【第61話】天皇の再定義に向けて
近衛師団司令部には、そうそうたる顔ぶれが揃っていた。
近衛師団長をはじめ、参謀長に連隊長クラスの将校たち。
更には、警衛局関係者、衛士監までもが同室している。
いずれも“神州不滅・国体護持”を、至上の命題と信じて疑わぬ者たちだった。
そして、その中心に立つ者。
赤い日輪の眼を宿す男、首謀者・一条中将である。
未来からやって来た人間は、大和ら子どもたちだけではない。
史実において“象徴天皇制”は、確かに戦後日本に『平和』をもたらした。
(しかし同時に、かつて天皇が持っていた《現人神》としての畏怖、国家の絶対的な中心軸としての重みは、時代の経過とともに希薄化してしまったのだ――)
未来の日本に失望した男・一条は、禁断の歴史改変を試みる。
彼は未来人であることを明かさぬまま、日輪の眼がもたらす異様な“力”と、『誇りを失った未来の日本人』という具体的な危機像を突きつけることで、近衛師団長をはじめとする将校たちの使命感を、容赦なく揺さぶった。
かくして――
『未来の日本人の誇りを守る』という大義のもと、近衛師団は一つにまとまり、宮城は今、鉄壁の沈黙に包まれていた。
一条は考える。
史実において、青年将校たちを突き動かしたものは何か。
それは“無条件降伏=国体護持の喪失”という、耐えがたい絶望だったのではないか。
結果として、天皇は《象徴》として残された。
政治的・軍事的な実権を持たぬ存在として。
国民統合の要として、存続を許されたのだ。
それはそれで、当時の日本人が選び得た、ぎりぎりの“国体護持”だったと評価しても良いのだが――
一条は、それでは満足できない。
連合国が認める形で《神威性》を残さねば。
GHQに許される範囲で、匙加減を誤らずに。
再定義した天皇を、“占領政策を安定させる装置”として、巧みに売り込む必要がある。
近衛師団は、それを概ね理解してくれたと思う。
一条は彼らに対して感謝にも似た、或いは先人に対しての敬意とも呼ぶべき感情を禁じ得なかった。
戦争を続けるためではない。
勝利を信じているからでもない。
まして、敵国に一撃を加えて有利な講和を狙うなどという幻想でもなかった。
『どう負けるか?』
一条の赤い眼が見せた未来の絶望よりも、ほんの少しでも“マシ”な形にする為に。
それぞれが、同じ目標に目を向けてくれた。
ほんの数日、時間を引き延ばすだけでいい。
史実よりも、わずかに有利な条件を。
天皇の“権限”ではなく、“権威”をより強い形で未来へ紡ぐ為に。
その『術』を持っていることを示すことで、一条は近衛師団の了承を取り付けた。
名目上は補佐。
だが実質的には、指揮権に等しい影響力を手に入れたのだ。
部屋に入ってくる将校たち。
次々と報告が入る。
「坂下門、桔梗門をはじめ、すべての主要門を閉鎖しました」
一条は静かに頷いた。
宮城は文字通りの、“籠城態勢”に入った。
陸相の大将印章を偽造した“親書”は、既に二階堂に持たせてある。
東部軍の呼応が確認できるまでは、宮城の門は一切開かせない。
次の報告が入る。
「天皇陛下のいらっしゃる地下御文庫は、連絡通路の鉄扉がすべて内側から鎖錠され、一切の進入を拒絶しております」
一瞬、部屋の空気が張り詰める。
それでも一条だけは、表情一つ変えなかった。
既に近衛の動向を察し、御文庫そのものも“籠城態勢”に入ったか。
「側近の侍従か武官の仕業か。よろしい。陛下は『保護』という名の神聖不可侵の隔離に入られたわけだ」
これで、聖断は凍結される。
降伏も継戦も、天皇の意思として発動できなくなった。
日本は今、“宙づりの国家”となった。
(後は――既に形となってしまった“玉音盤”をすべて回収さえすれば)
一条は視線を上げた。
「終戦詔書の録音盤は、すべて確保したか?」
将校のひとりが、言葉を詰まらせる。
「それが……まだです。どうやら予備の録音盤を先に持ち出した者がいたようで……」
一条の口元が、わずかに歪む。
「ほう。宮内省の役人が事前に察知して動いたか?」
「それが……報告によれば――」
「失礼します!!」
会話の途中、甲高い声とともに部屋の扉が開いた。
息を切らした近衛兵が、縄で拘束された男をふたり、引き立てて入ってくる。
――宮内大臣と、内大臣――
「金庫室の中に潜んでおりました!」
その報告に、将校たちの間にざわめきが走る。
「でかしたぞ!」
誰かが声を上げた。
実質、天皇の現実的な輪郭として存在するふたり。
それが、宮内大臣と内大臣である。
一条にとって、この二大臣は計画に絶対必要な最重要パーツだった。
ふたりの大臣は床に膝をつかされ、俯いている。
よく見れば、頬には赤黒い痕、口元には切れた血痕。
縄も必要以上にきつく縛られていた。
一条は苦言を呈する。
「誰の命令だ? そのような扱いを許した覚えはない」
それに応えるように、近衛師団長が一歩前に出る。
「陛下を誑かし、聖断を歪めた奸臣どもです。この程度、当然かと」
一条はふたりの大臣を見下ろす。
一瞬の沈黙。
「縄をほどけ。陛下の側近を扱う手つきではない」
命令だった。
近衛兵たちは一瞬ためらったが。
「はっ!」
短く返事をし、縄を解く。
ふたりの大臣は、俯いて力なく肩を落としたままだ。
一条は怒鳴り声を上げることも、脅迫めいた言葉を吐くこともしなかった。
静かに膝を折り、床にひざまずくふたりの大臣と、同じ目線の高さまで身を落とす。
その仕草は、奇妙なほど丁寧だ。
左目――
一条の赤い日輪の眼が、淡く煌めく。
「宮内大臣、内大臣」
落ち着いた声。
「あなた方には、これから天皇陛下を“守る側”に回っていただく」
「……!?」
ふたりの大臣は、同時に顔を上げた。
あまりにも予想外の言葉をかけられ、理解不能で困惑するしかない。
やがて赤い眼に吸い込まれるように。
まるで催眠のように。
洗脳というより、自分の考えだと思わせる誘導。
一条は、静かに問いかける。
「陛下は現在、外部からの暴発を避ける為、やむを得ず隔離されておられる。近衛が反乱であるわけがなく、これは最終的に陛下をお守りするための措置である。そうですね?」
一瞬の沈黙。
「……はい」
宮内大臣が答えた。
一条は続ける。
「陛下はご自身のお言葉が、この国をさらに傷つけることを恐れておられる。よって今は、あえて沈黙を選ばれた。そうですね?」
「……はい」
今度は内大臣だった。
一条は、内心ほくそ笑む。
これは暴力による沈黙ではない。
まさに神話的な沈黙。
語らぬこと自体が、国体を守る行為なのだという『物語』。
天皇は何も命じていない。
しかしながら国体護持のために、側近が“忖度”した。
これからも。
「そうだ。それでいい」
宮内大臣と内大臣は、一条の赤い眼を見つめながら、得体の知れない感情に囚われていた。
恐怖でも、服従でもない。
この男は、陛下を利用しようとしている者ではない。
むしろ、陛下を“壊させないために動いている者”なのだと。
一条は、勢いよく立ち上がった。
「宮内・近衛・軍高官の連名による非常国家宣言を発表する。準備をしろ!」
「はっ!」
終戦阻止ではなく、一時的な戦争停止。
それでいて戦争を終わらせない状況への持ち込み。
極めて歪んだ状態。
宮城を要塞化し、政治的な時間を稼ぐ。
時間的猶予は、ほとんどない。
やるべきことは山のようにあった。
国内の終戦主体を作る。
天皇の再定義を完了させる。
連合国に“事後承認”を迫る。
“ただ敗戦する日本”ではなく“自ら条件を再定義して終戦する日本”
史実の国体を、全面的に覆す必要はない。
それでも《象徴》として残された天皇に、《神威》という、もう一段の重みを付与しなければ。
その為の、天皇を中心とする超憲法的な国家意思の、一時的な成立。
極めて際どい綱渡りだ。
一歩踏み外せば、すべてが反乱として断罪される。
(落としどころを、見誤るな)
未来の知識と、赤い日輪の眼をもってしても、この局面は一条にとってあまりに難しい。
天皇主権を空洞化したまま、天皇を外交カードとして温存する。
GHQの立場からすると、それは認められないだろう。
正統性の不明な反乱政権。
そう見なされた瞬間、すべて終わる。
一条の身体が、わずかに震えた。
それが不安によるものなのか、或いは武者震いなのか。
一条自身にも、分からない。
だが、やらねば――
俺が、やらねばならない――
(それが日輪の眼を持ち、日の丸を宿した者の天命に違いない!)




