第四話 嫌われ者の心
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それから一週間が過ぎた。仕事は初めは戸惑いもあったものの、慣れてくれば大した事はない。心配していた苦情等も今のところはなく、全て順調だった。
あれ以来、離れには一度も足を運んでいない。食事を運ぶのは全て先生の担当になっていた。本来なら事務を担当する浅見の役目だったが、先日の一件以来、先生は忙しくても一度も浅見に運ばせようとはしなかった。
(まぁ……俺も行きたくないからいいけどさ……)
浅見がそんな事を考えながら受付の椅子に腰かけていると、待合室にいた二人の主婦の話し声が聞こえてきた。
「ねぇ聞いた?例のあの子、まだこの病院にいるんですって」
「本当に? やぁねぇ……」
「もう今年で三年目でしょう? やっぱり悪い病気なんでしょうね」
「移ったらどうするのかしら? 早く出てってくれないかねぇ……」
あの子、というのは恐らく離れにいる少女の事だろう。彼女がもう二年もこの病院にいるという事も驚きだったが、それ以上に浅見は二人の物言いが気に入らなかった。
「おい」
浅見は席を立つと、先程会話をしていた二人のもとへと歩み寄った。
「そういう言い方はないんじゃないの?」
浅見が威圧的に二人に詰め寄る。
突然食ってかかった浅見に二人は少し驚いたようだったが、すぐに気を取り直したように反論を始めた。
「あなたこの病院に勤めてるんでしょ? あなたこそ、その態度はないんじゃない?」
「病院の事務員としてではなく、一人の人間として注意してんだよ」
「偉そうに……もし移ったらあなたが責任とってくれるわけ?」
「移るような病気なら先生が先に言うだろ。言わねぇって事は、そういう病気じゃないって事だ」
「だったら、なんであんな風に隔離してるの?」
「あんたらみたいな奴らの言葉を聞かれないようにするためじゃないか?」
浅見の返す言葉に、二人が言葉を詰まらせる。
浅見はさらに言葉を続けた。
「あいつだって好きで病気になったわけじゃないだろ? なのに、そんな言い方……」
そこまで言って、浅見はある事に気が付いた。
「……そっか……」
浅見がぽつりと呟く。突然の事に、二人はわけもわからず呆然と浅見を見つめて
いた。
「先生!」
昼休み、いつもの通りに運ばれてきた昼食を受け取って離れに向かう途中の先生を浅見が呼び止めた。
「ん?」
「それ、俺に運ばせてもらえませんか?」
その申し出に、先生は意外そうに少し目を見開いた。
「どうしたんだい?」
「お願いします!」
そう言って、浅見が頭を下げる。
先生はその様子をじっと見つめていたが、やがて昼食の乗ったトレーを浅見に差し出した。
「それじゃ、お願いするよ」
「ありがとうございます」
浅見は礼を言ってトレーを受け取ると、急いで離れに向かった。
離れにある病室の前に着いた浅見は、一つ大きく深呼吸をした。
この前の事あるし、向こうも快く受け入れてはくれないだろう。それでも、これだけは言っておかねばならない。浅見は意を決して扉をノックした。
「……どうぞ……」
以前と全く同じ返答が返ってくる。
「失礼しま〜す」
浅見も以前と同じ返答をして、扉を開いた。
浅見の姿を見た少女は驚いたように目を見開いたが、すぐに、きっ、と浅見を睨みつけた。
「何か用?」
少女がきつい口調で尋ねる。
浅見は両手のトレーを小さく掲げた。
「昼食」
「それを置いたらさっさと出てって」
吐き捨てるようにそう言って、そっぽを向いてしまう。その仕草に、浅見は思わず小さな笑いを漏らした。
少女がさらにきつい視線を浅見に向ける。
浅見は慌てて顔を引き締めた。
「あのさ、今日は俺にやらせてくれねぇかな? 食べさせるの」
「嫌」
「頼むよ」
「絶対嫌」
取り付く島もない。浅見は大きくため息をつくと少女の横に歩み寄り、地面に両膝をつく。
「お願いします!」
そして、深々と頭を下げてそう言った。
「ちょっ……ちょっと……」
突然の浅見の行動に、少女が困惑の表情を浮かべる。
だが、浅見は両手を合わせてさらに頼み込んだ。
「お願いします! この通り!」
浅見の行動に、少女は相変わらず困惑した表情を浮かべていたが、やがて小さく呟いた。
「好きにしたら……」
「本当か!? サンキュー!」
その言葉を聞いた浅見が子供のように無邪気な笑顔を見せる。
その様子に、少女はますます困惑した。
「……なんで、急に?」
少女が静かに尋ねる。
浅見は昼食の乗ったトレーを自分の方に引き寄せながら答えた。
「お前に、ちゃんと謝らなきゃいけないと思ってさ。この間、ごめんな」
「…………」
「俺さ、人に見下されるのが嫌いなんだ。学校卒業してからバイトしたり会社に勤めたりしたけど、全部ダメだった。上司とか先輩とか、ちょっと早く入ったからって偉そうにしやがってさ。俺より仕事が出来るわけでもないのに、やたらと指図ばっかする。だから、全部辞めてやった」
浅見はそう言うと、少女の方に顔を向けた。
「お前、この前言ったよな。俺が嫌われ者だって」
「えぇ……」
「お前の言う通り、俺は嫌われ者だ。俺の親は資産家でな、俺自身もそうだ。だからだと思ってた。皆に嫌われるのは。でも、そうじゃなかったんだよな。初めてお前に会った時、俺、お前を見下してた。好きで病気になったわけじゃないのに、健常者だからってお前の事を見下して話してた。……多分、今までも同じだったんだ。他の奴らより俺の方が優れてるって、どこか周りの人達を見下してたのかもしれない。俺が一番嫌いな事を、俺は無意識のうちに他人にしてたんだ。嫌われて当然だよな」
浅見が自嘲気味な笑みを浮かべる。
少女は浅見の言葉を何も言わずに静かに聞いていた。
「今更虫がいいとは思うけど、俺、暫くこの病院にいるつもりだからさ……なるべくならお前とも仲良くしたいなって思って……。本当に悪かった! 許してください!」
浅見が再度、ぱん、と両手を合わせる。
少女はしばらくじっと浅見を見つめた後、ぽつりと言った。
「呼び方……」
「え?」
「お前って呼び方やめて。失礼でしょ」
「あ、あぁ……。えっと……」
「青井若葉。ちゃんと覚えておきなさいよ」
その言葉に、浅見はぱっと顔を輝かせた。
「あぁ! よろしくな、若葉!」
「……やっぱり、失礼な奴」
若葉はぼそりとそう呟くと、小さくため息を漏らしたのだった。




