第6話 もう少し知りたいから
「改めて、あたしが話したいことだけど……あなたから聞きたいことってある? そっち優先で話すよ」
「んー、そうだね……。まず気になるのは、鱓野先輩の様子かな。クリスマス、僕に通話をかける前のね。その通話で聞いたが、ほんの数時間前に会っていたんだろう?」
「うん、あたしにも通話してきたの。クリスマスイブに、明日久しぶりに遊ぼうって。だから25日、一緒に遊んでた」
「それはまた唐突だったね……。あの時って、ずっと先輩も紗蘭も音信不通だった頃だろう?」
「あー、11月の最初らへんからのやつよね。あの時のエルさん、ずっと仁さんたちのこと心配してたわよね。お兄ちゃんもだけど」
早速ペンを紙面に滑らせて書き留めを始めた海老原さんの傍らで、腕組みしながらふよふよ漂っている真璃愛さんが呟く。2人の言う通り、あの時は鱓野さんたちの心配ばかりしていた。それこそ、文字通り四六時中。
あれは本当に時の流れが遅く感じたな。連絡がこないかと、こっちから何か送るべきかと悩みながらスマホばっかり見てて。読書よりスマホのチャットアプリを眺めている時間の方が長いなんて、生まれて初めてだった。結局どちらにも2つか3つくらいのメッセージだけ送って、それ以降はしつこくして嫌われる不安から何も送れなかったけど。
「突然の休学から1ヶ月以上も連絡つかなかったあとの誘いだというのに、よく怒らなかったね、エル。僕だったら開口一番に詰問してしまいそうだよ」
「いや怒ったよ、あたしだって。連絡よこさなかったのに、それに対するごめんの一言もなく遊びの話しだしたんだもん。……でもさ、その時の鱓野さん、何か様子おかしくて。こっちがずっと心配してたって言った途端に涙声になった思ったら黙っちゃったし、その後あからさまな空元気で話進めるし。……休学中に何かあったんだろうなって思ったから、直接会って聞き出した方がいいって思ったの。だから誘いに応じたってわけ」
「なるほど、そういうことか。……きっと先輩は、その時から決めていたのだろうね」
「何を?」
「君を残酷な嘘で突き放すことを。僕にその話をした時の先輩も涙混じりの声だったから、想像してしまったのではないかな。もし僕が鱓野先輩の立場だったら、涙せずにはいられないさ。今まさに自分の身を案じてくれる友人に、思ってもない暴言を浴びせて傷つけて、自分から離れさせなければならないなんて」
「……同感だわ、私も」
そうなんだ、なんて言葉が意図せずあたしの唇から零れ落ちた。もしあたしが鱓野さんの立場だったら、どうなんだろう。友達を拒絶するなんて考えたこともなかったから、上手く想像できない。あたしは常に友達に嫌われたくない、離れたくないって思う側だったし。
……もしかしたら、あたしを大嫌いだと言った時の鱓野さん、泣くのを必死に堪えるような顔をしていたけど……本当に堪えていたのかな。あたしを傷つけること言いながら、自分のことも傷つけていたのかな。
だとしたら、もう鱓野さんにあんな顔はさせたくない。それが紗蘭さんが幼馴染みを手にかけてしまう悲劇に繋がるというのなら、尚更に。
「それに……君に嫌いと言うと同時に、君に嫌われる覚悟もしていたと思うよ、先輩は。……だって、自分の嫌いは嘘だと分かってるけど、当然相手にそれが分かるはずもない。嫌悪されたと思えば、その直前までどれほど友好的な感情を抱いていようが一瞬で嫌悪に様変わりしたっておかしくない」
「……確かに。悪意をぶつけられたら悪意で返したくなるものだし、人間って」
「君のように人の洞察に長けている先輩が、それを想定してなかったとは考えにくい。だから憶測ではあるが、君に嫌われる形でも突き放す覚悟で……むしろそうまでして自分を取り巻く何かから、君を遠ざけるのが目的だった可能性もあるのではないかな。あの先輩を泣かせ、それほどの選択をさせるほど追い詰めるなんて、一体何があったんだか……。こればっかりは憶測すら困難なのが歯痒いね」
「……あの時は、鱓野さんに傷つけられたんだとばかり思ってたけど、実はあたしのこと守ってくれてたってことだよね」
「その後僕に君を託した点も含めて考えると、そう考えるのが自然だろうさ」
「……やっぱり優しくて、あったかいね。鱓野さんって……」
彼がいつもあたしに見せてくれた笑顔の明るさと温かさが脳裏に浮かんできて、そこからじんわりと胸の奥まで温もりが広がって、何とも言えない心地よさで満たされて。そんな感覚が不思議でこそばゆくて、でも少しの間浸っていたいくらいには嫌いじゃない。
……そうやって、あの人の笑顔につられて笑えるようになれたらいいのに。
「ああ。手放しで褒めていいところではないかもしれないが、先輩のそういうところは尊敬しているよ。本人には言ってやらないけども」
「まーたそうやって素直じゃないこと言うんだから、お兄ちゃんは~。普段は仁さんに可愛がってもらってるくせに~」
「言ってあげなよ、1回くらい。本来だったら、永遠に何も伝えられなくなるはずだったんだから」
「……あぁ……確かに。ならば言ってあげようかな、1回だけ。全てが万事解決した後で、そんな時間があったら、ね」
言葉はどこか棘の気配を感じるのに、それを発する声と表情はひどく甘く、そよ風に踊る春の陽気を錯覚するほど暖かい。実際に彼自身が言っていたことだけど、態度は冷たくてもやっぱり鱓野さんのこと大切に思っているんだな。なら尚更言ってあげればいいのにって思うけど、頑なに言葉にしないのはある意味海老原さんらしいのかもしれない。
何にせよ、そんな顔されたら殊更に足掻きたくなる。海老原さんが素直な気持ちを言えるよう、何なら真璃愛さんや紗蘭さんも巻き込んでお膳立てまでしてあげたい。そうでもしなきゃ、海老原さんは何だかんだと言ってはぐらかしそうだし。
(……って、すっかり話脱線しちゃった。今は情報交換に集中しなきゃ)
いずれにせよ、前回の悲劇を避ける手立てを見つける方が最優先なんだ。色々企むのは、全てが解決した後でも遅くはないだろう。
「で、話戻すんだけどさ。鱓野さんの様子がおかしかったのは遊んでる時も……というか、遊んでる時の方が変だったんだ」
「ふむ……具体的には?」
「鱓野さんの服装ってさ、全体的に明るい感じじゃない? 色んな色取り入れててさ」
「言われてみれば、確かに。キャップや服は髪の色に合わせてるのか思ったら、スニーカーは突拍子もない赤だからね。僕には真似できない着こなしだよ」
「私は好きよ、仁さんのセンス。明るくて活き活きとした仁さんらしいもの! お兄ちゃんは地味~な色のお洋服ばっかり選ぶんだから、ちょっとは仁さんを見習ったら~?」
「まぁともかく、普段の鱓野さんって髪の色や体格も含めて、目立つ格好すること多いよね? でも、クリスマスの鱓野さんは黒ずくめだったの。キャップから靴まで、ぜーんぶ真っ黒。本人はイメチェンとか言ってたけど、正直人目を避けようとしてるようにしか見えなかった」
「人目を避けるつもりなら、むしろ空回ってるようにしか思えないけどね、そこまで露骨だと。あの人がそれに気づかないはずはないし……様子がおかしかったのは確かか」
「あと、遊んでる間もずっと周りを警戒するようにキョロキョロしてたり、スマホを頻繁に見てたんだ。普段の鱓野さん、遊んでる時はほとんどスマホ触らないのに」
「……周りを警戒、か……。他には?」
「うーん…………あ。様子がおかしいっていうほどじゃないけど、待ち合わせの時に大学の方から来たのが少し気になったかな。あたしてっきり駅の方から来るものだと思ってたし、合流した時待ち合わせまで30分もあったから、わざわざ合流場所を素通りして何してたのかなって……」
「大学…………あぁ、なるほど……そのタイミングだったか」
「? 何がなるほどなのよ、お兄ちゃん?」
あたしの話を書き留める手をピタリと止め、ペンを持ったままの右手の甲に額を乗せて項垂れる海老原さん。ほんの僅かに見えた眉間には少しばかりの皺が寄っているけど、切れ長な両目の奥から伺えるのは険しさよりも、悲壮な達観の方が近いように見える。
なるほどという言葉の通り、何か合点がいったと同時にその合点を悲しく思っている表情と声音に、思わず真璃愛さんと共に首を傾げた。
「ど、どうしたの?」
「……さっき、クリスマスに鱓野先輩と通話した話をしただろう? その時言いそびれたことがあって……大学に退学届を出したそうだ。そのクリスマスの日に、ね」
「えっ……退学?」
「あー……そういえば確かにそういう話もしてたわね、仁さん……」
「その足で君との待ち合わせに向かったのだとしたら、大学の方から来たことも辻褄が合うだろう? あと数ヶ月で卒業だったのに、それを待たずに大学自体辞めてしまった点を考えると、君だけじゃなく僕のことも速やかに遠ざける……というか絶縁するつもりだったのではないかな。もしくは卒業を待てないほど切羽詰まってたか……」
海老原さんの推察は、決して的外れではないと思う。結果として前回のあたしたちは鱓野さんの思惑通り、彼らから遠ざけられたまま別れを迎えたわけだから。
ただ、あたしの考えは少し違った。切羽詰まっていたこともあるかもしれないけど、鱓野さんはそれ以上に……覚悟を決めていたんだと思う。仮に何事も起こらず、鱓野さんたちの身に降りかかっていた事件も穏便に収束していたとしても、もう二度と元の日常には戻れない覚悟を。決して安くないであろう代償を厭わないほどの固い決意をもって、自分に迫っていた危険からあたしたちを守ってくれてたんだ、きっと。
(真似できっこないや、あたしには。鱓野さんとたった1歳しか違わないのに……)
よく考えたら大人と呼ばれ始めてまだ年月の浅い、22歳の学生だ、彼は。一体どんな環境で生きていたら、ここまで強く在れるんだろう。鱓野さんの生い立ちとか何にも知らないけど、そうでなくとも憶測の余地すらない。
……考えてみれば、大学入ってからの3年間で鱓野さんのことは観察してきて、知ってきたつもりだったけど……本当にただのつもりだったのかもしれない。実際あたしが知っている鱓野さんは表面の、それもほんの一部分で……知らないことの方がきっと多い。そう思えば思うほど、何故か胸が痛くて息がしづらくなる。
今は知る手立てもないけど、いずれはちゃんと知りたいな。鱓野さんのことを、もっとちゃんと。それが鱓野さんたちを救う足掛かりになるのなら、尚のこと。そういう謎めいた感情と希望も含めて、全部手帳に留めた。
「……とにかく、鱓野さんが大学方面から来た理由が分かっただけでもよかった。教えてくれてありがと。あと気になることと言ったら……最後に行ったところだな。初めて連れて行かれた公園なんだけどさ」
「公園……?」
「へー、初耳! 何だかちょっと意外ね、仁さんの行き先セレクトが公園って。お兄ちゃんは、そこのこと……知らないっぽいわね、このしかめっ面を見た感じ」
「海老原さん、知ってる?」
「いやぁ、初耳だなぁ……鱓野先輩が公園を選ぶこと自体が意外というか」
「私とおんなじこと言ってるじゃない」
「公園って、まさかとは思うがブランコやら滑り台やらで遊んでたわけじゃないよね? 先輩の図体でそんなことしたら遊具が無事では済まないだろうから、心の底からまさかと思ってるけども」
「何なら私より失礼じゃない!? いくら仁さんが遊ぶの大好きだからって、流石にそれは…………ない、わよね……?」
「ないよ。あの公園、広い割に遊具は隅っこにちょっとしかなかったから、そもそもあたしたちが遊べるほど置いてなかったもん。ほとんど木とか植え込みばっかりでさ」
何でそこまで不安になっているのか分からないけど……やっぱり兄妹だなぁ、この2人。そう微笑ましく思うと同時に、あの公園を知らなかったのはあたしだけじゃなかったのだと、ほんのちょっと安堵した。あたしだけ仲間外れで教えてもらってなかったわけじゃないんだ。
……いやまぁ、鱓野さんがそんな陰湿なことするとか疑っていたわけじゃないけど……隠し事が多いと判明してからはどうしても頭を過ぎってしまうから。
「公園は公園でも、自然公園って感じかい? そんな場所を先輩が選ぶとは尚更考えにくいのだが……」
「自然公園っていう点は多分合ってる。正確に言うと、公園の奥に遊歩道が続いてて、そこから行けるせせらぎの辺りだと思う。暗すぎて周りはよく見えなかったから、川の音と鱓野さんが教えてくれた情報頼りの推測だけど……。鱓野さんが手を引いてくれなかったら、絶対怖くて進めなかった。下手したら今日入ったお化け屋敷より暗かったんだよ、あそこ」
「エルがそこまで言うとは、余程だったのだね。それだけ聞くと、やはり先輩が行きたがる要素が微塵も感じられないが……。聞いた限りのイメージでしかないが、せせらぎ以外は何もないところだったのだろう?」
「そうだね、多分……あ、いや違うかも。初夏辺りは家族連れで賑わうけど、今はシーズンオフだから誰もいないって言ってたから、鱓野さん」
「シーズン? 何のシーズンだい?」
「さぁ……そこまでは教えてくれなかった」
「ふむ……」
会話はそこで途切れ、公園について書き留めているであろう海老原さんがペンを走らせる音と、壁掛け時計の秒針の音だけがリビングダイニングから消えずにいる。
チラリと時計を確認すると、2本の針はちょうど20時半を示している。まだ少ししか話してないはずなのに、もう30分も経っているのか。海老原さんたちと話しているとついつい時間を忘れがちだから、気をつけないとな……。
「ねぇ、エル。その公園の場所は覚えてる?」
「場所? うーん……あんまり自信ないけど、住宅街の中ってことは覚えてるよ。名前分からないけど大きな公園だから、大学の最寄り駅中心に地図アプリで調べれば見つけられるんじゃないかな。……それがどうかしたの?」
「君さえよければだが、今度僕らでその公園に行ってみないかい?」
「あそこに? ……何でよ。行かなきゃいけない理由あるの?」
「可能性は薄いが、鱓野先輩の状況に関して何か分かるかもしれないだろう? 最後にわざわざ君を連れて行ったくらいだから、鱓野先輩なりに理由があってそこを選んだのだと思うんだ。とにかく今は情報が欲しいから、手がかりになりそうなもの片っ端から虱潰しで調べていくくらいしないと」
「まぁ、それは確かに」
「それにほら、シンプルに気になるじゃないか。先輩が僕らにも教えなかった、自分だけの秘密のスポットなんてさ。なのにわざわざ君を連れて行きたかった、その公園に何があるのか……気にならない?」
「私も! 私も気になるー! ねぇエルさん、私たちも行ってみましょうよ!」
「そう言われると、まぁ……ちょっとは……」
いや、本当はちょっとどころじゃないほど気にはなる。鱓野さんがあたしたちに秘密にしていたあの公園を、何で別れの場所に選んだのか。あの時は雪の純白と夜の漆黒で埋め尽くされていたあそこの何が、鱓野さんを惹きつけているのか。
嫌な思い出しかない場所だからか行こうという発想すらなかったけど、明るい笑顔と口調で本心の隠してしまう彼の心の一端に近づけるなら、海老原さん行ってみるのも悪くないかもしれない。……あくまで、情報収集の一環として。
「……分かった、1回行ってみよう。いつにする?」
「そうだね……なるべく早い方がいいだろう。君の予定が空いているなら、明日にでもどうかな? 僕が13時までバイトだから、その後でいいのならだけども」
「大丈夫。じゃあ、あなたのバイト先まで迎えに行くね」
海老原さんのバイト先は、大学から徒歩15分程度の位置にあるブックカフェだ。公園は最寄り駅から数十分は歩いたところのはずだから、あたしがバイト先まで行ってその足で向かうのが一番手っ取り早い。
……あわよくばブックカフェの本を楽しみたいからとかじゃない、決して。いや、海老原さんのバイト終わりを待つ間くらいは読みたいけど。
「ふふ、エルならそう言うと思った」
「……あたしならついでに本読みに来るだろうって?」
「それと、公園に行くと決めたことも。鱓野先輩の秘密……と言ったら君は食いつくだろうなぁ、と」
「つまり誘導してたんだ、あたしを行く気にさせようと」
「ごめんね。でも、そうした方が頷いてくれそうだと思ったのだよ。クリスマスの最後に行ったということは、そこが先輩に突き放された現場だよね。ならばそれらしい理由と同時に、君の興味を引くように誘った方が確実だと思ってさ」
「で、あたしはまんまと乗せられたってわけか。来週展示会に行くはずだった未来を変えるよう、あたしに展示会以外の行き先がいいって言わせたみたいに」
「ああ、やっぱりバレてたんだね……。ま、先輩が勘づいてたことを、君に怪しまれないはずはないか」
あれに気づけたのは、真璃愛さんが思いっきり「行かせたくない」って言っていたからだけどね。……とは、気まずそうに半笑いを浮かべる海老原さんには言えないけど。
「すっかり聞きそびれてたけどさ、鱓野さんたちの行動を大きく変えたかったとして、そのために選んだのがあの展示会だったのは何で? 未来を変えたいなら他にもタイミングはあったのに、どうしてそこだけあんな大胆な変え方したの?」
「……そう言えば、まだそのことについて話してなかったね。あの展示会に行った日の夜、ある場所で交通事故が起こったこと、知ってるかい? ニュースにもなったそうだけど」
「えっ? いや……初めて知ったけど。ニュース見たかも覚えてないし……」
言いながら日記の日付を遡って、展示会に行った日のページをざっと確認した。交通事故の話なんてどこにも書いてないから、前回のあたしは知ることなかったんだろうな。
「僕もニュースで知ったわけじゃないよ。さっき言いそびれたけど、嶋崎さんが教えてくれたんだ。歩道に暴走車が突っ込んできて、その場にいたのが……展示会帰りの先輩と紗蘭だった、と」
「えっ……!? それって、まさか……!」
「ああ。先輩たちが巻き込まれ、あわや轢き殺されるところだったんだ。路肩に停まっていたのに、いきなり先輩たちを目がけて発進した……つまり偶然の事故ではなく、明らかに命を狙われる形で、ね」




