【第66話】この国を……救いたかった……
「何してるのよ……あんた?」
真澄は自分の目を疑った。
銃口を向けられた一条も、そして傍らで見守る蓮弥と咲良も。
そこには、一条の身体を庇い、両手を広げて立ちはだかる大和の姿があったから。
「大和! 邪魔よ、そこをどきなさいよ!!」
真澄の叫びは、もはや友人に向ける声色ではない。
何故、その男を庇うのか?
仲間を、私の覚悟を、何故裏切るような真似をするのか?
真澄の剥き出しの怒りだった。
大和は、その怒声を真正面から受け止めながら、ゆっくりと背後へ振り返る。
床に膝を突き、今にも崩れ落ちそうなほど満身創痍でありながら、執念だけで顔を上げている男。
一条。
大和は静かに、一点の曇りもない声で告げた。
「にーちゃんの気持ち、オレ、分かるよ」
その一言に、真澄、蓮弥、咲良の呼吸が止まる。
誰よりも驚いたのは一条だった。
未来の日本に飼い慣らされた“末裔”が、自分の大義に賛同するなどとは、夢にも思わなかったからだ。
「みんな……『何となく』生きてるよな。それを見て、にーちゃんは物足りなかったんだよな? 人々に芯が感じられなくて、大事な何かが欠けている気がして。だから、いてもたってもいられなかったんだよな」
大和は思い出す。
あの日、靖国神社からひとりで帰った日のこと。
都内の派手な極彩色のネオン、喧騒にまみれた街並み。
表向きは賑やかだったけど、何かが伴っていなかった。
帰宅ラッシュの満員電車に揺られながら。
周囲の大人たちは、疲れ切った表情で宙を見つめていた。
それか下を向いてスマートフォンを見て、我を忘れて情報の濁流に溺れていた。
――何かから、目を背けるように。
大和の共感は、単なる“同情”ではない。
大和自身が、現代社会で感じていた“違和感”。
「……ガキが」
子どもに、代弁されている。
しかし一条は、大和の言葉を侮辱と受け取ることもできず。
ただ、少年の瞳の煌めきを、吸い込まれるように見つめ返していた。
「オレさ、戦時中の日本にタイムスリップして、思ったんだ」
大和は言葉を噛みしめるように続ける。
「戦争で、信じられないくらい沢山の人が犠牲になった。目の前で空襲に焼かれた人……命を懸けて、オレを助けてくれた人。あんな風に必死に繋いでくれた先人たちに、オレたちは今、恥じない生き方をしてるのかなって」
一条の眼が、驚愕で見開かれる。
一条は吸い寄せられるように身を乗り出し、喉の奥から絞り出すようにまくしたてた。
「そうだ! まさにその通りだ! 現代の日本人は、その尊い犠牲も、守るべき芯も、すべてを忘却の彼方に置き去りにしてしまった! この国は今や、煌びやかな皮を被っただけの空っぽの器に等しい!」
一条の赤い眼が、禍々しい閃光を放ち、言葉は熱を帯びた刃となる。
「だからこそ、天皇の力が再び必要なのだ! かつてこの国の精神を束ね、国民の魂を一つに繋ぎ止めた絶対的な中心が! だが戦後、その存在は《象徴》という名の下に抽象化され、触れることも、語ることも、問い直すことすら敬遠されるただの記号へと成り下がった!
その結果、日本人の心の支えは輪郭を失い、曖昧なものになってしまったのだ! 皇室はただ惰性でありがたがられる、“装飾品”へと変質してしまったッ!!」
一条の、魂の叫び。
「だからこそ! この手で陛下に《神威》を残す! そのために……俺は! 俺はああッ!!」
一条の日輪の眼が、大和の瞳に向かって狂おしいほどの情念の放射する。
けれども、大和は一歩も退かない。
それどころか、少年の瞳の奥に宿る“真実”が、一条の眼光を逆流させた。
「……にーちゃん。それは、もうマズいって」
大和の声はどこか悲しげで、同時にひどく冷めていた。
「神様みたいな天皇を掲げた結果、日本は一度、滅びかけたじゃん。オレ、この時代にタイムスリップして短い間だったけど、生活してて正直疲れたよ。もう、天皇を神様にして背負うのは、気が引けるぜ」
「なん…だと……?」
一条の顔から、血の気が引く。
「いっぱい、いっぱい命がなくなったんだよ。にーちゃんも守りたかったはずの命だろ?……それに最後は、天皇自身が言ったじゃん!
『私は、神ではない』って」
人間宣言。
そうだ、結果的にそうなってしまった。
一条は知っていた。
それがGHQや内閣に強要された形だけのものではなく、昭和天皇自らが、国民と同じ《人間》として歩む道に、乗り気であったこと。
皮肉にも、収集した一次史料がそれを物語っていた。
だからこそ少年の言葉は、どんな弁論よりも深く一条の急所を抉った。
天皇が現人神という、絶対的な存在として崇められた結果。
それは戦争を正当化する大義として扱われ、国家の暴走に結びついてしまった。
そして数え切れないほどの命の生死を、有無を言わさず決定づけたのだ。
大和は、現人神自体を、恐らく否定はしていない。
しかし不運なことに、誰も救われない形でそれは作動してしまった。
――それが、この国の史実。
一条の左眼から、一筋の涙が流れた。
あれほど強固だった日輪が、初めてその輪郭を崩した。
「では……」
感情が溢れ出る。
「では、日本とは何だ!? 日本国民とは一体何なのだ!? 戦前であれば、それは『神の国』・『天皇』であると答えられた! だが、もし今の国民がその問いに答えられぬというのなら……それは『日本でなくてもいい』・『日本人でなくてもいい』という結論に行き着く!!」
大和は何も言い返さない。
ただ、静かに一条の熱量を受け止めている。
「そして実際、多くの者がその結論を、無言のうちに受け入れている! 平気な顔をして! 自分たちが何者であるかという誇りなど、大した価値もないと言わんばかりに! いや、それ以前に――自らを問うこと自体、彼らは放棄しているッ!!」
一条の声は怒りではなく、深い悲哀を帯びていた。
「信じるものを持たず、守る理由も持たず、問いを立てることすらしない。ただ呼吸し、消費し、生き永らえているだけ。
……それを『平和』と呼ぶのなら、あまりにも虚しいとは思わないか? それを『自由』と呼ぶのなら、あまりにも卑しいとは思わないか?」
沈黙。
一条が命を懸けて問い続けてきた《国の形》。
単なる“懐古的思想”ではなく。
きっとアイデンティティが不明瞭化してしまった現代人への、“存在論的”な不安。
しかし、きっと日本は――
問わなくてもいい国に、舵を切った。
大和はどこか遠い目をして、吐き出すように言った。
「別に良いんじゃねーの? 平和が虚しく見えても、自由が卑しく見えてもさ。……また戦争を繰り返して、誰かの命や血がドバドバ流れるよりは、ずっとマシだよ」
一条の身体が、脱力感に包まれる。
(ガキが……歴史から切り捨てられた旧皇族の末裔が……)
俺を、教え諭そうというのか。
分かった風に、達観したように。
問い続ける者の“苦しみ”を知らない分際で。
ふざけやがって――
ああ……
今まで、何だったのだ……
俺の歩みは……
俺に課されたはずの天命は……
俺の、人生は……
日輪の眼が、激しく歪む。
気高く、どこまでも気高く。
誇らしく輝き、世界を赤く塗り潰していた眼光は、今や溢れ出す涙に溺れ、その光を失っていく。
俺は……
一体、何を救おうとしていた?
国か。
国民か。
天皇か。
歴史か。
それとも――自分自身か?
俺は、『答え』が欲しかった。
導いて欲しかった。
たとえば――
日本国憲法――
そこにはただ――
『天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴』
としか書かれていない。
そこにもし、
『歴史的連続性を体現する象徴』
『国の伝統と精神文化を体現する存在』
と、神話や歴史への接続語が入っていたのなら――
それだけでいい
それだけで
《象徴》の【厚み】は、劇的に変わったはずなんだ!
それだけで、この国の人間は、誰もが無条件で“誇り”を与えられたはずなんだ!
決して揺らぐことのない、絶対的な“すがるべき柱”を得られたはずなんだ!
――それなのに




