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【第48話】零の会

挿絵(By みてみん)


今宵もまた、首相官邸地下の危機管理センターでは、張り詰めた空気の中で緊急会議が執り行われていた。

総理は公邸で就寝中。


出席者は、内閣官房長官の小池(こいけ)を筆頭に、内閣危機管理監、内閣情報官。

そして警察庁長官や警備局長といった警察組織のトップに加え、公安調査庁の幹部らも顔を揃えている。

他、礼装に身を包んだ者が隅の席に静かに座っていた。


小池官房長官が、手元の資料からふと目を上げ、呟く。


「ところで、なんで宮内庁の人間は一人も来てないの?」


室内に、沈黙が数秒間流れる。


その沈黙を解いたのは、警察庁警備局長だった。

事件発生から一睡もしていないのだろう。

彼の目の下には色濃い(くま)が浮き出ており、頬は削げ、見違えるほどに憔悴しきっている。


「宮内庁にはまだ知らせずに、まずはこちらで事態を精査してから――と、判断しました」


その言葉に、内閣情報官が鋭く反応した。

メガネを指先でクイと押し上げ、射抜くような視線を警備局長に向ける。


「つまり、報告内容には極めて機密性が高く、かつ宮内庁の耳に入れれば無用の混乱を招く恐れのある“機微”が含まれている。そういう意味ですか?」


「……そうです」


歯切れは悪いが、警備局長は重々しく頷いた。

その“機微”とは一体?


内閣危機管理監が、場の空気を引き締めるように口を開いた。


「分かりました。まずは内閣のメンバーで共有しましょう。あらゆる可能性を排除せず、現状を洗い出す。……いいですね?」


皇太子(はるひと)の失踪。

一歩間違えば国家の根幹が揺らぎ、存亡の危機に直結しかねない、未曾有の事態。

深夜の地下会議室で、国家の命運を左右する会議の幕が上がった。




「で、どう? 何か進捗はあった?」


単刀直入に、小池官房長官が切り出した。

報告に立つ警備局長に、もはや『成果なし』という回答は許されない。

けれども、失踪の経緯は依然として深い謎に包まれたまま。

行方不明の原因も、物理的な足取りも、何ひとつ説明がつかない。


「皇太子殿下の行方について、現時点で断定的な情報はございません。ですが――」


たとえ0.1パーセントでも、混迷を打破する糸口を掴むために。

警備局長は、絞り出すように言葉を続けた。


「皇太子殿下の失踪、ひいては皇室そのものへの直接的な関与を疑い、我々はあらゆる『反天皇制』を掲げる、またはそれに通ずる可能性のある組織を、その大小にかかわらず徹底的に洗いました。過去の過激派の残党から、現代の新興勢力に至るまで、1ミリの可能性も残さぬよう――」


警備局長が、端の席に座る男に視線を送る。

男は短く頷くと、警備局長に代わって報告を引き継いだ。


「公安調査庁の氷室(ひむろ)です。公安警察と合同で進めた調査の中で、懸念事項が浮上しました。この場を借りて、閣僚の皆様にも共有させていただきます」


「ほぅ……聞かせてもらおうかな。何が分かったの?」


小池官房長官が促すと、氷室は手元の薄いファイルを広げた。


「日本全国の反皇室、反政府、反社会的な勢力。更には共和主義者、極左過激派、あるいは極右団体に至るまで。これらを対象に、絨毯爆撃のようなローラー作戦を実施しました。規模、構成員、活動歴、思想背景、そして現時点での潜在的リスク――

それらを最新の解析技術で“再評価”し、リストアップしたのです」


その報告に、内閣危機管理監が驚きを隠せずに身を乗り出した。


「それはまた……凄まじいスケールの捜査ですね。短期間でそれだけの組織を洗うのは並大抵の苦労ではなかったでしょう?」


「ええ。ですが、その膨大な情報を掬い上げていく中で、これまでノーマークだった――というより、我々が“気にも留めていなかった”ある団体が、異常なノイズとして浮かび上がってきたのです」


会議室内がざわめく。

内閣情報官が、鋭い眼光を放ちながらメガネをクイと押し上げた。


「その団体に、固有の団体名は存在しません。表向きの活動内容は、歴史や戦史の研究、あるいは戦争責任の追及といった資料収集活動に留まっています。この種の団体は国内に多数存在し、活動自体も合法の範囲内です」


「……じゃあ、何が気になったの?」


小池官房長官が、煙に巻かれたような顔で問う。


「メンバーの現在地も、交友関係も、行動記録すら、不明なのです。まるで、この世から消えているかのように」


“この世から消えているかのように”


氷室の言葉に、その場にいた者たちは室内の温度が数度下がったような錯覚を覚える。

構成員個人の足取りが、公安の網に一切かからない。

そんな事が出来るのか?


小池官房長官が尋ねる。


「つまり……その“実体のなさ”そのものが異常だってこと? 公安の追跡をもってしても、影すら踏ませないという?」


「はい。その、徹底して“痕跡を残さない”という一点において、今回の皇太子殿下の失踪劇と、あまりに奇妙な一致を見せているのです。我々は殿下と同様に、この世界から消えたかのように身を隠す彼らを、特殊な秘匿性のある団体として注目しました」


「殿下の失踪と、同じ隠れ方ですか……」


内閣危機管理監の顔から余裕が消えた。


「便宜上、公安内部ではこの団体を『(ゼロ)の会』と呼称しています。『ゼロ』のメンバーたち、つまり痕跡が掴めない者たち、という意味です」


「零の会……」


会議室にいた者たちが、その不気味な響きに息を飲む。

構わず氷室は報告を続ける。


「零の会という団体の存在自体は、過去のわずかな資料や断片的な公開情報から確認できます。しかし、通常の団体であれば容易なはずの“個人の特定”や“拠点への追跡”が、彼らに対しては全く機能しないのです」


誰もが息を飲む中、内閣情報官だけは毅然とした態度のまま、確認するように問い直した。


「皇太子殿下が遊就館(ゆうしゅうかん)で忽然と姿を消したように、彼らもまた、常習的に《消失》を操っている。その共通点に、捜査上の重点監視対象としての価値があると判断されたわけですか?」


氷室は深く、重々しく頷いた。


「はい。我々の理解の及ばない“何か”を内包した団体である――それが私の所感です」


内閣危機管理監が、苦渋に満ちた表情で唸る。


「実体の掴めない組織、零の会……」


小池官房長官が、凍りついた室内の空気を融解させるかのように、茶化すように言った。


「なんだか、“かくれんぼ”が、流行ってるみたいだねぇ……」


内閣情報官は構わず、射抜くような視線で氷室を追及する。


「で、その零の会が収集している具体的な情報の内容は?」


「はい。今回、我々が本腰を入れて彼らの動向を精査した結果――

とりわけ、戦時下における《天皇陛下の戦争責任》を裏付ける、極秘資料の収集に重点を置いている兆候が確認されました」


小池官房長官が、控えめに苦笑いする。


「それはまた、穏やかじゃないねぇ……」


もしその資料が“本物”であれば、零の会は単なる不気味な思想団体に留まらない。

一気に国家の根幹を揺るがす脅威へと格上げされる。

だが――

そんな機密資料を、市井(しせい)の団体が手にできるとは到底思えない。


「でもさ、そういう話はよくあるよね? 謎の証拠だの、根拠の乏しい暴露本だの。いわゆる陰謀論の類じゃないの?」


小池官房長官の言葉に同意するように、会議の出席者の何人かは『そんな馬鹿な』という、冷笑的な空気を作っていた。


しかし――氷室は重い口を開いた。


「我々も当初はそう考えていました。ですが、彼らが断片的に公開している情報や、その収集経路を予想した結果、他組織とは一線を画す、決して無視できないレベルの情報精度であることが判明したのです。彼らが示唆している《証拠》には、我々ですら把握していない歴史の暗部が含まれている可能性があります」


氷室は一度言葉を切り、会議室の隅に座る礼装の男に視線を向けた。


「これより、その情報の“信憑性”と“重大性”について、専門家から説明をさせていただきます。……どうぞ」


部屋の隅、影に溶けるように座っていた老紳士が、静かに立ち上がり一礼した。


「……失礼いたします。国立大学人文科学研究所の霧崎(きりさき)です。日本近代史、特に近代天皇制における文化史を専門としております」


その場の空気が、老紳士の発する知性によって塗り替えられていくようだ。

内閣幹部たちも、その威厳に押されるように、居住まいを正して頭を下げた。


「霧崎教授。零の会が示唆する“資料”がもし実在し、世に出た場合、この国はどうなるのか――。客観的な見解を伺いたい」


氷室の促しを受け、霧崎はゆっくりと口を開いた。


「……内閣官房長官殿。あなたはダグラス・マッカーサーをご存知ですね?」


唐突な問いに、小池官房長官は面食らったように応えた。


「マッカーサー? ああ、あのパイプを咥えた戦後の日本を指導したアメリカ人のこと?」


横から危機管理監が補足する。


「アジア太平洋戦争直後、連合国軍最高司令官(GHQ)として日本を占領統治した人物ですね」


「左様です。先の日本が滅亡しかけた大戦における天皇の“戦争責任”。零の会が提示しようとしている資料は、巷の団体が叫んでいるような生半可な代物でも、根拠なき陰謀論の類でもありません。端的に申し上げれば、もし戦後当時、その資料がマッカーサーの手に渡っていれば――


彼がどれほど《天皇制》を利用したくても、それが物理的に不可能になるほどの……弩級(どきゅう)の破壊力を持ったものです」


「……え?」


小池官房長官が間の抜けた声を漏らす。

危機管理監が険しい表情で、また補足した。


「戦後、天皇を戦犯として裁くべきだという国際世論は苛烈を極めました。ですがマッカーサーは、国民の精神的支柱である天皇を廃止すれば、日本統治に甚大な障害が出ると判断しました。それ故に、天皇を《象徴》として残すという極めて高度な政治判断を認めたのです」


「仰る通りです」


霧崎教授が、冷静沈着に断じる。


「しかしながら、もし“天皇の決定的な責任”を示す揺るぎない物証が明るみに出ていれば、GHQといえど天皇免責は不可能です。マッカーサーは、占領政策の根幹を維持するためにも、天皇制そのものを解体せざるを得なかったでしょう」


内閣情報官が静かにメガネをクイと押し上げ、霧崎教授に質問する。


「それはつまり、日本という国が、別の形になっていたということですか?」


「そうです。零の会が断片的に公開している情報は、既存の公文書には一切存在しないものばかりなのです」


ざわめきが、波のように会議室に広がった。


「あくまで一例ですが。危うい言動で知られた皇族軍人の発言、開戦直前の御前会議における極秘の開催日時、更には当時の占領地における違法性を認識した上での統治議論の同席者の組み合わせに至るまで……。彼らはピンポイントで言い当てている。さらに恐るべきは、現存する史料の“欠落部分”です。彼らはそこに何が書かれていたかだけでなく、『なぜ、誰の手によって消されたのか?』を正確に指摘しているのです」


「……」


会議室を静寂が支配する。

もはや静寂ではなく、肺が押し潰されるような重圧だった。

公安調査庁の氷室が、冷徹な口調でその沈黙を切り裂く。


「零の会は、その《証拠》の全貌を公にはしません。しかしそれは、彼らが手札を持っていないからではない。むしろ、その逆です」


霧崎教授が、重々しく首を縦に振って同意した。


「その通りです。彼らが断片的に漏らしている情報は、後世の歴史家の推測や、二次的な資料の焼き直しでは説明がつかない。一次史料――それも、歴史の闇に葬り去ったはずの未公開史料を直接目にしていなければ、これほど正確な指摘は不可能です」


氷室がさらに言葉を重ねる。


「何より不気味なのは、彼らの情報の“扱い方”です。到底、素人の業ではありません。『どこまでの情報を流せば、誰が一番窮地に陥るか』を、正確に把握している。――これは、告発者の動きではない。“交渉材料”として扱っている人間の動きです」


内閣情報官がメガネをクイと押し上げ、静かに言った。


「本当に切れるカードを持っている者の振る舞い…だと?」


「左様です。零の会が示唆しているのは、単なる“天皇個人の戦争責任”という抽象的な議論ではない。彼らが狙っているのは恐らく、戦争遂行における最終意思決定構造の全容……すなわち《統帥・裁可・黙認》という一個の統治者の具体です」


氷室は、一度視線を周囲に巡らせた。


「これまで、彼らは情報を“匂わす”程度に留めていたため、我々も深刻な脅威とは見なしていませんでした。また、現時点において、皇太子殿下の失踪と彼らを結びつける確固たる物証も皆無です。


ですが、それでも、彼らがもし本気でこのカードを切ったとしたら。それはこの国の形を、根底から変えてしまいかねない。それほどまでに、底の見えない団体と言っても過言ではありません」


再び沈黙。

会議室を支配する静寂は、もはや肺が押し潰されるような重圧すら通し越し、苦痛を感じさせるほどだった。

出席者全員が、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、認めざるを得ない結論に達していた。


“これは本物だ”


もし、零の会が本当にそれを握っているのだとしたら、単なる歴史解釈の問題ではなく――

現代日本という国家の“正統性”そのものの、破壊材料となり得る。


最悪のシナリオが浮かび上がる。

その破壊材料が完全に投下されれば――


国家の象徴たる皇族の権威が失墜する。

国民の信頼は一瞬で揺らぎ、政治的混乱も避けられない。

外交上も、日本の体制そのものが疑念にさらされる。


戦後日本が築き上げてきた全てが否定される。


零の会は――

歴史と国家を、人質に取っている――!



説明を終えた氷室と霧崎に代わり、警備局長が顔をしかめながら口を開いた。


「それほどの証拠を持つなら――身元を隠す技術も、失踪するように痕跡を残さない技術も、一流でしょう……」


小池官房長官が、絞り出すような声で言う。


「……これは、扱いを間違えれば、戦後日本の無謬性(むびゅうせい)そのものが崩壊するかもねぇ……」


内閣危機管理監もまた、絞り出すように口にする。


「慎重に……どこまでも慎重に扱わなければなりません」


誰もが深刻な事態に身震いする中、小池官房長官がふと、ぽつんと漏らす。


「しかし不思議だねぇ。一体どうやって、そんな“資料”を入手するんだろうね?」



その問いに応じるかのように、静かに覚悟をにじませるように、警備局長が口を開く。


「小池官房長官、ならびに閣僚の皆様。……不躾ながら一つ、嘆願がございます」


警備局長は、その場に崩れ落ちんばかりの勢いで深々と頭を垂れた。


「……我々に、一か八かの賭けをさせてはいただけないでしょうか?」


小池官房長官が身構える。


「えっ、何? 藪から棒に、何の話?」


すると、隣にいた警察庁長官までもが警備局長に習って深く頭を下げた。

それを見た他の警察幹部たちも、ドミノ倒しのように次々と頭を下げていく。


「な、一体何なんです? これは!?」


内閣危機管理監が、狼狽を隠せずに声を震わせた。


「……どうか内閣の皆様にも、我々の案に乗っていただき、我々と共にこの“危ない橋”を渡っていただきたい……!」


警備局長の、悲痛とも受け取れるかすれた声。


内閣情報官は一切表情を変えず、ただ黙ってメガネをクイと押し上げた。


小池官房長官は、本気で逃げ出したそうな顔をして、勢いよく席を立つ。


「怖い!怖いって! ちょっと総理を起こしてきてもいいっ!?」



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