第1話
むかしむかし、世界がまだひろくて、あらゆるものがきらきらと輝いていたころ。
人間と魔族は、手をとりあって仲よくくらしていました。
しかし永遠の幸せなんてものは、この世界には存在しません。
あるとき、食べるものに困った魔族の国が、たくさんの実りに恵まれた人間の王国をおそったのです。
これが、長い戦いのはじまりでした。
火の粉はたちまち広がって、あちこちの国を巻きこみました。
七日七晩、昼も夜も剣と魔法がぶつかり合い、世界は血と涙でまっ赤にそまりました。
けれど、どんな長い夜にもあけない夜はありません。
ついに七人の勇者があらわれ、恐ろしい魔族の王――魔王をふういんしたのです。
こうして戦いはおわり、人間たちは勝利を手にしました。
世界は人間と魔族にわかれて、それぞれの道を歩むことになったのです。
そしてふたたび、永遠の平和が訪れました。
めでたし、めでたし
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「先輩!いい加減起きてください!」
首筋に迸る鋭い冷気。
何がなんだかわからないまま、情けない声を上げて僕は飛び起きた。
「ひああ!?何するんだよ!?」
冷たい缶コーヒーを片手に腕を組んでいる女性は、全身が純白の体毛で覆われた狼の獣人だ。
狼特有の尖った鼻、そして鋭角三角形の大きな耳。おまけに尻尾まで生えている。
「勤務中に寝ないでください。エリアル先輩のせいで私のボーナスに影響が出るのはもう御免なんですからね」
「だからって冷たい缶コーヒーを僕の首に押し付けないでくれないかな。寿命が縮まるんだけど」
「はぁ、くだらない屁理屈はもう十分聞きましたから、行きますよ先輩」
「行くってどこに?昼ならもう食堂で食べてきたからセルひとりで行ってきなよ」
僕の返答になぜがムッとした表情を浮かべる後輩のセル。
収縮型のトライデントを利き手に装備したかと思いきや。空気を裂くかのようにくるくると回し始めた。
武器を手にしたということは…。
「任務があるんだね?」
「はい。オルベスクエアで中級程度のドラゴンが出没しまして、警察の方では対処できないとのことで特課に委託されました」
無感情で淡々と状況説明を行っているセルであったが、獣人というものは感情が表に露見しやすい性格だ。
何が嬉しいのか僕には到底理解できないが、彼女の尻尾はリズミカルに揺れていた。
きっと久しぶりの任務で喜びを隠せないのだろう。
「はぁセルは気楽でいいよなぁ。仕事に行くのが嬉しいんだろ?肉体労働のどこがいいんだよ…」
「嬉しそう?何を言っているんですか??」
「だって、尻尾揺れてるじゃん」
「!?!?!?」
小刻みに揺れる尻尾を、恥ずかしそうに手で抑えようとするセルを片目で確認しながら、僕はネクタイをきつく締めた。
腰の鞘に魔力強化を施したカーボンソード二刀と鉛筆ほどに縮小したエネルギーソード七刀を納めれば、準備は万端だ。
この世界に蔓延する魔物を排除し、人々の平和を守る――それが僕たちの仕事。
責任が付きまとい、殺生を生業とする危険な仕事だが、僕はみんなの笑顔と幸せを守りたい。
ごめんやっぱり嘘。
欲しいのは金だ。
「行こうか、セル。働いたらボーナスねだりに行くぞ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
鉄筋コンクリート製の高層ビル群が辺り一帯に建設されている街、オルべスクエア。
現場に到着した僕たちは、規制線の前で仁王立ちしている警官に声をかけた。
「対魔特殊行動課のセルです。今回の標的はこの先ですか?」
「ああそうだ。市街地に突然、荷電龍が現れた。出現地点から半径500mを結界で封鎖することには成功している」
無精ひげを生やした警官はくたびれたスーツの内ポケットからスマートフォンを取り出すと、封鎖区域の地図を見せてきた。
何の変哲もない航空写真の一角に存在する黒の巨大な球体。
すべての光を吸収している球体は、人類の魔術体系の結晶とも言える魔物を封じる結界だ。
「それで?市民の避難はできたのか?」
「大体は完了したはずだが、もしかしたらまだ結界内に取り残されている奴がいるかもしれねぇ。お前ら二人だけで大丈夫なのか?荷電龍にうちの警官が何人か殺されかけたんだぞ?」
無精ひげを生やした警官は規制線を僕の身長ほどの高さまで上げると、中へ入るように促してきた。
「安心してくれ。僕たちはこの手のプロなんだから。あんたら警察の持ってる魔力式拳銃じゃドラゴンは殺せないかもしれないけど、僕たちはエリートなんだ。大船に乗ったつもりで見ててくれればそれでいい」
「私はいつも泥船に乗ってるような気分なんですけど…」
「なんか言ったか?」
「いえ何も」
規制線を潜り抜けた僕たちは、結界の境界線をめざす。
入り組んだビル街を数分ほど歩いていると、天まで届く黒い壁が道をさえぎっていた。
「結界はこれだな。じゃあ戦う準備をするか」
「人命救助はしなくてもいいんですか?」
「セルは分かってないな。荷電龍が一般ピープルを襲う前に殺しちゃえばいいのさ」
「聞いた私がバカでした。いつも通り、一般人に被害が及ぶ前に倒しちゃってください」
「もうすでに被害が及んでる気がするんだけどね」
「不謹慎ですよ。黙っててください」
僕たちが軽口を叩きあっている間にも、中に取り残されている人たちは危険な目にあっているかもしれない。
カーボンソードを構えた僕は、黒い結界目掛けて突き進んでいく。
途中、ひんやりとした感覚が全身を包み込んだかと思いきや、空気が重々しいものへと変化した。
激しく帯電している巨大な荷電龍が目の前を飛翔していったのを見るに、僕たちは無事結界内へと入ることができたらしい。
今回のターゲットである荷電龍はというと…まるで鳥かごに閉じ込められているインコのようだ。
荷電龍の巨体さも相まって、結界内は非常に窮屈に見える。
「さてと、仕事を始めますか」
「私は邪魔になりそうなので、逃げ遅れた人がいないか探してきますね。それと、あんまり派手に戦わないで下さい、どうせ先輩は始末書書かないし、私に丸投げするだろうし…」
セルは文句を垂れ流しながらどこかへ消えていった。
僕は彼女からぞんざいな扱いを受けていると思っていたのだが、どうやらそれは僕が原因だったらしい。
なんか悪いことしたみたいだし、仕事終わったらセルの好物のスペアリブ買いに行ってやろ。なんせ僕は気が利く先輩だし。
「まぁそれは良いとして、今は目の前のドラゴンに集中しないとだな」
荷電龍は依然として狭い空をぐるぐると旋回してる。
出口が見当たらないのにイライラしているのか、羽ばたきが心なしか荒っぽく見えた。
こちらを視認できていないのなら、先制攻撃を仕掛けるとしよう。
鉛筆程度の大きさに縮小したエネルギーをソードを、腰の留め具から外し、七刀すべてを本来の大きさにまで展開する。
黒いエネルギーで形作られた鋭利な七刀は僕の力によって宙に浮いた後、規則正しい動きで輪を作っていく。
僕を中心として弧を描くかのように整列した剣は、刃先を外に向けながらゆっくりと回転していた。
先ほどまで無機質だった武器が、今ではまるで意志を持っているかのように見える。
荷電龍との距離はおよそ200m、ドラゴンを視認した僕は人差し指を軽く振った。
次の瞬間、僕の命令通り、一刀のエネルギーソードが空を窮屈そうに飛んでいる荷電龍のもとへと飛んでいく。
空を切り裂きながら一直線に飛翔する刀は、黒い残像を残す弾丸のようだ。
「グァァォォォォ!!!!」
瞬きの間に一本のエネルギーソードはドラゴンの急所を打ち抜いていた。
心臓…。生物にとって共通の急所である部位を打ち抜くことなど造作もない。精密なコントロールなど、僕にとっては余裕なのだ。
鋭利な剣によって胴を打ち抜かれ、激しく流血している荷電龍を見ている限り、勝負は既に付いたような気がしたのだが、一向に墜落する気配がない。
おかしいぞ、心臓目掛けて正確なスナイプをしたというのに荷電龍は至って元気だ。
「どういうことだ?解析してくれE.V.E.」
《こんにちは エリネル執行官。リクエストを承認しました…。対象をスキャン中》
脳内に直接語り掛けて来るのは心霊現象でも僕の妄想でもなんでもなく、特課から支給される強化仮想エンティティ=個体識別番号4812、略して【E.V.E.4812】だ。
執行官が装備している短冊型のイヤリング内には光学集積回路が組み込まれており、耳を通じて高度なAI支援を受けられるのである。
執行官ごとに支給される人工知能は異なるため性能差が生じるが、解析からサブスクの再生まで基本的に何でもできるのだ。
《解析が終了しました。対象名【荷電龍】の解剖図を表示します》
E.V.E.4812の一言と共に、目の前にホログラムスクリーンが出現したかと思いきや、次の瞬間、荷電龍の解剖図が出現した。
学校の授業で幾度なく目にする人体の解剖図同様、目の前で怒りの咆哮を上げている荷電龍のありとあらゆる部分が赤裸々に開示されていた。
そして、僕は目を見張るような内容を目の当たりにする。
「なぁE.V.E.。荷電龍に心臓が六個もあるのはおかしくないか?解析エラーじゃないのこれ?」
《失敬ですねエリネル執行官。私が解析する際、確かに誤差は生じますが、人間が認識することはできないほど微弱な差でしかありません》
特課の中で配給されるAIは執行官ごとにすべて異なり、それぞれに違った性格が設定されている。
僕のE.V.E.である4812は少し生意気だ。
《よそ見している場合ではありませんエリネル執行官。激昂した荷電龍が突撃してきます》
暴風が吹き荒れたかと思いきや、激しく帯電した荷電龍が目の前まで迫ってきていた。
暴力の塊である捨て身のタックル。
自傷覚悟なのか、それともかなりキレているかのどちらかだろう。そしておそらくは後者に違いない。
真正面で荷電龍の突進を受け止めるわけもなく、エネルギーソードの柄を掴んだ僕は、宙へと引っ張られながら素早く回避した。
荷電龍が通り過ぎた跡は、激しい雷に焼かれ、灰と化していた。コンクリートは砕け散り、ガラスは赤く溶けて滴り落ちている。
道路上だったため、周囲の被害は最小限に済んだが、暴力の嵐でいつ建物が崩壊してもおかしくない現状だ。
早急に決着をつけねばなるまい。
目の前で対峙し、僕に対して鋭く睨んでいる荷電龍も同じことを思ったのか、口を大きく開けた後、禍々しいオーラを放つエネルギーを収縮し始めた。
どうやら次の一撃で僕のことを完全に葬り去るつもりらしい。
「残る心臓は五個。突然変異だかなんだか知らないが、全部の心臓さえ潰しちゃえば流石に死ぬだろう」
《言葉で言うのは簡単ですが、荷電龍の放つ【収縮荷電粒子砲】によって分子レベルにまで崩壊させられるのが先でしょう》
「なんだよE.V.E.は僕が分子レベルにまでバラバラになってほしいのか?」
《そういうわけではありませんエリネル執行官》
「まあいいや。荷電龍がそのナントか砲とやらを放つ瞬間に、僕の思考速度を30万倍までに強化してくれないかな?」
《リクエスト承認。待機中…。【収縮荷電粒子砲】の発動を検知。コマンドを実行します》
閃光が放たれた次の瞬間、周囲の時間が急速に引き延ばされた。
しかし、時間が引き延ばされたわけではなく、僕の思考が光を視認できる速度まで加速されているだけだ。
周囲を旋回しているエネルギーソードの内の一つをつかんだ僕は、【収縮荷電粒子砲】の射線から離脱する。
次の瞬間、とんでもない高温が僕のスーツを焦がす。空気中のイオンが魔力によって乱されたのか、僕の髪の毛は逆立っていた。
ふう。かなり危なっかしい戦い方をしてしまったが、見切り回避ができたのなら後はこっちのもんだ。
七刀すべてのエネルギーソードを手元に戻した僕は、E.V.E.の解剖図通りに荷電龍目掛けてエネルギーソードを突き刺してゆく。
右手、左足、それぞれに心臓があるらしい。
「ブチュッ!!ブチュッ!!」
えーっと…。脊髄だろ、あと横隔膜か…。
「ブチュッ!!ブチュッ!!」
「ギィァァァァァ!!!!!!」
断末魔の叫びをあげながら地面に転げまわる荷電龍を片目に、僕は最後のとどめを刺そうとする。
残るは頭蓋骨内の心臓一つのみ。
心臓を五つ持ったドラゴンなど生まれてこのかた聞いたことないが、細かいことは後で考えるとしよう。
「ブチュッ!!」
「ギァァァア!!!!」
最後のとどめをさした僕は、額の汗をぬぐったのち、安堵のため息を吐く。
ひとまず、任務は完了だ。
報告書書いて、今日は早めに帰るとしよう。
《呑気に考えているようですが、死亡した魔物の崩壊が見られません》
「いやいや。崩壊なら始まってるだろ。ちゃんと心臓を全部破壊して仕留めたんだ。だから余計なフラグを立てるんじゃねぇ」
僕の目の前で倒れている荷電龍だが、死んでしまったかのようにピクリとも動かない。
この様子じゃあ本当に死んだのだろう。復活なんてされたらたまったもんじゃない。
《崩壊反応が見受けられません。個体名 荷電龍が縮小しています!!》
「な、何だってー!」
E.V.E.の一言のおかげで、僕ははっとさせられる。
確かに縮んでいる気がする…。そもそも絶命した魔物は灰になるのがこの世界の仕組みだ。
つまり死んでないってコト?
次の瞬間、目の前で倒れていた荷電龍から発光し始めた!
途轍もない閃光を放ち、僕の目を眩ませる。
復活しようとしてるのか!?それともまさか自爆!?
「うわぁぁぁぁあぁぁぁぁ!?」
咄嗟の判断で、防御の姿勢を僕はとる。
しかし、僕の腕が吹き飛ぶことはなく、荷電龍が復活を遂げるわけでもなかった。
なんだ?
目の眩みが徐々に薄れ、視界がキレイに晴れた時、僕は驚くべきものを目にする。
小学生ほどの背丈をし、純白の髪の毛は何十mも伸び、頭には龍角が生えている少女。
「はぁぁッ!?!?」
僕が驚くのも無理はない。
荷電龍が倒れているはずの地点で、幼い子供が寝ていたのだから。