第五話
当然彼女には何が起こったのか全く分からない。
「……おまえ、何をした?」
男は面倒そうに問いに答えた。
「自分でもわかるだろ」
「烙印を消した?」
「正確には無効化、いや上書きだな。烙印自体を消したわけじゃない。現にお前の体にはまだ烙印が残っているだろ?」
男を警戒しつつもシャツの襟から自分の胸を見てみる。そこには確かに焼印が捺されていた。しかし微妙に形が変わっている気がする。
「それはただの焼印じゃない。魔方陣や紋章技術、陣を複雑に絡ませて作られている。焼印という形式で刻む呪印だ」
かなり昔から存在しているモノとは思えない複雑さだ、と男は続けた。
「単純に別の焼印を捺して上書きするとかは無理だな。上から見えなくなっても効果を発揮し続ける。まあ皮膚を剥がしゃあ話は別だが」
所々発音がおかしかった。
「そんなモノをあんなに簡単に無効化するなんて、本当に何者なんだ?」
彼女の目に映る不審の色はさらに濃くなった。
「そしてなんであたしの烙印を無効化?した。わざわざ金まで払って買ったっていうのに」
いまひとつ男の言っていることの意味は分からなかったが、男が只者ではないことは理解できた。
「それがお前を買った理由だからだ」
男は少し嬉しそうだった。ローブの下から水筒を取り出し、喉を潤わせ、続けた。
「お前を買った理由。その一つは奴隷の烙印に興味があったからだ。俺は魔術師でな、特に紋章系の技術に興味がある。安価で買えるお前は渡りに船だった」
そして、と男は続ける。
「次に道案内が欲しかった。この辺りに来るのは初めてで勝手がわからないものでな」
飲むか?と水筒を示したが無視した。
「最後に……弟子兼助手が欲しかったのだ」
「はっ?」
思わず声が漏れる。この男が魔術師なのは間違いない。途中までの理由も、まあ納得できる。しかし最後のは解せなかった。
魔術師というのは自分の知識を簡単には他人に教えない、はずだ。まともな世界に住んでいない自分でも知っている。そして魔術師が唯一知識を伝える相手が弟子であるはず。詳しくは知らないが弟子を選ぶときはかなり慎重になるはずなのだ。だというのに自分のような出会って間もない、それも奴隷を弟子に選ぶとは。
混乱しているのが分かったのだろう。男は僅かに口を歪めた。
「気持ちは分かる。ふつうは信じられない。だが話は最後まで聞くもんだ。確かに弟子が欲しいとは言ったがするとは言ってはいない。その前にビジネスの話だ」
男は水筒を弄びながら言う。
「烙印の効果がなくなった今、お前を縛るものはない。だがお前一人で生きていくのは難しいはずだ。そこで提案なんだが俺に雇われないか?」
意味がよく分からない。
「あたしはおまえの奴隷だった。それを一旦自由にしてまた雇うの?」
「まあそうだ。俺が求めているのは一方的な関係ではない。それでは何かと不便なものがある。それに弟子にする分にはよくない」
男の言い分はいまひとつ得心がいかない。が、確かに男の言うとおり自分一人で生きていくのは厳しい。いつまた奴隷にされるかもわからない。ならこの男について行ったほうが良いのではないだろうか。少なくとも烙印はない。
「なにすればいいの?」
「基本は道案内や食事の用意、それぐらいか。給料は……飯代と生活費、あと文字を教えよう。あとは追々決めるってことでどうだ?」
本来はただ働きなのだから報酬にはあまり期待していない。
「わかった」
頷く。悪い話ではないはずだ。