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【第67話】沈む太陽 と 昇る太陽

挿絵(By みてみん)


宮内省庁舎の廊下。

大きな窓の向こうで、世界が色づき始めていた。


朝焼け。

長い、長い夜が、明けた。


一条(いちじょう)の左眼の“日の丸”は沈み、涙に濡れている。

だが空に昇る“太陽”は、どこまでも気高く、そして無慈悲なほど輝かしい。

まるで、一条の日本を憂う気持ちに反して、

『日本は大丈夫』なのだと、静かに語りかけているかのような光景だった。


誰もが、その黎明に魅入っていた。

大和(やまと)蓮弥(れんや)真澄(ますみ)咲良(さくら)、そして一条。

溶けていく影と朝焼けのコントラストは、まるで一枚の絵画のように。

差し込むのは温かく、すべてを等しく照らす優しい光。

その光は、一条の届かなかった想いも、挫折も、静かに包み込んでいった。


戦後の日本が抱える――《矛盾》。

国家への忠誠と、個人の自由。

そのどちらにも身を預けきれない、宙吊り状態。

しかも思想は“個人主義”を謳いながら、運用は“集団主義”ときたもんだ。

一条にとって、そんな二重構造の現代日本の方が、よっぽど歪んで見えた。


(この矛盾に――国民はきっと、心のどこかで気づいている……)


それでも日本という国は、器用なものだ。

矛盾を“対立”ではなく、“同時成立”させたまま曖昧に処理しているのだから――


(この国は、道化だな……)


一条の口元に、自嘲気味な笑みが浮かぶ。


「……そうは思わないか?」


一条の眼差しが、ゆっくりと大和に向けられた。

その瞳はひどく穏やかだ。


「ん?」


大和は、自分に向けられたその視線に、毒気を抜かれたように首をかしげた。

大和の困惑する姿を見て、一条はふっと笑うと、指先で一度、涙の跡が残る目元を拭った。

そして、軋む身体を叱咤するように、静かに、しかし確かな足取りで立ち上がる。


「にーちゃん?」


大和は警戒しなかった。

先ほどまでこの空間を支配していた威圧感は、もうどこにもない。

大和だけでなく、蓮弥も真澄も咲良も、気づけば恐怖から解放されていた。


一条は、呆然と立ち尽くす大和の傍らを静かに通り過ぎる。

その歩みは迷いなく、銃を構えたままの真澄の元へ。


「え……」


真澄は、間近に迫る一条に激しく動揺した。

一条がゆっくりと、真澄が握る拳銃へと手を伸ばす。

既に真澄には、“撃つ”という覚悟が消失していた。


(銃を奪われる!?)


しかし至近距離で一条の瞳を見た瞬間、その不安は杞憂へと変わった。


(この人の顔、なんて……透明なんだろう)


歪んだ赤い眼の禍々しさが、まるで幻だったかのように。

一条は、抵抗すら忘れて立ち尽くす真澄から、そっと拳銃を取り上げた。

まるで“重荷”を肩代わりするような、静かな動作だった。


大和たちは、誰も身構えることはしなかった。

一条から、自分たちへ銃口を向けるような殺意など、微塵も感じられなかったからだ。


一条は、戻ってきた冷たい鉄の感触を確かめながら、拳銃をまじまじと見つめる。


史実の宮城(きゅうじょう)クーデター事件。

その首謀者たちが散っていった場所は、どこだったか?

中庭の芝の上か?

それとも広場の砂利の上だったか?


重い足取りで、一条が歩き出す。

すれ違いざま、子どもたちへ言葉を投げかけた。

皮肉めいた祝辞のように。


「……せいぜい、綻びだらけの平和に興じているがいい。俺は……御免だ」


その背中に、大和も蓮弥も真澄も、言葉を失って立ち尽くす。

ただひとり。

玉音盤を抱えた咲良だけが、一条の瞳から自決の念を感じ取った。


遠ざかる軍靴の音。

その孤独な後ろ姿に向かって。


「死んじゃダメ!!」


咲良は自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。


不意に足を止め、一条が振り返る。

見透かされたことへの驚きに、表情が強張っていた。

そんな一条に、咲良は震える声で追い打ちをかける。


「どんなに辛くても、生きようとする意志は、何よりも尊い! と思うから…」


朝焼けの光が館内を満たし、埃の粒がキラキラと舞っていた。

一条は呆然と咲良を見つめていたが、やがて口元が微かに緩む。


「……ふっ」


一条はそれ以上何も語らず、再び踵を返すと、今度こそ廊下の彼方へと消えていった。


その背中が完全に見えなくなってから、大和たちが我に返ったように咲良を囲む。


「咲良、今のどういう意味だよ?」

「あいつ……死ぬ気だったの?」


咲良は、自分でも上手く説明できない。

ただ、かつてタイムスリップした先で――

絶望の果てに自ら命を絶とうとした人々の姿を、どこかで記憶していたのかもしれない。

一条が纏っていた雰囲気が、その悲劇の場面と重なったのだ。


そして、何より自分自身も――

追い詰められ、自ら命を断とうとした瞬間があったのではないか。

その既視感が、言葉となって溢れ出したのかもしれない。


(わたし…自分で死のうとしたの? そんな、まさかね…)


自分の内側から湧き上がった暗い衝動に戸惑いながらも、咲良は玉音盤をぎゅっと強く抱きしめた。




まるで嵐が去った後の静寂のように。

廊下に子どもたちの重く、深い安堵の溜息が同時に重なった。


「あ~っ! マジでやばかったぜ~!」


「どうなるかと思ったよ!」


「私、まだ手が震えてる……銃撃たなくて良かったわ……」


「怖かったね…」


その場にへたり込む大和たち。

脅威は、去ったのだ。

窓から差し込む朝焼けが、子どもたちの頬を橙色に染め、温かく、柔らかく包み込んでいる。



その時――


廊下の先、地下階段の方から、


『コツ、コツ……』と


誰かが上がってくる足音が響いてきた。


「っ!?」


大和たちの身体が、弾かれたようにビクンと跳ねる。

今しがた脱力したばかりの筋肉が、再び恐怖で硬直した。


「なんだなんだ? 今度は誰だよ?」


大和が乾いた声で呟き、とっさに咲良の前に出ようとする。

蓮弥が音のしてきた廊下の先を凝視する。

真澄は震える手で、咲良が抱える玉音盤を背後に隠すように庇う。



朝焼けに照らされた廊下の奥から、やがて何者かの影が長く、長く伸びてきた。



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