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【第31話】咲良編⑤~地獄のはじまり~

挿絵(By みてみん)


遂にサイパン島へ、アメリカ軍の総攻撃が始まった。

艦載機による大空襲と大規模艦砲射撃。

アメリカ軍が上陸する前に行った、徹底的な砲爆撃。


空が燃え、島全体が揺れている。

耳をつんざくような轟音は止むことがない。

まるで怒り狂った天が、島を沈める為に雷を落とし続けているようだ。


咲良(さくら)を含めた託児所にいた子どもたちは、空襲警報の混乱に乗じて、難なく日本軍の避難誘導から逸れ、自分たちが見つけ食糧物資を密かに保存していた秘密の洞窟へと避難できた。



地獄の業火は3日ほど続く。

それが令和の未来人である咲良が、図書館の本を経て知った情報であった。


今、外に出れば、それは自殺行為も同然。

島のどこかの壕で、日本軍も島民もやり過ごしているだろう。

避難の間に合わなかった者たちは――



咲良の心残り、誤算はふたつ。


ひとつ目は、託児所のこどもたち全員を連れて来ることが出来なかったこと。

自分と同じ、孤児の立場で託児所で寝泊まりする子どもたちしか、ここにはいない。

通園という形で、託児所に通っていた子どもたちは、連れてこれなかったのだ。

アメリカ軍の総攻撃が、子どもたちが通園前の早朝に行われることまで、咲良は把握してなかった。

彼らを待つことができる状況ではなく、自分たちだけがここに来れた。

他の子どもたちは――

周囲の大人たちと一緒に別の避難場所の壕で、この攻撃をやり過ごしていることを願うしかない。


ふたつ目は、お母さん(四乃)がいないこと。

結局、島の北側に行くと言って、それっきり戻ってこなかった。

何等かのトラブルに見舞われたのだろうか。


(ひょっとして、もう会えないんじゃ…)


咲良は胸が引き裂かれる思いだった。

無事であることを祈る以外に、できることはない。

タイムリミットの日は、来てしまったのだ。

今、子どもたちを守れるのは自分しかいない。


この洞窟に避難できたのは咲良と、カナタ、ミサキ、チハル、シンジの5人だけだった。



『ドォオオオオオオオオオオオンッ!!』


世界が裏返るような衝撃。

大地が揺れ、洞窟の天井からパラパラと、砂や石ころが落ちてくる。


「きゃああ!!」

「こわい……こわいよう……」


子どもたちが泣き出す。

止まない地鳴りが、恐怖を駆り立てる。

命を、煽ってくる。


「みんな、こっちに集まって! しゃがんで!じっとしてて…!」


洞窟の入口の方へ目を向けると、外は昼間のはずなのに、不自然なくらい暗かった。

黒煙が、陽光を遮っている。

咲良は震える子どもたちを抱き寄せ、必死に声を張った。


「大丈夫、大丈夫だよ! ここでじっとしていれば安全だから…!」


しかし咲良の声は裏返っていた。

子どもたちをなだめるが、咲良自身も恐怖で身体の震えが止まらない。

極限の緊張のせいか、吐き気も止まらない。

生きた心地が……しない。


(これが……死の恐怖…?)


初めての感覚だった。

味わったことのない悪寒に、咲良は"戦慄"という感情を知った。


(これが……教科書には載っていなかった、戦場の空気なの…!?)


涙が出そうになるのを必死で堪え、咲良は歯を食いしばる。

本当は、心の底から叫びたいほど怖い。

子どもたちのように、泣き叫びたかった。

だが、お母さん(四乃)がいない以上――

子どもたちの命運は、全て咲良ひとりにのしかかっている。


(わたしが、折れるわけにはいかない…!)


夜になっても、外では砲撃の轟音が断続的に続いた。

緊張と恐怖に疲弊して眠気に囚われても、眠れない。

子どもたちが、突然うなされるように泣き出すこともある。

そうやって、洞窟に避難していても、休息出来ぬまま。

ギリギリの精神で、一日、二日と、そして三日とやり過ごしていく。




挿絵(By みてみん)


四日目――


洞窟の入口の方から聞こえてくる音が変わった。

砲撃の轟音が遠くなり、代わりに今までよりは小規模な爆音や銃声が聞こえてくる。

車両のような規則的な振動も感じられる。


(……アメリカ軍が、上陸したんだ…!)


咲良は久しぶりに、ほっとするため息を吐いた。


「サクラ姉ちゃん……まだ、外に出たらダメなの?」

「まだ、ダメ…!」


ようやく折り返し地点、といっていい。

子どもたちもよく持ちこたえている。

咲良の見立てでは一週間ほど。

つまりあと三日か四日で、この付近、島南端側の日本軍が後退し、周辺での戦闘が一段落する。

そうすれば考えうる限りの、比較的安全な投降を、実行できる。


「これから島に上陸したアメリカ軍と日本軍の戦いが始まるから、巻き込まれたら危ないよ…。だから、まだここでじっとしてようね…」

「もう洞窟飽きたー!」

「早く外に出たいな~!」


怯えていた子どもたちも、少しだけこの環境に慣れてきたようだった。


「咲良姉ちゃん! お腹すいよー!」

「うん……じゃあ、みんなでご飯にしよっか…」


そう言って咲良は食事の準備に取り掛かる。

食事の時間はこの閉塞された洞窟での、唯一の娯楽といってもいい。

幸い、水と食糧は心配しなくていい残量が蓄えられている。

この人数だと、投降する予定日まで随分と余裕があった。

咲良は気合を入れ直す。


(洞窟避難生活の後半戦も、しっかりしなければ…!)


咲良は全身が震えた。

これは恐怖ではなく、生き残ってやろうという、武者震い。




六日目――


洞窟の外は、散発的な銃声と爆音。

戦闘の音も間隔が長くなってきた。

徐々に主戦闘の舞台は島中部へと移行しているようだった。

アメリカ軍が島南端部を占領する、手前の段階。


耳をすませば、鳥の声が聞こえる。

風の音が聞こえる。

海の潮騒すら、聞き取れる。

久々に聞いた穏やかな島の音に、咲良も子どもたちも、感動すら覚えた。

かすかな安堵が、洞窟の中に漂い始める。


「サクラ姉ちゃん、もう出られる?」


子どもたちが期待を込めて顔を向ける。

咲良は深呼吸してから答えた。


「もうちょっと…! もうちょっと隠れていよう…」

「え~っ!?」


「でもそろそろ準備しとこうか…」

「じゅんび? 何の?」


「みんなで…アメリカ軍に投降する為の準備だよ…」


子どもたちが一斉に静かになった。


「そんなっ……いいの!? 降参するのだめだって、大人たちが言ってたよ?」

(アメリカ)兵はざんこくだから、捕まったら殺されるって!」


咲良は、怯える子どもたちひとりひとりの手を握った。


「大丈夫。わたしを信じて…。敵意を向けず、ちゃんとした投降をすれば、きっと保護してもらえる…」


その為に用意したものがある。

咲良は物資の中から、大きな白い布と長い木の棒を取り出した。

投降の為の白旗である。

薄暗い洞窟の中で、それは敗北の目印ではなく、救済を呼び込む天使の羽に見えた。

生き残ること――それが、咲良たちの勝利だった。


「みんなでこの白布を、木の棒に結んで――」


咲良が言いかけた、その時だった。


『ザッ…ザッ…ザッ……ッ』


洞窟の外から、複数の足音が近づいてきた。

一人や二人ではない。

10…、20……、いやもっとだ。

咲良は反射的に手を上げた。


「みんな…!奥へ下がって…!」


たるみかけた子どもたちの表情が一気に強張り、咲良の指示に従う。

外の足音には"迷い"がなく、"一直線"に、この洞窟に向かっているようだった。


( ――誰かが、この洞窟を知っている…!?)


咲良の背筋に冷たいものが走る。


(考えられる可能性は……)


洞窟入口に、人影が差し込んだ。

次の瞬間、泥まみれの兵隊服、よれた民間服が目に飛び込んできた。


大勢の足音の正体――

それは避難してきた日本兵と島民たちだった。

ざっと20、30人はいる。

雪崩のように洞窟の中へ入ってきた。


咲良は頭が真っ白になり呆然としたが、なだれ込んできた者たちの中に、ふたりの姿を見つけて息を飲んだ。


「リョーマ…? それに、ノブヒコ…?」


託児所の通園組で、年長のふたり。

アメリカ軍の総攻撃開始時、通園の子どもたちは託児所に預けられる前だった。

早朝からの大空襲と艦砲射撃で、この洞窟に避難できなかったリョーマとノブヒコは、周囲の大人たちと一緒にどこか別の場所に避難して、今まで凌いできたみたいだった。


しかし、今更ここに来られては…。

それに日本兵たちも連れて…。


「サクラ姉ちゃん!!」


リョーマとノブヒコが走り寄ってきて、咲良に抱きつく。


「…無事で…良かった…」


咲良はそう声をかける反面、複雑な心境に陥っていた。

子どもたちはリョーマとノブヒコに駆け寄り、同じ託児所の友だちと合流できたことに歓喜してはしゃぐ。

リョーマとノブヒコの親族だろうか、後ろの方にかたまる島民のひとりが声をかけてきた。


「息子が言うから来てみたんだ。こんな場所があるとはな……助かったよ」


島民たちは新しい避難場所であるこの洞窟にたどり着けて、安堵しているようだ。

逆に咲良の胸は、鉛のように重く沈んでいく。


(……どうしよう。この人数…もう、投降のタイミングも……全てが変わっちゃう…)


日本兵の一人が、咲良と子どもたちの方へ近づいてくる。

咲良は怯えて震えだす。

それは連日味わった砲撃を耐え忍ぶ恐怖とは、また別の恐怖だった。


しかし――

予想に反して、日本兵は咲良や子どもたちと目線の高さを合わせる為にしゃがみ込み、優しい口調で語りかける。


「この洞窟にずっと子どもたちだけで怖かっただろう? 守ってあげられなくてごめんな。でもこれからは俺たちが守ってやるからな」

「わーい! 兵隊さんが来てくれたー!」

「大人たちがいっぱい来てくれたから、安心だ~!」


子どもたちの目には、日本兵が英雄のように映っていたかもしれない。


だが咲良にとっては――

日本兵の台詞は、"これから日本兵(われわれ)がこの場を指揮する"と告げられたようなもの。

絶望の底へ突き落とされていた。



「おいっ! 水と食糧があるぞ!」


洞窟の奥の方で、島民が喜びの声をあげる。

余っていた水と食糧は大人たちが手をつけて、あっという間に無くなってしまった。



「何だ、この白い布は? 使えるぞ! けが人をこちらへ――」


投降のためにこしらえておいた白旗も、引き裂かれ、怪我をした人の包帯代わりに使われた。


咲良の投降計画が、引き裂かれた。


(ここはもう……“安全な避難場所”じゃない…!)


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