第1話 今、せめてできること
心のない、冷たいほど規則正しい秒針の音だけが、リビングダイニングを支配する。
そんな無機質な空間の中、あたしと向かい合わせで座る海老原さん。真剣で深刻な眼差しを湛える彼の言葉を、我が耳を、心の底から疑った。
ある種の防衛本能みたいなものなんだと思う。それのままに疑うことしかできなかった。だって、仕方ないじゃない。
それくらいに、信じがたいものだったんだ。海老原さんが突きつけてきた真実は。
「…………紗蘭さんが、鱓野さんを……殺、し……た……?」
掠れて途切れ途切れになった声で、海老原さんの鸚鵡返しをするあたしに、それを告げた本人は小さく頷く。それは見間違いかもと期待したくなるほど僅かだったけど、続く真璃愛さんの言葉によって期待を砕かれた。
「信じられない……わよね。私も、お兄ちゃんも、信じられなかったし……信じたくなかったわ。でもね……本当に言ってたのよ、紗蘭さん……。自分が仁さんを殺した、って……」
胴体から独立して動いている、白蓮のブレスレットが目を引く両腕。海老原さんの肩を包み込むように抱きしめるそれは、どこか海老原さんに救いを求めるかのように、その肩を握りしめている。彼女に実体があったら、きっと海老原さんは痛みを訴えるであろうほど、強く。
そんな2人に寄り添う余裕すら、今のあたしには欠片も存在していなかった。
「…………だ……」
「……エル?」
「嘘……うそだ、そんなの……。だって、紗蘭さん……そんな人じゃ……っ!」
「エルさん、落ち着いて……!」
「幼馴染みなんだよ……? 紗蘭さんと、鱓野さんは……。あたしたちの誰よりも、小さい頃から一緒で、仲良くて、そんな人を傷つけるなんて……。そんなことする人じゃない、紗蘭さんは!」
紗蘭さんと鱓野さんは、小さい頃から家族ぐるみの付き合いがある幼馴染み。だけど、大学に入るまでは絶縁しているに等しいほど疎遠だった。
そうなった理由は知らないけど、今のように仲良しじゃなかったことは知っている。あたしと海老原さんでどうにか仲直りのきっかけを作って、そうして2人が仲直りできて以降は4人一緒にいることが当たり前になったから。
ずっと一緒だったわけじゃないし、仲良くなかった頃があるのも分かっている。でも、それだって去年までの話だ。今はとっても仲良しなんだ、2人共。2歳差という学生にとっては大きな年齢差を感じさせないほど、小さい頃から気心知れた仲なんだと分かるほど。
その幼馴染みを殺すなんて、そんな理由が一体どこにあるっていうの。紗蘭さんがそんなことしなきゃいけない理由なんか、どこに。どこに?
知らない。分かりたくない。そんなもの。
「紗蘭さんは……確かに怒ったら怖いところあるけど、でもそれ以上に優しくて、思いやりのある素敵な人だ! そんな紗蘭さんが、鱓野さんを殺すわけない! 違う違う違う! 絶対信じないっ、絶対嘘だ!! 絶対に!!」
「エル!」
「信じない、信じたくないよっ……! それじゃあ、鱓野さんが死んじゃったの、紗蘭さんのせいってことじゃない!! どっちも大事な友達なのに……そんなっ、そんなの嫌だ!! そんなことっ──」
椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がって、手帳とテーブルに爪を立てる両手を睨みつけながら叫ぶあたしの声を、何かがあたしの身体を引っ張る形で遮った。そのまま身体と頭を包み込まれる感覚がして、そこで初めて自分の呼吸が浅く速くなっていて、そんな状態で叫んでいたことに気づいた。
軽い酸欠でぐらつく視界に、ミルクティー色の短い髪と、シルバーのインナーコンクピアスを着けた耳が映る。どちらも海老原さんの物だ。
その次に目に入ったのは、輪を描いて連なった白蓮。真璃愛さんの手だ。その先を目線で辿れば、瑠璃色の両目いっぱいに涙を溜めた真璃愛さんの、悲痛な表情に行きついた。
「……そう、だね……信じたくないよね。鱓野先輩を死に追いやったのが、紗蘭だなんて……。未だに思うよ、僕も……。あれが全部、僕の聞き間違いか悪夢だったら、と……。もう、あれから……何ヶ月も経ったのに……」
「……ぁ……」
半ばあたしに縋るかのように、あたしを抱きしめる海老原さんの身体は、声は……ひどく震えていた。顔は見えないけど、泣き出してしまうのをギリギリで堪えているように聞こえる、そんな濡れそぼった声であたしを宥めている。
「辛いよね、やっぱり……。すまない……本当に……こんな伝え方しか、できなく……て……っ」
言葉が1つ溢れていく度に、海老原さんの声はくぐもって、上ずって。ただ海老原さんに抱きすくめられる身体を自力で支える力すら失って、膝を折ったあたしに海老原さんまでつられるように、互いに床に頽れていく。
あたしの頬に手を添えていた真璃愛さんは、何も言わない。もしくは何も言えないのかもしれない。ただあたしを見つめながら、大粒の涙を流している。
実体のない彼女の瞳から溢れる雫は、輪郭をなぞって、滴り落ちて……。しかしそれは床を濡らすことなく、真冬の吐息のように空気へ溶けた。
「……ぅ……なん、で……ひぐっ……! うあ、ぁ…………なんで、なんでぇ……っ! あぁああ……!!」
気づけば、海老原さんの背に、あたしの両腕が回っていた。彼にしがみついた途端、嗚咽混じりの声と共に、涙が止まらなくなる。
海老原さんの言った通りだった。事態は深刻で残酷で、知りたくなかったと思うほど辛いものだった、本当に。
前回、悲惨な死に方をした鱓野さんと紗蘭さん。どっちも大切な友達だから、どっちも助けたいのに……。その末路が、高校の時からあたしの傍にいてくれた、初めての友達がしでかしたことだったなんて。
タイムリープして、全てなかったことになった。でも、前回の記憶を持つあたしたちにとっては、なかったことになどできない事実。
何でそんなことになってしまったのか、何が紗蘭さんをそんな凶行へ駆り立ててしまったのか。考えようにも頭の中をまとめる程度の冷静さすら取り戻せなくて、ひたすら海老原さんたちに八つ当たりじみた「何で」をぶつけ続ける。
……2人だって辛いことは、2人の嗚咽を聞けば分かるのに。
「ひぐ、うぅ…………や、だあぁぁあっ……!! やだよ、こんな……っ!! やだやだ、っやだあぁあああ!!」
──癇癪を起こした幼児のような泣き喚き方を、一体あたしは何分続けていたんだろう。
ようやくそれが治まった頃には、涙も声も枯れきって出なくなった。泣き叫びすぎて頭が痛い。過呼吸を起こした喉が、喘ぎに等しい呼吸を繰り返して、その度に水分を失った気道がひりつく。
気持ちが落ち着いたわけじゃない。涙が枯れたところで、全身を引き裂かれるほどの絶望感は微塵も枯れてくれない。
それでも、あたしを抱きしめながら背を擦ってくれる海老原さんの手が、真璃愛さんの涙でゆらめく瑠璃色が、かろうじてあたしの心を正気に繋ぎ止めてくれた。
「エル……大丈夫、かな……?」
お互いの肩に顎を乗せて、ゼロ距離で縋り合っていた海老原さんが、あたしから少しだけ身体を離す。
あたしの顔を覗き込む海老原さんの目は、その緋色の瞳よりもずっと赤く腫れている。作り笑いを貼りつけた頬は涙の痕にまみれて、あたしを案ずる声はまだ涙でくぐもっている。
きっと、海老原さんたちの目に映るあたしの顔にも、同じような号泣の痕跡が残っているに違いない。
「…………だい、じょ、ぶ……なわけ、なぃ……っ」
「……そうだよね。ごめん」
未だに拒み続けていたい。鱓野さんたちが死んだと知った時と同じくらいショックで、悲惨な現実を。そんなの嘘に決まっていると。
……できないんだ、それは。海老原さんたちが、紗蘭さんも鱓野さんも侮辱するような、そんな酷い嘘をつくわけがない。嘘なら、2人がこんなにも苦しそうに泣くはずがない。
それが、どうしようもないくらいに、紛れもなく起こってしまった過去なんだと突きつけてくる。そう認めるよう、真実は真実以外の何物でもないと迫ってくる。
だというのに認められず、現実逃避に走ったのは……ただ単にあたしに覚悟が足りなかったからだ。海老原さんに前回のことを教えてほしいと希っておきながら。
「……ごめ、んね」
「え?」
「聞く、って、言ったの……あたし、なの、に。嘘だって……。あなたが、こんな嘘、つくわけないっ……のに……」
「いいんだ、こんな残酷なこと……すぐに受け入れる方が難しいだろう……」
「私もだけど……お兄ちゃんだって、知ってすぐに納得したわけじゃないわ。エルさんと同じように、紗蘭さんがそんなことするわけないって……前回で知らされた時も泣いてて……」
真璃愛さんのフォローを聞いて、今更ながらハッと気づいた。これを教えてくれた海老原さんは「前回の本人が自供した」と言っていた。
タイミングからして、恐らくそれはタイムリープの直前……早くても数日前くらいだと思う。
……そのタイムリープから、今はもう、3ヶ月が経過している。
「海老原さん……」
「何?」
「あなた、前回でそのこと知ってから……ずっと、抱え込んでたの? タイムリープしてからも、1人で……」
「……そう、なるね」
腫れの引かない切れ長の両目が、ゆっくり伏せられる。そのまま閉じた瞼に隠れた緋色はひどく悲しげで、それは寄せられた眉根でできた眉間の皺からも読み取れた。
……海老原さんは、一体どんな気持ちで、この3ヶ月を過ごしていたんだろう。自分の世界を形作っていると言えるくらい大切に思っている人が、同じくらい大切に思っている人を殺した。そう知りながら、誰かに吐露することすらできなかったなんて、どんな気分だったんだろう。
あたしには想像もできない。たった1人で抱えるには重すぎて、辛すぎて、あたしだったら耐えきれないであろうこと以外は。真璃愛さんも知っているけど、その真璃愛さんを知覚できない海老原さんからすれば、1人であることに変わりない。それを、3ヶ月も……。
……海老原さんとも、真璃愛さんとも、毎日のように顔を合わせていた。なのに、全く気づけなかった。観察力には自信あったのに。
それら全ての事実を噛みしめながら、まだ乾ききっていない涙を手の甲で拭い去った。あたしよりも長く辛酸を味わわされていた海老原さんたちでさえ、その中でも未来を変えようと前を向いているんだ。
なのにあたしだけが、いつまでも辛さに甘えて泣きじゃくっているわけにはいかない。
「苦しかった、よね、そんなの……。ごめんね、ずっと気づけなくて……1人で背負わせて……」
「いや、違うさ。君たちに悟られぬようひた隠しにしていたというのは、もちろんあるけれど……。何よりも、帰ってきてくれたみんなと過ごす時間が、楽しくて、嬉しくて……。その間は、全ての辛さを忘れていられたからだよ。……それとは別に、少しでも先輩や紗蘭と過ごす時間を増やして、何故紗蘭が先輩を殺したりしたのか探ろうとしていたけどね」
「…………あっ。もしかして、前回誘わなかった食事にやたら誘ってきたりしてたの、それ……?」
「それもだし、今日の遠出に僕から誘ったこともだよ。エルなら分かるだろうけど、前回は鱓野先輩が誘ってきた展示会に、来週行ってただろう? 今日のはどちらかというと、先輩たちの行動を前回から大きく変えたかったからやったのだけど……」
「ああ……だからあなた、展示会は避けたがってて──いや、ちょっと待って。探ってって……紗蘭さんがあんなことした動機、分かってないってこと?」
言いながら、視線を一瞬だけ真璃愛さんに移す。真璃愛さんも知らないのか確かめたい意図はちゃんと伝わったらしい。頷く海老原さんの隣で、彼女は申し訳なさそうな表情で僅かに首を横に振った。
「どうして? さっき海老原さん、前回の紗蘭さんが自供したって……」
「それについてもちゃんと説明する……が、後にしよう。話が大きく逸れてしまったし、順番に話した方がいいだろうから。そのためにも、まずは座り直そうか」
「……そうだったね。ごめん、取り乱した上に床に座らせたままにして」
「いいんだ。ただ、さっきのハンカチ、また冷やしてくるから一旦返しておくれ。その目元のまま話を続けるのは、流石に忍びないからね」
「それを言うなら、海老原さんもでしょ。お願いする代わりに、あなたも冷やしておいでよ」
「うん……では、お言葉に甘えて」
まだ湿っているものの冷たさはなくなったハンカチを海老原さんに手渡すと、彼は「洗面所、また借りるね」と言い残し、リビングダイニングを出た。……立ち上がる直前まであたしを抱きしめたままだったの、すっかり意識の外にいっていたな。多分、海老原さんも。
あたしは一足先に元いた椅子に座り直して、開いていた手帳にペンを走らせる。
前回のクリスマス、鱓野さんが海老原さんに通話をかけていたこと。鱓野さんの拒絶は何らかの事情による嘘で、実際に嫌われていたわけじゃないこと。
そして……。
「…………っ……」
紗蘭さんが、鱓野さんを、殺したらしいこと。全部書き留めて、ペンを置いた。
……最後の内容だけ、文字が少し歪んでしまった。ここだけ手が震えちゃったからかな。
「エルさん……ごめんなさい……」
隣から真璃愛さんの声が聞こえた。首だけ僅かに動かすと、真璃愛さんは手帳を覗き込んでいる。……その横顔、瑠璃色の瞳、どちらからも滲む苦しみに、今にも潰されそうな様子で。
胸の前で祈るように指を絡める両手と、白蓮のブレスレット。か細い謝罪を溢す声。全部、観察する必要もないほど、あからさまに震えている。
「お兄ちゃんの力になってあげてなんて言っといて何だけど……エルさんが苦しむくらいなら、忘れてくれて構わないわ。だから、本当に辛いなら……もうこれ以上無理するのは──」
「大丈夫だよ。辛いけど、無理してるわけじゃない」
「でも……!」
「前回のことを教えてって、残酷な真実でも聞くって言ったのは、あたしだよ。真璃愛さんが強要したことじゃないんだから、あなたの責任なんかじゃない」
もちろん、真璃愛さんのあの言葉だって無関係ではないけど。仮に真璃愛さんのお願いがなくても、あたしはきっと全部聞くと決めていた。
だから、間違っても真璃愛さんのせいじゃないし、忘れるつもりもない。
「真璃愛さんが悪いなんてことないんだから、謝らないで。……遊園地からの帰り、あなただってそう言ってくれたでしょ?」
「あ……」
あたしのせいで遊園地から帰ることになってしまったと溢した時、真璃愛さんは言ってくれた。あたしは悪くないから謝らないで、と。その言葉があたしの心を軽くしてくれたように、今度はあたしが真璃愛さんの心を軽くしてあげたい。
だんだん震えが治まってきた真璃愛さんの手に、自分の手を重ねた。触れる感触もないから、何かで覆ってしまえば様子を確認する術はない。なのに、どうしてか震えが完全に止まったと分かった。
「……不思議ね。魂だけの身体じゃ温度だって分からないはずなのに、エルさんの手がとっても温かく感じるのよ。……ありがとう。エルさんには感謝してもしきれないわね、本当……」
泣き笑いのようにくしゃりと細まった瑠璃色の目から、また涙がはらりと落ちて空気に溶ける……と同時にガチャリとドアが開く音がして、真璃愛さんに重ねていた手を反射的にテーブルの下に隠した。あまりに急いで引っ込めたせいでテーブルの縁に指が掠って、ちょっと痛い。
一連の動作が目に入ったのか、はたまた痛みが顔に出てしまっているのか、洗面所から戻ってきた海老原さんは怪訝そうな視線をあたしに向けてきた。
「……エル? 何してるんだい?」
「いや……な、何でもないっ。気にしないで……というか、戻るの早すぎない? 目、ちゃんと冷やした? まだちょっと赤い気が……」
「そこまで気にしなくても、僕の目はそもそも赤いよ」
「いや、瞳の色の話じゃなくて」
「僕のことはいいから。はい、ハンカチ」
「ああ……ありがとう」
「……冗談が下手くそね、お兄ちゃん。ちっとも笑えないわよ」
受け取ったハンカチはひんやりとした湿り気を取り戻していて、未だに熱を持つ目尻に当てると気持ちいい。それに浸るあたしの横で、真璃愛さんは兄のジョークに辛口な評価を送っていた。
そこまで言うほどかな。彼女の位置的に表情は見えないけど、声が不満を通り越して苛立ちを滲ませている辺り、相当つまらないって感じたのかもしれないけど。
「話を戻す前に、エル。1つだけ確認してもいいかな」
「何?」
「さっき言った通り……鱓野先輩の死は、ほぼ確実に紗蘭の手によるものだ」
「……うん」
「その上でも、君はまだ2人を……紗蘭を救いたいと思っているかい?」
「……紗蘭さんがしたことは未だにショックだけど、だからって救いたい気持ちに変わりはないよ。それに、あたしがそういう前提で観察したことないからかもしれないけど、紗蘭さんが鱓野さんに対して憎悪とか怨恨とか……殺害の動機になるような感情を向けているところなんて見たことない。だから、きっと……何か、事情があったんだと思う」
あたしがそう思い込みたいだけで、いざ動機を知ったらもっと残酷な真実が待っているかもしれない。そもそも殺人なんて、どんな事情があっても許されることじゃない。
……だとしてもあたしは、あたしがよく知る紗蘭さんを信じたいし、それに……。
「事情があるなら、それをどうにかしちゃえば、紗蘭さんが鱓野さんを殺す未来だって変えられるかもしれない。その未来だってなかったことになった今、できることは……やらなきゃいけないことは、同じ結末を防ぐことだと思う。動機も分からない内は現実的じゃないけど……上手くいけば、2人共救うことだってできる……はず」
「……分かった。じゃあ、それを目指すためにも話を続けよう。確か、前回のクリスマスに先輩から通話がかかってきたところからだよね?」
「うん。鱓野さんが、あたしのことよろしくって言ってたって」
「そう。通話はその直後に切られてしまって、かけ直しても繋がらなかったんだ。君にも連絡を取ろうかと思ったんだが、時間が時間だから明日にすることにして……。日を改めて、いざ君に通話をしても一向に繋がらず、チャットは既読すらつかず……。先輩が言っていたことも相まって、君の身に何か危険が及んでいるんじゃないかと、それはもう焦ったよ」
「本当にすごかったわよ、あの時のお兄ちゃん。よく息切れしないなって感心しちゃうくらい、ずーっとエルさんたちのこと心配する独り言呟いてて、傍から見たら完全に不審者でしかなかったわ……」
溜め息混じりに言う真璃愛さんの声からは、呆れこそ感じるものの、さっきみたいな苛立ちは感じ取れない。あたしの真横にいる彼女の顔を、海老原さんの目の前でまじまじと見るわけにはいかないけど、多分もう怒っていない。
クリスマスの翌日だと、鱓野さんの拒絶がショックすぎて大泣きしていた時だ。あの時一度だけスマホを見たけど、当時のあたしの精神状態からして、届いていた連絡を確認する余裕はなかったと思う。
「ごめん、その時クリスマスのことで頭いっぱいで……スマホ自体全然見てなかった」
「無理もないさ、それは。ただ、当時の僕としては何が起こっているかさっぱり分からなかったし、先輩とはクリスマス以来また連絡がつかなくなるし……とにかく余裕がなくてね。先輩から君のことを託されたというのもあって、君の家を訪ねたこともあったよ」
「え、それって、あの……年が明ける前のこと? 本当に?」
「同じくクリスマスの翌日……26日の午後だよ。インターホンを何度か鳴らしたんだが、気づかなかったかい? まぁ、事実応答がなかったから、てっきり君は不在だと思い込んでたわけだが……」
「26日……」
可能な限り記憶を辿っていくけど、やっぱりインターホンが鳴った覚えはない。
26日は夕方までずっと泣き叫んでいたから、周りの物音に気を配る余裕なんてなかったはず。そんな状態だったから、もしかしたら海老原さんが訪ねてきたことも気づかなかったのかもしれない。
……あれ、でも……。
(真璃愛さん、家の中を確認しようとか思わなかったのかな。壁もドアも真璃愛さんならすり抜け放題だから、家の中だって簡単に見られるのに……)
相変わらずあたしの真横に控える真璃愛さんは、何も言葉を発さない。本人に問い質すのはもちろん、表情の観察さえできないこの状況じゃ、当時の真璃愛さんの考えは察しようもない。
あえて確認しなかったのか、できなかったのか……。もしくは、度々入れてくれている当時の状況補足が一切ないことを考えると、その場にいなかった可能性もある。
……ともかく。
「ごめん、やっぱりインターホン鳴らされた記憶ないから……気づかなかったと思う」
「なるほどね。ともかく君と連絡がつかないことにはどうしようもなかったから、それ以降は君の足取りを追おうと動いていたんだ。……そうして数日経った日のことだったよ。紗蘭から、鱓野先輩の殺害を自供されたのは」
「え? じゃああなた、紗蘭さんと会ってたってこと? いつ、どこで? というか紗蘭さん、休学してから連絡つかなくなったのに、何でその時になって……」
「ごめん、言い方が悪かったね。紗蘭と会えたわけじゃないし、もっと正確に言うと僕への自供ではなかったのだよ。彼女からの通話を受け取った人への、なんだ」
「じゃあ、前回のあなたが、その人伝に聞いたってこと? その通話って、一体誰への──」
「僕よりも君の方がよく知っている人……嶋崎 蔵市郎さんだよ」
「…………店主、さん……?」
海老原さんの口から出てくるとは想定していなかった名前に呆気に取られる。そんなあたしはそっちのけで、彼が続けざまに放ったのは、尚更想定していなかった事実だった。
「タイムリープするまでの数日間だけだけどね。前回の僕は、嶋崎さんと行動を共にしていたんだ。紗蘭が自供した時も、ね」




