【第40話】大和・陽仁編⑤陽仁の告白
20時48分
夜の闇は、令和のそれよりも深く、どこか荒涼としていた。
遮光カーテンで閉ざされた室内は一寸先も見えない。
遠くで響く夜警の拍子木の音が、ここが戦時中であることを思い出させる。
陽仁の左頬は、いまだに熱を持ってズキズキと痛んでいた。
隣で布団にくるまる大和の衣揺れ音が聞こえる。
「……陽仁。起きてるか?」
静寂の部屋で、大和の低い声が響いた。
「うん。起きてるよ」
「その……さっきは殴って、悪かったな。せっかくのお米があんなことになっちまって、オレ、頭に血が上っちゃってさ。……痛かったろ?」
大和の声に、いつもの快活さはない。
陽仁は暗闇の中で、小さく首を横に振った。
「いいんだ。殴ってくれて、ありがとう。おかげで少し、目が覚めた気がするんだ」
「……ん? 目が覚めた?」
沈黙が流れる。
陽仁が決心するまでの間だった。
「ねぇ大和……今更だけど、本当のことを話しておかなきゃいけないと思う。ぼくがどうして、あのご飯を食べられなかったのか。ぼくが、本当は何者なのかを……」
陽仁はゆっくりと身を起こし、布団の上に座り直した。
その気配に押されるように、大和も同じように起き上がる。
「実はね、ぼく……令和の時代では、皇太子だったんだ。……窮屈な生活が嫌になって、逃げ出してきちゃったんだけどね」
静まり返った部屋が、さらに深い沈黙に包まれた。
大和は言葉を失い、ただ目を見開いて暗闇で見えない陽仁の方向を凝視している。
「……は? 皇太子? えっと、それって、次の天皇ってことか……?」
「うん、そうだよ。そして、今この時代で『天皇陛下』と呼ばれているのは、ぼくにとっては、ひいおじいちゃんにあたる人なんだ。……ぼくと、血が繋がっているんだよ」
陽仁の声は、微かに震えている。
「町を見てよ、大和。みんな、『陛下のために』って言って、お腹を空かせて、家を焼かれて、亡くなっていく。皇室の……ぼくの家族の名の下に、この戦争は続けられているんだ」
陽仁は爪が食い込むほど、拳を強く握りしめていた。
「みんなの犠牲の上に立っているぼくが、どうして平気な顔をして、泉美さんが着物を売ってまで用意してくれた白いご飯を食べられる? ぼくが食べれば食べるほど、この時代の人たちの命を、ぼく自身が奪っているような気がして……。そんな自分が許せなかったんだ」
平和な令和に育ちながら、突然、己のルーツが最も残酷な形で国民を苦しめている時代に放り込まれた少年の、逃げ場のない悲痛な想いだった。
「ぼくは……日本を戦火に導いてしまった、自分の血筋が……怖い」
大和は、しばらく何も言えなかった。
これまで、なぜ陽仁がいつも必死な顔をして、時々怯えるように、暗い表情で畑仕事をしていたのか。
それが単なる重労働のせいではなかったことに、合点がいった。
「……そうだったのか」
大和の呟きは、重い闇の中に静かに溶けていく。
しばらくの沈黙。
遠くでまた、夜警の拍子木の音が聞こえた。
やがて――
大和は少しだけいつもの調子を取り戻すと、暗闇の中で陽仁の気配を探るように言った。
「でもさ、血が繋がってるとか、皇族だとか、そんなの関係ねーだろ? この昭和の時代にいる限り、陽仁は皇太子じゃねーもん。ただの陽仁だ」
陽仁が息を飲む音が聞こえる。
大和の言葉は止まらない。
「ひいおじいちゃんが天皇で、血の繋がった家族だったとしても、陽仁自身が何か悪いことをしたわけじゃないだろ? それに、オレはこの時代の天皇が悪者だなんて思ってねーよ」
大和は少し考え込むように間を置いた。
「……まぁ、責任がゼロとは言えねぇのかもしれないけどさ。天皇が日本で一番偉いって言っても、何でもかんでも一人で決められたわけじゃないだろ? 独裁者じゃないんだからさ。周りの意見も聞かなきゃいけねぇだろうし、偉い人には偉い人なりの、オレらにはわからねぇ苦労がきっとあったんだよ」
大和は令和の授業で断片的に聞いた知識を、必死に手繰り寄せていた。
「アジア太平洋戦争の頃って、日本だけじゃなく、世界中がどうかしてた時代なんだろ? 天皇だって、きっとそんな荒波に振り回されてたんだと思うぜ。……だからさ、昭和ってのは、そういう“世界”だったんだよ」
「……大和」
大和は布団を跳ね除け、陽仁のいる方へ力強く語りかけた。
「なぁ、陽仁。歴史を変えることなんて、オレらにはできねーんだ。オレらに出来ること、それはせめて昭和のこの時代、日本の過去を知ろうとすることだけだ」
大和の声が、暗闇を突き抜けるような強さを帯びる。
「ぶちゃけ、オレ、天皇って何が凄いのかよく分かんないんだけどな。とりあえず、日本の《象徴》なんだろ? 皇族もさ。だったら陽仁! 辛いかもしれないけど、日本が滅亡しかけたこの時代の痛みも苦しみも、今はしっかり目に焼き付けておいてくれよ! んで、元の時代へ帰ったら、それに押し潰されるんじゃなくて、それを背負った上で最高の皇太子になってくれっ!」
そして最後に、少し照れくさそうに笑いを含ませた。
「ようは堂々と生きてくれってこった。日本国民、みんなが見てるからな! 頼むぜ? 次期天皇様!」
「……ふふ。そう、だね……」
大和につられ、陽仁の声にわずかに活気が戻って来る。
「陽仁が天皇になったら、元号も新しくなるんだろ? めちゃくちゃカッコいいやつにしてくれよな!」
「……それは、ぼくが決められることじゃないと思うけどな」
一見、能天気で、単純で、何も考えていないと思っていた大和。
けれど彼は、誰よりも強く、しなやかな心を持っていた。
皇太子という重責でもなく、呪われた血筋でもない。
その存在を肯定されたことが、陽仁にとってどれほどの救いになったか。
大和と陽仁。
ふたりの絆は、この昭和の夜の闇よりもずっと深く、濃く、強いものへと変わっていった。
陽仁は、まるで憑き物が落ちたように心が軽くなっていた。
やがて暗闇の部屋には、すやすやと、陽仁の穏やかな寝息。
しかし――
隣の布団で包まっていた大和は、それどころではなかった。
告白された事実が今更のように脳内で膨れ上がり、布団の中で戦々恐々としていたのだ。
(待て待て、落ち着け……)
(てことは、さっきオレは夕飯の席で、天皇の息子を殴ったってことか!?)
冷や汗が頬を伝う。
(やべーだろ! 現代に戻ってからそれがバレてみろ。警察に捕まって、一生牢屋から出られないかも……)
(最悪……死刑とか!?)
大和は、布団の中でガタガタと震え続けた。
ふと、陽仁の頬を殴った右手の感触を思い出す。
制御できなかった怒り。
言葉ではなく、手が出てしまった。
「オレみたいなやつが大人になったら、きっと戦争をするんだろうな……」




