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第3話 狂気の片鱗


 ペンを持つ手の爪が、掌に食い込んでいく。にも拘らずグリップが指先から滑り落ちそうなほど手に、背中に、冷たい汗が滲むのを感じた。ドクリと大きな波を打った心拍が、そのまま治まる気配もなく呼吸を荒らす。


(……落ち着け、あたし。ちゃんと聞くって決めたでしょ)


 一旦瞼を閉じて、引きつりかけている肺をあやすようにゆっくりと息を吸い込んで、大きく吐く。過呼吸寸前の息はそれだけじゃ治まりきらないけど、開いた瞼の先では心配げな緋色と瑠璃色が、あたしをじっと見つめてくる。

 それを見つめ返しながら、もう一度だけ短めに深呼吸をして……そしてようやく、息が言葉になった。


「……続けて。大丈夫だから」


 まだ乱れた呼吸の名残が消えない、掠れ気味の催促。真璃愛(まりあ)さんの瞳は依然として不安に揺らいだままで、深い瑠璃色は心なしか黒くも見える。

 それでも、あたしの言葉にゆっくり頷いた海老原(えびはら)さんとあたしを制することはしないでくれた。


「さっき言ったように、紗蘭(さら)から連絡が来たのは深夜……確か日付を跨いで30日になっていたと思う。嶋崎(しまざき)さんへの着信が入って、それからしばらくもしない内に怒鳴り声が聞こえて……嶋崎さんの元に駆けつけたら、血相を変えて電話の向こうに怒鳴っていた。怒ってるというよりは、混乱とかそっちの方に近かったかな。正直あまりにも様子がおかしかったから近づくことすら躊躇ってしまったけども……彼の口から紗蘭の名を聞いた瞬間、そんなの忘れて嶋崎さんのスマホに飛びついたよ」

「あの時のお兄ちゃん、嶋崎さんからスマホを奪い取りそうな勢いだったわよね」

「……それで? 紗蘭さんから応答あったの?」

「ああ。聞き間違いでなければ、僕の名前を呟いてたかな。嶋崎さんね、最初こそ乱入してきた僕を追い返そうとしてたけれど、観念したような顔でスピーカーにしてくれたんだ。そこで初めて紗蘭の声がはっきり聞こえて……まだ会えたわけでもなかったのに、紗蘭だけでも安否が分かったと、腰が抜けそうなほど安堵したよ」


 当時の感情を噛みしめるように語る海老原さんの様子は、とても柔らかかった。綻んだ目尻と口角、穏やかな声。海老原さんが今見せる全てだけで、その時いかに紗蘭さんを案じていたか、紗蘭さんからの連絡が嬉しかったかを物語る。

 ……けど、その麗らかとさえ思える暖かな表情は、数秒と経たずに曇っていく。その報せが決して手放しで喜べるものじゃなかったことまで噛みしめるかのように。


「紗蘭は不思議そうだったよ、何で僕が嶋崎さんと一緒にいるのかと。(もっと)もな疑問だが僕の心境はそれどころじゃなかったから、紗蘭の言葉を押し退けるように今どこにいるのかと問い質した。それは言えない、と……そう呟いた時になって気づいたんだ。彼女の声が、いつもの朗らかさや溌溂(はつらつ)とした生気もない……酷く澱んだものだったと」

「…………それ、で……?」

「……一体どうしたのかと聞く間もなく、紗蘭は僕にも聞いてほしいことがあると言って……僕の返事も待たずに言い放った。自分が、鱓野(うつぼの)先輩を……この手で刺し殺したと」

「────っ!!」


 半ば文字で埋まった手帳のページが、あたしの拳の中でぐしゃっと音を立てる。その手にすぐさま、白蓮のブレスレットを着けた小さな右手が重なった。


「……大丈夫? 一旦休憩するかい?」

「……いらない。平気だから、構わないで」

「…………最初に告げられた時、僕は一言も返せなかった。紗蘭の言葉は一つ残さず聞き取れたのに、言ってることが何一つ理解できなくて、声どころか息すら吐きだせなくて……。紗蘭の甲高い笑い声で、ようやっと呼吸を思い出せたくらいだった。いつもの声からは程遠い、金切り声が混ざった高笑いでさ。情けないが、あの時ばかりは相手が紗蘭だと分かっていても本気で怖気づいたよ」

「……何、笑い声って。鱓野さんを手にかけて、楽しそうにしてたって言うの……?」

「いや、恐らく違う。続けざまに紗蘭は言っていた。そんなことしでかした自分が憎いだろう、許せないって思うだろう。それでいい、そうじゃなきゃおかしい、正しくないと……ひたすら笑いながら。……こう言っては何だが、あの時の紗蘭は間違いなく、正気ではなかったよ」


 険しい(しか)め面で語る海老原さんの右手は、微かに震えながら自身の肩を抱いていた。そんな彼の背を擦る真璃愛さんだって、顔が青い。

 その場にいなかったあたしでも分かる。当時の紗蘭さんの様子が、いかに普段の快活な彼女からかけ離れていたのかは。人伝(ひとづて)ですら感じ取れる狂気を、ほとんど直に浴びた海老原さんたちの衝撃は、きっとあたしの比じゃなかったんだろう。

 ……鱓野さんを殺してしまったからそんな風に狂ってしまったのか、はたまた狂っていたから鱓野さんを手にかけたのか。どちらもあり得るけど……紗蘭さんが真実を語っていたのなら、せめて前者であってほしい。あたしが知っている普段の紗蘭さんの人柄は、そんな破綻したものじゃないから。


「それでも最初は会話できていたんだが、段々と紗蘭の言葉が支離滅裂になっていった。僕たちの呼びかけにも、まともに返事してくれなくなって……。最後に何人かの名前を呟いて、そこで電話は切れてしまったんだ」

「名前……?」

「正確に言うと、半分くらいは名前ではなかったんだけど……。父さん、母さん、それから確か……ヨウスケとチグサだったかな? エルはこの名前、聞き覚えないかい?」

「んー……ごめん、あたしも初めて聞いた。店主さんは何か言ってなかったの?」

「それがね、電話が切れたことに気を取られて、聞くタイミングを逃したっきりだったんだ。父さんはてっきり嶋崎さんのことだと思ってたが、紗蘭はあの人のことを蔵市郎(そういちろう)さんと呼んでいたから、恐らく違うんだよね?」

「うん。だとしたら……多分だけど、実の両親のことじゃないかな?」

「まぁ、そう考えるのが妥当だろうね。紗蘭のご両親については嶋崎さんから、紗蘭と暮らせない状況にあるとだけ聞いたが……」

「あたしも、紗蘭さんからそんな感じに聞いてる」

「そうか……。ヨウスケとチグサに関しては、紗蘭が呼び捨てにしてたくらいだから、多分どちらも相当親しい仲だとは思うんだが……あっ。兄弟姉妹のいずれかという可能性はないかな」

「あ、確かにありそうね! ご両親と一緒に呼んでたくらいだもの! 紗蘭さんって兄弟いないの?」


 腕を組んでうんうん唸りながら考え込んでいた真璃愛さんが、瑠璃色の丸目を輝かせる。

 そんな彼女の疑問から軽く記憶を辿ってみるけど、紗蘭さんに兄弟姉妹がいるなんて話は聞いたことない。高校時代だって、店主さんと2人暮らしだったし。

 ただ……。


「紗蘭さんに兄弟や姉妹がいるかは聞いたことない……けど、可能性はあると思う。ご両親と暮らすことすらできない状況だっていうくらいだから、いるとしても離れ離れなのかもしれないけど……。少なくとも、店主さんに引き取られたのは紗蘭さんだけのはず」

「なるほど……ありがとう。となると、そのヨウスケとチグサが誰なのかは、これ以上推測のしようがないか……。この話は置いておこう」

「うん」


 手帳の紙面にペン先を走らせる。海老原さんがこれまで話してくれた前回の出来事。それから、ヨウスケとチグサという2人の人物の名前、そして2人が紗蘭さんの関係者であろうことを書き留めた。

 どういう漢字で書くのかも、そもそも紗蘭さんとどんな関係の人物なのかも分からないけど、この名前は覚えておいた方がいい気がする。そうすれば、どうしても必要になった時に探ることもできる。

 書き終えて視線を海老原さんに戻すと、彼もまたあたしと同じようにメモを取っていた。書いている内容は、あたしから見ると逆さまだから全部は読めないけど、ここまであたしに話してくれた前回の出来事の要約っぽい。

 書き出しながらの方が整理しやすいって言ってたな、そういえば。


「……書き留められたかい? ならば話を戻そうか」

「うん、お願い」 

「紗蘭との通話が結局切れてしまったところからだね。その通話から分かったことは、紗蘭が鱓野先輩を殺害したこと、紗蘭の精神状態が非常に良くないであろうことだけ。紗蘭がどこにいるのかとか、先輩を手にかけた動機とか経緯とか……そういうことは何一つ分からなかった。……大混乱だったよ、この上なく。嶋崎さんがいてくれなかったら、あの時はどうなっていたことか……」

「本当にね! 深夜だったのも考えずに叫び散らしたり、外に飛び出そうとしたり……。お兄ちゃんのことだから絶対飛び出してたわよ、嶋崎さんが止めてくれなかったら! ……止め方はちょっと手荒で怖かったけど」


 海老原さんは少しの申し訳なさそうに眉をハの字に、真璃愛さんは呆れで口元をへの字に曲げながら、深めのため息を吐く。示し合わせたかのようなリアクションに一瞬微笑ましさを感じると同時に、今ここにはいない前回の店主さんへ思いを馳せる。

 手荒って言うくらいだから単純に引き止めたわけじゃないんだろうな、店主さん。海老原さんがよほど暴れたのかもしれないけど、話を聞く限り海老原さんには随分荒っぽい接し方していたみたい。

 あたしや紗蘭さんにはそんなことないのに……同じ男性だからとか? それにしてもって感じはしなくもないけど……。


「……ごめん、店主さん、またあなたに怪我させたりした?」

「いや、それはないよ。頭突きを食らったから(こぶ)でもできたかと不安にはなったけど、お陰で何とか頭を冷やせたから感謝してるさ。……僕の思い上がりかもしれないが、あの人には何だかんだと目をかけてもらった気がするな。形はどうあれ」

「そうね~、今なら私もそう思えるわ! 前回は怖いとこばっかり目についたけど、今はもう優しい人だって分かるもの」

「思い上がりじゃないよ、きっと。養女(むすめ)の友達だから実際に目をかけてたんだと思う。あたしもそうやって、高校の時から何度もお世話になってるし」

「……そうか。そうだといいね、本当に。……話を戻しても?」

「あっ……うん、お願い」

「色々と落ち着いてから紗蘭に連絡を試みたのだが、何度通話をかけても繋がらなかった。どうもスマホの電源が切れてしまったようで、先に言ってしまうと、タイムリープするまで二度と紗蘭には連絡できなかった。……僕らからはどうしようもなかったから一旦営業に戻って、また動き出したのは昼過ぎくらいだったね。嶋崎さんはもう一度警察に行って、僕は君と紗蘭に連絡を試みつつ捜してた、が……さっきも言ったように結果は(ふる)わず。一度嶋崎さんと合流する予定になってたから警察署に行ったら、そこから少し離れたところで嶋崎さんが誰かと電話してるところだったんだ」

「電話? 誰と?」

「それは分からない。印象に残ってるのは、嶋崎さんが荒っぽい敬語で話してたことと、相手に怒鳴っていたことかな。……エル、何か心当たりないかい? 嶋崎さんがそういう風に話す相手とか」

「んー……」


 店主さんが荒っぽい敬語で話す相手。その手がかりを頼りに記憶している限りの店主さんの知人を洗い出してみるけど、きっとこの人だろうという候補は思いつかない。

 店主さんは常連さんとは友達のような距離感で接するから敬語は使わないし、使うとするなら一見さんくらいだと思うけど、だとしたら店主さんと電話するような仲だとは考えにくいし。

 あと可能性があるとするなら店と関係ない知り合いだろうけど、そうなると店主さんのプライベートについてほぼ知らないあたしには推測しようもなくなる。


「ごめん、多分だけどあたしは知らない人だと思う。店主さんの知人はブルームの常連さんくらいしか知らないけど、該当しそうな人は思いつかないや。……その電話の相手とどんな会話してたとかは分からない? さっき怒鳴ってたって言ってたけど、何か口論してたの?」

「あ……すまない、言葉が足りなかったね。怒鳴っていたというより、必死に何かの説得試みて、勢い余って怒鳴り声になってしまったの方が正しかったかもしれない。とはいえ、会話の内容まではよく分からないんだよね。嶋崎さんが、組がどうのと言っていたことくらいしか……」

「組……? 組…………あっ!」


 海老原さんの「どうかした?」という声に返事するのも忘れて、あたしは手帳のページをめくっていく。大して戻るわけでもないのに、気持ちが逸るせいで指先が滑ってうまくいかない。

 ようやく辿り着いたのは、鱓野さんたちが来店した日の日記。ドスを取り出した迷惑客のことや、海老原さんに記憶があるかもと疑ったことと一緒に書いてある……雅瀾組(がらんぐみ)というヤクザの名前。

 そのヤクザと店主さんは店ごと関わりを持っているらしくて、当の店主さんは迷惑客のドスを見て組の紋がどうのこうのと言っていた。その組とやらが雅瀾組のことと確定したわけじゃない。けど、関係がないとも言いきれない。名前に組ってついているから、なんて安直な憶測でしかないけど。

 でも、仮にその組が雅瀾組のことだとしたら……店主さんが電話していた相手って…………。


「エル?」

「!」

「どうしたんだい、難しい顔して。……もしかして、今の話で何か気づいたことが?」

「あ、あー……えっと……」

「もー、エルさんったら急にどうしたのよ? 何か気になることあるなら、はっきり口に出した方がいいわよ?」


 ……どうしよう、言った方がいいかな。店主さんがヤクザと繋がりがあるっぽいこと。今の海老原さんたちの様子からして、知らない可能性あるよね。せっかく店主さんが怖いだけの人じゃないと分かってもらえたのに、不用意に教えたらまた怖がっちゃうんじゃ……特に真璃愛さんは……。

 とはいえ、店主さんとヤクザの間に縁があることは確定事項。しかも当のヤクザに気に入られているらしいことを考えると、恐らくその縁は浅からぬものだ。前回電話していた相手が雅瀾組だとするなら、尚更その可能性が高い。

 ……話しておくべきかな、これは。もしかしたら未来を変えるために動きやすくなるかもしれないし。ヤクザ絡みなら正直関わりたくはないけど、それよりも鱓野さんたちを救う方が優先だ。

 何より、情報共有したくらいでヤクザなんかと関わり合いになったりはしないでしょ、流石に。


「あのね、ちょっとその組に関して、店主さん……というかブルーム関係で心当たりがあるんだけど……」

「心当たり……。ブルーム関係ということは、彼の店ごと関わっている何かなのかい?」

「うん、そうなんだけど、後にさせて。あなたの話が終わってから、あたしが持ってる情報とまとめて教える」

「……まぁ、分かったよ。では話を戻すが、嶋崎さんはしばらく電話してたのだけど、僕に気づいた途端に慌てて切ってしまった。想像に難くないと思うが、電話の相手や内容は一切教えてもらえなかったよ」

「何ならあの時の嶋崎さん、ちょっと強めにお兄ちゃんのこと牽制してたわね。お兄ちゃんが聞くより早く関係ないから首突っ込むなって言ってさ。お兄ちゃんのことだから聞いてくると思ったのかもしれないけど、にしたって聞かれたくないですオーラがすごかったわ」

「警察に行ってた嶋崎さんの方も成果はなく、警察は相変わらず……というか29日に行った時よりも慌ただしかったそうだ。その理由はすぐ察しがついたのだけど……一応確認させてくれ。30日の夕方のニュースは見た?」

「いや。あなたからの通話に出た時だけだよ、テレビ点けたの」

「じゃあ、知らないよね。その日、あるマンションで爆発事故が起こったこと」

「えっ……爆発……?」


 警察の慌ただしさとニュースを結びつけて話したからには、何か事件が起こったんだろう。そんな想像はできたけど、それにしたって予測はできなかった単語に面食らってしまった。

 そんなあたしの様子に「そんな顔にもなるよね」と言いたげな海老原さんは、淡々とした声色で話を続ける。


「ここと同じようなオートロック式のマンションらしいのだが、もちろんここではないよ。どちらかというとブルームの方が近かったね」

「え……それ、あなたたち大丈夫だったの? 怪我とか……」

「平気だよ。近いとは言っても、巻き込まれるほど近所じゃなかったから。ニュースでは事故が起こったことしか報道されてなかったが、嶋崎さんが現場を見に行くと言ったから僕もついて行ったんだ。当然警察がいて規制線も張られていたから、野次馬に混ざって遠巻きに眺めただけだったけどね。なかなかに酷い現場だったよ。最上階が最も崩れていたから、恐らくそこで爆発が起こったのだろう」

「私はもう少し近づいてみようとしたんだけどさ……近くにいたお巡りさんが、片脚のない遺体が出てきたとか、そんな話してたの聞いちゃって。怖くてそれ以上近づけなかったわ」


 手帳のページを爆発事故の情報で埋めている最中、それを忘れて真璃愛さんの言葉に顔を引っ張り上げられた。僅かに強張って聞こえた声同様、伏せられた瑠璃色からは怖気が感じ取れる。それだけで当時の事故現場がいかに生々しかったか、少しだけ察することができた。

 彼女は「情けない話だけどね」なんて独り言ちるけど、怖いと思っても仕方ない話だ。あたしだって四肢欠損した遺体が出てきた場所なんて、必要以上に近づきたくはならないし。

 ……それはそれとして、だ。


「爆発事故があったのは分かったけど、それって鱓野さんたちのことに何か関係あるの? 話し聞いた感じ、関連してるようには聞こえないけど……」

「僕としても分からないんだよね、それは。嶋崎さんが険しい顔で現場を見てたし、さっき言ったが見に行くと言い出したのも彼だったが、それ以降事故のことには触れなかったから。タイミング的に無関係ではないかもしれないし、本当にただ偶然起こった事故を野次馬しに行っただけかもしれない。僕からはそれしか言えないな、申し訳ないが」

「そっか……分かった」

「次に進展があったのは、31日だ。朝のニュースで、深夜未明に都内の埠頭倉庫で火災があった速報。そして元旦に特番として出た続報で、鎮火された倉庫から2人分の焼死体が出てきた、と……。ここまで言えば、何のことか分かるだろう?」

「…………鱓野さんと、紗蘭さんの……遺体……」

「そうだ。……とは言っても、この時点では遺体の身元は分かってなかったし、僕も嶋崎さんも物騒なことが続いてるなと呑気に構えていたよ。……明くる日の午前、嶋崎さんが警察から呼び出されるまでは……ね」


 海老原さんは口調こそ平静を保つけど、声は今まさに首を絞め上げられるかの如く苦しげに細くなって、唇は言葉一つ溢れる度に緋色の目元ごと悲壮に歪んでいく。

 彼の傍らで揺蕩(たゆた)う真璃愛さんも、同じく重苦しい表情で、その中心の瑠璃色には今にも流れ落ちそうな雫を溜めている。

 窓の向こうでは、斜陽すらとっくに沈みきった。相変わらず響き続ける秒針の規則正しさが、夜闇で冷えているであろう外気を誘い込むかのように、あたしたちを取り巻いてきて息苦しい。

 ああ、話は佳境に入る。当時のあたしたちにとって最も辛く、文字通り全てが壊れるほどの絶望しか残らなかった、あの時の話へと。

 目で、耳で、肌で感じるその予兆に……こくり、と。あたしの喉が引き攣るように空気を呑んだのを、確かに感じた。

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