第十幕 ~釈然としない想い~
「私じゃありません!!」
悲しげな悲鳴は、一樹の中で痛みとなって
残っていた。莉子が死んでいた時、そばに
いたのは彼女だけ、そして、床に書かれていた
『ハチノツキ』という文字にあてはまるのは
葉月だけだったのだった。
どうしてだか、一樹には何か違うような
気がしていた。この事件の犯人は、葉月ではないような
気がしてならない。理由は分からないのだけれど。
「葉月さん!! 待って!! そっちは危ないよ!!」
瑠美奈の叫ぶ声が聞こえてくる。
しかし、葉月は決して足を止めることはなかった。
「来ないで!!」
「葉月さん!!」
古びた橋がぎしりと音を立てた。
瑠美奈の顔がさらに青ざめ、一樹も動きを止める。
だが、葉月はせっぱつまった表情のおかげで
自分が今いる場所にさえ気づいていないように思えた。
瑠美奈が一歩さらに近づこうとした。
葉月は怯えたようにさらに下がっていく。
「葉月さん、落ち着いてくれ。俺たちは、
あなたが犯人だなんて疑ってない」
「そ、そうです!! 疑っているなら、
あなたを追いかけてなんて来ませんでした!!」
二人の必死な呼びかけにさえ、葉月は答えなかった。
さらに後ずさろうとする。
「あっ!?」
「「葉月さん!!」」
プツッと言う音がやけにうるさく響いた。
次々とかけ橋の糸が分断され、ぐらぐらと葉月が
いる足場、橋がさらにおおきくかしいだ。
「葉月さん、手を伸ばして!!」
「瑠美奈ちゃんやめるんだ!! 君まで落ちる!!」
「離して!! 葉月さん!!」
瑠美奈が彼女を助けようと身を乗り出した。
慌てて一樹が瑠美奈を後ろからはがいじめにする。
瑠美奈は暴れたが一樹の力にはかなわなかった。
足場が崩落する。落ちて行く寸前、眼鏡がはずれ、
彼女の素顔が見えた。
子供のように頼りない黒の瞳が一樹を見た。
一樹にはどうすることもできず、ただ落ちて行く
彼女を見つめることしかできなかった。
瑠美奈の泣き声が聞こえたけれど、今の一樹には
慰めることも彼女を離すこともできなかったーー。
千鶴達のもとに帰った一樹達が知らされたのは、
葉月の遺書が見つかったという事実だった。
瑠美奈は泣き腫らした目で、睨むように
大五郎を睨みつけて反論した。
「葉月さんが自殺だったって言うの!?
私と一樹さんは、彼女の言葉を聞いたのよ!!」
しかし、大五郎は表情も変えずに瑠美奈に
それを差し出した。一樹、千鶴、大地、竜也も見る。
そこには女性の筆跡で遺書が書かれていた。
筆にはなれていなかったのだろうか、
それとも慌てて書いたからだろうか、
はじの方に墨が垂れ落ちた後がある。
その内容は、こうだった。
『私は莉子様をずっと憎んでいました。
彼女が、私とだんなさまの関係を
疑ったからではありません。
今はきつい態度を取ることもありましたが、
幼い頃はそれはそれは私を自分の姉の
ように慕ってくれたものです。
睦咲のだんなさまが私にしたことは、
たとえ娘である莉子様に優しくされた
ことがあってさえも許せることではなかったのです。
睦咲のだんなさまは、私の両親を殺しました。
事故だった、と言えばそうなのかも知れません。
ですが、彼はその事実をもみ消すために
ひき逃げをしたのです。
彼が出頭すれば両親は助かったかもしれません。
ただ、自分の立場を守りたいがだけに彼は
私の両親を殺したのです。
彼はその両親に娘がいることを突き止めると、
私を引き取ってメイドにし、多額のお金を渡しました。
それは、口止め料のつもりだったのでしょう。
ですが、私の怒りが、恨みがそれで消えるわけはありません。
私は表面上はにこやかに彼に接しましたが、内面では
怒りが燃え上がっていました。
そして、私は復讐を実行に移したのです。
彼を殺さず、彼の一人娘を殺すことが私の最大の復讐でした。
弥生和彦と神無月桃香を殺したのは、カムフラージュのためです。
私に弥生和彦と神無月桃香との接点は一つもない。
彼女たちを殺すことで、私は莉子様に自分が殺されるという
警戒心を取りはらったのです。
一樹さんに罪をなすりつけたのは、幸せそうだった彼が
憎らしかったからです。最後に、瑠美奈や彼も道連れに
してやりたかったのですが、失敗しました。
私は、私の死をもってこの事件を終わらせます。 葉月』
瑠美奈はさらに涙をこぼしながらそれを読み終えた。
千鶴たちも何とも言えない顔で立ち尽くしている。
だが、一樹だけは違った。
彼は、釈然としない思いが胸に渦巻くのを感じていた。
演技で、あんな必死な顔ができるのだろうか。
本当に、犯人は彼女なのか?
まだ、真犯人はどこかにいて、彼女は
真犯人に殺されたのではないのか?
想いはさらに大きくなるばかりで、一樹は
どうしてもこの事件が終わったとは感じられずに
その場で考え込んでいたのだったーー。
解決した事件。なのに、一樹は
どこか違うと感じています。
次回は、一樹がさらに事件を
深く見ようと探索を始めます。