【第37話】大和・陽仁編②没入体験型の歴史ツアー!?
昭和の東京の町並みは、令和のものと天と地ほどの違いがあった。
アスファルトではなく、踏み固められた地道。
車がまったく走っていないので、排気ガスの臭いもない。
通りに立ち並ぶのは、黒ずんだ板塀や、瓦屋根の控えめで落ち着いた家々。
質素、その一言に尽きる。派手さというのが、まるでない。
どの家も窓ガラスには白い紙がバッテンに貼られている。
空襲の衝撃でガラスが飛び散らないための工夫。
陽仁はそれを、この時代の風習や、デザインのようなものと思って眺めた。
屋敷も点在しており、美しいはずの下見板張りの壁が、真っ黒に塗りつぶされている。
夜、空襲にやってくる爆撃機に、見つからないようにするための工夫。
大和はそれを、忍者風の棲家にリニューアルするのかなと思って眺めた。
かつては美しい芝生や花が植えられていたであろう広い庭や公園。
それがどこもかしこも掘り返され、カボチャやサツマイモの蔓が這い回っていた。
観賞用の植物よりも、生きるための食糧が土を埋め尽くしている。
角を曲がると目に入ってきたのは、道端に掘られた防空壕だ。
横穴がぽっかりと口を開け、その上には土嚢が積み上げられている。
昭和の子どもたちが、かくれんぼして遊んでいた。
路地裏にも子どもたちを見かけ、竹馬をしたり、地面に円を描いて飛び跳ねて遊んでいる。
服装はボロボロでも、笑い声は令和の放課後と何も変わらなかった。
「何だかさ、異世界を冒険してるみたいで、楽しいな」
大和の能天気な発言に、陽仁は肩を落とす。
「大和~! そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ~! これからぼくたち、どうするか考えないと!」
「まぁ、慌てんなって! オレたちは没入体験型の歴史ツアーしてるって思えばいいじゃん?」
「没入体験型の歴史ツアー!?」
「そうそう! 日光江戸村とか、犬山明治村とか。そのスケールが更に大きくなったバージョンだと考えれば良いんだよ!」
「なんだそれ~!?」
陽仁は、大和の奇天烈な解釈に声が裏返った。
「陽仁は家族と旅行で、そういうところ行ったことないのか?」
「行ったことないよ!」
(お父さんもお母さんも年中、公務で忙しいから…そんな家族旅行なんて……)
しかし――
大和のお気楽なマイペースっぷりに感化され、陽仁はふっと笑いをもらした。
(…そうだね、焦っても仕方がない。ぼくたちは今、本当に歴史の中を冒険しているような状況なんだ。こういう時こそ冷静にならなくちゃ!)
都会の音がしない東京。
車のクラクションも、信号機の音も、コンビニの入店音も、スマホの通話音も一切ない。
やけに空の広い東京。
ビル群に追いやられ、切り取られていた空は、今や何ものにも遮られることなく、どこまでも続いている。
心を弾ませるようにして隣を歩く大和を見て、陽仁も少しだけ肩の力を抜いた。
不安は消えないが、昭和の情緒、というものが現代っ子の陽仁にも何となく理解できるのだった。
住宅街を抜けて、少し開けた空き地に出たときだった。
「エイッ! ヤアーッ! タァーッ!」
鋭い叫び声が、耳に入ってくる。
大和と陽仁が足を止めると、そこには異様な光景が広がっていた。
空き地に集まっていたのは、軍人ではない。
年配の男性や、女性たち、それに自分たちと歳の変わらない子どもたち。
彼らは、一列に並んで尖った竹の棒を握りしめていた。
合図とともに突き出しているのは、木で作られた粗末な人形。
“打倒、米英”と、墨で記されている。
「……竹槍訓練だ」
陽仁は歴史の教科書で見た写真が、そのまま目の前で動き出したような感覚に陥り、唖然とした。
皆が必死な形相で、竹槍を突き出している。
そんな緊迫した空気の中、馬鹿にするように大和がゲラゲラと笑い出した。
「あっはっは!陽仁、見てみろよ! あんな竹の棒で、戦闘機や戦車、銃もってるアメリカ兵を倒せるわけないじゃん。無理ゲーすぎ!」
凍りつく空気。
「大和ーっ! 声がデカいーーっ!」
慌てて大和の口を塞ごうとする陽仁だが、もう遅い。
竹槍訓練をしていた者たちは動きを止め、一斉に顔を真赤にしてこちらを睨みつけてきた。
「うわぁ~! 逃げろ~!!」
ふたりは路地に逃げ込み、息が続かなくなるまで走り続けた。
「はぁ…はぁ…。大和にはさっきからヒヤヒヤさせられてばかりだよ!」
「だって、そうだろ! 竹VS鉄だぞ! どう考えても勝てるわけないだろ?」
「いやぁ、まあ正論なんだけどさ…。ちょっと空気読んでほしいというか……」
「空気は読むもんじゃなくて、吸うもんだろ!」
(あぁ…言うと思った。大和ならそう言うと思ったよ……)
少し肝を冷やしたふたりだが、その後もふらふらと町をさまよい――
辺りが暗くなってきた。
「もう夜になるぜ。オレお腹空きすぎて、さっきの竹槍がアスパラガスに思えてきたよ…」
「う~ん、どうしよっか。とりあえず、寝泊まりできる場所を探そう」
「……ねぇ、坊やたち。さっきから見ていたけれど、行く宛がないの?」
路地の影から声をかけてきたのは、古びた割烹着を着た、痩せた中年女性だった。
彼女の手には、配給でもらってきたサツマイモの包みが握られている。
陽仁は警戒して、もう失言させないと、大和を引き寄せた。
だが、女性の目は鋭い監視の光ではなく、どこか遠くを見るような、悲しい色をしていた。
「うちの息子たちもね、あんたたちくらいの時に、そんな風に元気に歩き回っていたわ。今はもう、会えないんだけどね……」
大和と陽仁は、ただ黙ってその言葉の意味を考える。
女性は寂しそうな顔を一変させ、微笑んだ。
「今夜はうちに泊まりなさいな。泊まる場所を探してるんでしょ?」
「えっ、おばさん、いいの? やったぜ!!」
「あ、ありがとうございます!」
女性は、沼田 泉美と名乗った。
路地裏の長屋とも一軒家ともつかない、木造の家に大和と陽仁は案内される。
宿だけではなく、夕飯もご馳走してくれるという。
サツマイモが焼き上がるのを、大和と陽仁は居間で待つ。
部屋の隅にある、重厚な木箱のような形をしたラジオから、唸り音が聞こえ始めた。
大和が面白がってダイヤルを回すと、ノイズの向こうから、途切れ途切れに男の声が響いてくる。
『……本日、昭和二十年…五月◯日…大本営発表…我が帝国陸海軍は…沖縄本島において…敵米軍の猛攻を受けつつも…これを各所において撃退し…甚大なる損害を与え――』
陽仁の背筋に、ゾクリとした悪寒が走った。
(……昭和20年……1945年か。やっぱりここは戦時下の日本だ……)
夕食のサツマイモが準備できた頃、奥の部屋に引っ込んでいた家の主が姿を現した。
沼田 清という名のご主人。
日焼けした顔に深い皺を刻んだ、いかにも職人気質の気難しそうな老人だった。
しかし、その瞳にはどこか慈しみを感じさせる光が宿る。
ちゃぶ台を囲み、皆で夕食を摂る最中、大和と陽仁は軽く自己紹介し、身寄りがないことも説明した。
混乱や疑いを避けるため、とりあえず自分たちが未来からタイムスリップしてきたことは言わなかった。
清は、じろりとふたりを見つめ、煙草をふかしながら重々しく口を開く。
「……行くあてがないなら、ここに居ればいい。だがな、坊主たち。この国に、ただ飯を食えるほど余裕のある場所はどこにもねぇぞ」
陽仁は頭を下げて、即座に答えた。
「何でもします! 掃除でも力仕事でも。だから、ぼくたちを置いてください!」
大和も慌てて隣で頭を下げる。
「オレ、体力には自信あるよ! ゲームのレベル上げより、雑草抜きの方が得意かもしれないし!」
清は、大和の『ゲーム』という不思議な言葉を無視して、頷いた。
「なら明日から、俺の仕事を手伝え。山手の旦那衆の庭を回って、食糧を育てるための畑作りだ。やることは山ほどある」
「分かりました!」
大和と陽仁の威勢のいい返事に、清は口元を綻ばせる。
「よし。お前たちは今日から、空襲で焼け出された“親戚の子”って設定だ」
清はそう言うと、役所へ出すための書類を用意する。
“配給台帳”に”家庭票”。
大和と陽仁、ふたりの存在が公的に認められれば、食糧配給量は2人分追加される。
清は《裏技》を使う。
当時は空襲が激しく、家を失った人々が親戚を頼って訪ねてくることはよくある事だった。
混乱期であった為、役所も『親戚の子です』と言われれば、細かく戸籍を調べ上げる余裕はなかったのだ。
「これを書いて、役所から承認印をもらう。そうすれば、お前たちの分の“米穀通帳”が貰える。それでようやく、一人前の人間扱いだ」
清はそう言って、書類を書くために鉛筆を取り出した。
「お前たちの本名、漢字を教えろ。……まずは、そっちの調子のいい方だ」
「はい! オレは伏見 大和って言います! 漢字は――」
大和が胸を張って名乗り、漢字を教えると、清は書類を書く手を止め、ふむ、と鼻を鳴らした。
「伏見か……京都の方の出か? 大和って名前も、立派だな」
「あ、はい! たぶんそんな感じです!」
大和が適当に合わせる。
(伏見……大和の苗字って、伏見だったんだ……)
皇室教育で四親王家について学んでいた陽仁は、伏見宮の名を思い起こした。
「で、礼儀正しい方、陽仁……と言ったか。お前の本名はなんだ?」
陽仁の心臓が、跳ね上がる。
(……まずい。ぼくには苗字なんてない。でも、ここで正直に『苗字はありません』なんて言ったら……)
冷や汗が額を伝う。
陽仁は、苦し紛れに口を開いた。
「……伏見 陽仁です」
「なんだ、お前ら、顔立ちが全く違うのに、兄弟だったのか」
小声で大和が陽仁を小突く。
(おい、陽仁、何でオレと同じ苗字言うんだよ。絶対違うだろ)
(いいじゃない、もともとぼくたちはこの世界では架空の人物みたいなものなんだから)
(ったく、よくわかんねーけど、しょうがねえな。じゃあオレが兄ちゃんな!)
(うん、わかった)
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伏見 大和(12歳)
伏見 陽仁(11歳)
備考:戦災により住居喪失。縁故により寄留。
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清は、書類を書き終えた後、苦笑いした。
「お前ら、狙ったように随分と格式高い名前だな。その名に負けないように、明日からはしっかり働けよ」
「はいっ!」
「……いい返事だ。お前たちは、俺の女房、泉美の遠い親戚ってことにする。大きな寺か神社の家系だったが、空襲で焼かれて、縁のあるうちを頼ってきた――そう隣組には話しておくからな!」
かくして、大和と陽仁はただの居候ではなく、沼田家の親戚としてこの世界で生活していくことになった。
泉美が離れの和室に敷いてくれた布団に包まって、寝床につくふたり。
目が慣れてくると、天井の木目は、どこか生き物の模様のように見えて不気味だった。
「……なぁ、陽仁?」
「え? どうしたの?」
「オレたち、未来の日本からタイムスリップしてきたこと、言わなくて良かったのか?」
「うん……どうせ信じてもらえないだろうし。動揺させたり、疑念を持たれたくないからね……」
陽仁は、自分が令和の天皇の息子、皇太子であることすら大和にはまだ告白できていない。
タイミングを逃し続けて、もはや言う必要性もないのかなと思っていた。
「……ねぇ、大和?」
「ん? どうした?」
「ぼくたち、もとの時代に戻れるかな……」
大和は大きなあくびをして寝返りを打ち、壁の方を向いた。
「オレたち、わけわかんないうちにタイムスリップしただろ? だからそのうち、またわけわかんないうちに現代に帰れるだろ」
しばらくして、大和のいびきが聞こえてくる。
「くかー! くかー!」
(大和は…メンタルが強いというより、肝が据わってるというよりは…)
(何も考えていないだけだー!)
その日の夜、陽仁はなかなか寝付けなかった。




