【第36話】大和・陽仁編①令和の皇太子、昭和の近衛兵に頭を下げる
突然の烈しい光と、宙に放り出されたような浮遊感に襲われた大和と陽仁。
ふたりが次に目を開けた時、そこは先ほどまでいた遊就館でも、靖国神社の境内でもなかった。
視界に飛び込んできたのは、やけに広く、そして低く感じる空だ。
太陽はまだ高い位置にあるというのに、大気はどんよりと灰色に淀んでいる。
風が吹くたび、鼻腔を突くのは湿った土と草の匂いと、ほのかな鉄の混じった焦げた臭い。
「陽仁、大丈夫か?」
「うん……ここは、どこだろう?」
おぼつかない足取りで、周囲を見渡す大和と陽仁。
足下には延々と続く玉砂利の道と、深い緑を湛えた堀。
その先には、威圧感すら漂わせる重厚な石垣が、静まり返った空気の中にそびえ立っている。
江戸時代のお城のような特徴的な建物。
見たことない風景のはずなのに、陽仁は既視感を抱く。
(この外観と堀、どこかで見たことあるような……)
陽仁は視界の端に捉えた“ある造形”を見て、息を飲んだ。
(あれは桜田門に……二重橋!? 間違いない!!)
「や、大和! ここは皇居の外苑だよ!」
「皇居ぉ~? マジかよ。あれだろ、天皇が住んでる超大豪邸!」
「……えっと、うん。でもだいぶ様子が違う。それに、音が……」
陽仁が次に違和感を覚えたのは、音だった。
いつも皇居周辺で耳にするはずの、ひっきりなしに聞こえてくる車のエンジン音や、電車の走行音がない。
代わりに聞こえるのは、低く唸るような風の音と、遠くでざわめく人々の、ひそひそとした話し声だけだ。
ふたりの目の前に広がっていたのは、オフィス街ではなかった。
記憶にある東京の風景とは、あまりにもかけ離れた光景。
ガラス張りの高層ビルは影も形もなく、遠くに霞む建物群は軒並み低く、木造の家々がひしめき合っている。
そして何より異様なのは、町を行き交う人々の姿だ。
男性はくすんだ黄土色や茶色がかった緑色の衣服、女性はゆったりとした筒型のズボン服を着ている。
(遊就館に展示されていた、戦時下の庶民が身にまとっていた服と一緒だ……)
陽仁の背筋に冷たいものが走る。
行き交う人々は、立ち止まっている大和と陽仁を一瞬睨みつけるように見るが、すぐに興味を失ったように視線を外して足早に去っていく。
その顔には、一様に深い疲労と、何かに怯えるような影が張り付いていた。
陽仁の頭の中で、情報が急速に整理されていく。
「ぼくたち、ひょっとして過去の日本へ来てしまったんじゃ……?」
「えーっ!マジでーっ!? そんなわけねーだろ! 陽仁、映画の見すぎだって!」
大和はそう笑い飛ばす。
その声には困惑といった感情はなく、好奇心が混じっていた。
「もしタイムスリップしたなら最高じゃん! 滅多に体験できないぜ?」
(大和…さすがに呑気すぎるのでは…!?)
陽仁はこの状況もそうだが、大和の反応にも困惑した。
「なあ、あっちに看板あるぞ。なんて書いてあるんだ?」
大和が指差した先には、古びた木板に墨で書かれた標語。
『欲しがりません勝つまでは』
その文字を見た瞬間、疑惑は確信に変わった。
(ここは……戦時下の日本じゃないか……)
陽仁の顔から血の気が引いていく。
「とりあえず、誰かに聞いてみようぜ?」
大和がそう言って視線を向けた先に、石像のように微動だにせず立つ兵隊姿の男。
近衛兵だった。
銃剣を抱えている。
陽仁は焦り始めた。
「ねぇ大和、ここで目立った行動をとるのはまずいかも…」
陽仁は震える声で大和を呼び止めるが――
時既に遅し。
大和は、その近衛兵の男へと駆け寄っていた。
「そこの兵隊の格好をした兄ちゃん! ちょっと聞きたいんだけど?」
(うわあぁ――! 大和、何やってんだ! 危険すぎるっ!)
「ここはどこですかー? “昔の日本”なんですかー!?」
大和の放った言葉は、近衛兵にとって理解の範疇を超えていた。
『昔の日本』という奇妙な言い回し、そして時代錯誤なほど危機感のない明るさ。
近衛兵の顔の筋肉がピクリと硬直し、警戒するような鋭い眼光。
「なんだこのガキは。貴様、何者だッ?」
怒気の混じった声。
陽仁は顔面蒼白になり、足がすくむ。
近衛兵は抱えていた銃剣を握り直し、大和の方へ威圧的に一歩踏み出す。
「なんだ、その服装は?」
「これ? 普通の服だけど……」
近衛兵の凄まじい剣幕にも、大和はまったく怯まない。
それどころか、指摘されて自分の服についているタグをひょいとつまみ上げた。
そこには『Made in Japan』と記されている。
「あ、英語で書いてある。――ってことは、これ、アメリカのやつかな?」
大和のその言葉が発せられた瞬間、空気が凍りつく。
「アメリカ……だとっ!?」
近衛兵の目の色が変わった。
(うわああぁぁ――! 大和、なんてこと言うんだ! この雰囲気で、言っちゃいけない言葉だろーっ!!)
陽仁の心臓は、恐怖と緊張で止まりそうになった。
「その服は敵性物資ではないか!貴様、日本人ではないのか!何をしに来た?答えろっ!」
近衛兵が鬼のような形相で迫ると、大和はさらに能天気に言葉を続けた。
「そんな事より、オレたちを助けてくれよ! 迷子になったみたいで! スマホがあれば、自分たちで調べられるんだけど、まだ持たせてもらえないからさ~」
「スマホ? なんだそれは!?」
「兄ちゃんスマホも知らないの? インターネット通信して色々なこと調べられる機械のことだよ」
「通信機器だと? 秘密兵器か! さてはお前たち、工作員か!?」
近衛兵が血走った目でにじり寄る。
(ぎゃああぁぁ――! 大和~っ!またまた何言ってんだー!怪しまれるーっ!!)
陽仁は頭を抱えて、心のなかで絶叫を上げた。
「工作員?スパイのこと? オレたちはそんなんじゃないよ。兄ちゃん大げさだな」
「なんだと? 貴様のそのふざけた態度は、大日本帝国に対する重大な不敬である! この国を愚弄しているのかッ!」
近衛兵の怒鳴り声は、猛獣の咆哮を連想させるほどだった。
だが、事の重大さをこれっぽっちも理解していない大和は、あどけない顔でポンと手を打った。
「“大日本帝国”? あぁ、なるほど。――ってことは、ここ、戦争に負ける前の日本か~!」
「……負ける……だと?」
近衛兵の動きが、ぴたりと止まった。
直後、彼の顔は噴火直前の火山のように、どす黒い赤色へと染まっていく。
血管が浮き出た額は、怒りでピクピクと痙攣していた。
(ぎゃあああああああ! 大和ーーッ!! もう勘弁してーーーーっ!!)
陽仁は天を仰ぎ、喉の奥まで出かかった悲鳴を必死に飲み込んだ。
(駄目だ! 怖いけど……ここはぼくが何とかしないと!)
陽仁は震える膝を必死に抑え込み、踏み出した。
大和の前に割って入り、その小さな身体で近衛兵の怒りを受け止める。
「申し訳ございませんっ!」
陽仁はまず、深々と頭を下げた。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、指先までしっかり揃える。
その所作、あまりに凛とした姿勢に、近衛兵の動きが止まる。
“令和の皇太子”が、昭和の近衛兵に頭を下げた瞬間だった。
「ぼくたち、迷子になってしまい……混乱のあまり、不敬な言葉を口走ってしまいました。決して悪気はありませんっ!」
陽仁の声には、不思議な重みがあった。
激昂していた近衛兵の目に、困惑の色が混じる。
(片方のガキは狂っているが……この少年は何だ? なにか、ただならぬ風格を感じる……)
得体の知れない高貴さ。
近衛兵の毒気が流されていく。
陽仁は、逃さず再度深くお辞儀をした。
「皇居の前で今後、このような不謹慎な真似はいたしません。どうか、お許しくださいっ!」
近衛兵はしばらく沈黙したが、やがて肩をすくめた。
「……皇居? ああそうだ。聖なる宮城の前で、二度と不届きな真似はするな。我々もガキの戯言をいちいち真に受けてはおれん! すぐにここから立ち去れ! 次にふざけた真似をしたら、ガキとて容赦なく連行するぞ!」
「誠に、誠に申し訳ございませんでした!」
陽仁は、まだ事態を飲み込めていない大和の腕を強引に掴み、脱兎のごとくその場を離れた。
冷や汗が止まらない。
まさに、間一髪の命拾いだった。
しばらく走り続けたところで、ようやく足を止める。
「陽仁、めっちゃ謝ってたな。そんなにオレ悪いことしたか?」
大和がケロリとした顔で尋ねる。
「……悪いどころじゃないよ。さっきのは、本当にまずかった……」
陽仁は呆れとともに、逆に感心の混じった溜息をつく。
(大和ってすごいな……メンタルが強いというか、肝が据わってるというか)
令和の小学六年生である、大和と陽仁。
ふたりは重苦しい空気が漂う皇居を離れ、宛もなく山の手方面へと歩き出した。




