい?ここに住み込みで働きながら、そいつの行方を探すといい。この辺りも妖怪の類がよく活動することがあってね、君の力を貸して欲しい。私としても、その猫の霊を私の伝手を使って探してみるつもりだが、どうかね?」
九十九にとってこれはかなりの好条件だった。途方も無い一人での幽霊探しはかなり骨の折れるものだったが、寝床と情報を提供してくれる条件は、住み込みの仕事とは天秤にかけるまでもなくいいことだった。
「いいんですか?助けてもらった上に、寝床まで用意してもらえるなんて。」
「構わないよ。元々ここは私とアルバイトの彼女しかいないし、ここの仮宿も普段は休憩所としてしか使ってないからね。もちろん、私の仕事も手伝ってもらうことになるけど。」
「もちろん!助けて頂いたお礼として、一生懸命働かせていただいきます。」
九十九は自信たっぷりに自分の胸を叩いて見せた。
これが一が出前を待っている間に交わされた会話の真相である。
一が不貞腐れながら三人で昼食を取り終えた後、一は境内の掃除に戻った。九十九は後藤と一緒に社務所に残り色々と難しい説明を受けているようだった。掃除をしながら一は仔猫と九十九がぶら下がっていた木を見上げて、九十九のことを考えていた。
(九十九さんとか言ったっけ?自称霊媒師なんて普通の人ならまず口にしない冗談よね。なんであんな所に居たのか聞きそびちゃったなぁ…。まあいいか。ここで働くことになっても、関わりを最小限にすれば気にすることでもないし、いつも通りで入ればいいのよ。いつも通りで。)
普段は社交的で始めてきた参拝客にも笑顔で対応して日常会話を展開する一だが、第一印象があまりにも衝撃的で最悪の初対面から始まった九十九に対して、深く関わらないという方法で対処することにした。しかし、とそんなこととはつゆ知らず、九十九が後ろから声をかけてきた。
「おーいたいた。一ちゃんこんなところに居たのか。」
ほんの1時間前に初めて会ったばかりの人に馴れ馴れしく呼ばれてかなり腹を立てた一だが、その怒りは表情に止めて九十九に振り返った。
「なんですか?九十九さん。」
「いきなり怖い顔するねぇ…。それより、後藤さんより伝言だよ。」
九十九に対して終始睨むような顔つきをしていた一だが、九十九の返事に少し目を丸くしてキョトンとした表情に戻った。
「後藤さんが?どこかにお出かけですか?」
後藤は社務所の必要品の買い出しや、隣町のお寺に用があると言ってよく出かけることがある。帰ってくる時間はまちまちだが、必ず社務所を閉じる時間には帰ってくるのだ。一はそのための報告だと思い、確認のための質問を問いかけた。しかし、帰ってきた内容はほんの少し違うものであった。
「ああ、隣町の十条寺ってとこに用があるんだってさ。ついでに休憩所に置いておく食材とか買ってくるんで、少し遅くなるみたい。だから今日は早めに帰ってもいいよ、だって。鍵は僕が預かってるから、帰る前に一声かけて言ってね。」
「食材って…普段は私がここでお料理したいときに買出しに行くだけなのに、なんでだろう…?まさか、九十九さん用にってこと?」
自然と首を傾げながら考える一に九十九は感心して答えを言った。
「まさにそうだね。と言っても、自炊する設備はあまり揃ってないし、インスタントの食材を買い置きしておくといってたよ。」
「そうゆうのは九十九さんが自分で買い揃えるものじゃないんですか、居候として。」
九十九のあっけらかんとした答えに呆れながら一が続けてた。
「居候じゃなくて住み込み!言わば住職だよ。僕もここの一人として責任を持って務めていくからね。」
自信たっぷりに返す九十九の言葉にさらなるため息をついて一はうなだれた。一はこのときに関わりを持たずにバイトしていくことを半分諦めていた。
「わかりました。この辺りの掃除が終わったら私は帰ります。ちょうどその頃には社務所を閉める時間になると思うので。九十九さんは休憩所でゆっくりしてて下さい。」
「僕も手伝おうか?この辺かなり花びらが落ちてるし、女の子一人じゃ大変でしょう?」
「結構です。私だって好きでこのお仕事してるんです。勝手に人の仕事を取らないでください。」
九十九の方が身長が高いせいで、自然と上目遣いになりながらも頬を張らせて九十九の協力を断った。九十九は何を怒っているのかわからなかったが、本人が嫌なら止めておこうと思い、大人しく休憩所に戻ることにした。その際、一の後ろにある木の陰に怪しく光る幾つもの猫の瞳を、九十九は見逃していなかった。
境内に散った花びらが綺麗になくなったのはそれから3時間後のことだった。日は傾き始め、境内の入り口から本堂までの石畳に伸びる長い影を、一は見つめていた。
「うん。やっと綺麗になった。今日もお疲れ様、私。」
今日の成果を振り返り、一日の最後に独り言で自分を労うのが一の日課だ。
「お掃除して仔猫も助けて、ついでに変な人も助けて、いつもとは少し違う一日になったけど、無事に本日のお仕事終了です。ありがとうございました。」
そう言って本殿に向かって深々と一礼をした。この神社で働くことになってから、神様が仕事を見守ってくれていると思い、こうして最後にお礼をして帰ることにしていた。社務所の更衣室で巫女服から普段着に着替え、休憩所にいる九十九に変えをかけた。
「それじゃあ九十九さん。私は帰りますので、社務所の戸締りをお願いします。あと、後藤さんに明日は午後から来ますって伝えておいてください。」
「ん、お疲れ様。ちゃんと伝えておくよ。気をつけて帰ってね。」
一が九十九に対して一礼をした後、振り返って神社を出て行く一の背中を九十九は見ていた。一の後ろに、先ほど感じた怪しげな視線が集まっていくのを九十九はずっと監視していた。
一は家から神社までは歩きで通っていて、行きも帰りも同じ道を使っている。特別人通りが少ないわけでもない住宅街だが、夕暮れ時には帰宅中のサラリーマンや買い物から帰る主婦の姿を目にすることは多い。しかし今日は日曜日で、人影は全くなかった。しかしその代わり、小さな四足歩行の動物が一の前に現れた。
「あれ?昼間に助けた仔猫ちゃんだ。どうしてこんなところに?迷子にでもなったのかなぁ?」
自然と足を止め、猫と対面する様に膝を曲げた。すると、どこからともなく、数匹の猫が仔猫の後ろに音もなく現れた。
「あ!ちゃんとお友達もいるんだ。よかったね〜。もう一人で高いところ登っちゃダメだよ?」
ホッとした一が仔猫の頭を撫でようとした時、仔猫がいきなり全身の毛を逆立て、威嚇するような鳴き声を発した。
「あれ~?私そんなに嫌われちゃったかなぁ…」
一瞬驚いた一だったが、困惑した笑顔で仔猫を見つめる。しかしなおも仔猫は臨戦態勢を取ってこちらを伺っている。冷静に辺りを見回すと、一の進む道に野良猫がどんどん現れ、車1台通れる道が猫で溢れかえっていた。異常な空気に恐怖を感じた一が立ち上がり、後ずさりをした途端、猫の軍勢が一斉に飛びかかって来た。驚異のジャンプ力で一を上から、横から、正面から、爪を立てて襲いかかる。恐怖で棒立ちのまま驚きに目を見開いた一は、襲いかかる猫の向こう側に大きな虎のような影を見た気がした。
次の瞬間、猫と一の間に一枚の紙切れが飛んできた。一がその紙切れが何か書かれた御札のようなものだと認識すると同時に、御札から閃光が放たれる。一はあまりの眩しさに顔を背け両手で顔を隠すように前に出す。閃光を浴びた猫たちは一斉に踵を返し逃げていく。飛んで空中にいた猫たちも、まるで壁を蹴ったように百八十度進行方向を変えどこかに逃げていった。大きな虎のような影は光とともに霧散していった。
視界が戻った一が前を向くと、猫の姿は一匹も見えなかった。何が起きたのかわからず立ち尽くしている一に、後ろから声がかけられた。
「なんとか間に合ったかな。あぶないところだったけど、怪我とかしてない?引っかかれたりとか。」
一が振り向くと先ほどまでよりさらに目を細くして険しい顔をした九十九が立っていた。右手には先ほど投げられた御札と同じ大きさのものが2枚握られている。一はそこで先ほどの出来事が、九十九がしたことだと理解した。襲いかかる猫を九十九が札を投げ、何かしらのトリックを使って発光させ、猫を追い払った。と一は理解した。
「九十九さん…。どうしてここに?それにいまの、何ですか?」
まだ少し混乱している一に九十九が落ち着いた口調で説明する。
「さっきのはおそらく、猫を媒体に複数の悪霊が取り付いていたみたいだね。人の良心を逆手にとって、関わった人間に恩を仇で返す悪どい怨霊だよ。幸いそこまで強い思念が働いていたことも無かったらしいし、さっきの力で全部払えたから大丈夫だよ。」
「悪霊?取り憑かれた?」
一は九十九の言葉に自体は理解できたが、実際にそのような出来事が目の前で起こっていることを信じられなかった。そして、一の疑問はあらぬ方向に向けられた。
「それより、いまの手品ってどうやったんですか?あの光って、飛ばした紙を燃やしていたんですか?ねぇ、もう一回やってみてください!私手品のタネを見破るの大好きなんですよ!」
目を輝かせ九十九の顔を覗き込む一に、九十九は引きつった顔で答えた。
「え?いや、今のは手品じゃなくて除霊をー」
「あの光はただ紙を燃やしただけじゃできないよね…紙に化学物質を混ぜて燃えやすくしたとか?それなら、どうやって空中で発火させたんだろう?あの、そのお札を見せてもらえませんか?」
人の話を聞かずにブツブツと何かつぶやいていた一が、急に目を輝かせ九十九に聞いてきた。
「え、だめだよ。これは僕が独学で編み出した護符で、あまり乱暴に扱うと効果が暴発してー」
「いいじゃないですかぁ。もうその御札にタネが仕込まれているのはバレてるんですよ!さあ!最後の発火の仕組みはどうなってるんですか?」
九十九が札を取られないように上に掲げるも、それをジャンプして一が何度も奪い取ろうとする。先ほど起こった猫の襲撃よりも札のトリックで始めの頭はいっぱいだった。
しつこい一を軽くあしらいながら、九十九はさきほどの猫の集団のことを考えていた。
(親玉には逃げられたか。奥にいてよく見えなかったけど、あの大きな影はまさしくあの子じゃないのか?この町に来てさらに悪意が増して大きくなったのか。さっきのは、野良猫たちにその思念が伝染したのだろう。早くなんとかしないと、被害が大きくなるだけか。なるだけこの町の妖にも注意を払っておこう)
九十九が自分の追う猫の霊を取り逃がしたことに悔しがり顔を顰めたが、一はその表情が自分のせいだと勘違いして冷静になった。
「ごめんなさい。やっぱり自分で作った手品のタネを勝手にバラされるのはよくないですよね。」
「え?あ、いや、だからそのタネとかじゃなくて…」
九十九が拍子抜けした顔で一に返事をした。
「いつかその正体を見破って、私も実演して見せます!それが手品の種明かしの王道ですから!」
勘違いを続ける一を、九十九は訂正する気が起きなかった。
「じゃあもうそれでいいから、今日はもう帰りな。もう猫たちは襲ってこないだろうけど、一応気をつけてね。じゃ。」
そう言って振り返りながら片手を挙げる九十九に一が声をかけた。
「あ、あの、ちょっと待ってください。」
体を半分だけ翻し、顔を一に向けて九十九が止まる。その表情には、先ほどの剣幕はなく、少しはにかんだ笑顔に見えた。一が九十九と目があった時、照れ気味に言葉を続けた。
「あの、助けていただいたことは事実ですので、お礼はちゃんと言わせてください。…ありがとう…ございます。」
しゃべるうちにだんだんと顔が下を向いていく一に、九十九は表情を変えずに「どういたしまして」と返した。
「一応あなたのことを住み込みのお手伝いさんとして認めます。でも、だからと言って勘違いしないでくださいね!あなたがあの神社で変なことしたら、すぐに警察に突き出してやりますからね!」
威勢のいい捨て台詞を吐いて一は「ふん!」と振り返り足早に帰っていった。取り残された九十九は先ほどまでの微笑みが苦笑いに変わり、独り言のように一に返事をした。
「あはは…よろしくね、一ちゃん。」
聞こえていないのを承知で、九十九はそのまま神社に戻っていった。
こうして、一の生活に少し変化をもたらした一日が終わった。
しかし、この変化が後々大きく自分と、この町を変えていくことを一は知る由もなかった。
続く…
まずはこの小説を読んでいただきありがとうございます。
この物語は、初期の段階では日常系4コマ漫画のストーリーとして書き上げたもので、私の画力が追いつけずそのまま小説として書き上げたものです。
今の段階では第3話までプロットを作成しており、文章が作成でき次第投稿しようと考えております。
時間はかかると思いますが、次回をお待ちいただけると幸いです。