405 林家
救急車やパトカーのサイレンが、まだ少し聞こえている。
「ただいま、大変、大変!」
息せき切って利美が帰ってくると、咲子の部屋から「ふあーっ」とあくびをしながら嘉男が出てきた。
「なんだ、なんだ?やけに騒々しかったみたいだけど。咲子にお話ししていたら、眠くなっちゃてさ」
「のんきねえ、それどころじゃなくって」
「お母さん、お帰りなさあい、お父さんのお話聞いていたら、眠くなっちゃってさ、ふあーっ」と咲子もあくびをしながら出てきた。
「だからあ、もう二人とも聞いてよ!」
「はいはい」「はあい」と二人はダイニングテーブルの椅子に腰を降ろした。
「川合さんの奥さんが襲われたんですって。救急車で運ばれていったのよ」
「どこで?誰に?」と嘉男は聞く。
「部屋よ、このマンションの中でよ」
「強盗か何かなのか?」
「さあ、そこまでは分からないわ」
「おばさんどうなっちゃったの?」
「意識不明だそうだけど、命に別条は無いみたいなの。ご主人、相当うろたえていたらしいわ。『町子!町子!』って」
「あのおじさん、普段はかなりエバッてるけどね。『町子!早くしなさい町子!』かなんか言っちゃって、スタスタ先に行っちゃうの」
「そうなのかあ?」
「そうね。そういうところあるわね」
「ふううん、あってことは、第一発見者は、ご主人ということか?」
「そうそう、帰ってきたご主人が、リビングに倒れているのを見つけて」
「ただの発作とかじゃなくて?」
「それが、部屋が散らかっていて、争ったような跡があったんですって」
「おばさん鍵かけてなかったのかなあ?」
「そんなはずないと思うわ。あのうるさいご主人がいるんだから」
「じゃあ今はやりの、ピッキングか?うちも鍵変えないと、ついでに2つにしようか?」
「だけど、ピッキングって、留守を狙うんじゃなくて?」
「ピッキングってなあに?」
「なんか簡単に鍵開けられるらしいの」
「それともストーカーかな?ちょっと顔見知りで鍵開けちゃったとか。あの奥さんなかなか美人だし、ちょっと色っぽいし」
「お父さん、そういうのセクハラ発言じゃない?」
「そうよ、でもストーカーねえ…」
「まあなんだな、要するに今のところ、すべて憶測に過ぎないということか」
「なによ、あなたが色々言い出しておいて」
「でもさあ、どっちにしても簡単に入ってきちゃうんだよね。怖いね」
「怖いわあ、早く犯人が捕まるといいけど」
「そうだね。まだこの辺をうろついているかもしれないし」
「だから、あなたはどうしてわざわざ、人を怖がらせるようなこと言うのよ」
「うーん、でもそれはお父さんの仕事柄、しょうがないんじゃない?」
「そんなの関係ないわよ。それにあれは子供向けじゃないの」
「あっそんなこと言って、この間の話は君もちょっと怖いって言っていたじゃないか」
「私、さっきも夢で見ちゃった。でももう怖くなかった」
「もうそろそろ妖怪シリーズはやめにして、もっとロマンティックなの書いてよ。私はメルヘンがいいわ、メルヘン」
「メルヘンねえ…」
林嘉男は、童話作家だった。今は連載で子供向けにちょっと怖い話、妖怪シリーズを書いている。
「そうだ、そうそう、今度はどんな妖怪?」
「なんかようかい」
「キャハハハハハ、なにそれおかしい!」
「まったく本気でやっているのかしら。私はご飯の支度するから、あなた達、洗濯物取り込んで…」
「たたんで、たったので、しまってよう」と歌いながら咲子と嘉男はベランダに向かう。
「お父さん、それで、どんな奴なの?その妖怪?」
「インド料理のナンをね、大っきくした様な奴がね、扉の陰から…」
「ウフフフフ…」
「今日はカレーで、ナンも用意しているのに、食べたくなくなるじゃない、まったく」
利美はキッチンでため息をついた。




