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暗澹たる泥中から  作者: 金萌 朔也
第1章 平穏たる日常
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第2話 世界の常識


 ちょっと買い物するだけの予定だったのに、とんだ誤算だったな。それが、無事買い物を終えた今の素直な感想だった。

 目当ての品が多すぎたからか、欲しい物全部揃っている本屋さんがなかなか見つからなくて。そのせいで、あたしたちは何軒もの本屋さんを巡る羽目になってしまった。その甲斐あって全部買えたのはいいけど、その頃にはもうあたしも海老原さんもクタクタで、とにかくどこかで休憩することしか考えられなかった。

 そうして今あたしたちは、西に傾く()の色に染まった空の下で、大学最寄り駅前のベンチに座って足を休めている。ほぼ全部の荷物を持ってくれた海老原(えびはら)さんの方が、あたしより疲れているだろうけど。

 駅ビルの斜向(はすむ)かいにそびえ立つビル外壁に設置された大型ビジョンが目を引くここは人通りが多いけど、帰宅ラッシュに差し掛かったこの時間帯は更に増える。

 それでも、ビジョンから流れるニュースとその音声に興味を向ける人はあまりいない。


「ありがとね、海老原さん。ここまで付き合ってもらって」

「構わないさ、僕も自分の買い物ができて一石二鳥だから。……しかし、君の荷物持ちを申し出た時点で覚悟はしていたけれど……今回も大人買いだったね」

「え、そう? 確かに予定にない物も買っちゃったけど、このくらいなら1週間で読みきっちゃうよ」

「自覚もない点が尚更に恐ろしいな……」


 紙袋3つに隙間なく詰め込まれた本を一瞥(いちべつ)し、やれやれと言いたげに首を横に振りつつ苦笑いしている海老原さんだけど、あたしは知っている。

 彼も決して人のことを言える立場ではないことを。


「あなただって買い漁ってたくせに」

「……それでも君の購入量には及ばないさ」


 バツが悪そうにそっぽ向きながら反論する海老原さんだけど、実際紙袋の内1つは彼の分だ。彼もあたしと同じ根っからの本好きだけど、この量を一度に買って行くのは珍しい。

 海老原さんが何を買ったかまでは見てないけど、彼の購買意欲を刺激するジャンルなんて1つしかないし……。

 何より、()()でこうして一緒に書店巡りした時も、そのジャンルばかり買っていたから、紙袋の中身は手に取るように分かる。


「今回もオカルト系?」

「ああ、唯一と言っても過言ではない長年の趣味だからね。エルもついに興味を持ってくれたかい? 特に黒魔術や悪魔についてなら、いくらでも語ってあげよう」


 オカルトの話になった途端、早口気味になって軽く身を乗り出す海老原さんの胸元で、逆十字のペンダントがきらきらと光を反射しながら揺らいでいる。

 

「はいはい、また今度ね」

「そう言って、君はいつも聞いてくれないじゃないか。はぁ……エルがつれなくて、僕は寂しいよ」

「長話にならず、あたしを置いてけぼりにしないでくれるなら、今からでも聞くけど」

「……それは約束できかねるなぁ……」

「でしょ、だからダメ」


 普段紳士的な海老原さんは、一度スイッチが入ろうものなら緋色の両目を無邪気に輝かせて、息つく暇なくオカルトについて語り尽くす。それこそ比喩でも何でもなく、何時間でも。だからこうして、そのスイッチが入りきる前にストップをかける必要がある。

 彼のそういうところが嫌いなわけじゃないけど、夜の空になりつつあるこの時間からは、ちょっと勘弁願いたい。


(……さて、ここらで解散にしようかな)

 

 本当はもう少しお話していたいけど、もう用事も済んだことだし、いつまでも彼の時間を使わせるわけにはいかない。

 結局、真璃愛(まりあ)さんが帰ってこなかったことだけが気になるけど。()()はあの子もいたのに、どこ行ったんだろう。次会った時、本人に聞いてみようかな。


「じゃあ海老原さん、そろそろ──」

『今こそ! この世の中を変えるべきです‼』


 お開きにしようかと続けようとしたその瞬間、やたら音質の悪い大声が鼓膜を突き刺さんばかりに響き渡った。

 ハウリング混じりのそれにビクリと肩が跳ねて、目の前では海老原さんも全く同じリアクションをしていた。


「え、何? 今の?」

「……エル、あそこだ」


 海老原さんが指差したのは、駅の入口付近。そこには拡声器らしき物を手にした男性を真ん中にして、10人くらいの集団が駅ビルを背に、ずらっと横に整列していた。

 男性の足元には、いくつかスピーカーが置いてある。さっきの大声は、あれと拡声器の仕業か。

 並んでいる人たちは、よく見ると通行人に繰り返し何かを差し出している。何か配っているようだけど、誰にも受け取ってもらえる様子はない。

 

「何かの演説っぽいけど……何かな?」

「……何だろうね」

 

 そんなあたしたちの疑問は、続く男性の言葉ですぐ解決した。


『世界的にも全種族平等が叫ばれる昨今、ここ日本では未だに時代錯誤な差別観が根強く残っています! 確かに我々無憑(むつき)は、霊憑(たまつき)妖憑(あやつき)神憑(かみつき)の皆さんが当たり前にできることができない身です。たったそれだけの違いを理由に、人権すら与えられなかった時代がありました!』

(……あ、そういえば……)


 すっかり忘れていた。あの人たちは()()もここにいたんだった。

 ああやって列を成して、種族差別反対を訴えるために熱く演説して、ビラを配ったりして……誰かに自分たちの言葉を聞いてもらおうと必死になって。

 でも、誰一人相手にされなかったんだっけ。


『それに比べれば、現代は無憑にとって恵まれた時代と言えます。学びの場の制限は緩和され、同じ職を夢見ることも許されるようになった。しかし! そんなことすらほんの数十年前の話であり、未だに真の平等とは程遠いのが現実です! だからこそ、今この社会を根本から変えねばならないと、私は1人の人間として! これまで社会から疎外されてきた無憑の中の1人として! 強く強く、そう考えるのです‼』


 霊憑は動物霊を、妖憑は妖怪を、神憑は神を……。超常種(ちょうじょうしゅ)と総称されるそれらの内から1体だけを自身に憑依させて、能力という名の恩恵を得る種族。

 憑依させる超常種によって毛色の異なるその能力は実に多種多様で、例えば体の一部に動物の特徴が現れたり、特殊な能力を駆使できたり……中には特定の動物と会話できたりする人もいるらしい。

 一括りに異憑(いつき)と呼ばれるそれらの種族にとっては、それは日常生活の一部と言っていいレベルで、子供の頃からできて当たり前なこと。

 でも、無憑は超常種を憑依させることも、当然能力を使うことも一切できない上、出生率が極端に低い……つまり異憑と比べると、数でも能力面でも劣等種とされる存在。

 だからと言うのもおかしな話だけど、昔はそれを理由に異憑から差別や迫害を受けていた。それが、世界の常識だった。

 今じゃもう、そんな差別意識は根絶すべきという認識が世界共通になっている。実際に両種の扱われ方は、昔に比べたら対等に近づいてきているそうだ。まだ21年間しか生きてないあたしには、そんな実感ないけど。

 それでも、学べることやできる仕事の差は埋まらない。異憑じゃなきゃできない職と、無憑でもできる職だと、後者の方が条件や待遇が悪いなんてことは今でもザラにある。

 能力が高い者が優遇されるのは当たり前だとされる一方で、無憑からしたら生まれながらの、それも自力では覆しようのない能力差で線引きされるのは不平等だと感じるわけで……。それに関しては、どっちも間違ってないとは思うけど……。


『無憑にも、もっと優しい社会を! 無憑にも、異憑と同じ権利を! 無憑が金輪際、差別を受けない世界を!!』

 

 右へ左へ流れていく通行人たちへ熱弁を振るうあの人も、そんな無憑の扱いに不満があるから、ああして声を張り上げているんだと思う。

 ……きっと、あの人は分かってない。この街は無憑への差別意識なんて、ほとんどない。ここよりよっぽど酷く根強く差別が残るところなんか、探せばすぐ見つかる。あたしの生まれ故郷や実家がいい例だ。

 あそこで同じように演説なんてしたら、無視してもらえれば儲けもの。確実に罵声と、酷ければ石を投げつけられすらして、しかも警察だって味方してくれないなんて事態になりかねない。そうやって、声さえ上げていればいつか分かってもらえるなんて甘い考えだったと、そう思わされる。

 そんな土地で育った身から言わせれば、安全地帯で主義主張を語るだけのあの人たちは、大人数で何か成し遂げた気になっているだけで、個々の声じゃ何もできない。

 あれだけ叫んでも、芸能人のゴシップを垂れ流すだけの大型ビジョンの方がまだ注目されている事実が、それを何よりも物語っている。


(でも……そんなのあたしが言えた義理じゃないか)


 蔓延(はびこ)る悪意に立ち向かう勇気も、噛みつく度胸もなく、ただ逃げているだけ。それが今のあたし。1人じゃ何もできないから安全地帯に逃げて、独りで暮らし始めた。

 彼らだって、そんな人間にとやかく言われたくはないだろうな。


「……返ってくる反応など分かりきっているだろうに、それでも諦めきれないのだろうね」


 道行く人々からいないものと扱われる彼らを憐れむでも、まして(あざけ)るでもなく、ポツリと呟く隣からの声。

 聞こえた先に目を向けると、当然そこにいる海老原さんは無表情。でも、夕暮れに沈みゆく西陽よりも赤く見える緋色の両目を僅かに細めている様は、寂しそうに見えてならない。


「聴いてたんだ、海老原さんも」

「聴いていたと言うより、耳に入ってしまったの方が正しいかな。どうしても対岸の火事として聞き流すことは難しくてね。……それは君だって同じだろう? エル」

「……そう、だね」


 あたしの左手首をすっぽりと覆うカーディガンの袖をめくれば、ひび割れた真っ黒な球体とその破片のようないくつかの真っ黒い三角形が姿を見せた。

 嫌気が差すほど見てきた、あたしが無憑だと証明する憑印(つきいん)

 あたしは見たことないけど、海老原さんの体のどこかにも、同じ憑印が刻まれているらしい。


「対岸の火事どころか、当事者だもんね」

 

 あたしも、海老原さんも、あの人たちと同じ無憑。

 多くの異憑が普通に生きているように、普通の大学に通って普通に生活している……時折種族を理由に一部の異憑から馬鹿にされる()()の、どこにでもいるただの無憑だ。


「……ねぇ、エル。少し変なことを聞いてもいいかな。返答に困ったら、無視してくれて構わないから」

「そんなことしないよ、あなたに。……どうしたの?」

「……僕たち無憑のように力を持たない、所謂(いわゆる)弱者でもさ。例えばああいう風に何かしらの形で足掻き続けることで、いずれは自分や身近な誰かを取り巻く未来を、ほんの少しでも変えられるなんて……。そんなこと、可能だと思うかい?」

「……えっ……?」

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