【第56話】日本のいちばん長い夜
視界が、ゆっくりと形を成していく。
光が消えた後、即座に4人の鼻を突いたのは、焦げ付かせるような焼け跡の臭い。
周囲を見渡せば、夜空に浮かぶ月が、不気味なほど光り輝き、地上を照らしていた。
大和たちがいたのは、まるであらゆる生命を拒絶するかのような黒色の庭。
火事で焼け落ちた建物の残骸が骸骨のように突き出し、芝生は熱に焼かれて乾いた灰を被っている。
「……ここ、どこかしら?」
真澄が震える声で、誰に向けるともなく問いかけた。
その呟きは重苦しい静寂の中で、やけに大きく響き、4人の鼓動を早めさせる。
目を凝らすと、自分たちがいる広場を包囲するように、巨大な石垣と塀が黒々とした絶壁となってそびえ立っていた。
この場所は外の世界と隔絶された、巨大な城郭の内側。
「分かった! ここは宮城だ!」
大和がそう言うと、蓮弥、真澄、咲良は同時に首を傾げた。
「宮城って、何…?」
3人の思ったことを、咲良が代弁して口にする。
大和は、身体に刻まれた記憶に導かれるように告げた。
「皇居のことだよ! 昔はそう呼んでたんだ。天皇の大豪邸だぜ」
一瞬、冷たい風が吹き抜け、焼け跡の灰が舞った。
「ってことは……」
大和の脳裏に、あの日の光景がフラッシュバックする。
逃げ惑う人々。
朱く染まった空。
空襲で落とされた焼夷弾は、まるで炎の流星群のようだった。
「ここは、前にオレが飛ばされた世界の続きだ。この辺りにオレと陽仁はタイムスリップして、町で生活してたら空襲に遭ったんだよ」
大和の言葉に、3人の表情が凍りつく。
空襲の跡地だとは。
怯えるしかない。
「それにしてもさ」
蓮弥が、かすれた声で周囲の惨状を見渡す。
「ひどいね。町だけじゃなくて、天皇の住処までやられたんだ……」
かつては威厳と栄華を誇ったであろう宮城も、見渡す限りの焼け跡。
“聖域”の無残な姿。
鼻を突く焦げた臭い、肌を刺す戦時下の張り詰めた空気。
押し寄せてくる恐怖に、改めて4人は生唾を飲み込んだ。
しかし、ここで大和が拳を握り、奮い立たせるように声を上げる。
「あの時、陽仁は宮城に避難したはずなんだ。あいつは絶対に生きてる! この広い敷地のどこかにいるはずだ! さあ、行こうぜっ!」
大和が勇ましく一歩を踏み出した、その瞬間だった。
「――いっってぇ!!!」
大和が飛び上がった。
足が踏んづけたのは、焦げた芝生や砂利の上に転がる、焼け落ち崩れた建物の瓦礫や破片。
辺り一面に散乱していた。
「ちょ、待った! 痛い痛い!」
「大和、どうした……って、あっ!!」
蓮弥が自分の足元を見て、絶叫に近い声を上げた。
真澄も、咲良も、自分のつま先を見て凍りつく。
子どもたちは――
"靴"を履いていない!!
盛大に、やらかした。
「オレたち、靴、履いてねぇーっ!!!」
「あああああああああああああ~!!!」
4人の絶望的な叫び。
大和の家の玄関。
そこに並べられた四足の靴の映像が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
リビングで、さざれ石のカケラの放つ閃光の中に溶けていった。
そう、彼らは今回――
“靴”を履いていない状態で、タイムスリップしてしまったのだ。
致命的な、圧倒的に致命的なミス!!
「ちょっと! なによこれ! 論外よ! さっそく“詰み”じゃない!」
真澄が片足立ちでフラフラしながら叫ぶ。
「大和……お前、かっこよく『行く』とか言ってたけど、ボクら足元、靴下だけ……」
蓮弥が力なくうなだれる。
「忘れたもんはしょうがねーだろ! つーか、誰も気づかなかったじゃねーか!」
大和、蓮弥、真澄が口喧嘩を始めた。
咲良はそれをなだめようとするが……。
「そんな言い合ってる場合じゃ…あいたた…」
さっきまでの“友情”や“覚悟”は、荒れた地表、足の裏から直に伝わる痛みによって粉砕されてしまった。
暗闇の中、『痛い痛い』と、足を引きずったり、飛び跳ねる、世にも奇妙で間抜けな4人の影。
再び戦時下に舞い戻った4人を最初に襲ったのは、
銃撃や爆撃ではなく――
ましてや、歴史の重みでもなく――
“物理的な足の痛み”
「今、思ったんだけどね……」
真澄が頭を押さえ、片足立ちでプルプル震えながら言った。
「今回、タイムスリップするって分かってたわよね? 準備する時間はあったわよね!? なんで私たち、手ぶらなのよ!」
その言葉に、全員がハッとして自分たちの格好を見下ろした。
いつもの、夏服の姿。ただ、それだけ。
予めタイムスリップすると分かっていながら、そのアドバンテージを何も活かせなかった失態。
咲良が青ざめながら呟く。
「せめて、リュックにいろいろ詰めて来ればよかった…」
真澄が更に付け加える。
「救急道具とか、水食料とか、日用品みたいな小道具! 持ってきていたら役に立つものがいっぱいあったはずよ!」
蓮弥の肩が、震えだした。
「なんか……もう帰りたくなってきたな」
「やっぱり! “友情酔い”は覚めたかしら?」
真澄は蓮弥に対して嫌味を口にしたが、一番の不満の矛先は大和だった。
「大和! あんたがみんなを巻き込んだんだから! しっかり責任とりなさいよね!」
「マジかよ! お前らだって納得して手を重ねただろ! “友情のドミノ倒し”とか言ってたの誰だよ!」
「それはあんたが卑怯な手を使うからでしょ!」
またしても大和と真澄の言い合いが始まった。
ふと蓮弥が青ざめた顔で重要なことに気づく。
「そもそも、どうやって帰れるんだろう?」
喧嘩がピタッと止まる。
「前回は、時間が経ったらボクたち勝手に戻れた気がするんだけどさ……」
真澄が顔を引きつらせ、息を押し出すように言う。
「今回は私たち、目的があってタイムスリップしたけど。まさか、陽仁くんと再会しなければ、目標達成できずに戻れないとか……。そんなことないわよね?」
みんなの視線が、大和の持つさざれ石に集中した。
真澄が畳み掛ける。
「じゃあ、もし陽仁くんに会えなかったら!? 会えても、さざれ石が反応しなかったら!?」
大和は、さざれ石を振ってみた。
石は完全に沈黙している。
絶望に染まった顔の蓮弥、真澄、咲良。
大和は、気の毒に思い、元気づけるように言った。
「大丈夫だろ。そのうち現代へ戻れるって! 陽仁みつけて、みんなで帰ろーぜ」
「最悪よ――っ!!」
大和と真澄がまた喧嘩を始め、一際青ざめた蓮弥が仲裁に入る。
輪の外で咲良が、遠くで明かりを灯している建物に気がついた。
「あそこ…!」
咲良の指差す方向へ、みんなが振り向く。
そこにあったのは、先の空襲で被害を受けた宮城の、焼失を免れた数少ない建造物のひとつ。
“宮内省庁舎”だった。
「あの建物……陽仁が、いるかもしれないぜ?」
大和の言葉に、絶望に沈んでいた3人の目に微かな光が戻った。
「とにかく、ここで言い合っていても何も始まらないわ!」
真澄が足裏の痛みを堪えながら、理性を取り戻す。
他に行く場所も、頼れるあてもない。
4人は顔を見合わせ、言葉ではなく、覚悟を込めた頷きを交わした。
互いの距離を肩が触れ合うほど縮め、明かりの灯る、あの巨大な城のような建物へ。
恐る恐る歩みを進める。
蓮弥が顔を歪ませた。
「痛っ! みんな、ゆっくり、そっと歩こう」
「ほんと最悪! 大和、やっぱりあんた責任とりなさい」
「だから、なんでだよっ!」
小声で文句を言い合いながらも。
子どもたちの足取りは、驚くほど静かに。
なんと言っても“靴”がないのだ。
一歩踏み出すたびに、砂利や瓦礫が靴下越しに足を刺す。
その痛みを避けるため、ゆっくりと慎重に。
その忍び足のような歩き方は、まさに“ステルス性”を備えた移動。
かくして――
大和たちは、宮城内を見回りする近衛兵に気づかれることなく、宮内省庁舎へとたどり着いた。




