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第5話 共に手繰る最善策


「……そういえばさ、あたしが応対しなかったのに、どうやって部屋まで来たの? ここオートロックだよ?」

「あー……それはね、管理人さんに協力してもらったんだ。非常事態で焦ってたから、少々乱雑な頼み方になってしまったけれど」

「はぁ!? 少々乱雑どころじゃなかったわよ!? 完全にお兄ちゃんの剣幕に怯えて可哀想なくらい震えてたじゃない、管理人さん! あの今にも捕食されそうな小動物みたいな顔が目に入らなかったって言うの⁉」


 一気に通常運転に戻った真璃愛さんの右手が、海老原さんの脳天に連続チョップを叩き込む。そんな様を眺めつつ、妹から脅迫扱いされるレベルの頼み方を苦笑いで話す海老原さんに少し呆れそうになったけど、よく考えたらそれを招いたのはあたしだ。こればっかりは呆れる立場じゃない。


「エントランスドアとエルの部屋を開けてもらって、このリビングダイニングに一目散に駆け込んだんだ。何も知らずに見ても異常事態だと分かるほどには部屋中荒れていたが……あれは君がやったのだよね?」

「うん……。そうでもしなきゃ色んな感情で頭おかしくなりそうだったから、あの時は」

「気持ちは分かるよ。八つ当たりはダメだ、やったところで何も解決しないとは分かってても、せずにはいられなってしまう。頭と胸を内側から破らんとばかりに暴れ回る感情の濁流に抗えないんだよね、何でもいいから吐き散らしていなければ……」


 ……やけに具体的というか、例え話にしては生々しい。いやに重く低い声音のそれを聞いていて、思わず喉がゴクリと鳴ってしまった。

 海老原さんも、同じ気持ちだったのかな。2人の死を知った時は……。


「おっと、話を戻そうか。そんな状況の中だったが、最初に目についたのはその手帳……つまり君の遺書だった。読んだ直後に君を捜して、風呂場に飛び込んで……それで……」

「……覚えてるよ、あの時まだギリギリ意識あったから。あなたが、本当にあなたの声だと思えないくらいに絶叫してたの」

「そう、か。当の僕は気が動転しすぎてたのか、今となってはあの辺りのことは覚えてない部分の方が多いけども……その僕の叫び声を聞いた管理人さんも見に来てくれて、救急車を呼んでくれたことは何とか記憶に残ってるよ。あと思い出せることと言えば、君に付き添って救急車に乗ったことと、気づいたら病院の椅子に座っていたところかな。看護師さんが1人、そばについててくれたのだが……嶋崎さんから電話がくるまでの間ずっと、意識はありつつもほとんど手放していたような状態だった。目は開いてたし、耳も聞こえたが、周囲からのあらゆる刺激が頭に入ってこなかったというか……何と言うべきか……」


 そこまで話した海老原さんは、ふーっ……と大きく息を吐きながら背もたれに身体をのしかからせた。ちょうどバルーンが空気という支えを失って、(しぼ)んで(くずお)れたみたいな動き。

 表情筋さえ脱力していて、だから平静な無表情に見えるのに、そうとは思えないほどには顔色が悪い。ここまで過去の話をしてきた中でも指折りで辛そうな様子の彼につられるように、通常運転に戻っていた真璃愛さんの顔も曇っていく。


「そうだったわね……。看護師さんがどれだけ声かけてもマトモに反応せずに、ひたすらエルさんの名前を呟いてたわ。放心しながら悪い夢に(うな)されてるみたいな、そんな感じで……本当に見ていられなかったわ。多分、看護師さんも同じように思ったんじゃないかしら。……それだけ動揺してたんだもの、記憶が曖昧になっちゃって当たり前よ」

 

 ……恐らくだけど、海老原さんの記憶が断片的にしかないのは、気が動転していたのも当然あるのだろう。けど、それよりも防衛本能が働いた結果だと思う。

 立て続けに舞い込んできた親しい人の死という現実。テレビで知った紗蘭さんたちの時とは違い、直に見てしまった人の死に逝く姿。その衝撃と強すぎるストレスから、無意識に記憶のほとんどを切り離したんだろう。それまでの記憶は詳細に説明できるほどハッキリと残っているのに、あたしが自殺して以降の記憶だけがタイムリープの影響を受けているとも考えにくい。

 ……考えれば考えるほどにあたしのせいだし、衝動的にやらかした結果への後悔が深まっていく。さっきはこの傷を塞いで(あがな)えるなら、なんて考えたけど……こんなにも海老原さんの心に傷を負わせたことは、タイムリープでさえ取り返せない過ちだ。

 もしかしたら、もう、償うことすら許されないのかもしれない。今は平静に見えるだけで、トラウマになっている可能性だって捨てきれないのだから。そうだとしたら、心理学をかじっただけの素人であるあたしにできることなんか……。


(それでも海老原さんと真璃愛さんは、あたしを責めないでくれるんだろうな。今までそうだったように)


 そんな彼らの強さが、優しさが、温かくて眩しくて……ほんのちょっと苦しい。


「……店主さん、電話で何て?」

「まず、ブルームにいないことを怒られたと思うよ。それでどこにいるのかと聞かれたけど、その時はスマホの向こうから嶋崎さんが喋ってると認識するので精一杯で……。現在地とエルのことを話そうとしても上手くできずに、結局看護師さんが代わりに説明してくれたんだ。それからしばらくして嶋崎さんが到着して、詳しい状況はほぼ看護師さんが話してくれたと思う。あんまりよく覚えてないけども……」

「そういえばあの看護師さん、どうも嶋崎さんと知り合いっぽかったわよ。ただ、親しい間柄っていうよりは、単なる顔見知りって感じだったわね。会話もこう、硬い印象だったし。看護師さんは紗蘭さんのお養父(とう)さんって感じで接してたし、紗蘭さんのことちゃん付けで呼んでたから、どっちかっていうと紗蘭さんの知り合いなんじゃないかしら。でも、紗蘭さんのお友達って感じもしなかったのよねー……」


 紗蘭さんの知り合い? 病院関係者の?

 難しげな顔で語る真璃愛さんの話からして、プライベート的な付き合いがある人ではなさそう。だったら考えられるのは……その病院でお世話になった看護師さんって可能性だけど……。

 紗蘭さんが病院のお世話に? あの紗蘭さんが? 成人男性を蹴り飛ばせるほどには元気あり余ってて、1キロのステーキを難なく平らげちゃうような彼女が?

 考えても全くイメージできない。こう言ったら何だけど、ヘビースモーカーの店主さんの方がまだ想像つくレベル。

 でも入院なり長期の通院なりしてなきゃ、患者さんの顔と名前覚えて、ちゃん付けで呼んだりまではいかないよね……。だからやっぱり、何かしらの形でそれ相応の期間お世話になったんだと思う。

 どの道、真璃愛さんが話を続けないということは、これ以上に詳しいことは分からないんだろうな。なら考えても仕方ない、手帳に書いておくだけにしておこう。


(というか、こんなに気になる情報なのに、海老原さんは記憶に留める余裕もなかったんだな……。あたしが奪ったと言うべきかもだけど……)

「看護師さんと嶋崎さんが話してたところに、処置をしてくれてた医者が現れてね。君の死亡がはっきり告げられたのは、その時だった。……もうね、自分が息をできてるのかどうかもよく分からなかったよ。何ならいっそ止まってしまった方が楽なんじゃないかと思うくらいには何もかも、一切合切がどうでもよくなって……嶋崎さんとはそれっきりだ。…………長くなってしまったけど、こんなところかな。僕が話せることは」

「……え、終わり……?」

「うん」

「そっ……か、ありがと……。ちょっと時間ちょうだい、全部書くから」

「ゆっくりで構わないよ、僕も話したことを書き出しておきたいし」


 突然の終了に戸惑いながらも、そこまで聞いた内容で手帳を埋めていく。ゆっくりでいいとは言ってもらったけどペン先はどうしても待たせちゃいけないと逸って、字は読めなくはないけど大分雑になった。おまけに書ききった内容を改めて軽く読み返してみると、かなり長い。一旦まとめよう。

 25日の深夜、鱓野さんから海老原さんに通話。26日の午後は、あたしの家に様子を見に来てくれていた。店主さんが紗蘭さんと連絡つかなくなったのもその日。

 店主さんと行動を共にするようになったのは28日から、初遭遇は紗蘭さんの自宅。そこからブルームに連行されて、ブルームの存在を知ったのはそれが最初。今回で鱓野さんに案内させた目的は、事情通であろう店主さんと前回より早く知り合って行動範囲を広めるため、そして店の位置と本当に鱓野さんと知り合いなのかの確認。

 翌29日の朝までブルームで休んで、起きてから情報交換。その後あたしと紗蘭さんが音信不通になった件を警察に相談しに行くも、門前払い。警察は「今それどころじゃない」と言っていたけど、詳細不明。その後ブルームに戻って……進展があったのは、30日深夜。紗蘭さんから店主さんに着信。

 内容は鱓野さん殺害の自供。それとヨウスケ、チグサという関係性不明の人物の名前。紗蘭さんの様子は始終不安定で、笑ったり泣き出したり、精神状態が極めて悪かったと思われる。鱓野さんを殺した動機は不明。以降、紗蘭さんとはタイムリープするまで連絡は取れず終い。

 30日の日中に店主さんは再び警察へ相談しに行って、強引に相談記録を取らせた。そして海老原さんと合流する直前、誰かと電話していた。組という単語から、店主さんが関わりを持っているらしい雅瀾組(がらんぐみ)というヤクザが電話相手の可能性があるけど、こちらも詳しいことは分からないまま。同日夕方にはブルーム近くのマンションで爆発事故。店主さんが意味深な行動を取っていたけど、これもどういうことなのか分かってない。

 31日深夜に例の埠頭倉庫で火災。朝には遺体が発見されたとのニュース。それが紗蘭さんたちのものかもしれないと、元旦の日中には店主さんが警察から呼ばれた。あくまで判明したわけじゃなく、埠頭内の監視カメラに紗蘭さんたちが映っていたことが根拠だったけれど、それは結果として正しかったわけで。

 店主さんが3日早朝から呼び出されたことを考えると、2日には恐らくそれが確定した。そして同日報道されて、それを知ったあたしが自殺。海老原さんがマンションの管理人さんに言ってここまで駆けつけてくれて、病院に搬送された。病院で店主さんと合流するも、彼とはそこで別れたっきり。


(……色々起こりすぎて、まとめきれないや。時系列を中心に情報を掻い摘んでさえこの長さ……)


 改めて考えると、本当に激動だったんだな、タイムリープ前の1週間は。これ全部、あたしが家に引きこもっていた間に起こったことなんて、にわかに信じられない。

 こんなに多くの出来事が、事件が、目まぐるしく前回を駆けていった。きっと今回も駆けていく。すでに過去を変えていることを踏まえると、恐らくは……前回とは違う形で。

 鱓野さんと紗蘭さんの結末まで変えるには、これらは避けて通れないだろう。海老原さんたちの口から明らかになった事実と同じくらい……いや、下手したらそれ以上に浮き彫りになっていく謎にも立ち向かわなきゃいけない。まだ影だけで正体の輪郭すら見えない、紗蘭さんの命を狙った奴らだって……。

 ……正直、呼吸すら苦しくなる。自分の意志で背負ったはずの2人の命運が、逃げ場を奪わんばかりに四方八方からあたしの身体に積み重なっていくような、閉塞感に似た不安に支配されてしまう。


(……できるのかな、本当に。あたしなんかが、鱓野さんたちを救うなんて……)


 これまで何度も感じてきて、今もまたあたしを呑み込もうとしてくる、先の見通せない未来への不安。1秒先のことさえ分からないなんて当たり前の話なのに、何でこれから変えようとする未来は、ただの未来より恐ろしく感じるのか。

 答えは簡単だ。失敗が許されないから。あたしたちが何も変えられなければ、もしくは変え方を間違えれば、起こってしまうと約束された悲劇がある。そして無事に変えられたとしても、変えた未来がどう転ぶのかは不明瞭。

 変えても結局、前回と同じ悲劇に帰結する可能性だってゼロじゃない。少なくとも、紗蘭さんの命を狙う敵が存在している以上は。前回わざわざ鱓野さんがあたしを遠ざけたことを考えると、彼が全くの無関係とは考えにくい。何より、肝心の敵について存在以外は何も分かってない、探ろうにも手がかりもロクにないという始末。

 ……こんな確実な解決策も見通せないような状態で、あたしにやれるだろうか。ただの大学生の、何の力もない無憑(むつき)の、あたしなんかに──。

 

「エル? 顔が強張っているように見えるけども……やっぱり不安かい? 大丈夫、僕がそばにいるから。どうか安心しておくれ」

「ここまで長話だったもの、疲れたでしょ? 無理は禁物よ。辛いと感じたらすぐお兄ちゃんに言って、何ならお兄ちゃんを枕にして休んじゃって! あ、よかったら子守歌歌ってあげましょうか!? お歌は得意なのよ、私!」


 自分で手帳に記した現実で心と思考が曇っていく最中、2つの声が差し込んでくる。あたしを案じてくれる海老原さんの優しい眼差しが、真璃愛さんの明るい笑顔が、胸中の靄を晴らしてくれた。完全に取り去るとまではいかないけど、毒々しいまでの不安から掬ってくれるには十分すぎるくらいで。

 あぁ……そうだ、忘れるところだった。あたしはもう独りじゃない。一緒に足掻いてくれる仲間がここにいる。だからあたしも足掻こうと決められたんじゃない。まだ絶望の方が色濃いかもしれないけど、一切の希望がないとは決まってない。

 だから決めた通り、2人と足掻こう。確実な解決策はまだ見出せなくても、共に足掻いて、ひたすらに藻掻いて……。そうしたら、いつか最善策を手繰り寄せられるかもしれない。2人の存在と優しさと嚙みしめるように深呼吸したら、そんな風に思考はまとまっていく。


「……ありがとう、あたしなら大丈夫だよ。……だからさ、話の続き、してもいいかな。続きというか、今度はあたしが話しておきたいこと、それから……あなたに聞きたいこと。長くなっちゃうかもしれないけど……」


 言いながら壁掛け時計に目を向けると、そろそろ20時になろうという頃合い。もうすでに2時間くらい話し込んでいるのに、このまま話を進めたら海老原さんたちの帰宅が遅くなってしまうかもしれない。

 流石に終電を逃がすほどの時間にはならないだろうけど、やっぱり念のために日を改めようかと提案しようとするより早く、海老原さんが微かな笑い声を溢した。

 

「僕から先に長話を始めたのだし、いいよ。君が話したいのなら、気にせず存分に話しておくれ。23時までにここを出れば、終電には間に合うだろう?」

「そうだけど……そしたら家に着くの遅くなっちゃわない? それでも大丈夫?」

「僕は構わないよ。家主の君がその時間まで滞在を許してくれるのなら、ね」

「自分から来てって言っておいて追い出すようなことしないよ。うっかり終電なくなる時間になっちゃっても、うちに泊めてあげられるし」

「ありがとう。ただ、それに関しては気持ちだけいただいておくよ。男としていただけないからね、一人暮らしの女の子の家に一晩も居座るのは」

「言い分は分かるけどさぁ~……一人暮らしならそれはそれで一緒にいてあげなさいよって思いもあるけどね、私としては! いざって時はお兄ちゃんがエルさんのこと守ってちょうだいよ!? 男だって言うなら!」

「……それと、そういうことは軽はずみに言わないように、特に男性には。いいね?」

「言わないよっていうか、言えないよ。あたしの人見知り具合知ってるでしょ、海老原さん。こんなこと言えるほど気の許せる人なんて、あなたたちしかいない」

「そういう問題ではないのだが……まぁ、今はそれでよしとしようか。ふふふっ」

「……話、始めていい?」

「ああ、いつでもどうぞ」


 何をそんなに喜ぶところがあったのか、海老原さんの口角は緩んで元に戻らない。真璃愛さんにやれやれと大きく溜め息を吐かれていることなど露知らず、先程の話の書き出しで埋まったであろう紙を裏返しながら話を促してきた。

 ……ご機嫌な海老原さんには悪いけど、この様子はきっと長くは続かないだろう。彼に共有しなければいけない情報、彼の話では解決しなかった疑問点の確認。それから……。

 自分で話すと言っておきながら、結局話してくれなかった、最も謎だらけであるあの現象について。

 これらの話も、きっと鋭くて重い辛酸をあたしたちに嘗めさせるのだろうから。

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