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暗澹たる泥中から  作者: 金萌 朔也
第2章 散々たる崩壊
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第1話 思わぬお誘い


『続いて、明日のお天気をお伝えします! 2020年のクリスマスは、例年と比べてぐっと冷え込む予報です。今晩未明から明日の夜にかけて降雪が予想されるため、ホワイトクリスマスになるかもしれません。お出かけの際は、足元に十分ご注意ください』


 時季特有の華やかさに満ちた街とは対照的に、今にも落ちてきそうな曇天に阻まれ、空を彩っているであろう茜色は垣間見えすらしない……そんな夕暮れのクリスマスイブ。

 これから崩れていく予兆と言わんばかりに重苦しい天気など関係なく、あたしは自宅でニュースを見ながらくつろいでいた。天気予報コーナーでは、冬仕様に着込んだお天気お姉さんが、わざわざ寒い外から元気に予報をやっている。

 ホワイトクリスマスとか言っているし、そうでなくとも世間は毎年来る特別な日を前に浮ついているんだろうな。とはいえ、大学は冬休みだしバイトもないあたしには、それは関係ない話。

 だから、明日も今日みたいに自宅に引きこもる……つもりでいた。


『よーっす! エルちゃんさ〜明日暇? 急で悪ぃんだけど、ちょっくら遊ぶの付き合ってくんねぇ? エルちゃんが行きたいとこも付き合ったげるからさ〜!』


 いつもより気のせい程度にテンション高めな鱓野(うつぼの)さんから、通話がかかってくるまでは。


「鱓野さん……それよりもあたしに言わなきゃいけないこと、あるよね」

『ん〜? 何かあったっけぇ?』

「とぼけないでよ。1ヶ月くらい前、何も言わずにいきなり休学した上に、こっちが連絡しても何も返してくれなかったじゃない。あなただけじゃなくて、紗蘭(さら)さんまで」

『……っあー……』


 それは、11月に入ってすぐのことだった。

 突然鱓野さんと紗蘭さんが大学を休みがちになって、程なくして休学したことを聞かされた。鱓野さんはあたしと被っていた講義の講師から、紗蘭さんは彼女と同じ学部の学生から。

 当然海老原(えびはら)さんもかなり混乱していたし、あたしは本人たちから何も聞かされていなかったこともショックだった。そんな大事なことなら、直接教えてくれてもよかったのに……と。

 何よりも2人揃って突然休学するなんて何かあったとしか思えなくて、心配でたまらなくて、何度も2人に連絡した。紗蘭さんとはバイト先が同じだから、バイト先の店主さんに何か知っていないか聞いたり、何回か彼女の家も訪ねた。結局何の音沙汰もなかったし、店主さんは何も教えてくれなかった。家に至っては毎回留守という始末。

 2人に何があったのかな、大きな怪我とか病気とかしちゃったのかな。それとも知らない内に2人に嫌われたんじゃ。だから何も教えてもらえなかったのかな……と、1ヶ月近くずっと不安に全身を潰されそうな思いをしつつ、心配は尽きなかった……。

 その仕打ちが、この何事もなかったかのような遊びのお誘いである。

 

「いきなり明日付き合ってって、言うことの順番すっ飛ばしすぎ。何で休学したかとか、連絡できなかったかとか、まずそれを教えてよ。……すっごく心配したんだよ。海老原さんも、あたしも」

『……そっか。してくれたんだ、心配……』

「当たり前でしょ。何言ってるの」

『そっか……はは……』

「……鱓野さん?」

『────…………』


 スマホの向こうから衣擦(きぬず)れみたいなノイズが走る。それとほぼ同時に聞こえてきた、何か重い物を床に落としたような重低音が、あたしの鼓膜を殴りつけてきた。

 その間際に鱓野さんの声が聞こえた気がするけど、ノイズと重低音にかき消されて、何を言ったのかまでは聞き取れなかった。

 

「鱓野さん、大丈夫? 何か言った? よく聞こえな──」

『いっやぁ〜メンゴメンゴっ! 俺も紗蘭も色々、ホンット色々忙しくってさぁ〜? うっかり連絡返し忘れてたわ〜! いや〜俺ら揃ってドジなことしちまったよなぁ〜、ゴメンなホント!』

「いや、それより、あなた何か──」

『つーわけでよ! もう随分会ってねぇし、明日ひっさびさにエルちゃんと遊びてぇな〜俺! 久しぶりなんだし、飯も付き合ってよ! ねっ、いいっしょ?』

「…………いいよ。どこに行くか、あなたに任せてもいいなら」

『っしゃあ、あんがとな! 絶対楽しませるから任せといて〜! まー紗蘭は来れねぇし、誘ったのあんただけなんだけどっ』

「あれ、あなたが海老原さんを誘わないって珍しいね。どっちも都合つかなかった?」

『紗蘭はまー、そんな感じだなぁ。海老君(えびくん)はほら、あいつクリスマスに外出んの嫌がんじゃん?』

「ああ……そういえば、そうだったね。何でなんだろ……」

『まっ、そーゆーわけで俺とエルちゃんだけだからヨロ〜。待ち合わせの場所とか時間とか、あとでチャットに送っとくわ』

「分かった。じゃあ、また明日」

『まったな〜!』


 それを最後に、スマホからはツーツーと通話終了の音だけが鳴る。画面に出てきた赤い受話器のアイコンをタップすると「通話終了」の文字が画面に現れた。

 数秒して鱓野さんとのチャットに切り替わった画面をオフにして、さっきまでの彼の様子を思い返す。


「……絶対におかしい」


 心配したと言った途端にしおらしくなった態度。聞き逃しそうになるほど微かに涙ぐんでいた小さな笑い声。かと思えば、わざとらしさ満載の急上昇した異様なテンション。鱓野さん特有の軽快な口調も、今日は輪をかけてそう聞こえた。

 考えるまでもなく、様子がおかしい。まるで空元気で何かを隠そうとしているかのように。


「休学中に何かあったのかな……」


 ……聞いてみよう、明日。休学の経緯も連絡くれなかった理由も結局はぐらかされたから、聞いても意味ないかもしれないけど。

 それでもこっちはずっと心配でヤキモキさせられたんだ。色々考えすぎて眠れなかった日だってあったくらいに。

 だからと言うのも変だけど、聞く権利くらいならあるはずだ。どうしても聞かれたくなさそうだったら、それ以上聞かなければいいんだし。


「……とりあえず、忘れない内に書いておこう」


 2つある洋室の内、1つは寝室に、1つは書庫にしたせいでリビングダイニングに追いやられた、大学の課題や読書をする時に使う作業デスク。パソコンやら色々置いてあるそこの上には、表紙に蝶を象るように青い石がはめ込まれた手帳が無造作に置いてある。それを手に取ってページをめくっていくと、すぐに昨日分の日記に辿り着いた。

 キャスターチェアに腰掛けて、デスク上のペン立てからペンを取り出す。そしてまだ真っさらな昨日の日記の次ページに、サラサラとペン先を走らせていく。


 “2020/12/24

 ずっと連絡がなかった鱓野さんから、明日遊ぼうとお誘いが来た。海老原さんと紗蘭さんは来ないらしい。ちょっと残念。

 それよりも、遊びに誘ってるとは思えないくらい様子がおかしかった鱓野さんのことが気になる。明日、彼の機嫌を損ねない範囲で聞いてみよう”


 今日の日記……というよりは、さっきの電話の内容と覚えておきたいことを簡潔に書き留め、内容に間違いがないことを確認して手帳を閉じた。


「よし……これで大丈夫かな」


 紺色の表紙を青い石で装飾した、あたしの愛用手帳。元は実家の書庫で埃被っていた物だけど、実家を出る時に黙って持ち出してきた物だ。

 とはいえ、書庫に置いてあるのは誰も読まなくなった本ばかりだから、誰も気づいてないと思う。現に今まで何か言われたことはない。

 持ち出す何年も前から使い続けているけど、どういうわけかページがなくなることはない。かと言って手帳の厚みが増しているわけでもないという、完全に物理法則を無視している不思議な品。

 あたしの実家は特殊なルーツを持つそうで、それが関係しているのか、こういう珍品が置いてあることは珍しくない。あたしはよく知らないけど、この手帳以外にも先祖代々受け継がれてきたらしい品々が結構ある。しかもかなり丁重に保管された状態で。

 それなら何でこの手帳だけ、書庫で雑に放ったらかされていたのか……。少なくともあたしは知らないし、多分実家にも分かる人間はいない。


「……ま、そんなのどうだっていいんだけど」


 極力帰りたくない家のことなんか考えたって無駄。そんなことに割く時間があるなら、少しでも多くの活字に触れている方がよっぽど有意義というものだ。

 デスクの上に積んでいる読みかけの本の山から1つ取って、栞を挟んでいるところを開いた。栞はあたしの手作りで、他にもいくつか持っている。これも人間観察と同じで、あたしの趣味だ。

 本の脇に栞を置き、紙面の文字を追い始めて数分後、スマホが小刻みに振動した。画面には、チャットアプリからの通知。


「あ、鱓野さんからだ。……さっきのやつかな」


 アプリを開いてみると、内容は予想通り、さっきのお誘いの詳細だ。


「待ち合わせは18時で、大学の最寄り駅か。大学の近場で遊ぶのかな……ん?」


 とりあえず了解の返信を打とうと文字盤に指を置こうとした瞬間、また鱓野さんからメッセージが届く。


《天気予報で明日雪降るっつってたから、寒がりエルちゃんはマフラーとか手袋とか忘れないよーに!^^》

「そんな日に誘ったのは誰なの……もう」


 口では悪態をついちゃうけど、本心ではそんな細やかな気遣いが嬉しくて。それと同時に胸の内側にじんわり温まるような、少しくすぐったくもある感覚が広がっていく。

 それでもあたしの顔は見なくても分かる、いつもの無表情。嬉しかろうとくすぐったかろうと、引き攣ることすらない口角に嫌気が差す。


「せめて微笑むくらいできればいいのにね……」


 溜め息混じりに呟きながら、了解の返信を送って画面を消す。さっき様子がおかしかったことも一緒に聞こうかと思ったけど、結局それはやめた。

 こういうのは顔を合わせて直接聞いた方がいいし、何か隠そうとしても、観察すればある程度は感じ取れる。何より、文字だけじゃ言いたいことが上手く伝わらなかったり汲み取れなかったりするものだし。

 明日頃合いを見て、聞けそうだったら聞いてみよう。


「……早く明日にならないかなぁ」


 天気が悪い中でのお出かけかもしれないのに楽しみだなんて、いつぶりだろう。何せ久しぶりに鱓野さんと会えるんだ、待ち遠しくなるに決まってる。

 紗蘭さんと海老原さんがいないのは寂しいけど……次はみんなで遊べばいいもんね。クリスマスが終わったらお正月だし、初詣にでも誘ってみようかな。海老原さんが来てくれるなら真璃愛(まりあ)さんにも会えるだろうし……みんなとのお出かけを想像しただけで、もう楽しみで仕方ない。

 スマホの画面を切って読書を再開したけど、その日はずっとワクワクしっぱなしで、珍しく本に集中できなかった。

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