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第三話

 屍色の月灯りの下で二匹の人外が踊っていた。

 枯れ草や土くれが舞う。二人はすれ違ってはぶつかり合い、組み付いては突き飛ばす。闘争の荒々しさが夜闇の静けさに渦巻いていた。肉体の衝突だけではない。もはや互いの妖力までもがその禍々しい色彩で対するものを全て飲み込まんとしていた。

 鴉天狗は錫杖で突き、払い、時には己の脚や手でもってタユラを殴打する。尋常ならざる妖魔の身でありながら修行を積んだ武芸者の技を好む。彼は己の翼や妖術を一切用いらない。妖魔の力をもってすれば半鬼とは言え、一瞬の内に滅することは出来る。それではつまらない。研鑽の結果たる武技で闘うことの方が余程愉快であり、「生」を実感できる。それによって自らが敵に討ち滅ぼされたとしても全く悔いはなかった。


『いやはや、……なかなかどうして……』


 鴉天狗は笑みを深めて敵を見る。荒々しく激しい一撃が頬を掠め、荒ぶる妖力が彼の皮膚を切り裂いた。錫杖の間合いとしては近すぎる。牙を剥き出しにして身に取り付き首に噛み付こうとする半鬼を鴉天狗は振り払った。頭から投げ落とされるように振り払われたタユラは、空中でぐるりと一転し、しなやかに着地した。全く獣じみた動きで、もはや彼女の方がよっぽど妖魔らしかった。

 タユラは歯を剥き出しにして唸った。瞳孔は縦に割れ黄金の光を放つ。総毛立った髪は妖力で波打っていた。まさに鬼気迫るありようである。

 そして予備動作もなくタユラは蛇のように駆け出した。鴉天狗は錫杖を突くが、彼女は恐れず紙一重で交わす。当たっても構わないという動き。懐に飛び込んだタユラは手刀を突き上げる。鴉天狗は錫杖を引き戻しながらその場で立ち位置を変える。引き戻す錫杖をタユラの体に当て、巻き込むようにして流す。2人は瞬時に交差した。タユラは一旦距離を取り仕切り直そうとしたが、流れるままに反転した鴉天狗がそれを許さない。いっさい体勢を崩すことなく鴉天狗は一瞬で間合いを詰め、タユラを袈裟に斬り伏せた。これをタユラは何とか交わそうとするが、貫頭衣がざっくりと裂けた。鴉天狗は止まることなく、突きと払いを打ち込んだ。タユラは腕を裂かれ、脇腹、左の膝頭を強打される。彼女はよろめき転がるようにして逃れた。


『膝の皿と肋骨を一本やったかねえ。肉体の脆さは人と大して変わらぬ。敏捷さはまことに人外だね』


 惜しいな、と鴉天狗は思った。半鬼としての地力も精神力も申し分ない。だが戦闘の技術と駆け引きをする経験が足りない。鴉天狗に一度手傷を負わせる毎に彼女はその倍以上に傷ついていた。

 流れるような彼の技に対して、半鬼は一撃離脱の突進である。己の身体を十分に活用するための策であろうが、そもそも体の使い方を分かっていないのだ。それでも鴉天狗に僅かばかりの手傷を負わせているのは、死を恐れぬ猛攻のためだ。ただの死兵ではない。死を覚悟してもなお、生を求める気迫があった。不条理を認めながらも抗おうとする強靭な意志の力を鴉天狗は感じていた。


『それでも足りない』


 生と死が入れ替わり立ち替わり、一瞬の攻防のうちに両者を垣間見る。生の中に死があり、死の中に生がある。その調和。鴉天狗が追い求める闘争の果て。今のタユラではそこに届かない。惜しい、と素直に思う。


『潮時か』


 目の前の敵を愛おしく感じるようになっていたのに関わらず、この闘争に幕を下ろさなければならない。


「礼を言うよ。半鬼の少女。僅かばかりとはいえ、永久の牢獄の中で慰めを得た」


 鴉天狗はタユラを見つめた。彼女は獣がそうするように鴉天狗の隙を窺っている。

 鴉天狗はふっと丹田を張るとともに脱力した。やおら構えらしい構えもなく、ふらつくようにして一歩無造作に踏み出す。その一歩をタユラは確かに目にした。そこまでだった。次の一歩で、彼の体が伸びた。そうとしか言い表せられない。タユラの認識

を置き去りにして、鴉天狗は踏み込んだ。

 まず鳩尾に一閃。タユラは何とか体をズラすが脇腹を裂かれる。たたらを踏む彼女にもう一閃。腕を盾にするタユラ。伝播した衝撃が鼻を突き抜け血が吹き出した。とっさに跳んで退こうとした瞬間に太腿に一閃。骨が痺れて喉元まで吐瀉物がせり上がってきた。また一閃。加速。一閃。加速。一閃。――……!! 一撃毎に速度を増す。錫杖が鞭のようにしなる。もはやタユラはただ小さくなって身を守ろう後ろに退こうとするだけだ。

 鴉天狗の泳ぐ魚のように流れる足運び。蛇のようにうねる自在な棒捌き。タユラは翻弄され、ただ耐えた。だが鴉天狗の一閃が彼女の頭部を薙払らった時、タユラはついに地に倒れ伏してしまった。

 虫の息のタユラは体をぶるぶると激しく痙攣させた。マトモな感覚が残されているようには見えなかった。

 ふっと鴉天狗は残心を解いた。半鬼と言えど、これだけやれば流石に死ぬ。


「すぐに楽にしてあげよう」


 慈悲のつもりで鴉天狗はうつ伏せになったタユラを転がしその胸に錫杖を当てた。ほとんど全裸の少女は血にまみれ汚れていた。もはやただの血袋にしか見えない。鴉天狗はそのまま彼女の心臓を貫こうと錫杖を掲げた。そして、まさにそれを振り下ろそうとした瞬間。――……微かな風切り音。鴉天狗はその場から飛び退いた。目前を紙一重に横切っていく銀色の刃。とっさに錫杖を振るって続けざまに飛んできた刃を払う。

 木々の陰から此方を覗く複数の人影があった。いずれも白い袈裟に頭巾、そして山伏の使う熊除けの鈴が付いた錫杖。鴉天狗は悟る。彼らこそが最近、鴉天狗たちの中でも噂される法道の僧であるに違いない。

 増援か? そう思い、鴉天狗はちらりとタユラに目をやる。彼女は虫の息である。僧兵たちが半鬼に気をかける素振りはない。となれば、囮か? なんであれ、半鬼と僧が協力し合っているようにはまったく見えない。

 それにしても感じる霊力はなかなかのもの。人間の中でも相当な実力者と見た。


「愉しいなあ」


 鴉天狗はそう呟くや否や新たな闘争にその身を投じた。




 

 母の声が聞こえた気がした。今となっては遠い地で眠りについた母。もう帰るつもりはない。戻ることはできない。では、どこに向かって行けば良いのか、タユラには分からない。どこにも光はない。暗い海の底で死んだように横たわる。深く、深く。光のない場所で、やがて自らの存在の痕跡を見失う。あの日からずっとここにいた。徹底的に奪われ駄目になるまで犯された。いつの間にか自分自身の痕跡に至る手がかりまでも失ってしまった。もう浮上することのない、透明な存在として、窒息して死ぬだろう。

 いい加減、楽になりたいと疲れきった心が訴えかけることもあった。だがそれでも生きたいと強く思う。それは本能か魂の叫びか。

 海の底で、やがて光が差すのを待っていた。


 覚醒は突然だった。

 絹越しのような柔らかい光がタユラの視界に映る。静かに瞳から涙が落ちた。どこまでも生理的な涙だった。

 今は僅かな光さえも眩しい。ギュッと目を閉じて涙を押し流す。しばらくしてタユラはゆるゆると目を開けた。暗い天井と木々の合間からこぼれ落ちる光。ゆっくりと息を吸う。ツンと鼻を突く薬草の臭い。記憶の奥底から不意にこみ上げようとする懐かしさがあった。それを押し殺す。

 喉が乾く。頭は虚ろだ。熱を出した後の治りかけの気だるさと栄養が足りない脱力感が全身にあった。頭を持ち上げることはおろか手足を動かす気にもなれない。

 ふと、片目に湿った布のようなものが被せられていることに気づいた。明らかな治療の痕跡。

 生きている。いや、生かされている。運が良い。タユラが憎む偶然という摂理が今の彼女を生かしていた。そう悟る。気紛れのようにそれはタユラの命を救うことがあった。ここでの退場を許さないと言うように。

 口の中で苦みが広がる。それは所詮タユラの思いこみだ。頬が引きつり、歪んだ笑みになった。悪い癖だ。


 いつからお前は特別な存在になった?

 

 世界はタユラを歯牙にもかけない。偶然に意志はない。悪意も善意もない。それはただ不条理の表れに過ぎない。期待した瞬間に突如として奪う。

 だから何ものぞむな。何も信じるな。希望を持つな。

 詰めていた息を吐き出す。耐えがたいほど頭が痛く、不快だ。タユラはうめき声を漏らした。気がつけば声には出せず、「くそう」と悪態を吐いていた。どうしてか分からない。冷たい涙が頬を伝う。重たい溜め息一つ。彼女は身体を弛緩させた。そうして再び深い眠りへと落ちていった。


 


 ユイが、その金髪の少女を見つけたのは夜明けに訪れた山の祠でのこと。都より遥か東。ハシラベの里よりわずかに西にあるオオナカ氏の里でのこと。

 オオナカの里は土地が豊かである。鳥の目になれば、まず四方を囲む緑豊かな森林と青い山々が見える。方々から流れ出すあまたの川は、やがてその地の南北を走る一本の大河となる。その下流には、森林を切り開いて作られた集落、そこから中流にかけては大きく広がる水田。そして北の山裾、上流のあたりにぽつりと小さな集落が目に入る。それこそがユイの住処であった。

 この地を治める豪族はオオナカ氏。東の豪族としては中堅であり、何よりハシラベ氏の傍流を継ぐことから彼の地とは友好な関係を築いていた。ところで、現在のオオナカ氏頭首には病を理由に隠遁した実兄が一人いる。名をオオナカ・ジブロ。四十前と高齢で、上背はないが屈強な体躯、白髪混ざりの短髪と黒く日焼けた堀深い顔をもつ。そして、彼は盲目である。目を患うまでは槍を持たせれば東国随一と称された男も、今や北の小集落で隠遁しながら、身寄りのない子や流れ者を集め育て上げることに残り僅かな余生を捧げている。いまやその行いから随分な変わり者として名が知られるばかりだ。と言ってもその子らには秀でた者が多く、本家の屋敷に使用人として雇われることや、さらには一族の者が養子にとることもあったので、むしろ彼の事業は好意をもって見られていた。実際、頭首のジブロにかける信頼は篤い。

 ユイもその「シブロの子ら」の一人であり、生来の丁寧でマメな性格から薬師として育てられ、また神霊への親和性から巫女としても教育が行われていた。教わる知識のほとんどは山の民のものだ。その継承はオオナカ氏が山の民と非常に親しい関係にあったことだけでなく、ジブロ自身が武者修行として彼らに師事していたことも大いに関わっていた。彼はその人脈を生かし、山の知識を野の子らに授ける。ユイはその中でも最高の資質をもつ巫女として期待されていた。

 そんな彼女は明けとともに山の神に祈りを捧げるため山を登る。神霊との結びつきを強める大切な儀式だったが、彼女の頭の中は、村に残してきた妹や弟たちのことで一杯だ。彼女は今年で十歳を迎えようかとしており、年少の子らの世話役を務めていた。


「ああ……、はよう帰りたい」


 祠への山道を歩きながら、彼女はそう愚痴るばかりだ。流石に夜明けとあっては吐く息も白い。茜色の空の下、彼女の黒真珠のような髪が輝いた。都の姫が見れば皮ごと奪い取ろうとしてもおかしくはない、見事な黒髪。目鼻立ちに高貴さはないからこそ、かえって親しみやすい美しさがあった。このような過分な容姿こそ、神霊に愛された証とされたが、本人からすれば見たこともない神霊の存在よりも、幼い弟妹のほうが大事であり、さっさと日々の務めを終わらせたい所存であった。

 ジブロいわく「あれは優しさの度が過ぎ、かえって盲目である」。

 ユイの行きすぎた自己犠牲の精神はあらゆるところで見受けられる。美点も度が過ぎればかえって短所となりうるが、今のところは痛い目に会っていないことが彼女の行いに拍車をかけていた。

 そのような少女が怪しげな風貌とはいえ、ひん死の少女を見かければどうなるか。それはもう、急いで身を翻すやいなや、山を駆け下り年長者たちを連れ出した。見るからに異様な姿の少女を見て、当然のごとく彼らは難色を示したが、幼いとは言え巫女は巫女、しぶしぶながらその言に従った。

 結局担ぎ込まれた少女をジブロが引き取ると決めた。そうなれば誰も異存はない。そもそも皆似た境遇である。出自が分からぬと言って受け入れぬはずもない。ただ、タユラが半妖であるのを知っていたのはユイとジブロなど霊力が特別高い者たちだけに限られた。

 大概の半妖は浮き民だ。ひとところに留まらない。地に足をつける里の民と軋轢があるのは当然のことと。半妖ならばいわんや。一方で里にないものを授けるのもまた浮き民。そして、オオナカの里は浮き民の最たる修験者とも親交をもっていた。

 ジブロが頭首を説得するのに労することはなかったという。山の神の加護を受けし巫女が、祈祷に向かう途中で拾った半妖なれば、これは山の神が導きし縁。これを捨てることなかれ、と。

 そして、タユラには集落の北端の小屋が用意され、七日もの間、ユイはタユラに付きっきりで看病し続けた。それがタユラが目覚めるまでの出来事である。


 川から汲み上げた水を桶に入れて、ユイはタユラのいる小屋に向かう。すぐ近くに小さな滝があるのだ。近くと言っても勾配が急である。ユイは両手で力いっぱい桶を抱えており、危なかしげに足元がふらつく。


「よ、よ、よっと」


 木の根や石に足をとられないように気をつけながら進む。


「おうーい」


 木々の向こう側から声が響く。見上げると、ユイの方へ小走りで向かってくる者がいた。軽やかに坂を下る身のこなしは山に慣れている証拠だ。腰に短い木の杖を剣のように差している。年の頃は12、3才に見える健康そうな男の子であった。近くまでくると彼はユイの手から桶を奪った。


「タジ」


「おう、あぶねえってば。あそこまでもってくぞ」


「ごめん」


「おいおい、謝らせるつもりはないぞ」


「え」


「謝るようなことはしておらんと言っている」


「……ありがとう」


 ユイが微笑んでみせると、タジもニッと笑った。その後は、ユイを放ってまたきた道を駆け上がっていった。桶から水が零れることもなく危なげない様子にユイは苦笑いした。誤魔化すように疲れて強張った手をぷらぷらと振ってから、彼の背を追った。

 ユイが坂を上りきるころには、タジの背は小屋の入り口にあった。なにやら、彼女は彼の肩には緊張が走っているのを感じ取った。怪訝に思い、その背に声をかけた。


「タジ」


 声をかけても反応がない彼を不審に思い、その背から中をのぞき見ようとしたところで、彼に肩をグイッと抑えられた。思わず、多々良を踏むユイであったが、一瞬、小屋の中が見えた。

 鬼がいた。

 金色の瞳が、暗い憎悪を滾らせて、ユイを射抜いたのだ。

 ぞくりと、ユイの背に冷たい怖気が走る。これほどまで深く人が悪意をもつことができると、ユイは知らなかった。


「ユイ、お前は見るな。穢れる」


 ユイに背を向けたまま、タジはそう告げた。人の畏れや祈りの心念が霊糸線を生み出し霊魂にわずかばかりの力を授けるように、人の憎悪の念もまた霊糸線を生み出す。憎悪は魂を穢す。気は流れ止めどなく循環するもの。それが何らかの痼りによって澱むと、たちまち生気を失い、身を崩す。すなわち気枯れである。ただ人ならば一時の影響しかもたないが、神霊の助けがあれば災いをなす。これを呪詛と呼ぶ。

 頬に嫌な汗が流れ落ちるのを感じながら、タジは床から起き上がろうとする少女を凝視した。まさにボロ布のような有様だ。ユイの欠かさぬ献身で、身は清潔になっているとは言えども、片目は潰れたように閉じられていて、髪は干からびた草のようだ。足腰に力が入らないのか、うつ伏せから腕の力で起き上がろうとしているが、それは明らかに難しい。なぜならば少女の片腕は肘から先が失われていたからだ。あまりにも痛々しい姿。だが、それでもタジを睨みつけるその金色の瞳から力が失われることはない。

 流石のタジも、これがただ人ではないくらい理解した。まるで、深い怨みに囚われた死霊が死体を動かしているような、まがまがしい有り様だ。さて、とうしたものか、ここはとにかく親方様に知らせよう。こんな者をユイに世話させる訳にはいかない。とタジが決意したときのこと。


「だめ、傷に障るわ」


 背後からユイがサッと彼の脇をすり抜けて小屋に入っていった。

 タジは思わず息を詰まらせる。彼女を引き留めようと手を伸ばした。だが、それよりも早く、あの金色の少女が差し伸べられたユイの手を力いっぱい振り払っていた。

 パシりと、気の抜けたような渇いた音がして、ユイは手を打たれた。そせて無様にも、金色の少女は腕を振り回して倒れてしまう。床に顎を打ちつけ、声もなく呻いた。

 先ほどまでの鬼気迫る緊張が嘘であったかのようだ。どうすればいいのか、戸惑っているユイにタジは歩み寄る。そして、再び何とか立ち上がろうともがき始めた金色の少女に手をかけて藁葺きの寝台に無理やり押し戻した。当然のように、少女は抵抗したが、やはり声は出ていない。力もまたない。


「少し落ち着け。こちらがせっかく看病しているというのに、自ら傷を増やすようなまねをしてくれるな」


 タジは少女の目を見て言った。少女は何事か喘いでいるが、タジにはまるで分からない。すると、ユイが彼の腕を引いた。


「触るな、と言っているみたい」


「……それはすまなかった」


 タジは少女から手を離した。彼女はタジを睨みつけたまま、息を荒くしていたが、暴れることはなくなった。しばらくして、彼女が落ちついた頃を見計らってユイは声をかけた。


「……驚かせてすみません。私の名前はユイと言います。こちらはタジ。私たちはオオナカの里の者です」


 ユイは少女の反応を静かに見守った。片方だけの目に理解の色が浮かんでいる。ちゃんと言葉は通じるようであった。


「何日か前に、山であなたが倒れているのを見かけて、里の者たちでここへ運びこんで治療していました」


 そこまで話してユイはまた口を噤んだ。少女はというと、眉をひそめて思い悩む仕草を見せた。そうしていると、髪や目の色を除いて年相応の少女に見える。今までは少女の異様さばかりに目が取られていたが、彼女が尋常ではなく美しいことに、改めて気がつかされた。御伽噺で聞く天女を思わせる美しさだ。

 少女はタジが聞き取れないような小さなかすれ声でぼそぼそと何事か呟いた。ユイは彼女の口元に耳を寄せてそれを聞き取ろうとした。ほんのわずかな言葉であったが、それを聞いてユイは何やら苦笑いを顔に浮かべてから、隣に座るタジに申し訳なさそうな声色で言った。


「男の人が近くにいるのが嫌だって」


 タジが少女に目を向けると、相変わらず警戒した様子でこちらを見ていた。それに対して彼は盛大に嘆息して見せてから、立ち上がって言った。


「……ユイ。俺は長に知らせて来る。それと、そこのお前。俺のことを警戒なり不信に思うのは勝手にしていろ。だが、ユイに危害を加えるのは決して許さねえ」


 この少女が何か仕出かすほどの力を今は持たないことは確かであるから、言うほどタジは心配していない。ユイの非難するかような視線を黙殺してタジは続けて言う。


「うちの里は豊かだ。病人に何も見返りを求めやしねえ。強いて言えば、大人しく養生していろと言うことだ。じゃあな」

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