第一話
薄暗く風通しの悪い、所謂裏通りというところにその男はいた。
厚手の茶色のローブを纏い、フードを目深に被っているので素顔はわからない。僅かに覗く口元にはおよそ手入れというものがなされていない黒い、無精髭。黄色っぽい肌は油ぎっている。
身長は平均身長が180cm近いのに対して170ない程度。
大きな荷物とその服装から行商人か旅人でもおかしくないが、全体的に胡散臭い雰囲気が漂っている。この場所にはそのほうが馴染みやすいが。ここにいるモノたちは同じような風貌をしているのだから。
この通りの住人はそのやたらと鋭い、異様な光を湛えた眼で『表』から迷い込んできた獲物を捉え、骨の髄まで搾り取る。その獲物は冒険を始めたばかりの素人から進んでここまで来る馬鹿、女子供だ。もちろん相手が裕福そうなら最上級の獲物。腕っ節が強そうな相手でもいくらでもやりようはある。
が、この男にはそのようなことはしない。その雰囲気が、自分たちと同じだと告げている。それにその僅かに晒されている黄色い肌と黒い髭が危険度を上げる。黒い体毛だけならまだしも黄色い肌。これは鬼人の証だ。いくら小柄だからといって彼らに喧嘩を売ったらただではすまない。裏の住人たちに必要なのは相手を見抜くことなのだ。
「……どこだ、ここは」
男は思わず呟いた。ここしばらく一人で居続けたのだから独り言が多くなってしまっていた。
フードの端を少し持ち上げながら辺りを見回すが全くわからない。無駄に入り組んだ、清潔感に乏しい通りだ。もっとも、男もそんなものとはとっくに無縁だったが。
周囲に屯しているガラの悪い連中も男とは視線を合わせようとしない。誰かにここはどこか尋ねたかったが声をかけようとすると皆逃げてしまう。原因に心当たりはあるがまさか顔全体を隠すわけにもいくまい。むしろ恐ろしいだろう。
せめて案内人を雇えば良かった、と男がまた独り言を漏らしたとき、背後からどなり声と体重の軽い足音が聞こえてきた。
咄嗟に振り向くと、襤褸を体に巻きつけた白い頭の少年が一人と痩せた男が走ってきた。少年の手首に切れた鎖が巻きついているから彼は奴隷で、追いかけている男は奴隷商なのだろう。
少年は必死に逃げているが顎が上がっている。限界だろう。到底逃げ切れるとは思えない。奴隷商も似たようなものだがまだましだ。
そんなことをぼんやりと考えていると、二人は男のすぐ前にいた。
「っど、いて」
息も絶え絶えに少年は言うが、無視して取り押さえる。少年は必死に暴れるが、骨と皮だけなのではと思えるほど細い腕では到底逃れられない。そうでなくとも腕の関節を極めて抑え込んでいるのだから無理だろうが。
「あんた、助かったぜ」
追いついた奴隷商はしばらく肩で息をしていたが落ち着くと男の肌を見てぎょっとしたがすぐ礼を言った。
男は無言で少年を引き渡す。
「このガキ、手間掛けさせやがって」
奴隷商が少年を殴ろうとしたが
「少し待て」
男に振りかぶった腕を掴まれた。低い、少しかすれた声。
「な、なんですかい」
「お前、奴隷商で合ってるか?」
「そうですが……」
ならちょうどいい、と男は言い、奴隷商に腕を掴まれぐったりした少年を見た。
「そいつは奴隷だろう?買いたい。いくらだ」
奴隷商は目を見開いた。
「そいつは構いやせんが。いいんですかい?」
「何がだ」
奴隷商は少年を見下ろした。その眼には明らかに蔑みがあった。
「こいつはダークエルフ、それも女ですよ?」
言われ、男はその少年、もとい少女を見た。
老人のように白い髪は伸びきって汚れている。しかしそこからは浅黒く尖った耳が覗いていた。顔は隠れて見えないが布切れから覗く手足も浅黒い。きっと瞳は赤いのだろう。確かにダークエルフだ。細すぎて男か女かはわからないが。
「問題ない。むしろ安くなるだろう?」
「ええ、まあ」
奴隷商の男を見る目にも軽蔑が宿った。ダークエルフに欲情するのは下種の中の下種とされる。
「で、いくらだ」
しかし奴隷商如きにどう思われようが気にしない男は特に弁解もせず話を進めた。
「銀貨二枚でかまいやせん」
奴隷の相場など知らないが、安価な方だろう。
ダークエルフは亜人の一種だがその体の色からただでさえ激しい亜人への差別の中でも特に酷い差別を受ける。しかも男ならまだしも女では力仕事もできない。ダークエルフは男でも器用なのでそれがさらに拙さに拍車をかける。他にもいろいろと理由はあるのだがダークエルフの女は、愛奴としての需要も低いため、奴隷としての価値は低い。もっとも、物好きな者はどこにでもいるもので、相手によっては高く売れるのだが。
「わかった」
男は財布を取り出した。