第五幕 ～再び容疑者～
目覚めたら、そこは死体が転がっていた。
一瞬どこにいるのか思い出せなかった。
どろりとしたものが手についている。
血だ！！ 一樹はようやく昨日のことを
思いだした。電話がかかってきて、
慌てて弥生和彦のところへ行ったら、
彼はすでに死んでいて、しかも一樹は
何者かに頭を殴られて昏倒したのだ。
「ちくしょう……誰が……」
「きゃあああああっ！！」
そう呟いた時だった。いきなり
部屋に入ってきた人物が悲鳴を上げたのだ。
そこにいたのは、睦咲莉子で
あった。何故彼女がここにいるのかは分からない。
だが、彼女の顔には失望と恐怖の色が混じっていた。
「ひ、人殺し！！ 人殺しいいいいいっ！！」
「お、俺は、殺してない！！」
「じゃあ、それは何なのよ！！ 殺してないなら、
どうしてそんなものを持ってるのよ！！」
一樹は手元を見てギョッとなった。
彼が手に握っていたのは、柄の部分まで血に染まったナイフ
だったのだ。あまりに軽すぎて気がつかなかった。
頭が混乱していて気付かなかったのだ。
「どうしたんですか、睦咲さん！？」
そこに渚竜也が帰ってきた。その顔が驚愕に見開かれ、
同時に悲しげな顔になる。
一樹はどうしたらいいいかまったくわからなかった。
自分は殺してなどいない。だが、どう説明したものか
分からない。誰が、信じるのだろうか。
呼び出されて彼の部屋に行ったら、すでに
彼が死んでいて、しかも殴られて昏倒し、
目覚めたらナイフを手にしていたなどと。
「嘘だ！！ 一樹が人を殺す訳ない！！」
「だって私見たのよ！！ 彼が、死体の前で
血に染まったナイフを構えていたのを！！」
食堂で斎藤千鶴と莉子が言い争っていた。
一樹はうただれた様子で一言も口を利かない。
その様子を、八乙女瑠美奈が
悲しそうに見ていた。
北原大地は今ここにはいない。
崎原葉月の手伝いとして厨房にいるのだ。
「一樹、何か言ってよ！！ やってないんでしょっ！！」
千鶴の視線が一樹を向いた。
一樹は何も言えずに口を動かすだけだ。
さらに莉子の視線が厳しくなり、
千鶴の目はもはや涙目になっていた。
「一樹ってば！！ ちゃんと弁明してよ！！」
「ほら、やっぱり犯人なんでしょう！？
桃香ちゃんだってあなたが殺したのね。
心配して損したわ！！」
金切り声をあげると、莉子はそのまま
部屋に戻ってしまった。
そこに、大地と葉月がやってくる。
葉月は何も言わなかったが、莉子と同じことを
思っているのが見え見えな視線だった。
一樹は悲しげな顔をしながらも何も言えない。
さらに千鶴の機嫌は悪くなり、瑠美奈の目は潤み、
大地は訳が分からないという顔だった。
すっかり頭に血を上らせた千鶴から事情を聞き、
不満そうに一樹を見てくる。
一樹はお前らに何が分かる、と責めたいのを
必死でこらえていた。せきを切れば、かなりひどいことを
言ってしまうかもしれない。
それは八つ当たりだ。決してやっていいことではない。
葉月はパン、スープ、野菜サラダ、デザートのティラミスを
彼らの前に置くと、一樹の顔を見るのも嫌だとばかりに
盆を持って自室に行ってしまった。
竜也は食堂にさえも来ていない。ショックだったのだろう。
一樹は黙って食事をした。普段ならそれはとてもおいしい
ものだったのだろうが、まったく味がしない感じがした。
それは千鶴たちも同じようだった。
誰も口を利かず、重苦しい空気がその場に流れる。
時間をかけて食べた後、すっかり冷めきった紅茶を
口にすると、一樹は少し頭が冷えた。
「俺は殺してなんてないんだ……莉子さんにも
言ったけど、彼女は信じてくれなかった」
「だからって何も言い返さなくていいの！？」
ケンカ腰な千鶴はテーブルをかなりつよく叩き、
隣にいた瑠美奈が怯えたように肩をすくめた。
一樹の睨むような瞳が彼女を射ぬく。
冷えた頭に再び血が上った。
「千鶴に何が分かるって言うんだ！！
やっていないのに、やったって言われるやつの
気持ちが分かるのかよ！！ 何が分かるって言うんだよ」
一樹は言い切ると、きびすを返して部屋に戻ろうとした。
大地が追ってこようとしたけれど、一人にしてくれとはねつけた。
瑠美奈と千鶴の泣きそうな顔から目をそらし、一樹は部屋に鍵を
かけて閉じこもった。どうしてこんなことになったのだろう。
毎日後悔していることを心中で口にした。
何故桃香は殺されてしまったのだろう。
何故自分は何者かから罪をかぶせられているのだろう。
スケープゴート。身代わりの羊。今の自分はまさにその状況だった。
疑問はあとからあとから湧いていて来る。
千鶴たちは信じてくれているけれど、いつ自分を疑い出すか分からない。
事実、かばってくれていた莉子や葉月さえも自分を疑い出した。
嫌な感情が次々と頭に浮かんでは消えていく。
「桃香、俺はどうしたらいいんだ？ 教えてくれよ、桃香……」
彼女の笑顔を思い浮かべた一樹は泣きながらそう言った。
また、あの日々が始まる。明日にはあの警察も帰ってくるだろう。
また、あの地獄のような、尋問が始まるのだ。
「どうしたらいいんだよ……」
恋人を失った哀れな少年は暗闇ですすり泣くのだったーー。
一樹はひどく悩みます。
罪をかぶせられ、事実を話しても
仲間以外はまったく聞いてくれません。
次回もよろしくお願いします。
