【第27話】咲良編①時空転移は南風を添えて
頭上には、どこまでも深いコバルトブルーの空――!
その下には、どこまでも続くアクアマリンブルーの海――!
足元には、熱を帯びた、きめ細かなオフホワイトの砂浜――!
黄金の円盤のような太陽から光を浴びて、海面のさざ波も、砂浜の粒も、キラキラと輝いている――!
まるで、世界に宝石を散りばめたようだ――!
ヤシの木の葉が揺れて、ささやくように優しい音色を奏でている。
南風が吹いて、少女の髪をくすぐる度に、潮の香りがした。
まさに絵に書いたような、南の島の楽園風景!
そんな場所に放り出された咲良も、感化され、心は陽気に――
……ならなかった。
「ここ、どこ…!?」
360度辺りを見渡し、咲良は困惑していた。
誰もいない砂浜に、自分の小さな影だけが伸びている。
咲良の抱く混乱や恐怖は、目の前に広がる景色とはあまりにも対照的だった。
(ここは沖縄…? それとも海外…? どこのビーチリゾート…?)
現状を把握する為の情報が、圧倒的に足りていなかった。
状況がまったく掴めないのなら、何か手がかりを探すしかない。
このまま立ち尽くしていても、埒が明かない。
咲良はそう思い、砂浜を歩き出す。
海に沿って、砂浜を10分ほど歩いただろうか。
遠くに視線を向けると、海岸線がぼんやりと霞む彼方に、船が見えた。
複数の人影らしき姿も、その近くに見える。
(人かな…? とりあえず、あそこへ行ってみよう…)
咲良は砂を踏みしめながら、近づいていった。
人影に接近すると、その身なりも目に入ってきた。
(あれは…自衛隊? いや、違う…)
軽装の制服を着ているが、服装が何だか時代錯誤のように古い。
岸辺につけた船から、何かの物資を陸地へと運んでいた。
(ここがどこなのか、尋ねてみようかな…?)
しかし、咲良の頭の中で、警笛が鳴る。
咄嗟に岩陰に隠れた。
(…あの人たちには、会わない方が良い気がする…)
一定の距離を保って、様子を覗き見る。
耳をそばだてると、かすかに日本語が聞き取れた。
「貴重な物資だ。ちゃんと運べよ」
「補給船がまた米の潜水艦にやられたってさ」
「ああ、聞いた。もう松輸送は限界だ」
「…なぁ、マリアナ諸島も危ないんじゃないか?」
「馬鹿野郎! このサイパン島は玉砕覚悟で守るんだよ!」
(ふ〜ん…ここ、サイパンなんだ…)
(えぇ…? サイパン…!?)
咲良は衝撃のあまり、開いた口が塞がらない。
立ち眩みもしてきた。
にわかに信じがたい状況。
頭が真っ白になる。
夏休みの自由研究で、大和たちとアジア太平洋戦争について調べていた咲良。
サイパン島での日本軍とアメリカ軍の戦いについても、図書館で学習していた。
(もしかして…ここは1944年…?)
戦争の末期に差し掛かった頃。
日本軍が太平洋の各地でアメリカ軍に破れ、敗戦がいよいよ現実味を帯びてきた時代。
このサイパン島も、陥落してアメリカ軍に占領される。
日本軍だけじゃなく、民間人も大勢が犠牲になってしまう。
そして日本の本土を空襲するための、爆撃機の基地となるのだ。
岩陰に隠れていた咲良は、身を低くしたまま後ずさり、その場を離れた。
浜辺を反対の方向へと歩いていく。
足取りはおぼつかなかった。
まるで夢遊病者のように。
それだけ咲良は現実を受け入れられず、ショックを受けていた。
令和の時代から、昭和の戦時下へ。
戦争資料館から、南の島へ。
非現実的にも程がある。
タイムスリップという、SFさながらの超常現象を受け止める術を、少女は知らなかった。
そうして炎天下の中、どれほど浜辺をさまよい歩き続けただろうか。
視線の先にまた複数の人影が見えた。
今度は小柄な人影で、どうやら現地の子どもたちのようだった。
咲良は警戒しつつも、ゆっくりと、子どもたちと距離を詰めていく。
すぐ近くにあった岩陰に隠れて、子どもたちの様子を伺う。
子どもたちは小学6年生の咲良よりも、一回り小さく、年齢も幼く見えた。
会話が聞こえる。
何やら、困っているようだ。
「どうしよう…壊れちゃった」
「直せないね…このままじゃ、怒られる!」
子どもたちは頭を抱え、互いに目を合わせて途方に暮れていた。
(どうしたんだろう…?)
「お姉ちゃん! だーれー!?」
その時、背後からいきなり声をかけられ、咲良は驚きのあまり飛び跳ねた。
そのまま砂浜に尻餅をつく。
「へっへっへ! かくれんぼだったら負けないよ!」
振り返ると、坊主頭の男の子が、勝ち誇ったように腹に手を当て、げらげら笑っている。
「びっくりした…」
目を丸くして、そう呟く咲良。
その場にいた子どもたち全員の視線が、咲良に集中した。
気まずくなって、挨拶を試みる。
「…あ、あはは、こんにちは…」
砂浜に座り込む咲良を、子どもたちが一斉に取り囲む。
袋たたきにでもされるんじゃないかと、咲良は恐れたが――
ひとりの女の子が、筒状の物を咲良に差し出してきた。
「ねぇ…お姉ちゃん、これ……直せる?」
それは、望遠鏡だった。
「大人の人の大事なやつなの。見つかったら怒られるの」
「だから…どうしたらいいか、ぼくたち分からないんだ」
子どもたちの目線には、期待と不安が入り混じっている。
咲良は望遠鏡をまじまじと見つめた。
(えっと、確か学校の図工の時間で作ったことあったな…。構造も、なんとなく覚えてるかも…)
「ちょっと、見せてもらっていい…?」
咲良はお尻の砂を払って立ち上がり、女の子から望遠鏡を受け取った。
金具が緩み、レンズは逆向きに入っている。
(あ、やっぱり現代のと構造が一緒だ…)
咲良は修理に取り掛かる。
「これはね…こっちのレンズを外して、向きを直して……」
子どもたちは、咲良の指先の動きを息をのんで見守っていた。
「…はい、できた。たぶん、これで見えると思うよ…」
咲良が望遠鏡を女の子に返すと、女の子は恐る恐る覗き込み、次の瞬間、ぱあっと顔をほころばせた。
「すごい! 見える!!」
「ほんと? ぼくにも見せて!」
「わぁ~! 直った! ちゃんと遠くが見える!」
「お姉ちゃん、凄い!」
子どもたちの目は、歓喜と尊敬の眼差しで輝いている。
今度は、さっきまで後ろの方にいた別の子が、もじもじと近寄ってきた。
「……あの、これも……直せる?」
次に差し出されたのは、小さなコンパス。
蓋のガラスは曇り、針が動かない。
「宝探しでつかってるんだけど……ぜんぜん、うごかなくて」
咲良は、またしても小学校の授業を思い出す。
(理科の授業で磁石やコンパスの仕組みを習ったな…。針が自由に回る仕組みさえ整えば、ちゃんと北を指すはず…!)
「いいよ。ちょっと見せて…?」
咲良は蓋を外し、慎重に指で針を整えた。
水平器代わりに小さな葉っぱを置いて、傾きも調整する。
そして磁針が自由に回ることを確認し、蓋を閉じると、針は静かに北を指した。
「……う、うごいた!!」
子どもは飛び跳ねたあと、咲良の手を両手で掴んで上下に振る。
「すっごーい!お姉ちゃん、なんでも直せるの!?」
「この姉ちゃん、ただ者じゃねぇぞー!」
「なんでも修理屋さんだ!」
咲良は子どもたちの心を、一気に掴んだ。
歓喜する子どもたちに囲まれて、ボディタッチを受けまくる咲良。
自分より小さな子どもたちに、胴上げでもされそうな勢いだった。
「わたし…別に修理屋さんじゃないよ。ただ、学校で習ったことを思い出しただけ…」
照れくさそうに笑う咲良。
だがふと、直ったコンパスの針が指す、北の方角へ視線を向けると、その表情は曇った。
島の北側――鬱蒼と生い茂るジャングルと、山々を越えて。
さらにその先にある、切り立った終わり――行き止まりの断崖絶壁。
サイパン島の壮絶な戦いの終結と、無数の命が消えた"悲劇の場所"。
アメリカ軍に追い詰められ、希望を絶たれた最後の島民や兵士たちが、自らの命を奈落の底へと投げ打った場所。
「お姉ちゃんどこから来たの?」
「え…?」
無邪気な声が、囚われていた意識を戻した。
「…えっと、それが、わたしもよく分からなくて…」
(未来からタイムスリップしてきたなんて、この子たちに言えないな…)
「お姉ちゃん、ひとりぼっち?」
「…えっと、うん…」
「お家は? どこに住んでるの?」
「…住む所も、帰る家も、ここにはない…かな…」
「姉ちゃん、”訳あり”か~!」
「…うん、すごく”訳あり”…」
子どもたちから質問攻めされて、改めて、これからどうするべきか。
咲良は悩んでしまう。
「だったらさ――」
子どもたちから、思いがけない救いの手が差し伸べられる。
「あの丘の向こうにぼくたちの託児所があるから、一緒に行こうよ!」
「託児所?」
咲良が首をかしげると、子どもたちはにっこり笑った。
「うん! そこでみんなで遊んだり、ごはん食べたりしてるの」
「お家がない子どもは、寝泊まりもして暮らしてるんだ!」
「そうそう! 優しい先生もいるよ。お母さんみたいな人!」
「先生…? お母さんみたいな人…?」
咲良が戸惑っていると、子どもたちは有無を言わさずに、咲良の手を取った。
「大丈夫! 怖くないよ! ついてきて!」
咲良は子どもたちに手を引かれ、その託児所とやらに連れて行かれることになった。
(なるように…なるのかな…?)




