【第51話】皇女に課せられた極秘ミッション
天皇直属の侍従長・天海と皇女の逢子は、絶句していた。
“開いた口が塞がらない”とは、まさにこの事か。
内閣側から淡々と告げられたのは、想像を絶する最悪の不敬を孕んだ計画。
“警察庁・公安調査庁・内閣情報調査室による――”
《宮内庁職員全員の徹底監視》
つまり、皇室に仕える者すべてを“洗う”ことに他ならない。
皇太子・陽仁の失踪に関して、宮内庁内部の関与を疑っているのと同義である。
最大級の侮辱――いや、冒涜。
あまりに現実離れした内閣側の提案に、天海は怒りの沸点を超え、“虚無”になっていた。
内閣情報官は、その凍りついた空気を意に介さず言葉を重ねる。
「皇太子殿下の失踪に関して、なんら足取りが掴めません。この異常事態において、我々は“些細”な違和感すら逃すことは許されない。なので致し方なく、皇室に関わるすべての人間――すなわち宮内庁勤務者全員の個人情報を改め、秘密裏に通信、接触、動向、口座に至るまで一定期間、“確認”させていただきます」
前代未聞の、一斉精査。
天海はあまりの衝撃に、意識が遠のく。
しかし、内閣情報官の言葉は止まらない。
「その過程で、逢子様には恐れながら、皇室の人間にしか出来ない“お芝居”を幾つか打っていただきたく存じます。侍従長にはその立場から、逢子様を完璧にフォローしていただく。……具体的には、まず書陵棟において――」
「ふざけるなーッ!!」
天海の咆哮が茶室を震わせる。
感情のメーターは限界を超えて振り切れ、一回転して再び猛烈な怒りに達した。
もはや、皇女の前であることを慮って怒りを抑える場合ではない。
確たる証拠が無いにも関わらず、あり得ない暴挙。
法治国家として、あるまじき行為。
彼らがやろうとしていることは、国家を守るために、内側から壊そうとしている行為に相応しい。
「私だけではなく、逢子様にまで“スパイ”になれというのかッ!?」
天海の怒号は、強風のように小池官房長官を打ち据えた。
その嵐のような怒りを前にしても、内閣情報官は眉一つ動かさない。
冷淡な眼差しで突き放す。
「侍従長、我々が守るべきは“プライバシー”ですか? それとも“国体”ですか? どちらでしょうか?」
「……なんだと!?」
小池官房長官が、気遣うように言う。
「宮内庁の皆さんを疑っているわけではないんです。もちろん、我々も信じています。これは、いわば国家安全保障上の、情報の棚卸しです。そう、一種の安全管理のようなものなのです」
「詭弁だッ!!」
「皆さんが潔白であることを証明するために、信頼しているからこそ、その信頼が《外部》に利用されていないかを“確認”したいのです。これは万が一でも誰か《例外》がいないかどうかの、“点検”です」
噴火寸前の火山のように真っ赤に染まる天海の傍ら。
逢子は静かに大人たちの応酬を見つめながら思う。
恐らく疑われているのは、宮内庁そのものではなく、制度の隙間なのだと。
内閣情報官は淡々と告げる。
「これは“捜査”でも“調査”でもありません。陽仁殿下を連れ戻すための《環境整備》の一環です」
「言葉を慎まないかッ!!」
天海の放つ凄まじい威圧に、小池官房長官と内閣情報官の肩がわずかに揺れる。
「“捜査・調査”ではなく“確認・点検”だと? 卑怯な言い換えで誤魔化せると思うな! 我々宮内庁の人間は、代々、血を吐くような思いで陛下と皇族方の尊厳を守り抜いてきた。それを外部の人間が土足で踏み荒らすことを……私が! 宮内庁の全職員が! 黙って許すとでも思っているのかッ!?」
それでも、内閣側は退かない。
国家存亡という大義名分を掲げ、特例中の特例として押し通す気だろう。
天海は――攻め方を変えた。
彼らに“ペナルティ”を、突きつける。
「もし……宮内庁の人間をひとり残らず洗い、動向を監視し……その結果、何ら疑わしき事実が認められなかった場合、内閣はどう責任を取るつもりだ?」
天海の低い、殺気立つような声。
小池官房長官は、わずかに目を逸らした。
「宮内庁全体を巻き込み、皇室の人間さえも巻き込む。その結果責任の所在は? この“不敬”の顛末を、誰が! どの立場で! どう始末するのかッ?」
内閣情報官が、メガネをクイと押し上げて応える。
「先ほども申し上げた通り、本件は公式の“捜査・調査”としては一切記録に残しません。報告書も存在せず、会議録も作成されません」
――つまり、“なかったことに出来る”という事。
「逢子様もまた、いかなる意味においても協力した立場にはなりません。もちろん侍従長も同様です。おふたりは単に、安全に関する説明をお聞きになっただけです」
「……だから?」
「もし結果が“白”であった場合、内閣として、宮内庁の管理体制と職員の清廉性に一点の不審もなかったという評価を、関係機関全てで共有します」
「……それで?」
「それでこの件は終わりです。今後、二度と同じ疑いをかけないという約束をして、幕引きといたします」
天海は到底許すことが出来なかった。
皇女を巻き込んだ事実は消えない。
宮内庁を疑われた事実も消えない。
誇りを傷つけられた事実も消えない。
納得できるはずがない!
「……許さぬ。貴公らは、それ相応の償いをする覚悟を提示するべきだ」
天海は、彼らの政治生命、あるいは内閣そのものの進退を賭けさせる。
「もし“何も”出なかった場合、こんな馬鹿げた暴挙を立案した者たちを含め、内閣は即刻総辞職しろ。貴公らふたりは、今この場で“辞表”を書け! それが出来ぬのなら、この話は一歩も通させん!」
天海の気迫を前に、小池官房長官は頬をひきつらせる。
だが、内閣情報官だけはメガネをクイと押し上げ、まるで悪い冗談を聞かされたかのように、冷笑を浮かべた。
「我々が今ここで辞表を書き、総辞職を約束したところで、事態はさらに混乱を極めるだけです。それがあなたの望みですか?」
制裁を迫る侍従長と、それを合理性という盾で拒む内閣。
天海は一歩も譲らず、内閣情報官は冷徹に突き放す。
茶室の空気は膠着状態に陥り、収拾がつかなくなっていた。
そこへ、これまで沈黙を守っていた皇宮警察本部長・雨宮が、身を乗り出した。
「お言葉ですが、天海侍従長。たとえ関係者が総辞職したところで、苦労をおかけしてしまった逢子様の御心が晴れるわけでも、汚された宮内庁の誇りが戻るわけでもありません。そして何より――陽仁殿下は、帰ってこられないのです」
雨宮は天海を真っ直ぐに見据え、深く頭を下げる。
「逢子様と、宮内庁の皆様は――この雨宮が、命に代えてもお守りいたします。もし不必要に危険を晒す結果となった場合、その責めはすべて我ら皇宮警察が負います」
「……雨宮」
身内の、そして旧知の友の、剥き出しの覚悟。
天海の煮え繰り返っていた熱い血が、わずかに冷める。
逢子は、顔には出さぬよう努めていたが、大人たちの剣幕に翻弄され続けていた。
部屋に、重苦しい沈黙が流れる。
「……ところで」
天海が、未だ収まらぬ火種を目に宿したまま問いかける。
「宮内庁を疑っているというのなら、なぜ私にだけはこの計画を明かした?」
小池官房長官が待ってましたと言わんばかりに、膝を乗り出して応じた。
「それはもう、天海さん。あなただからですよ! 長年、宮内庁を支え、私利私欲に一切走らず、ただひたすら皇室の為に尽くしてこられた。その歩みそのものが、あなたの潔白を証明している。今この国で、我々が心から背中を預けられるのは、あなたしかいない!」
小池の言葉には調子の良さはあれど、天海に対する人間性の最大級の評価には変わりない。
天海の頑なな心が、わずかに揺らぐ。
その温まりかけた空気に、内閣情報官が冷水をぶっかけた。
「正確に申し上げれば、侍従長。あなただけはすでに過去十数年にわたって“精査済み”です。総合的な判断として“白”と確定しました。何より、この件においてあなたが皇室を裏切るメリットは皆無ですから。それに侍従長という立場の協力なしには、今回の“点検”は不可能です」
「…………」
天海のこめかみに、血筋が浮かび上がる。
侍従長としてのプライドを、冒頭から逆なでする――この男。
「官邸の諜報風情が……その生意気なメガネ、今すぐ叩き割ってやろうか?」
天海の、本気なのか冗談なのか定かではない脅しに対して、内閣情報官はメガネをクイと押し上げた。
「特注の強化素材です。割れるものなら、どうぞお試しを」
「貴様ッ!」
売り言葉に買い言葉。
侍従長と内閣情報官が、同時に立ち上がった。
「あーあー! やめなさいって! 君はどうしてそう、一言多いの? トゲがあるどころじゃないよ!」
小池が内閣情報官を非難しながら、慌ててふたりの間に割って入る。
天海の矛先が、仲裁に入った小池へと向かう。
「官房長官、貴様では話にならん! 総理を連れてこいッ!」
「私だってそうしたかったんです! でも総理には『私だと政治色が強すぎるから』って断られました! 警察庁長官だって『私では格が足りない』とか言って、丸投げしたんです!」
内閣情報官の矛先も、何故か小池に向く。
「小池官房長官。あなたは政界のトップ2という立場にありながら、素行がだらしなさすぎる。ふざけすぎています」
「いや、逆に官邸が殺伐としすぎなんだ! 君はどうしていつもピリピリしてるの!」
見かねた皇宮警察本部長の雨宮が、更に割って入る。
「今は戦後最大の危機ではありませんか! 一丸となって協力すべき時です! 責任は我ら皇宮警察がすべて引き受けますから、侍従長、どうか……!」
しかし、そもそも身内に裏切りの手引きをされた天海は、その言葉が火に油を注がれたように受け止められた。
「軽々しく言うな! 物事をもう少し考えてから発言しろ、この皇宮警察の面汚しめッ!」
「なんですと!?」
雨宮の理性も、弾け飛ぶ。
「天海侍従長、あなたこそ人のこと言えるんですか! この前、宮内庁長官が漏らしてましたよ! 『侍従長は宮内庁全体を独裁者のように仕切るから扱いづらい。何でもかんでも勝手に決めて困っている』と! その傲慢さに、ご自身で気づいていないんですか!?」
「な、何だと!?」
天海が真っ赤に沸騰した顔で、きっぱりと断じる。
「とにかく! これだけの不敬を働いて、“何もなかった”で済ませられると思うなぁーッ!」
気づけば――
国家の中枢を担うはずの大人たちが、子どものような取っ組み合いを始めていた。
忘れ去られてしまった皇女の逢子はひとり、呆気に取られる。
「皆様……」
目の前で繰り広げられる、大人たちの喧嘩。
しわになるスーツ、よれるネクタイ、外れるカツラ。
どうあれ――
この場にいる全員が、この国のことを想っていた。
逢子は深く息を吸い込み……
――『パンッ!』
思いっきり手を叩いた。
乾いた音が茶室に響き渡り、大人たちは凍りつくように静まり一斉に振り返る。
そこには、皇女の満面の笑み。
内閣情報官のメガネが、ずれ落ちた。
逢子は軽やかな声で、しかし断固とした口調で告げる。
「分かりました! では、その“何もなかった”という結論を、私は信じることにします」
この一言により、各々が皇女の“信頼”という名の逃げ場のない枷を嵌められた。
『“白”であろうが“黒”であろうが、何事もなかったかのように事態を終息させよ』
という、皇女からの無言の命令だと、大人たちは受け取った。
逢子の胸中に、静かな炎が灯る。
天皇と皇后の間に生まれた長女。
男性ではないから、皇位を継ぐ後継者にはなれない。
かつては、そう自分に言い聞かせていた日々もあった。
代わりに皇室の女性だからこそ、できることもあるのだと誇りを抱いて。
けれど、今は女性だからではなく――
“私”だからこそ、できることをしようと。
愛する弟を、そしてこの国を救うために。
これは文字通り、“誰にも知られてはならない”任務。
侍従長の天海がフォローしてくれるとはいえ、“孤独”な戦い。
皇女・逢子の、誰にも語れない国家の命運を担う“真の公務”が、静かに幕を開けた。




