【第68話】めでたし めでたし!?
「は、陽仁~~っ!?」
大和、蓮弥、真澄、咲良の4人は、驚愕に目を見開いた。
廊下の先、不意に現れた影。
その正体は、なんと陽仁であった!
「みんな……っ!?」
陽仁の瞳もまた、驚きで激しく揺れる。
次の瞬間、せきを切ったように大和たちが駆け寄った。
「陽仁~! やっと会えたぜ!」
大和が歓喜のあまり、陽仁の肩を壊さんばかりに抱きしめる。
「あはは……苦しいよ大和。でも、よかった。また出会えて……」
戸惑いながらも、陽仁の顔には再会の喜びが溢れ、少年らしい無邪気な笑みがこぼれた。
「あわわ…」
咲良は、朝日を背負って抱きしめ合う男の子ふたりの姿に、頬を赤く染める。
「陽仁……いや、えっと……陽仁『さま』、なのかな?」
蓮弥は友人の無事を喜びつつも、その正体が“令和の皇太子”であると知ってしまった手前、どう接していいか分からない。
困惑した表情で陽仁の顔を覗き込んでいる。
「陽仁くんが無事で良かったわ!」
一方の真澄は、相手が誰であろうと関係ないと言わんばかりに、胸をなで下ろすように、静かに視線を向けた。
陽仁は目を輝かせ、仲間たちの顔をひとりずつ確認した。
「ところで、大和、それにみんな……どうしてここに?」
大和は抱擁を解き、お手上げだと言わんばかりに両手を上げた。
「それはこっちのセリフだぜ! お前、ずっとここにいたのか? この宮城に?」
陽仁は静かに頷き、背後の廊下の先、深く沈み込むような地下階段を指差した。
「うん。地下の御文庫……防空壕に避難してたんだ。外が騒がしくなって、地上で激しい争いの音が聞こえたから、側にいた人たちと扉を閉めて隠れてたんだよ」
大和はさらに問いかける。
「もしかして……あの空襲で離れ離れになった時から、ずっとここにか……?」
「うん、そうなるかな――」
陽仁の話は、あまりに数奇で、あまりに奇跡に近いものだった。
戦争資料館での不意のタイムスリップで、大和と一緒に戦時下の同じ場所に飛ばされた。
そしてその時代で迎えた、1945年5月25日 深夜の山手空襲。
火の海の中、大和と離れ離れになった陽仁は、宮城の内苑へと逃げ延びた。
翌朝。煙の燻る内苑の芝生で、精根尽き果てて座り込んでいた陽仁。
そんな令和の皇太子を見つけたのは、空襲の被害状況を確認すべく巡回していた、昭和天皇と直属の一団だった。
国家の中枢たる宮城の内苑に、正体不明の子ども。
しかも、見たこともない現代服を纏っている。
本来ならスパイ容疑で即座に拘束され、憲兵に突き出されてもおかしくない状況だった。
しかし、陽仁は“迷い子の客人”として、異例の保護を受けることになったという。
それは、何故か。
陽仁が放つ異様な“品位”や“佇まい”のおかげか。
あるいは、巡回中の昭和天皇が、陽仁に“繋がった血の鼓動”を感じ取ったのかもしれない。
『この子は、ここで預かろう』
その一言が、全ての理屈をねじ伏せた。
以来、陽仁は宮城の奥深く、誰も立ち入ることのできない静寂の中で密かに生活を送ってきた。
そして昨夜。近衛師団による宮城クーデターが勃発した際、陽仁は側近の侍従や武官たちと共に、地下御文庫へと避難した。
重厚な鉄扉を閉鎖し、暗闇の中で息を潜め、嵐が過ぎ去るのをじっと待っていたというわけだ。
「とにかく無事でよかったぜ! なあ陽仁、オレたち一度は現代へ帰れたんだ。でも、お前だけが戻ってきてなくて。だからみんなでもう一度、この戦時下の日本にタイムスリップしてきたんだよ。過去に取り残された陽仁を救って、令和に連れて帰ろうってな!」
大和はこみ上げる熱いものを抑えきれず、もう一度、陽仁を力一杯抱きしめた。
「……ありがとう、大和。みんなも、本当にありがとう!」
陽仁が照れくさそうに、けれど心からの感謝を込めて笑う。
またしても抱擁し合うそ男の子ふたりを見て、咲良の頬は再び朝焼けの空よりも赤く染まった。
「うん……本当に、本当に良かった」
そう言った真澄の瞳からは、一筋の涙がこぼれ落ちていた。
その涙は、前回のタイムスリップ先で必死に戦争反対を訴え、誰にも届かない孤独の中で流した、あの悔し涙ではない。
心の底から溢れ出した、温かな喜びの涙だった。
「真澄……」
陽仁はそれを見て胸がジーンと熱くなる。
そこへ蓮弥が直立不動で、見たこともないような余所余所しい敬語を繰り出した。
「陽仁、いや、陽仁さま! いやぁ、ご無事で何よりです! えっと、本日はお日柄もよく……お召し物も、その、大変よくお似合いで――」
「なーに言ってんだよ蓮弥、言葉遣いが変だぞ!」
大和の突っ込みに、陽仁も苦笑いを浮かべて蓮弥を見つめる。
陽仁が令和の皇太子だと知ってしまった蓮弥は、どう振る舞えばいいのか分からず、ギクシャクしてしまうのだ。
陽仁が可笑しそうに眉を寄せると、蓮弥は顔を真っ赤にして居住まいを正した。
「だって、大和から聞いたんだよ! テレビのニュースだって言ってた! 陽仁さまは“令和の皇太子”なんだってね! この国の将来を背負うお方なら、敬って当然じゃないか!」
陽仁が諭すように言う。
「蓮弥、今さらだよ。ぼくらは友達になったんだから。普通のことば使いで大丈夫だよ」
「わ、わかりました! あ、えっと、わかったよ!」
そんな蓮弥の様子に、大和がニヤニヤしながら、割って入る。
「でもよ陽仁。こいつら最初は『もう戦時下の日本なんて行きたくない』って、お前のこと見捨てようとしたんだぜ?」
大和のカミングアウトに、慌てる真澄と蓮弥。
「ちょっ、大和! 余計なこと言わないでよ!」
「そうだ!それは誤解だ! ボクは見捨てようなんて一言も、万に一つも言っていない!」
必死に弁解するふたり。
「へいへい」
と、大和は両手を上げて降参のポーズをとった。
自然と、子どもたちの口元には安堵の笑みが浮かぶ。
一条と対峙していた、さっきまでの殺伐とした空気は、もうどこにもない。
陽仁を囲んで賑やかに談笑しあう子どもたちの姿は、どこにでもいる騒がしい小学生そのものだった。
子どもたちがこの長い夜、命懸けで守り抜いたのは、この国の歴史や国家の安寧といった大きなものではなく、
この“他愛ないけれども、かけがえのないおしゃべり”ができる、特別でも何でもない日常の光景だったのかもしれない。
「……でも、不思議だよな」
ふと、蓮弥が冷静な声を漏らした。
「なんで陽仁だけ、この時代に残り続けたんだろう?」
真澄も、納得がいかないと言わんばかりにポンと手を打つ。
「そうよ。私たち、前回のタイムスリップではいつの間にか現代へ帰れていたのに、陽仁くんだけは戻ってこられず、ずっとこの戦時下の日本にいたままだった。……理由があるはずじゃない?」
その問いに、子供たちは互いに顔を見合わせた。
「“運命”に選ばれたから…?」
咲良がぽつりと呟くが、それも何だか釈然としない。
大和が思い出したように、ポケットからあの“さざれ石”を取り出した。
今は沈黙を保っているその石を、全員が食い入るように見つめる。
この超常的なタイムスリップを引き起こしている発端であり、得体の知れない物体。
「ったく、気まぐれな石ころだぜ」
大和は石を右手から左手へと軽く放り、キャッチして茶化してみせた。
「陽仁の場合、タイムスリップを発動させない《何か》が働いたんだろうな」
蓮弥が分析するように言い、真澄がそれに続いた。
「あるいは……“誰か”が、陽仁くんを引き留めていたのかも」
「陽仁くんを引き留めた、人物…?」
咲良の問いに、廊下は一瞬、奇妙な沈黙に包まれる。
沈黙を破るように、大和が身を乗り出した。
「ってか陽仁、お前だけはずっとこの時代にいたんだよな。……一体、何してたんだよ?」
陽仁は遠い眼差しで、窓の外の朝焼けを見つめる。
「この宮城で“迷い子の客人”として、保護されながら生活していたよ。やっぱりこの時代は令和の現代よりも怖かった。大和たちのことも、ずっと気がかりだったし。もしかしたら、もう元の時代には二度と戻れないんじゃないかって、夜になるたびに震えてたんだ。だけど――」
陽仁の声が、少しだけ温かさを帯びた。
「“ひいおじいちゃん”と、いっぱいお話ができたんだ。本当に、色々なことを……」
「ひいおじいちゃん?」
大和が言葉に詰まる。
その場にいた全員が、誰を指すのかを察し、思わず息を飲んだ。
そこへ静まり返った廊下の奥から、足音が響き渡ってきた。
「……ああ、君たち! 無事だったか!」
姿を現したのは、侍従の江守だった。
服は汚れ、足を引きずりながらも、執念でここまで辿り着いたのだろう。
近衛師団の反乱兵に追われる極限状態の中、“玉音盤”を子どもたちに託した男。
彼は大和たちの無事な姿を確認し、糸が切れた人形のようにその場にへたり込んだ。
「録音盤を守り抜いてくれたか。本当に、本当によくやってくれた!」
江守は、咲良が大切そうに抱える玉音盤を見て、何度も頭を下げた。
本来ならば、宮城に正体不明の、それも奇妙な身なりをした子どもたちが紛れ込んでいるなど、到底看過できることではない。
捕らえて憲兵に突き出し、徹底的に素性を暴くのが公僕としての義務だ。
だが、今の江守にとって、目の前の少年少女は“不敬な侵入者”などではなかった。
この国の行く末を繋ぎ止めてくれた、“小さな英雄”そのものだった。
「もう不問だ! 全て不問!! 改めて考えれば君たち、怪しいことこの上ないが……もはや何者かなど、どうでもいい。これほどの功績、何と礼を言えばいいか……。
そうだ、ご褒美だ! 私の職を賭しても構わん、何でも好きなものを言ってくれ。私が何でも買ってあげよう!」
江守が感極まって胸を叩くと、大和はすかさず自分の足元を指差した。
「だったら、靴。靴を買ってくれよ!」
「えっ、靴? ああ、そういえば君たち、なぜ揃いも揃って靴を履いていないんだ?」
江守が呆然と呟くと、蓮弥が気まずそうに視線を泳がせた。
「……その、ボクたち、すごく『訳あり』な事情でして」
そこへ真澄が、ズカッと一歩前に踏み出す。
その瞳にはちゃっかりとした現実主義者の光がギラリと宿っている。
「私たち、本当に怖い思いをしたし、死ぬほど大変だったのよ? だから報酬はちゃんと頂くわよ! 現物よりも現金! 現金がいいわ!」
「げ、現金……?」
江守の困惑をよそに、真澄は人差し指をピンと立て、不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「百万円! 現金一括で百万円よっ!!」
「ひゃ、ひゃくまんえん……っ!?」
そこへまた、廊下の奥から、また足音が近づいてくる。
ボロボロに汚れ、あちこちが裂けた背広を纏った男が駆け寄ってきた。
「……おお、子供たち! 無事でしたか!!」
次に姿を現したのは、日本放送協会(NHK)の技術職員、浜護だった。
玉音放送の録音という、国家の存亡を懸けた歴史的重責を担い、宮中に招かれた男。
玉音盤を狙う反乱軍の近衛兵たちに対し、その身で盾となり、必死に子どもたちを庇った。
浜護は傍らの江守に気づくと、短く会釈を交わした。
言葉こそないが、死線を共に越え、玉音盤と日本の未来を守った戦友としての熱い視線。
「本当によかった、本当に……っ」
浜護は子どもたちの顔をひとりずつ確認すると、その場に崩れ落ちた。
しかし、彼の技術者としての鋭い視線が、咲良の腕の中に収まった玉音盤に止まった瞬間、その表情が一変する。
奪われず、割れてもいない。
けれども――
「あぁ……あぁぁぁ……っ!」
浜護は天を仰いで号泣した。
安堵したのも束の間、頭を抱えて絶叫する。
「お、お嬢ちゃん……その、手が……っ!」
咲良が不思議そうに首を傾げる。
朝焼けの光が玉音盤の盤面を照らし出す。
そこには、ベッタベタの指紋の跡。
「盤面に指紋が……! 脂と汗で……! あぁぁぁ……!」
浜護の情緒は崩壊していた。
咲良が、震える浜護の顔を心配そうに覗き込む。
「あの、おじさん…大丈夫? 汚れちゃった? ごめんね…」
浜護は涙と鼻水を垂れ流しながら、無理やり笑顔を絞り出す。
「いいんです……。これはもう、録音盤の状態がどうのこうのという次元の話じゃありません。君たちが命を懸けて繋いでくれた、この国の『真実の音』になるでしょうから……」
浜護は自分自身に言い聞かせるように、そう言った。
そこへ、またまた廊下の奥から、足音が聞こえくる。
コツ、コツ、と規則正しい足音。
やがて朝焼けに照らされた廊下の向こうから、ひとりの燕尾服を纏った男が穏やかに歩み寄ってくる。
「……いやぁ、驚いた。君たち、本当に凄いね」
特徴的な黒縁の眼鏡。
その奥で、優しげな瞳が細められている。
両手には汚れ一つない手袋をはめ、腕にはレコードケースを抱えていた。
その姿を見るなり、江守と浜護が居住まいを正して一礼する。
どうやら宮内省の中でも一目置かれる人物のようだ。
黒縁眼鏡の男――二階堂は、子どもたちの前に立つと、慈しむような声をかけた。
「君たち、よく“生きていた”ね。本当に驚いたよ」
どこか含みのある言い方だったが、大和はそれを最大級の褒め言葉として受け取った。
「まあな! かなりヤバかったけど、何とかなったぜ!」
大和が鼻の下をこすりながら胸を張る。
二階堂はそれを見てニコニコと微笑んでいた。
蓮弥も真澄も、二階堂の醸し出す不思議な安心感に当てられ、少し照れくさそうに顔を綻ばせた。
二階堂が、静かに右手を差し出す。
「さぁ、その“大切なもの”を、私に預けてくれるかな」
その言葉に、子どもたちの間に一瞬だけ躊躇が走る。
子どもたちが命を張って守り抜いた玉音盤。
江守が、その強張りを解くように優しく割って入った。
「……ああ、安心していい。この方は二階堂さん。宮内省の庶務課長だ」
浜護も後に続いた。
「陛下の終戦詔書の御声が入った録音盤を、これから放送会館まで届けてくれる方ですよ」
子どもたちは安堵し、肩の力を抜く。
咲良は、二階堂を見上げ、玉音盤を差し出そうとして――
ふと、その動きを止めた。
「あの、二階堂さん…」
「ん? なあに、お嬢ちゃん」
「どこかで…お会いしたことありませんか…?」
咲良の脳裏に、霧のような既視感が漂っていた。
この特徴的な黒縁眼鏡、この落ち着いた物腰、そして包み込むような声。
どこかで――
「……ははは! まさか、初対面だよ」
咲良の胸のわだかまりを吹き飛ばすように、二階堂は快活に笑った。
「私のような冴えない役人と、君たちのような勇敢な子どもたちが、以前どこかで会っていたなんてあり得ないよ」
二階堂はそう戯けて見せると、手に持っていたレコードケースを広げた。
「さぁ、預かろう。“歴史のバトン”を」
咲良の手から、玉音盤が二階堂の手へと渡る。
二階堂は満面の笑みを浮かべ、慎重に、かつ確実に玉音盤をケースへと収め、錠を下ろした。
その時だった。
大和が持っていたさざれ石が。
「うわっ! なんかこいつ、光ってね!?」
手のひらの上で、さざれ石が脈を打つように熱を帯び、控えめな淡い光を発している。
「これ……タイムスリップする時と同じ現象じゃ?」
大和の叫びに、子どもたちの目が一斉に輝く。
最初のタイムスリップでは、わけが分からず混乱のままだった。
けれども、今回は違う。
『過去に取り残された陽仁を救い出す!』という、自分たちが掲げたミッション。
それを見事に完遂した今、さざれ石はまるで『よくやった、もう帰っていいよ』と子どもたちを労っているかのように見えた。
理屈を超えたその確信が、子どもたちの胸を躍らせる。
「よっしゃー! みんなで帰るぞー!!」
「ミッション・コンプリートだ!」
「やったわ! 令和に戻れる!!」
「昭和に、さようなら…!」
歓喜の声を上げる仲間たちの中で、陽仁だけは少し複雑そうな、けれど幸せそうな苦笑いを浮かべていた。
(ぼくが現代に帰ったら、どれだけの説教が待ってるんだろう……。想像しただけで恐ろしいな)
江守や浜護は、何が起きているのか理解できずに目をパチパチさせていている。
しかし、子供たちが手を取り合って喜ぶ姿に、やがて良かった良かったと、納得した顔になっていた。
大和、蓮弥、真澄、咲良、そして陽仁。
5人は互いの肩を組み、飛び跳ね、これまでの恐怖と抑圧を全て吐き出すようにはしゃいだ。
宮内省の重厚な庁舎に、時代錯誤な子どもたちの笑い声が、朝焼けの光と共に弾け、溶けていく。
その傍ら――
「百万円……。百万円か……。どこから工面すれば……」
江守はうわ言のように、ぶつぶつと呟き続けていた。
真澄が提示した金額は、現代日本の金額に換算すると数億円。
「あの録音盤……。間違いなく放送されたら陛下の御声の『あ』が『ア゛』に聞こえてしまう……。でも、子どもたちを責められない……」
浜護もまた、うわ言のようにぶつぶつと呟いている。
――そんな賑やかな光景を尻目に。
「……ふふ」
玉音盤を収めたケースを抱え、黒縁眼鏡の男――二階堂は、踵を返して静かに歩き出した。
途中、一度だけ足を止め、朝の光に溶け込んでいる子どもたちの方を振り返る。
黒縁眼鏡の奥の瞳には、深遠な光が宿っていた。
「……さあ、大詰めだね」
二階堂はそれ以上何も言わず、再び踵を返してその場を後にした。




