第二話 三岳先生
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翌日、浅見は昼過ぎになって家を出た。取り合えず生活に必要な物を揃えなければならない。事前の下調べで駅前に商店街がある事は分かっていたので、早速そこへ向かった。
駅前の商店街は、予想と違って人が少なかった。時刻は午後一時。普通なら買い物時な気がするが、客はまばらだ。もっとも、人混みが嫌いな浅見にとっては逆に好都合だった。
取り合えず寝具を購入すべく家具屋を探していると、布団屋と書かれた看板を発見した。
(布団屋なんて、まだ存在したのか……)
漫画でしか見ないような名前の店にまるで一昔前にタイムスリップしたような感覚を覚えながらも、浅見は店の中に足を踏み入れた。
浅見が布団屋から出てきたのは、それから一時間以上経ってからだった。どの布団にするか迷ったわけではない。というより、五分も経たない内に決まっていた。問題なのは、それを店主のお婆さんに伝えた時だ。
見ない顔だ、何処から来たのかと尋ねられ、その後も永遠と質問攻め。初めのうちは早く帰らせてくれと頼んだのだが、途中から無駄だと悟り、満足いくまで質問に答える事にした。もっとも、まさか一時間かかるとは思っていなかったが。
家具を揃える為に更に商店街を回る。一時間かかる事はなかったが、どの店でも必ず名前と年齢と出身を尋ねられた。こんな事なら名刺でも作っておいた方がよかったからもしれない。
さらに奇妙なのは、道行く人々が皆挨拶してくるところだ。見知らぬ人に次々と挨拶されるの
は、正直気持ち悪い。無視するのも悪いので仕方なく挨拶を返すが、買い物が終わる頃にはどっと疲れがたまっていた。
元々、人との関わり合いを避けるために田舎に越して来たのだが、これでは全く逆効果だ。
(やっぱり失敗だったかも……)
引っ越し二日目にして早くも後悔の念を抱きながら、浅見は今日最後の目的地に向かっていた。
商店街から少し離れた場所にある、まるでプレハブのような小さな木造の建物。正面の扉には『三岳診療所』と書かれた札がかけられている。
「ここ……だよな?」
建物の前で佇みながら、浅見はぽつりと呟いた。病院というからもう少し大きな建物を想像していたのだが、今の自分の家より少し大きいくらいだ。
(こんなんでちゃんと治療出来るのか……?)
浅見は少し不安に思いながらも、扉を開けて中へと入る。だが、予想に反して建物内はとても清潔だった。床には埃一つ見付からないし、本棚や薬品棚もきちんと整理されている。どうやら心配する必要はなさそうだった。
「…すいませ〜ん」
浅見はしばらく入り口で人が来るのを待っていたが、人の気配を感じないため仕方なく呼び掛ける。暫くすると、奥から足音が近付いてきた。
「お待たせしました。お? 見ない顔だね?」
奥の部屋からやって来たのは、まだ三十代半ばくらいと思われる男性だった。白衣を着ている事から察するに、この人がこの診療所の医者なのだろう。
「昨日ここに引っ越して来ました浅見健吾です。三岳先生ですか?」
「はい。三岳耕太といいます。何かお困りの事がありましたら遠慮なくどうぞ」
三岳先生は屈託のない少年のような笑みを浮かべながらにこやかにそう言った。
「それで、今日はどうしました?」
「実は事務員を一人募集していると聞いてきたのですが……」
「ああ、そうでしたか。では、こちらにどうぞ」
先生はそう言って浅見を中へと案内した。
「まぁ、座ってください」
浅見は先生に勧められるまま腰を下ろすと、鞄の中から一枚の紙を取りだした。
「先生、取りあえずこれを」
「なんです? これは」
先生は差し出された紙を不思議そうに見つめる。
「履歴書……」
「ああ。いりませんよ、そんなの」
「え?」
「そんな紙切れ一枚で何がわかるっていうんですか。採用するかどうかは面接で決めます」
先生はそう言うと受け取った履歴書を机の上にぽいっと放り投げた。
「では、自己紹介からどうぞ」
「…………」
結局自己紹介をさせるなら履歴書を見た方が早いのではないか。浅見は不満に思いながらもうなずいた。
「浅見健吾です。歳は25。学歴は……」
「ああ、いいですよ。名前と年齢だけで」
細かく履歴書の内容を説明しようとした浅見の言葉を遮って、先生が言った。
「25でこんなところに引っ越して来るなんて、何か理由があるんですか?」
「……その質問は採用するかどうかに関係あるんでしょうか?」
「いいえ。ただの好奇心です」
浅見は不満気な声で尋ねたが、先生は大して気にした様子もなくそう答えた。
「話さなければいけませんか?」
「いいえ、話したくなければ話さなくて結構です」
だったら聞くな、と内心思いながらも浅見は続けた。
「その話はまた機会があれば」
「わかりました。では、もう一つ質問です」
「はい」
「あなたはこの町が好きですか?」
「は?」
予想外の質問に、浅見は思わず聞き返した。
「この青葉町が好きですか?」
これまた採用とは全く無関係な質問。だが、先生の表情は真剣そのものだった。
浅見は昨日、今日と町で過ごした時間を思い返す。全ての店は夕方に閉まり、コンビニすら見当たらない。付近に駅はなく、最寄駅までバスで一時間。その不便さは想像を絶するものがあった。しかも、町の人間はおしゃべり好きなうえにおせっかい。この町の実際の姿は、自分が想像していたものとはかけ離れていた。
だが、今すぐ帰りたいかと聞かれれば、そうとも思えなかった。この町に漂う空気は、どこか都会と違う。その違いが何なのかはっきりとはわからないが、何かが違うという事だけははっきりわかる。だからこそ、浅見はこう答えた。
「嫌いじゃ……ないです」
「そうですか」
その答えに、先生は満足そうに笑みを浮かべた。
「では、早速明日からお願いできますか?」
「え?」
「無理ならいつ頃から出来るか教えて頂きたいんですが?」
「待ってください、それはつまり採用って事ですか?」
「はい」
驚きの声を上げる浅見とは対照的に、先生はにこやかに答える。
「学歴も職歴も聞いてないし、志望動機や適正も……」
「病院に勤めた経験があるわけではないんでしょう?」
「それはないですけど……」
「だったら、どんな仕事をしていたとしても同じです。一からのスタートですから。問題なのは、この町で生き、この町で暮らしている人達を好きになれるかどうか。それがわかれば十分です」
「俺にそれが出来ると?」
「はい。私はそう思います」
何の疑いもない笑顔で先生が答える。その笑顔には、なんとなく逆らえないような不思議な力があった。
「……よろしく、お願いします」
こうして、浅見は三岳診療所の事務員として採用される事となった。




