初めてのデートと告白未遂
舞踏晩餐会から数日後、王都の社交界はレオンの一言で揺れていた。
――「アリシアは俺の女だ」
その堂々たる宣言は瞬く間に広まり、侯爵家の令嬢というより「冷徹魔導師に選ばれた特別な娘」として、アリシアの名前は囁かれるようになった。以前なら陰口や嘲笑の的だったが、今は恐れと羨望が入り混じった眼差しに変わりつつある。
アリシア自身は、その変化を戸惑いと共に受け止めていた。かつては欲しかった承認。それが今は、ただレオンに守られているという事実の方が、はるかに大きな意味を持っていた。
そんなある日。
「城下街へ行くぞ」
塔の書斎で本を整理していたアリシアに、レオンは唐突にそう告げた。
「え……城下街ですか?」
「ずっと塔に籠もっていては息が詰まるだろう。……お前が望むならだが」
不器用な声音に、アリシアの胸はふわりと温かくなる。侯爵家では一度も「望むなら」などと言われたことはなかった。
「……行きたいです。レオン様と、一緒に」
頬を赤らめて答えると、彼はわずかに目を細めたように見えた。
王都の大通りは、人々の活気であふれていた。行商人の声、子どもの笑い声、塔での静寂とはまるで違う世界に、アリシアは目を丸くする。
無意識に立ち止まると、レオンが彼女の手を取った。
「人混みだ。はぐれるな」
大きな掌に包まれた瞬間、アリシアの心臓は跳ね上がる。
(……あたたかい。こんなに大きな手に、私の手がすっぽり……)
侯爵家で誰かに触れられることは屈辱か痛みでしかなかった。けれど、今のこれは違う。守られていると感じられる優しさがそこにあった。
二人は市場を歩き、雑貨屋をのぞき、路地裏の小さな菓子店に入った。
「お嬢さん、初めて見る顔だね。彼氏さんとデートかい?」
気さくな店主の言葉に、アリシアは顔を真っ赤にする。
「ち、ちがっ……」
否定しようとしたが、隣でレオンは眉一つ動かさず「そうだ」と応じてしまう。
「レ、レオン様っ……!」
抗議の声は小さく、結局何も言えないまま、店主から手作りの焼き菓子を二つ手渡された。ほんのり甘い匂いが鼻をくすぐる。
一口かじった瞬間、アリシアの頬がとろけるように緩んだ。
「……美味しいです。こんなに美味しいお菓子、初めて」
その笑顔を見たレオンが、一瞬だけ目を見開いた。
夕暮れ。石畳に影が伸びる頃、二人は人気のない並木道を歩いていた。
繋いだままの手から、心臓の鼓動が伝わってしまいそうで、アリシアは胸を押さえる。
(どうして……こんなに、苦しいのに、幸せなんだろう)
舞踏晩餐会で守られた時とは違う。今はただ隣にいるだけで心が満たされていく。
勇気を振り絞って、アリシアは唇を開いた。
「レオン様……私、あなたに……」
言いかけた瞬間、遠くから鐘の音が響き、群衆のざわめきが押し寄せてきた。並木道に人が流れ込み、二人の間に割り込んでくる。
アリシアは言葉を飲み込み、視線を落とした。
――告白は、未遂に終わった。
塔へ戻る道すがら、レオンは無言のままだった。だが、彼が最後まで手を離さなかったことに、アリシアは気づいていた。
その温もりだけで十分だった。今はまだ、言葉にしなくてもいい。
胸の奥に芽生えた感情を大切に抱きしめながら、アリシアはそっと微笑みを浮かべた。