【第69話】偽りの玉音放送
1945年8月15日、正午。
日本中のラジオの前に、人々が集まっていた。
国民は、どんな気持ちで放送を待っていたのだろう。
決定的な“終わり”の瞬間を、その気配を、察した者はどれくらいいたのだろうか。
真夏の陽射しは、焦土となった街の惨状を余すことなく照らし出していた。
肌にまとわりつく空気は、息苦しいほどに蒸し暑い。
やがて、時報が鳴り響く。
世界が不自然に静止した気がした。
風も、鳥の羽音も、人々の呼吸すらも止まったかのように。
そして――
ついに玉音放送が流れる。
それは日本の敗北であり、同時に滅亡を免れた知らせでもあった。
録音された天皇陛下の御声。
『耐え難きを耐え、忍び難きを忍び――』
首相官邸の一室。
ラジオのスピーカーを囲むようにして放送を聴く、内閣総理大臣をはじめとする閣僚たち。
部屋を支配しているのは、重苦しい空気。
ある者は顔を伏せ、またある者は嗚咽を押し殺して肩を震わせている。
玉音放送を聴いていたのは日本人だけではない。
アメリカ、イギリス、ソ連、中国などの連合国も、放送を傍受していた。
各々の基地で、通信拠点で、あるいは太平洋を埋め尽くす軍艦の上で。
『朕(昭和天皇)、深く世界の大勢と日本の現状を鑑み、非常の措置を以てして時局を収拾せんと欲し、忠良なる国民に告ぐ。
古来より我が国は、皇統の威徳のもと、君臣一体、民と共に歩みし積年、忠誠と節義を重んじ、国の柱を築きたり。
その尊き伝統は、今もなお、汝らの心に生き、朕の胸にも深く刻まれている。
その精神は深く根ざし、今日に至るもなお衰えることなし』
『されども、今回の大戦により国土は焦土と化し、多くの命が奪われたこと。
朕、痛惜の極みに堪えず。これ皆、政の頂点に在りし朕の不徳の致すところにして――』
違和感。
内閣総理大臣が怪訝そうに首を傾げる。
(はて……事前の文章確認で、こんな一文があっただろうか……)
『今回の大戦を経て、世界の有様は一変し、国家のかたちもまた、改めざるを得ないに至れり。
日本が滅亡しかけた今次戦争の責任は、決して忠良なる国民、あるいは前線の日本軍に在らず。
国家元首として統治権を掌り、大元帥として統帥権を振るいし朕が、一身に引き受けるべき責任なり。
故に朕は、皇統の使命、ここに尽きたりと覚悟し、その償いとして、自ら天皇制の終焉を以て、これに応えんと欲す。
これこそが、最後の皇族としての朕が果たすべき、最期の務めなり』
閣僚たちは青ざめていた。
いや、完全に凍りついていた。
不穏な空気なのは、官邸だけではない。
ラジオを囲む日本各所の国民にも、どよめきが走る。
玉音放送を傍受する連合国でも、即時通訳する者が困惑していた。
『国民よ、決して心乱すことなかれ。それが朕が下す最後の命令である。
朕が自ら国体を改め、皇統を終焉せしめるのは、決して敗戦の恐れに非ず。希望の未来を信ずるが故なり』
『国民よ、決して戸惑うことなかれ。これは歩んできた日本の過去を否定するにあらず。
今、新しく変わらんとするこの国において、汝らこそが、明日の日本を映し出す“鏡”なり』
「何なんだ!? この放送はぁぁあああ゛!?」
内閣総理大臣が絶叫した。
「放送を止めろ! 直ちに中断させろ!!」
正気を失い、慌てふためく閣僚たち。
あまりの衝撃に椅子から転げ落ちる者。
泡を吹き、白目を剥いて卒倒する者。
昨夜、自分たちが一字一句確認して署名したはずの“詔書”は、影も形もない。
目の前で流れているのは、日本を根底から覆す、まさに“崩音”。
天皇制の廃止。国体の変革。
官邸は、焦燥と混乱、そして絶望が渦巻く、文字通りの地獄絵図と化していた。
『変革を恐れるなかれ。
焼け野原から立ち上がるその不屈の心こそ、我が国の新たなる標なり。
これより後は、自由と平和を礎となし、互いを敬い、誠をもって政を為すこと。
民の手によりて、新しき国を築くことこそ、朕の切なる望みなり』
『汝ら一人ひとりが、今日より新しき日本の“象徴”と心得よ』
『朕は、国と民の行く末を祈りつつ、万感の想いを込めて、汝らに別れを告げる』
『さらば、我が愛しき国民よ。――永く平和と共に在れ』




