【第21話】真澄編②少女、歴史改変を誓う!
真澄はようやく、一軒の民家にたどり着いた。
木造の古びた家。
瓦は一部剥がれ、柱は黒ずんでいる。
廃屋なのかもしれない、そう思ったが――
障子の向こうで、何やら物音が聞こえる。
(良かった! 人がいる!)
戸口までよろめきながら進み、力尽きたように膝をつく。
「……た、すけて……」
戸が開いたのはその直後だった。
中から現れたのは、髪の毛が真っ白の、細身の老人。
静けさと孤独をまとった、どこか世捨て人のような風貌だった。
老人は真澄の姿を見るなり、身をかがめて少女と目線の高さを合わせる。
「大丈夫か? びしょ濡れじゃないか、海で溺れたのか?」
「……さ、むい……」
老人は、変わった服装の見ず知らずの少女に、何ら警戒を見せなかった。
「ついてきなさい。とりあえず、火にあたって。話はそれからだ」
家の中へ招き入れる。
その動きには迷いがなく、力強い。
「……あ、ありがとうございます……くしゅんっ!」
囲炉裏の火がぱちぱちと静かに音を立てている。
燃える薪の赤が、土間に落ちた海水のしみと、古びた畳の端を淡く照らしている。
庭では、竹竿にかけて干されている真澄の着ていた服が、風に揺らめいていた。
服が乾くまでの間、真澄は老人が用意してくれた古着を貸してもらった。
大人用の大きさなので、ぶかぶかで動きづらい。
真澄は長い袖から手を伸ばし、囲炉裏の火に当てる。
(温かい……幸せ……)
囲炉裏の前に座り温まっていると、ようやく体の震えが収まってきた。
「ほら、飲みなさい」
老人が差し出してくれた、湯飲みを両手で包む。
中の茶はぬるく、薄い。
けれど優しい味がした。
「……助けてくれて、本当にありがとうございます」
「礼なんぞいらん。海は危険だ。気を抜くと命を落とすこともあるからな」
老人は火の向こう側に座り、煙草を取り出す。
囲炉裏の火種で、煙草に火をつけた。
その動作は、とても手慣れていた。
「わしは伍代という。ここで一人で暮らしておる。あんたは?」
「梨本……真澄です。小学六年生で――」
伍代の手が、止まった。
細められた瞳の奥で、囲炉裏の火の赤が、きらりと反射する。
「あの、どうかしましたか?」
「いや……何でもない……気にせんでいい」
伍代は遠くを見るような眼差しで煙草を吸い、間を挟んで一気に煙を吐き出す。
真澄はその仕草に、哀愁のようなものを感じ取っていた。
「それで――真澄とやら、どうしてこんな辺鄙な場所にひとりでおる?」
「えっと……その、気がついたら海の近くにいて……」
なんと説明をすればいいものか。
真澄は自身の状況について、自分でもよく分かっていなかった。
「ずぶ濡れだったな」
「はい、浜辺に制服を着た男の人たちがいて、『真珠湾攻撃が成功した』だの、『大日本帝国』だの、昔の変なことばかり話してきたんです。
それで言い返したら、怒りだして、私のこと、海に放り投げたんですよ? 酷くないですか? おかしいですよね?」
真澄は喋っていると、思い出して、怒りが込み上げてきた。
「……そうか」
伍代は吸いきった煙草を囲炉裏の火の中へ、そっと投げた。
「男たちの話は、何もおかしくない」
「……え?」
伍代はしばらく黙って火を見つめていたが、やがてぽつりと言った。
「……日本は、米国と戦争を始めた。
今は、昭和16年。真澄は、それを知らないのかい?」
真澄は、手にしていた湯飲みを落としそうになった。
「……そんな……」
囲炉裏の火が、ぱち、と音を立てる。
その音が少女の耳に、まるで時代そのものの裂け目のように響く。
伍代の言葉が、頭の中で何度も往復していた。
(……昭和16年……つまりここは、1941年の日本ってこと!?)
(ええぇぇええええ゛~っ!?)
黒板や教科書でしか見たことのない数字。
しかし今までの経緯を考えると、まるで刃のように現実味を帯びて胸に突き刺さる。
「……まさか、まさか……ね?」
はじめはこの伍代の家も、田舎の僻地の民家はこんなものなのかなと思っていた。
けれど周囲に電灯もテレビもスマホの明かりもなく、あるのは火と風の音だけ。
その“なさすぎる現実”が、逆に真実を証明しているようだった。
「夢にしては……寒すぎるし、痛すぎる」
少女は頬をつねる。やっぱり痛い。
ため息をひとつ、ふたつ、みっつ……。
もはや夏休みの自由研究どころではなかった。
(もう現代には戻れないの?)
(大和たちは、どこにいるんだろう?)
(パパやママは、今頃何をしてるんだろう?)
(帰りたい……令和に帰りたい!)
心の中は不安でいっぱいだった。
伍代は淡々と、火に薪をくべている。
真澄は、目の前の囲炉裏から立ちのぼる煙をぼんやりと見つめた。
そして、今度は自分の手のひらをじっと見つめる。
火の音だけが、しばらく続いた。
(泣くのは、もう少しだけ後にしよう……)
とりあえず、“今”はここで生きていくしかない。
「深刻な顔をしておるな。何か訳があるようだ」
伍代はそう言ったが、深く事情を聞こうとはしなかった。
真澄も正直に打ち明けるべきか、悩んでいた。
戦時下の日本へ、タイムスリップしてしまったこと。
信じてもらえないだろうし、混乱させてしまったら悪いかなと。
外は日が暮れていた。
夜の帳が下り、暗闇が空を覆っていく。
「もう今日は遅い。ここに泊まっていくといい。明日のことは、明日考えなさい」
「……はい。ありがとうございます」
伍代は立ち上がり、夕食を作ってくれた。
すいとん――小麦粉を水で練って団子状にし、汁に入れて煮たもの。
真澄にとって、初めて食べた料理だった。
正直に言うと、味は薄く、具もほとんどなく、あんまり美味しくはなかった。
(ここは戦時中、ここは戦時中、贅沢言わない……)
夕食後、伍代は真澄のために、布団を敷いてくれた。
真澄は布団にもぐりこむ。
土埃の匂い、壁の木の隙間から入ってくる冷たい夜風。
(ここは昭和、ここは昭和、不満言わない……)
「それじゃあ、おやすみ」
伍代が奥の部屋へ下がったあと、囲炉裏の火だけが小さく明滅していた。
真澄は布団の上で横になったまま、ぼんやりと火のゆらめきを見つめる。
アジア太平洋戦争――
遊就館の展示で見た、焦げた写真、焼け跡、白黒の記録映像。
それらが、“これから起こる未来”だなんて、どうしても信じられない。
でも、あの砂浜で出会った男たちの顔――
あれが、“開戦の日”の日本人だったのだ。
最初こそ、日本は快進撃を続ける。
でも、その後は……?
(私は今、あの惨劇のはじまりにいる――)
胸の奥がざわざわした。
怒りでも悲しみでもない。
ただ、どうしようもなく、もどかしい!
これからこの国は、焼け野原になる。
国を守る為に戦地へと向かう日本軍の兵隊さんたち。
町で日常を過ごす大勢の民間の人たち。
そして、アジアの国々の人たちが――
死ぬ。
数え切れないほどの命が、潰える。
私はそれを“知っている”。
火の赤い光が、真澄の頬を照らした。
唇が、かすかに震える。
「……だったら、教えてあげなきゃ」
無意識のうちに、そんな言葉が口から漏れていた。
何をどうすればいいのかなんてわからない。
でも――
もし、このタイムスリップが、ただの事故じゃなくて、
“意味”があるのだとしたら?
(戦争、やめさせる……)
(でもどうすれば……?)
考えても、答えは出ない。
でも、何かをしなきゃいけない気がした。
それは、未来人として、事前にこれから起きること、惨劇を知ってるからこそ、それを《回避せねばならない》という使命感。
真澄は決意の声をあげた。
まるで自分に言い聞かせるように。
「うん……きっと、私がこの時代へ来たのには意味がある!」
「だから、手遅れになる前に、戦争をやめさせないと!」




