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第13話 過去へ誘う味


 あたしの家は、ブルームの最寄り駅から更に20分ほど電車に揺られた先の駅から、歩いて5分ほどという好立地に建つオートロック式マンションの3階にある。

 駅周辺は大学やブルームの最寄り駅ほど賑わってはないけど、スーパーやコンビニ、郵便局など色々な施設があって、生活するには十分快適だ。本屋さんがないことだけを除けば。


「人の家にこんなこと言うのも何だけれど、いつ見ても学生が一人暮らししているとは思えないな……」

「まぁ、だよね……」


 帰宅の道すがらに寄ったスーパーの袋を手に提げながら苦笑いする海老原(えびはら)さんをリビングダイニングに通して、テーブルに買った荷物を置いてもらった。

 オムライスの材料と、洗わずすぐ食べられるカットサラダを2人分買うつもりが、海老原さんが「ごちそうしてもらう身だから」って支払いと荷物持ちまでしてくれた。

 そんな海老原さんが言ったように、あたしもこのマンションは学生が一人暮らしするには変というか、そぐわないんじゃないかとは思っている。オートロックだし、2LDKだし……少なくとも学生向けのアパートと比べたら設備も広さも段違いのはず。

 とはいえ、ここを選んだのはあたしじゃない。最初は実家から少しでも遠くに逃げるつもりで、大学と提携しているアパートにする予定だった。なのに兄様(あにさま)に「一人暮らしは許してやる代わりにここで暮らせ」と強制されたから、住まざるを得なくなった。

 家賃や諸々の費用は兄様持ちだし、セキュリティもしっかりしているからアパートよりは安心な上、広い分本の置き場にも困らないから、そこは感謝している。でも、借りている名義は兄様のものだし、当然住所だって把握されているわけで。

 ……恐らく、兄様はあたしが実家から逃げるのを手助けしてくれているんじゃない。むしろ「いつでもその部屋を解約して、お前を実家に引きずり戻せるんだぞ」という無言の警告、もとい脅迫が目的なんだ。


(他人が聞いたら、穿った見方しすぎとか言われそうだけど……実際兄様は、というか実家にはそういうことしてもおかしくない人間しかいないし……)


 実家よりはマシな生活が送れるだけで監視下には置かれているし、実家からの逃亡だって実質失敗している。結局のところ、どう足掻いたって地獄にしか行き着けないんだろうな、あたしは。

 ……まぁ、それは今どうでもいい。せっかく来てくれた客人を、いつまでもそこら辺に立たせておく方が問題だし。


「海老原さん、ちょっと早いけど晩ご飯にしようと思うんだ。お腹空いてる?」

「ああ、もう今から君の手料理が待ち遠しいくらいにはね。珍しいじゃないか、エルが積極的に食事にしようとするなんて」

「単にあなたのお腹空かせたままじゃ悪いと思っただけだよ。ゆっくり話したいし、そうなったら長話になるかもだし」


 海老原さんはリビングに置いてあるハンガーラックに、チェスターコートとバッグをかける。あたしもカーディガンとミニリュックを置くため、一度寝室に入った。

 ……空腹のまま長話するのが申し訳ないのは本当だけど、一番の本音は食事中やある程度お腹が膨れている方が油断を誘いやすくて、警戒されにくいからだ。

 

「そうだった、僕と話がしたいと言っていたね」

「うん、ご飯食べながら話そう。今から作るから待ってて」

「それは悪いよ、僕も何か手伝いを──」

「もう荷物持ちしてくれたし、食材のお金出してくれたでしょ。それで十分だよ」

「……ならば、お言葉に甘えて待たせてもらおうか」


 ミニリュックと、ハンガーを通したカーディガンをウォールフックにかけてダイニングに戻る。

 飲み物を出すついでに食材入りの袋をキッチンに運んで、戸棚の中にある鱓野(うつぼの)さん用と紗蘭(さら)さん用のコップを避けて、海老原さん用のコップを取り出した。そこに製氷室から出した数個の氷を放り込んで、その上に冷蔵庫から出したピッチャーのアイスティーを注ぐ。

 ピッチャーは冷蔵庫に戻して、大量のガムシロップが入ったガラスケースとコップを持ってリビングに戻ると、海老原さんは何かを膝の上に乗せて撫でていた。


「……あれ、海老原さん、それ……」

「ああ、勝手にすまない。鱓野先輩と紗蘭が熱い取り合いを繰り広げていたなぁと思い出して、つい。先輩から貰ったのかい?」


 海老原さんの膝に鎮座していたのは、両手足を突き出して座るような体勢の、青い目をした黒猫のぬいぐるみ。以前、鱓野さんがあたしにくれた物だ。

 そういえば、出かける前に少しソファーで読書するために抱っこしてて、そのままソファーに置きっぱなしだった。


「うん、あなたたちと別れたあと、鱓野さんがくれたの。クレーンゲームでどっちが取れるか競ってたんだっけ、それ」

「実に白熱した試合だったよ、何せ2人で総額1万円かけていたから。大切にしているんだね」

「うん、せっかく鱓野さんがくれた物だもん。寝る時とか読書の時とかに抱っこしてるんだけど、サイズ感がちょうどいいんだよね。もふもふで気持ちいいし」

「先輩が知ったら、飛び上がって喜ぶだろうね。……ふふ、こうして見ると、何だかエルに似ている気がするよ」

「へっ?」


 依然としてぬいぐるみを撫で続ける海老原さんは、突然そんな頓珍漢なことを口走った。見ているだけでも溢れんばかりの優しさが感じ取れる手つきは、あたしの頭を撫でてくれる時の海老原さんの手を彷彿とさせる。

 そんなことを思いつつもポカンと開いた口が塞がらないあたしを他所に、海老原さんは緩みきった緋色の目元を更にふにゃりと緩ませて続ける。


「エルは髪が、この子は毛並みが黒いところとか、青い目とか」

「あたしの髪は黒より緑がかってるし、目だって青というより青紫だよ」

「あと、可愛いところも」

「そのぬいぐるみは確かに可愛いけど、あたしは別に可愛くないでしょ。うちの前に眼科に連れて行くべきだったかな、あなたのこと」

「手厳しいなぁ、本当のことしか言ってないのに」

「はいはい……ほら、アイスティー。ガムシロップはいつも通り、好きに使ってくれて構わないから。リモコン置いておくから、テレビでも見て待ってて」

「ありがとう」

 

 キッチンに戻る直前ちらりと海老原さんを見やると、アイスティーにガムシロップを入れながら、ふにゃふにゃした笑顔をぬいぐるみに向けている。呆れ半分の小さな溜め息を思わず溢しちゃったけど、油断しきってくれているなら、むしろ好都合かな。

 冷蔵庫の卵置き場に使わない分の卵をしまい、お皿と一緒に取り出したフライパンを2つあるコンロの内の片方に置いて、ケチャップライス作りに取りかかる。


(オムライスなんて久しぶりに作るから、緊張するなぁ……。そもそも食事嫌いになってから、海老原さんたちにごちそうする時くらいしか料理しなくなったし──)

「エルさん‼」

「〜〜〜っっ!?」


 パックご飯をレンジに入れてスイッチを入れようとしたところで、突如キッチンに響いた甲高い声が鼓膜を突き刺して、あたしの身体を跳ねさせた。

 仕切りやドアのないカウンターキッチンじゃ、多少の声量だけでも海老原さんに気づかれてしまう。危うく飛び出しかけた叫び声は唇に歯を立てて噛み殺したから、それだけは何とか避けたけど。

 声の聞こえた方に勢いよく振り向くと、瑠璃色の丸い目を瞬かせた真璃愛(まりあ)さんの上半身だけが壁から生えていた。


「何だ、真璃愛さんか……おかえり」

「ただいま! びっくりしたわ、お兄ちゃんのところに戻ろうとしたら、エルさんのお家に着いたんだもの! 私が離れてから何があったの?」

「あのあと、紗蘭さんをブルームまで送って行くよう鱓野さんに頼まれてさ。で、迎えに来てくれた店主さんに紗蘭さんを任せて、その帰りに海老原さんに来てもらったの。話があるついでに晩ご飯ごちそうしたくて」

「ああ……じゃあ、あの後紗蘭さんの身には何ともなかったのね。よかったわ。……今広げてるそれで、エルさんとお兄ちゃんの晩ご飯作るの?」

「正確には海老原さんの、だね。あたしはサラダだけ」

「……どう見てもオムライスの材料ね。お兄ちゃんのリクエストでしょ」

「……分かるんだ」

「それしかないわよ、お兄ちゃんが食べたがる物なんて。ていうか、そのお兄ちゃんはどうしたの……って、何ぬいぐるみ撫でながら優雅にくつろいでんのよ! ちょっとはエルさんのこと手伝いなさいよ!」


 カウンターから身を乗り出した真璃愛さんは、リビングを見るや否や海老原さんに厳しいツッコミを飛ばした。ビシッと指差す右手では、いつものように白蓮のブレスレットが揺れている。

 ていうか、まだぬいぐるみ撫でてるんだ、海老原さん……。そんなに気に入ったのかな……。


「いいの、真璃愛さん。材料費と荷物は海老原さんが持ってくれたから」

「あら、そうだったの? ……まぁ、エルさんにやらせっぱなしにしてないならいいわ」


 あくまで小声に留めるために真璃愛さんの側に寄るついでに、レンジにパックご飯を入れて温め始めた。その間に卵と少量の塩胡椒をボウルで溶いておいて、それが終わったらケチャップライスの材料を準備開始。

 フライパンにオリーブオイルを引いて火にかけ、油を温めるついでにバターを溶かしておく。その間に鶏肉を1cm大程度に手早く切り分けた。余ったものはラップをかけて冷凍庫へ。


(……海老原さんに持って帰ってもらおうかな、これ。元々海老原さんが買った物だし、食べきるの面倒だし)


 切った鶏肉と、冷凍のミックスベジタルブルを熱したフライパンに入れると、途端に油が破裂音と共に跳ね出す。勢い余ってこっちへ飛んできそうな勢いに少し引け腰になりながらも、菜箸でフライパンの中身をかき混ぜていく。

 本当は解凍してからの方が安全だけど、こっちの方が早いんだよね。今回は海老原さんを待たせちゃってるから、なるべく時短できる方で。

 油の跳ねが落ち着いてきた辺りでケチャップと塩胡椒を追加して、火を弱めて全体に調味料が行き渡るように念入りに混ぜる。ケチャップの香りに混ざったスパイスとバターが鼻腔をくすぐるそれを、スプーンで少しだけ掬って味見する。


(……うん、味は大丈夫かな。ケチャップもくどくないし、バターのコクもあっていい感じ)


 本当は食べたくないけど、人に出す物を味見しないわけにはいかないから、今だけ我慢。

 そんなあたしの顔をじっと見てくる真璃愛さんは、何か言いたいことをなかなか口に出せない様子で若干もじもじしている。


「……どうしたの?」

「あぁ……えっとね、エルさんに話したいことがあるんだけど……。晩ご飯が終わったあと、少しいいかしら?」

「うん、構わないよ。調理しながらでよければ、今すぐでも聞けるけど」

「あ、ううん! 後で大丈夫! ちょっと、心の準備もしたいし……」


 くりくりした瑠璃色の目が伏せられると同時に、電子レンジがチン、と温め終了を告げるベル音を鳴らした。

 パック越しでも持ちづらい程度に熱くなったご飯を取り出して、味のついた具材の中に投入。そこに追加でケチャップとバターを少しだけ合わせて、今度はヘラでご飯を切るように混ぜ合わせていく。


「心の準備って……そんな大げさな話なの?」

「大げさというか、私がちょっとまだ混乱してるっていうか……ともかく時間が欲しいのよ。お兄ちゃんに話があるんでしょ? それと晩ご飯が終わるまでには、心の整理しておくわ」

「……分かった。でも、海老原さんとの話は、できればあなたにも聞いてほしいんだけど……」

「あら、そうなの? いいわよ」

「ありがと」


 出来上がったケチャップライスはフライパンの上に置いたまま、もう片方のコンロの上に避けて一回り小さいフライパンを取り出した。今度はこっちでケチャップライスを包むための卵作りだ。


「わぁ〜……エルさんのケチャップライス、すっごく美味しそう! いいなぁお兄ちゃん、エルさんの手料理食べられるなんて……お兄ちゃんには贅沢すぎるわ! お兄ちゃんなんて、自分で作って包むの大失敗したオムライスでも食べてればいいのに……あーもう! 何で私はご飯食べられない体なのよ! 私もエルさんのオムライス食ーべーたーいー!」

「……やっぱり、食べられないって辛いの?」

「そりゃあ神使(しんし)なりたての頃は結構キツかったわよ。お腹空かないとはいえ、いくら美味しそうでも食べられないんだもの。あの頃よりは慣れたけど、やっぱり今でも食べたくなるわ……オムライスは特に、ママの得意料理だったから」


 やや寂しげな声でそう呟いた真璃愛さんに、思わず溶き卵をフライパンへ垂らす手を止めそうになった。

 ボウルの中身全部をフライパンへ流し終えたら、ボウルはシンクへ。卵が焦げつく前に、菜箸で卵液の厚みを調節しながら、ふわふわの半熟を目指して火を通す。


「……じゃあ、海老原さんも真璃愛さんも、オムライスはよく食べてたの?」

「ええ、卵もケチャップライスも美味しかったんだけど、野菜が結構入っててね。避けて食べようとすると、ママに「好き嫌いはだめ!」って叱られたものだわ〜。でもね、私よりお兄ちゃんの方がママのオムライス好きだったのよ」

「あ、だからオムライスばっかり食べたがるのかな」


 ふわとろな半熟卵の一歩手前くらいの物ができた頃、あたしはコンロの火を止めた。

 予熱で固まりきっちゃう前にケチャップライスを卵の上に乗せて、フライパンを持ち上げた。そのまま持ち手の手首辺りを軽く叩きながら、フライパンを小刻みに動かして、ケチャップライスを少しずつ包んでいく。

 あとはこの包んだオムライスを崩さないようにお皿に移せば完成だ。海老原さんの口に合うといいけど。


「多分そうだと思うわ。家でもよく作ってるけど、お兄ちゃんってああ見えてちょっと不器用だから、今のエルさんみたいに上手に包めなくて失敗してばかりなのよ。ケチャップでのお絵描きも下手っぴだったから、私その度に笑っちゃって! 一体何度拗ねられたことか……」


 楽しげに弾む声で、しかし懐かしそうに語る真璃愛さんの言葉に疑問符が湧いて、包み終えたオムライスをお皿に移す手を思わず止めかけてしまった。

 オムライスが型崩れする前に何とか移し終えて、フライパンをコンロに戻してから真璃愛さんに顔を向けた。


「ケチャップでお絵描きって? 何に描くの?」

「へ? いや、オムライスだけど……あれ? エルさん、やったことない? うちはオムライス作ってくれる度に、家族総出でやってたけど……うちだけだったのかしら……?」

「……どうだろう。少なくとも、あたしはそんなのやった記憶ない」

「そう、なの……」


 どこか気まずそうな視線を送ってくる真璃愛さんを他所に、あたしはカットサラダを盛り付ける用の小皿を2つ取り出した。

 ……真璃愛さんが言うようにオムライスにお絵描きするのが一般的かどうかは知らない。そんな遊びができるような仲良しこよしの家族じゃないし、あたしの実家は。

 まぁ別にいい、そんなことよりずっと重大な問題が目の前にある。小皿に半分ずつ盛り付けたサラダは1人分だけど、それでも多く感じることだ。多分食べ切れるとは思うけど……食べなきゃダメかなぁ……。

 ……ちょっとくらい海老原さんの多めにしても、きっとバレな──。


「エル」

「ふぇっ……!? え、海老原さん、いつの間に……」

「急にすまない、言い忘れていたことがあって」

「な、何……?」

「サラダが多いと感じても、僕の分を増やしたりしないように。ちゃんと半分こだからね?」

「……………………」

「エル?」

「あっ……わ、分かってる……!」

「うん、ならばよし」


 いつの間にかカウンターまで来ていた海老原さんの言葉に跳ね上がった心臓が、まだ激しく脈打っている。本当に言い忘れていたこと思い出したにしたって、タイムリーすぎるでしょ……本当にびっくりした……。

 満足気に戻って行った海老原さんを見送りながら、あたしも真璃愛さんも少しの間だけ呆けてしまった。


「……ねぇ、真璃愛さん……海老原さんって実は人の心読む能力でも持ってるの……?」

「そんなわけないわよ。お兄ちゃんが無憑(むつき)なの、エルさんも知ってるでしょ……って、ちょっと待って。エルさん、本当にお兄ちゃんのサラダ増やそうとしてたの!? ダメよ! エルさん、ただでさえご飯食べないんだから! そんなの私も許しませんっ!」

「真璃愛さんだって、さっきオムライスに入ってた野菜避けてたって言ってたのに……」

「私はいいの! どうせ今は食べられないんだから! それよりほら、早くオムライス持って行ってあげないと、冷めちゃうわよ!」

「あ、そうだね」


 ぷんすこ顔する真璃愛さんに促されて、お盆にオムライスと2つのサラダ、2人分のカトラリー類と冷蔵庫から取り出した来客用のドレッシング、トッピングのためのケチャップを乗せて、リビングダイニングへ。

 テーブルにお盆を置いて海老原さんの方を見ると、いつの間にか点けていたらしいテレビを見ていた。それでもまだぬいぐるみを膝に乗せて、その頭をくしゃくしゃと撫でている。


「海老原さん、そんなにもふもふ好きだったっけ?」

「ん? いや、そういうわけではないよ。ついつい撫でてしまうだけさ、君に似ているから」

「……本物のあたしがここにいるんだけど」

「ふふ、料理中に邪魔してしまったら申し訳ないからね。ご飯できたのかい?」

「見ての通りだよ、冷める前に食べて」

「ああ、そうさせてもらおう。だからほら、拗ねないでおくれ」

「拗ねてない」


 あたしの口は突慳貪(つっけんどん)な語気を放つけど、きっと海老原さんからしたら突っぱねられた気すらしないんだろうな。本人の緩みきった目尻と頬を見れば分かる。

 テレビを消してアイスティーのコップ片手に歩み寄ってきた海老原さんは、空いている片手であたしの頭を撫でだした。そんな彼とあたしを交互に見ながら、真璃愛さんは「エルさん素直じゃないわね〜」なんて言ってニマニマしている。余計なお世話だ。

 ひとしきり撫でて満足したのか、海老原さんはあたしの頭から手を離した。そしてテーブルにアイスティーを置いて、4つある椅子の内のキッチンの入り口に一番近い椅子に迷いなく座る。

 みんながあたしの家に遊びに来た時はそこが彼の、あたしはその向かいが定位置だ。


「エル、オムライス包むの上手なんだね」

「ありがとう。久しぶりに作ったから、失敗しなくてよかったよ」

「久しぶりなのに、ここまで綺麗に包めるのかい? すごいね、エルは。僕はたまに作るけど、この包む工程がちょっと苦手なんだよねぇ……」

「ちょっと苦手なんてレベルじゃないでしょ、お兄ちゃんは! この前なんて包もうとした卵を破りまくって、ケチャップライスに卵焼き乗っけただけになってたじゃないの!」

「……割と不器用なんだね、海老原さんって」

「はは、返す言葉もないな……。まぁそれは置いといて、いただきます」

「いただきます」

「はぁ〜……私もいただきたいなぁ……。お兄ちゃん、私の分まで味わって食べてよ!?」


 肩にへばりついて恨めしそうな顔を向けている真璃愛さんのことなど露知らず、海老原さんはオムライスにケチャップを波状にトッピングした。

 オムライスをスプーンで掬って、一口入れた瞬間、穏やかだった緋色の両目が一瞬にして幼い子供のようにキラッと輝きだした。


「美味しい! 君が料理上手なのは知っていたけれど、オムライスも上手いんだね!」

「ありがとう……でも、そんなことないよ」

「そんなことなかったら言ってないさ、本当に美味しいよ! ふわふわの卵はとろけるようだし、今まで食べたオムライスの中でも最高に美味しいよ。プロが作った物を食べているみたいだ、ふふふっ……」

「ちょっと、自分ばっかり楽しんでないで、もっと食レポしてちょうだい! 私が本当に食べてる気分になれるくらいのやつ!」


 無茶振りに精を出す真璃愛さんを他所に、海老原さんは満面の笑みで次々とオムライスを掬っては、パクパクと口に放り込んでいく。

 好物であることを考えても早すぎる食事のペースに、ほんの少しだけ喉に詰まらせないか心配になるけど、そのくらいオムライスに夢中なようだ。


(よかった、上手くいったみたいで。これなら……)


 これならきっと、口を滑らせてくれるはずだ。


「海老原さん、大変だったね、今日」

「ん? あ、うん……そうだね。心臓が止まるかと思ったが、みんな無事でよかったよ」

「海老原さんが咄嗟に紗蘭さんを助けてくれたおかげだよ、ありがとう。まさか紗蘭さんの方が狙われるなんて思ってなかったけど」

「ああ……てっきり鱓野先輩の方だと──」

「鱓野さんの方、か。まるで紗蘭さんじゃなくて、鱓野さんが狙われると思ってたような物言いするんだね。……心当たりでもあった? 鱓野さんが、あんな風に狙われるような、心当たりが」


 拙い誘導にさえまんまと引っかかった瞬間を、あたしは聞き逃さなかった。

 新たな一口を掬おうとしたスプーンが、オムライスに刺さったまま一切の動きを止める。食器がかち合う音すらなくなった空間は、まるで時間まで止まったようで。壁掛け時計の秒針だけが、無機質な規則性でそれを否定する。

 海老原さんが口を滑らせてくれるかは賭けだったけど、滑らせちゃえばあとは簡単だ。キョトンと呆けただけならハズレ、驚愕の様子に言い訳を探すような険しさが混ざったなら当たり。

 彼の表情は観察なんてするまでもなく、後者だ……真璃愛さんも。

 海老原さんは切れ長の緋色、真璃愛さんは瑠璃色の丸目。互いに互いの面影はあるものの瓜二つとまでは言えない容姿の2人なのに、時折鏡に映したみたいにそっくりな表情をする。それを見る度、2人は兄妹なんだなと実感する。

 兄の目に映らない妹からの、常に一方通行なコミュニケーション。それでもきっと心は深く繋がり合っているんだと思わされるその様は、血を除いて何一つ繋がっていないあたしと兄様とは大違いだと……そんな場合じゃないのに、つい考えてしまった。

 

「…………エ、ル……何を──」

「知ってるよね、あなた。時間の巻き戻り……タイムリープが起こったこと」

「っ……‼」

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― 新着の感想 ―
 ケッチャプでお絵描きの件、読んだ時に一瞬「エルちゃん何言ってるんだ……?」って思ったらそもそも知らなかったという、家族関係の歪さが垣間見える良い表現でした!  海老くんイケメソだしきっと料理も上手な…
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