【第54話】少年 少女 問答!
「な、何言ってんだよ……」
大和は真澄の突然の問いかけに、言葉を失った。
“天皇は、今の日本に必要なのか?”
何を今更。
大和にとって、考えるまでもない、当たり前。
何故、そんなことを聞くのか。
しかし、恐らく――
多くの国民が、真正面からその存在を考えたことはない。
学校でも詳細までは触れられず、誰も正解を教えてもらっていない。
議論すること自体がどこか不謹慎で、禁句を漂わせるような。
『とりあえず必要なもの』として。
《日本の象徴》であるにも関わらず――
“天皇は、今の日本に必要なのか?”
これは、戦時下の日本へタイムスリップした《子ども》の問いかけ。
思想ではなく、“体験”から出た疑問。
あの戦時下――天皇の存在感が最も強かった時代。
現代の《人間・国の象徴》ではなく、《現人神・国の統治者》だった頃の。
「おいおい……真澄、お前本気で言ってんのかよ。考えるまでもないだろ! だって、天皇はこの国の『象徴』だろ? 絶対に必要なんだよ! 天皇がいなかったら、それはもう日本じゃないだろ!」
大和は吐き捨てるように言った。
だが真澄の瞳に宿る、冷たい炎は消えない。
「本当に? 天皇がいなきゃ、日本は絶対にダメなの?」
真澄の声色は、あまりにも透明だった。
大和は反論しようと口を開くが、言葉が喉にひっかかる。
目に見えない威圧。
いや、真澄から隠れた必死さが垣間見える。
「なぁ、蓮弥も咲良も、真澄に何か言ってやれよ! こいつ、おかしくなっちゃったんだよ!」
大和は助けを求めるようにふたりに振った。
けれど、返ってきたのは――沈黙。
蓮弥も咲良も、揃って視線を床に落とし、まるで重苦しい空気を咀嚼するように。
「おいおい……どうしちゃったんだよ、お前らまで」
やがて、蓮弥が重い口を開く。
大和の期待を裏切り、真澄の言葉を補強するように。
「……その、国として維持するだけなら、天皇がいなくても何とかなるんじゃないかな。国の形は変わるかもしれないけど、それで明日から電気が止まったり、ご飯が食べれなくなったりするわけじゃないから……」
「はぁ!? 何言ってんだよ、蓮弥!」
続いて、咲良も消え入りそうな声で呟く。
大和をさらに突き放す、残酷な肯定として。
「そうだね…。天皇がいても、今までわたしたちの生活に直接関わることってなかったし…」
「はぁぁあああああ!?」
大和の叫びが、リビングに虚しく轟く。
信じていた仲間たちの、信じられない言葉。
“当たり前”を疑う3人と、それを“信じたい”大和。
この温度差は明確だった。
悪質な冗談を聞かされている気分。
大和は、その歪んだ空気を振り払おうと躍起になる。
「国の形が変わったら、取り返しがつかないことになるだろ! これまで培ってきたものはどうするんだよ! それに、生活に直接関わらなくたって、もっと深いところでオレたちに関わってるだろ!」
それでも返ってくるのは、冷ややかな無反応。
真澄も、蓮弥も、咲良も。
天皇の必要性を疑問視することで、そのまま“皇太子・陽仁を救うためにあの戦時下へ戻る”という選択肢を拒絶する理由に直結させている。
きっと――
3人はそれぞれがタイムスリップした時代において、天皇という存在に、救いなんて一つも感じなかったのだ。
大和は、そんなニュアンスを感じ取っていた。
それでも――
大和は引き下がれない!
「天皇はこの国に絶対に必要だ! それに陽仁は、次期天皇なんだぞ! 過去に置き去りにしたままでいいはずがないんだ! 今すぐ連れ戻さねえとダメなんだよ!」
大和が叫ぶ。
真澄がこれまでになく複雑で、けれど決然とした表情で口を開いた。
「ねえ、大和。もう私たちは、天皇という存在にすがらなくても生きていけるんじゃないかしら?」
「あ?」
「戦前やもっと昔なら、そういう制度が、国民を一つにまとめるために必要だったのは分かるわ。でも今の時代、その役目はもう終わっているんじゃないの? “成熟”した今の日本なら、そんな《象徴》がなくても、私たちは自分の足で立っていけるはずでしょ?」
「待て待て! その“成熟”だって、天皇や皇室の歴史があってこそだろ! お前、そんなこと外で言ったら怒られるぞ!」
「……ここに、大人なんていないわ」
そうだ。
その通りだ。
きっと大人がいるか、いないかなんて、関係ない。
これが真澄の、地獄を体験し、現代へ戻ってきた者の、忖度のない“本音”なのだ。
蓮弥が、言葉を探り当てるようにして言う。
振り切った真澄の発言と違い、今の日本の在り方に配慮する、蓮弥なりの言い分。
「ボクは、天皇が必要ないとまでは言わないよ。現に存在している以上、いても良いと思うし、それは構わない。だけど――」
「だけど、なんだよ?」
「またあの戦時下にタイムスリップするのは、もう嫌なんだ。あんなに怖い思いをして、命を危険に晒してまで……天皇や皇室、その、陽仁を助けに行きたいとは思えない」
「……っ!?」
絶句する大和。
さらに追い詰めるように、真澄が言葉を重ね、大和の心を折りにいく。
「私だって助けられるものなら助けたいわ! でも、あんな地獄みたいな世界にもう一度タイムスリップするなんて、御免よ!」
咲良が肩を震わせながら、消え入りそうな声で続いた。
「陽仁くんには悪いけど…あの時代に行くのは、とても怖い…もう、嫌…」
大和は、言葉を失う。
(薄情だ――!)
そう喉元まで声がきてるのに、言の葉を吐き出せない!
蓮弥も、真澄も、咲良も。
臆病なんかじゃない。
あまりにも真っ当で、あまりにも理解できてしまう反応なのだ。
ただ、刻み込まれた恐怖に体が拒絶反応を起こしているだけなのだから。
みんなが、あの戦時下でそれぞれ凄惨な目に遭った。
地獄を見た。
大和だって、降り注ぐ焼夷弾の下を逃げ惑い、極限の恐怖を味わった。
だから、3人の拒絶する気持ちは、分かる。
あの――戦争。
当時の日本において、天皇とは何だった?
それは現代のような《象徴》などという、穏やかなものではなかった。
絶対的な君主であり、神聖をたたえた国家元首。
不可侵の現人神。
日本の統治権と軍の統帥権を一身に背負う、最高権威。
実際には、軍部や内閣との複雑な権力構造の中で、制約も多かったかもしれない。
それでも国民の目には、日本の全てを司る、尊敬と畏怖を抱かせる存在として映っていたはずだ。
真澄が、さらに話を飛躍させる。
「ねえ……あの時代、天皇がいたから、あんなことになったんじゃないの?」
その言葉はもはや単なる疑問を超えて、“告発”に近かった。
大和の全身に、激しい動揺が走る。
大和だけではない。
真澄を擁護していたはずの蓮弥も咲良も、真澄のあまりにも直接的な一言に、硬直した。
「天皇が、日本を正しく導ききれなかったから……。だから、あんな戦争になったんじゃないの?」
「なんだよそれっ! 天皇のせいだって言うのか? そんなの正確じゃねーだろ!」
大和はすがるような思いで蓮弥と咲良を見た。
『それは言い過ぎだ』と、否定してくれると信じて。
だが、現実は残酷だった。
ふたりは真澄の言葉に異を唱えることはせず、ただ唇を噛み締めるだけ。
きっと――
これは、正確な歴史認識に基づいているかどうかなんて、関係ないのだ。
真澄が、蓮弥が、咲良が。
あの戦時下へ飛ばされ、死の影に怯えながら地獄を見た結果、そう感じ取ってしまったのだ。
大和は何となく察した。
自分も含め、4人全員が過去で凄惨な目に遭った。
あの凄まじい“戦争”を、ただの知識ではなく“体験”として刻んだ。
そこでは誰もが、天皇の名の下に戦い、天皇陛下万歳という空気しか吸うことを許されなかった。
その圧倒的な時代の頂点にいた存在に対して、子どもたちが負のイメージを抱くのは、ある意味で――“自然”。
けれど、大和の心には違和感が募る。
「なぁ? 恐怖と天皇が、強引に脳内で直結してんじゃねーか?」
構わず、真澄は容赦なく畳み掛ける。
「天皇に、日本が滅びかけた、あのアジア太平洋戦争の《戦争責任》は、あったよね?」
大和は、底知れない浮遊感に襲われた。
(オレは今……“何”と戦ってるんだ?)
目の前にいるのは、真澄。
それなのに、その背後にいる、別の“何”かと対峙している気がした。
「当時は色々な問題や背景があって、複雑だったんだよ!」
「ごまかさないで!」
真澄が身を乗り出す。
真澄もまた、大和を見据えながら、その背後にいる、別の“何か”と戦っていた。
「政治家みたいに曖昧にしないでよ! 『はい』か『いいえ』で、はっきり答えて!」
「ふざけんなっ! そんなの、二つに一つで考えられるほど単純なものじゃねーだろ!!」
大和も身を乗り出した。
ふたりの視線が激突し、リビングの空気が火花を散らす。
子ども同士の言い合いの域で片付けられない。
これは、地獄を見てきた者たちによる、真剣な討論!
剥き出しの問答!
蓮弥は顔を歪め、咲良は震える両肩を手で抑える。
ただ怯えたように、ふたりを見つめることしかできない。
やがて、真澄が絞り出すように言った。
その声は、悲しみに満ちていた。
「私は、あの時代の人たちみたいに天皇に、そして申し訳ないけど、陽仁くんに……自分の命をかけられない。だからもう、あの戦時下の日本へタイムスリップできない」
沈黙。
誰もが大和から視線を外し、俯いている。
結局、大和の想いは、誰にも届かなかった。
大和は――
真澄も、蓮弥も、咲良も。
本当は責めたくない。
3人を卑怯者扱いしたいわけじゃない。
けれど、我慢できずに――
やりきれない感情、陽仁を救いたいという想いから――
一線を越える発言をしてしまう――!
「助けに行かないってことは、陽仁を見殺しにするってことだっ!」
「……っ!?」
「じゃあ、お前らは! あいつが死んでも良いんだなっ!?」
蓮弥、真澄、咲良は同時に息を飲む。
絶望的な顔がそこにあった。
「オレたちだけ助かって、これから一生、平気な顔して生きていくんだなっ!!」
氷りついたリビング。
引きつった顔で固まる3人。
やがて、耐えきれなくなって、咲良が泣き出した。
咲良の悲痛な嗚咽が響き渡る。
やってしまった。
大和は、自身の発言を後悔する。
これは…
これは『言葉の暴力』だった。
気まずい重力に満ちた部屋で、つけっぱなしのテレビから、淡々としたナレーションが流れ始める。
それは日本が経験した、あの“戦争”の特集番組だった。
『かつて、日本は戦争へと踏み出しました。それは国を守るためだと信じられ、正義だと教えられた戦争でした。しかし、その結果―― 各地は焦土と化し、数百万人の命が失われる、大惨事となったのです。日本が滅亡しかけたアジア太平洋戦争は、戦場で銃や爆弾だけで戦われたものではありません。世界が、日常そのものが、徹底的に破壊された悲劇です。今回の特集では、数字や年表の裏側に隠された、あの戦争を見つめ直します』
なんというタイミングか。
夏のこの時期、日本では終戦のタイミングが重なり、至る所で戦争特番が組まれる。
悲劇を忘れないために。
未来へと語り継ぐために。
二度と戦争を起こさないために。
その戒めとして。
「もう嫌ッ!!」
咲良の悲鳴が、空気を引き裂いた。
大和も、蓮弥も、真澄も、目を丸くして咲良の方へ振り返る。
これほどまでに感情を剥き出しにした咲良を、誰も見たことがなかった。
「嫌! 知りたくない! もう、これ以上何も…! 忘れたい、あんな地獄…思い出したくない…!」
いたわるように手を伸ばした大和の手を、まるで拒絶するかのように。
咲良は溢れる涙を拭うことなく、悲鳴のように言葉を重ねる。
「テレビだって…『悲惨な戦争を二度と繰り返さないために、語り継がなきゃいけない』とか、『覚えておかなきゃいけない』とか、そんなことばかり言うけど…! わたしは、“忘れたい! 知りたくない!” 辛くて、悲しいだけなの…!」
咲良の声が、さらに一段高く響き渡る。
「悲劇を繰り返さないために知らなきゃいけないって…それを押し付けられるだけで、わたしはもう充分すぎるくらい悲しくなってる…! 戦争はダメ、二度とやっちゃいけない…そんなの、分かってる…! 痛いほど分かってるから…! お願いだから、もう過去の辛い記憶をいつまでも押しつけるのはやめて…!!」
「咲良……」
嗚咽し、崩れ落ちる咲良。
その姿を前に、大和も蓮弥も真澄も、金縛りにあったかのように動けなかった。
テレビ特集の音声だけが、淡々とリビングに流れ続ける。
人は、過去のすべてを背負いきれるわけではない。
たとえそれが“戦争”という、教訓として未来に手渡すべき大事な記憶であったとしても。
受け止めきれないほどの重荷を強いることは、時として救いとは真逆に働いてしまうかもしれない。
『日本人は、かつて国が滅びかけたあの凄惨な記憶を、忘れてしまっても良いのか?』
未来を築くためには、痛みを手放す瞬間も、きっと必要なのだろう。
――だけど。
――記憶を“呪い”ではなく、“祈り”に変えるには?
「そうだよな……」
大和は静かに語りだす。
「戦争の予防のため、平和のために過去を知ろうって言ったって、それが今の咲良を苦しめるんなら、本末転倒だよな?」
ゆっくりと、言い聞かせるような口調で。
「咲良が辛いなら、忘れてもいい。……あの戦争のこと、忘れていいよ」
その言葉に、蓮弥も真澄も動かずにいたが。
その沈黙は、肯定とは少し違う。
ふたりの瞳には『それで本当にいいのか?』という、葛藤が揺れている。
一度口を閉じ、大和はふっと視線を外した。
「けどよ――」
そして、どこか遠い場所を見つめるような目をして、独り言のように呟いた。
「あの戦争……なかったことには、できねーだろ」




