【第29話】咲良編③嵐の前の静けさ
「サクラ姉ちゃん!こっちだよー!」
「待ってーっ…!」
南風とともに飛んできた声に、咲良は眩しい太陽に目を細めながら、返事する。
子どもたちとサトウキビ畑を駆け抜け、今日も浜辺へと、お散歩の時間。
穏やかな島時間……のはずだった。
「ねぇ、サクラ姉ちゃん。あれ……なに?」
波打ち際で貝を拾っていたカナタが、空を指さす。
咲良が顔を上げると、遠く水平線の向こう、空の青さの中に、黒い点がいくつも浮かんでいた。
「鳥……じゃない、よね?」
目を細めその黒点を凝視していると、やがて轟音とともに形を現した。
いびつな銀色に光る、数機の飛行機。
『ウォォオオーーーーン!!』
島内にけたたましい空襲警報が鳴り響く。
咲良は叫んだ。
「みんな! 戻るよ! 急いで…!」
この頃、空襲警報の回数が増えている。
上空を、頻繁にアメリカの飛行機が旋回するのだ。
実際に、飛行機から爆弾が落とされることは稀だった。
空襲があっても、それは本気ではない、小手調べといった感じ。
局地的な爆撃で、被害だけを考えるなら、小規模なものだった。
ほとんどの場合、サイパン島の地上の様子を上空から偵察しているようだった。
悠々と大空を飛ぶアメリカ軍の飛行機。
日本軍は、制空権を完全に喪失しているようだ。
「落ち着いて、大丈夫だから」
「サイパン島も、いよいよってか」
一緒に共同防空壕に避難していた島民たちが、そう呟いている。
子どもたちも不満を口にする。
「早く空襲警報、解除されないかな~!」
「もぅ慣れちゃったよ……早く、外で遊びたい」
「ねえ…サクラ姉ちゃん。アメリカ軍って、ほんとに島を占領しに来るの?」
ミサキからそう尋ねられ、咲良は何と答えれば良いか、口ごもってしまう。
咲良は知っている。
この島が、これから地獄のような戦場になることを。
島の空気はがらりと変わっていた。
連日、日本兵たちが慌ただしく動き回っている。
アメリカ軍の上陸に備えて、防御陣地の構築が、大急ぎで進められていく。
洞窟・壕の掘削や、コンクリート製のトーチカ建設。
高地・密林への陣地拡張に、隠すように鉄条網・地雷・機関銃座の設置。
砲台陣地にはカモフラージュも施していた。
やがて島民も、日本軍の手伝いに駆り出されることになる。
日本兵に混ざって、塹壕や洞窟の掘削作業。
弾薬・食糧の運搬、そして伐採や資材運び。
まさに島に住む人すべて総動員体制。
島の生活が、日本軍主導のものになっていく。
男だけではなく、女も、老人も、アメリカ軍の上陸に備えて、昼夜働いた。
誰もが表情を硬くして、言葉も少なく、ただ黙々と作業を続けていた。
まるで日本軍も、島民も、一蓮托生なのだと。
その光景は、語りかけているようだった。
とにかく掘る、運ぶ、積む。
過酷さを言うなら、戦闘は既に始まっているのかもしれない。
――それでも今はまだ、"嵐の前の静けさ"なのだ。
取り残された幼い子どもたちは、大人たちの様子を見守るしかない。
咲良はコバルトブルーの海を見つめる。
なんて綺麗な海なんだろう。
だけど、この美しい海が血と涙の海になるのは、時間の問題――。
咲良は想う。
サイパン島での暮らしを。
託児所での笑いの絶えなかった日々を。
未来からタイムスリップしてきた自分を受け入れてくれた、みんなを。
短い期間だったかもしれない。
それでも血の繋がりがなくても、そこには確かに家族のような絆があった。
無邪気で人懐っこい子どもたち。
イタズラされたり、世話をしていて言うことを聞いてくれないこともあるけど、それも含めて愛しかった。
子どもたちの笑顔があれば、物資の不足した貧しい状況下でも、心が満たされた。
そして――お母さん(四乃)の存在。
未来からひとり、この島へ放り込まれたわたしの孤独を、癒やしてくれた。
文字通り、"お母さん"として寄り添ってくれていた。
泣きたいほど不安になった日は、そっと手を握ってくれた。
言葉にできない寂しさが胸を締めつけた日は、そっと抱きしめてくれた。
お母さんはいつだって、温かかった。優しかった。微笑んでくれた。
四乃は咲良にとって、この時代での“母”そのものだった。
(みんな……死んでほしくない…!)
「わたしに、何ができるかな…」
南風が頬を撫でるように流れていく。
でも――感情に流されちゃダメなんだと思った。
想いだけじゃ、何も変わらない。
(冷静に、冷静に考えなきゃ…)
"何を言うべきか? 何を言ってはいけないか?"
その線引きを、慎重に考えた。
自分には未来の知識があり、サイパン島での戦いの顛末を知っている。
でもだからといって、その知識でこの島を救うことはできない。
少女ひとりが何かしたところで、歴史の流れは変えられない。
史実を覆すことは、少女の身にはあまりにも重すぎる。
『日本は敗戦します』
『最も助かる確率の高い方法は、アメリカ軍に投降することです』
これらは言いたいけれど、絶対に言ってはいけないタブーだ。
真実であったとしても、《流言飛語》として扱われてしまう。
そんな事を言えば、たちまち自分の身が危うくなる。
(わたしは未来人として…どうすればいい…!?)
この島で暮らしていて、分かったことがある。
夏休みの自由研究で調べた通りだった。
日本軍だけじゃなく、民間人にも徹底された思想。
"生きて虜囚の辱を受けず"
捕虜は恥だ。捕虜になるくらいなら潔く死を選べ、という――
当時の精神主義を象徴する言葉。
この考えは兵隊だけではなく、島民にも浸透していた。
それだけじゃない。
"アメリカ軍は残虐だ"というデマの流布も、咲良は何度も島で耳にしていた。
アメリカ軍に捕まったら、死よりも恐ろしい非人道的な扱いを受けるという、プロパガンダ。
住民が敵であるアメリカ軍に投降したり、協力的になったりするのを防ぎ、最後まで日本軍に協力させるための、扇動。
驚いたのは大人たちだけではなく、子どもたちにまでその考えが叩き込まれていることだった。
見つめていた海のさざなみに促されるように、咲良は咲良なりの結論に至る。
悔しいけれど――歴史には逆らわない。逆らえない。
史実通り、サイパン島は陥落する。
大勢の人が死んでしまう。
どうしようもない。
どれだけ悲観しても、仕方がない。
だが――
島の人すべてが犠牲になるわけじゃない。
史実では、一定の生存者の存在も保証されている。
咲良はその枠の中に、自分と周囲の大切な人たち、お母さんや子どもたちが入るように、やれることをやろうと思った。




